榊原光徳


【すばらしき人生 87


 三月に入り少しずつ春の足音が聞こえてきます。年が明けてもう二ヶ月が経ちました。旧暦(きゅうれき)で弥生(やよい)と申しまして「草木(くさき)がいよいよ生(お)い茂(しげ)る月(つき)」という由来(ゆらい)だそうです。生物(せいぶつ)の躍動感(やくどうかん)を感じる季節となりました。

 今冬(こんとう)は暖冬(だんとう)で過ごしやすい日々が続きました。もうすでに花粉症(かふんしょう)の方は症状(しょうじょう)が出てきております。アレルギーは現代病(げんだいびょう)ではありますが、ある物質(ぶっしつ)を非自己(じこひ)と認識(にんしき)するため防御反応(ぼうぎょはんのう)による症状です。アレルギーはとてもつらい病気です。自分の体の体質改善(たいしつかんぜん)が善い結果に繋(つな)がって参ります。あきらめずに継続(けいぞく)することです。

 また、これからの時期は「三寒四温(さんかんしおん)」といい体調管理(たいちょうかんり)が難(むずか)しい季節です。無理をしないように一日を過ごされることが大事であります。

 今年は「コロナウイルス」という新型(しんがた)のウイルスが中国・湖北省(こほくしょう)武漢市(ぶかんし)を中心に全世界へと感染(かんせん)が広がりました。過去、人間とウイルスの戦いはインフルエンザをはじめ延々(えんえん)と続いております。新薬(しんやく)ができればそれに耐性(たいせい)のあるウイルスにどんどんと変化(へんか)をしてきます。いつまでたってもきりがないのが現状(げんじょう)です。今できることは、「手洗い」「うがい」「マスク着用」くらいしか防御(ぼうぎょ)する手立(てだ)てがありません。

 そして、このウイルスによる経済(けいざい)への影響(えいきょう)も懸念(けねん)されます。GDP世界第二位の中国経済が失速(しっそく)すると、その影響力(えいきょうりょく)は日本にとっても脅威(きょうい)となります。春節(しゅんせつ)の時期に中国からの旅行者が激減(げきげん)し日本中大変なことになっております。一日でも早く新型コロナウイルスの終息(しゅうそく)が待たれます。

 人間にはみな個人差(こじんさ)があります。みな顔(かお)が違(ちが)うように差異(さい)があって当然です。優秀な人も、そうでない人もございます。何が平等かと言えば、チャンスはみな同じようにあるということです。チャンスをチャンスとして捉(とら)えることができるか否(いな)かにより大きく人生は変わって参ります。

 チャンスを正しくつかむためには、六感(ろくかん)を磨(みが)くことです。視覚(しかく)、聴覚(ちょうかく)、触覚(しょっかく)、味覚(みかく)、嗅覚(きゅうかく)の五感(ごかん)が大事なのですが、それを超(こ)えた直感的(ちょっかんてき)に本質(ほんしつ)をつかむ力を第六感(だいろくかん)といいます。いわゆる直感(ちょっかん)を磨くことがとても重要(じゅうよう)となります。

 私たちの周(まわ)りには、チャンスが氾濫(はんらん)しております。そのチャンスを見極(みきわ)め行動(こうどう)することであり、チャンスをぐっと引(ひ)き寄(よ)せることです。そういうことが考えられる人間と、そうじゃない人間がいるのも事実(じじつ)です。チャンスがわからなければ何も行動を起こすことができません。常に私たちの周りにアンテナを張りチャンスをつかみ取ることが成功への道筋(みちすじ)となります。

 また、失敗経験(しっぱいけいけん)がないとその人はそこで成長(せいちょう)が止まります。常に、成功と失敗は背中(せなか)あわせにあります。失敗を恐(おそ)れずに果敢(かかん)にチャレンジすることが望(のぞ)ましいのであります。

 私のかつて部下であったHさんは、「一(いち)を聞(き)いて、十(じゅう)を知(し)る」タイプの人でした。自分で高い目標(もくひょう)を立て、それに向かいチャンスの種(たね)を蒔(ま)いていたのです。チャンスはなくとも、そこにチャンスをつくってしまうという不思議(ふしぎ)な人物でした。確かに、チャンスが向こうから歩いてやってくるわけではありません。その種(たね)を蒔(ま)けば、何らかのチャンスの芽(め)が出るという仕掛(しか)けをしていたのです。

 一つひとつの行動の中に成功を導(みちび)き出す方法を知っていたのでしょう。彼の行動は、会社を変え、周りの人も変え成長していったのであります。人が人をモチベーション〔動機付(どうきづ)け〕して、それぞれが成長してゆくのです。

 これが本来の会社であり、必要とされる人材なのです。企業(きぎょう)は人なりと申しまして、善くするも人、悪くするも人です。自分のブレーン〔(頭脳(ずのう)ある部下(ぶか)〕に、こういう人材を何人つくるかが、どれだけ会社に貢献(こうけん)したという指標(しひょう)となります。自分が伸びることで、会社も良くなるという好循環(こうじゅんかん)を仕掛(しか)けたものが勝者(しょうしゃ)になるでしょう。

