榊原光徳


【すばらしき人生 82


 今年も早いものであと三ヶ月となってしまいました。月日の経(た)つスピードの速さに驚(おどろ)かされております。スポーツやレジャーなど家から出てアウトドアを楽しんで頂きたいと思います。公園や木々の緑に触れることでこころが落ち着くと言われております。私たちは、太陽の日差しにあたることで前向きになり、力強く、元気になれます。家の中に閉じこもるのではなく、外に出ていろんな方と会話をされることをお勧めします。

 今年は、やたらと雨の多い年で農家の方も大変な思いをされていると思います。雨が少なすぎても、多すぎてもいけません。自然現象だからどうすることもできないのですが、人間がいかに大自然の中で生かされて生きているということを思い知らされます。

 南極の氷が全部溶けてしまったら海面は六十メートルから七十メートル上がると言われております。日本でも平野部(へいやぶ)は、ほとんど水没してしまうと思われます。地球温暖化(ちきゅうおんだんか)は私たちにいろんな試練(しれん)を与えます。世界の一人ひとりの行動が試される時です。地球の将来に向け、今、私たちがしなければならないことを、確実(かくじつ)に実行することです。他人任せでは済まない時代となることでしょう。

 私がサラリーマンの時でした。四国を担当しておりました。支店の部下は二十名ほどで、社員旅行となると、四国内の名所や温泉へ行くことがほとんどでした。本土(ほんど)へ渡(わた)るには交通費が高くなるために近場が多かったようです。

 徳島には鮎(あゆ)の住む吉野川(よしのがわ)の上流に祖谷渓(いやけい)という名所がありました。大歩危(おおぼけ)、小歩危(こぼけ)といい約八キロメートルにもなる渓谷(けいこく)です。二億年の時間をかけてつくられたといわれていて、途中には大理石(だいりせき)の彫刻(ちょうこく)があるなど、他では見ることのできない独自の景色を