 人間とは不思議(ふしぎ)なもので、体で生きているのではなく、こころで生きております。従って、こころを清(きよ)らかにすることが健康的(けんこうてき)に生きる最高(さいこう)の条件(じょうけん)なのです。病気になってしまった場合は、治(なお)すために必要なのは、「自分の病気が治りますように」という願(ねが)いではなく、「周囲(しゅうい)の人々のために病気が治りますように」と願うこころが大事であります。

 「自分が健康になりたい」という願いは、わがままで高慢(こうまん)な、自我(じが)から出てくる願(ねが)いです。その「自分(じぶん)」「自我(じが)」というのは、人間誰でも持っているものですが、それが病気になるすべての原因(げんいん)なのです。

 病気だけでなく、私たちの悩(なや)みや、苦(くる)しみのすべての原因は、その「自我(じが)」にあるのです。自我はエゴともいわれておりますが、家庭(かてい)の問題(もんだい)、社会の問題、個人的な問題、精神的(せいしんてき)な問題など、ほとんどすべての問題はエゴが強(つよ)いために出てきます。しかし、自我、エゴをなくしてしまうと言っても、そう簡単(かんたん)になくせるものではありません。

 なぜなら一切(いっさい)の苦(くる)しみのもとであるエゴは、無明(むみょう)・無知(むち)から生まれるからです。無明・無知とは真理(しんり)を一切知らないこと、万物(ばんぶつ)のありのままの姿(すがた)を知らないことです。

 エゴが完全に消えた状態を「悟(さと)り」と言いますが、そこまで行く前に、私たちは今、目の前にある病気(びょうき)という苦痛(くつう)をなんとか和(やわら)らげたいと思うものです。そのためには、利己的(りこてき)なわがままなこころを、周囲(しゅうい)を思いやる慈(いつく)しみのこころに変えなければなりません。

 「自分が仕事をしたいから健康になりたい、自分のために病気を治したい」と考えるのはエゴです。ですから、逆に考えて下さい。「周囲に迷惑をかけないために、健康になってみんなの役に立つために、病気を治したい」と願うことです。

 これは相手に対する慈(いつく)しみのこころであり、菩薩(ぼさつ)のこころなのです。エゴに基(もと)づいている言葉(ことば)か、慈悲(じひ)に基づいている言葉かによって、天(てん)と地(ち)ほどの違(ちが)いがあります。エコに基づいて願うことは、自分のわがままなこころ、醜(みにく)いこころを大きくするばかりです。慈悲(じひ)のこころに基づいて願うことは、善行為(ぜんこうい)であって功徳(くどく)ですから、修行(しゅぎょう)と同じことです。それは、自分の病気を自分の修行の土台(どだい)とすることであり、こころを清(きよ)らかにするための土台とすることです。

 こころが清らかになれば、体の病気(びょうき)も治って健康になります。ですから病気を慈悲(じひ)の実践(じっせん)のきっかけにするということが、病気の人々にとって大切な心構(こころがま)えなのです。

 高慢(こうまん)になればなるほど、わがままになればなるほど病気は治りません。薬(くすり)も効(き)かなくなって、治る病気も治らなくなります。いかに慈悲のこころで生きることが病気を治すうえで大事なことかご理解いただけましたでしょうか。

 自然破壊(しぜんはかい)のせいで病気になったという人がいるかもしれません。排(はい)ガスによる喘息(ぜんそく)や、人工的(じんこうてき)なものを食べたことによる病気です。それは他人のせいで病気になったと言えるかもしれません。しかし、この場合は仕方(しかた)がないのです。現代社会は、空気が汚(よご)れて、食べ物が汚れて、水が汚れている状態(じょうたい)です。その状態から免(まぬか)れることができません。けれどもそのことも、少し考えてみれば、私たちの自己責任(じこせきにん)と言えます。

 私たちはみな、科学的(かがくてき)な発展(はってん)を喜(よろこ)んできました。すべてはお金を基準(きじゅん)に考えること、少しでも儲(もう)けようとすることに反対する人は一人もいないはずです。「これでよし、これでよし、少しでも儲かった」ということばかり考えてきました。

 現代ではすべての食料(しょくりょう)を人工的(じんこうてき)につくっていますが、それがいいとみなが思っていたのです。ですから文句(もんく)を言う権利(けんり)は誰(だれ)にもありません。たとえ科学の発展(はってん)や工場の建設(けんせつ)に直接(ちょくせつ)かかわっていなかったとしても、みな科学や経済の発展によって受ける恩恵(おんけい)を喜(よろこ)んでいたのも事実(じじつ)です。ですから結局自分のせいなのです。空気が悪いから病気になったといっても、人に文句を言うことはできません。

 不平不満(ふへいふまん)の文句(もんく)を言うこころ、わがままで高慢(こうまん)なこころを慈悲(じひ)のこころに変えるということは、病気になる道(みち)を離(はな)れるということです。病気の人は病気になる道を歩んでいるのです。わがままなこころを慈悲のこころに変えれば、百八十度こころを変えることですから、全(まった)く違(ちが)う道(みち)を歩むようになるでしょう。慈悲の道を歩いているうちに、病気は自然と治っていきます。

 病気に対する心構(こころがま)えで大事なことは、肉体(にくたい)と自己(じこ)を客観視(きゃっかんし)することであります。「自分」と「自分の体」とを離(はな)して考えることが一番大切だと思います。「私が病気だ」と思うのではなく、「この体が病気だ」と観(み)ることです。「自分の体」という体に対する執着(しゅうちゃく)を少しでも弱くすることです。そして、自分と自分と体を少し離して客観的(きゃっかんてき)に観ること、これができれば病気は和(やわ)らぐし、治る可能性のある部分はずっと良くなることでしょう。

 病気にはいろいろな原因(げんいん)があります。それは大きく分けて五つあります。まず第一番目は、自分のこころの働(はたら)きによって病気になる場合です。性格(せいかく)やこころの態度(たいど)が原因の病気です。嫉妬(しっと)や怒(いか)りや不親切(ふしんせつ)な態度で生きていた人は、そのこころの働きによって病気になります。二番目はウイルスや細菌(さいきん)などの感染(かんせん)によって病気になる場合。三番目は生き方によって病気になる場合。体に合わないものや、悪い食べ物を食べ続けたり、悪い環境(かんきょう)で育てられたりして病気になる人がいます。それは生き方によって病気になった場合です。四番目は生まれつき遺伝子(いでんし)に欠陥(けっかん)があって、病気になってしまう場合。五番目は業(ごう)という自分の過去世(かこせ)の行為によって病気になる場合です。

 病気にはこうしたさまざまな原因がありますが、自分の病気の原因をなくしたり、自分を良い方向に変化させると、当然病気は回復(かいふく)するという方向へ向かいます。

 自分のこころの働(はたら)きが原因(げんいん)で病気(びょうき)になった場合は、悪い性格が直(なお)ればその病気も治ります。細菌による病気の場合は、その細菌に対する薬を飲めば治ります。遺伝(いでん)による病気の場合は少し難(むずか)しいかもしれません。その場合は、自分が先祖代々受け継(つ)いだ遺伝子の中にその病気があったのだから、その病気を嫌(きら)わずに、仲良(なかよ)く付き合って行くしか方法はありません。

 この中でも業(ごう)によって病気になってしまった場合が一番面倒(いちばんめんどう)です。過去(かこ)の悪(わる)い行為(こうい)によるものですからどうしても、その病気とは離(はな)れられません。非常に厄介(やっかい)な問題です。過去世(かこせ)の悪い因縁(いんねん)を一つずつ解決(かいけつ)するより方法はありません。

 このように病気にはさまざまな種類(しゅるい)や原因(げんいん)があります。しかし、それらすべての病気に対してすばらしい働きをする、とても効果的(こうかてき)な方法があります。それは清(きよ)らかなこころをつくるということです。こころを清らかにして慈(いつく)しみのこころで生きるというだけで、殆(ほとん)どの病気が治(なお)ってしまいます。薬もよく効(き)くようになり、手術(しゅじゅつ)をしてもとても治りが早くなります。場合によっては、手術しなくても治ってしまうことさえあります。遺伝的(いでんしてき)な病気の場合でも症状(しょうじょう)が軽減(けいげん)したり、症状がなくなることもあります。業(ごう)による病気に対しても、こころを清(きよ)らかにすることが一番効果的(こうかてき)なのであります。

 こころを清らかにすると、病気の原因や種類が何であっても治ったり軽くなったりと、とにかくよい結果(けっか)が生まれるのです。こころをきれいにするということは、こころの中の煩悩(ぼんのう)という汚(よご)れをなくすことなのです。こころを清らかにすると、その結果として自然と体もきれいになります。最終的に病気から解放(かいほう)され幸福な人生へと高めることができるのであります。

 教祖・杉山辰子先生は、この法華経を深く信じることの大切さを説かれました。信心(しんじん)の大きさによりその功徳(くどく)は変わります。行住坐臥(ぎょうじゅうざが)いついかなる時も妙法の五文字を唱える時に功徳があると仰(おお)せです。そうすれば不慮(ふりょ)の事故(じこ)や災難(さいなん)から免(まぬ)れることができます。大難(だいなん)が小難(しょうなん)に小難が無難(ぶなん)へと罪障(ざいしょう)を消滅(しょうめつ)することができるのであります。

 そして、三徳(さんとく)『慈悲(じひ)』 『誠(まこと)』 『堪忍(かんにん)』の実践(じっせん)がなにより大事と仰せです。私たちも日々の生活の中で三徳の実践をすることで自分を高めることができます。そのためにも自分のこころを育てないと成長は見込めません。

 今日一日、今日一日と一生懸命精進することで『すばらしき人生』という最高の流れに入ってゆけるのです。

合 掌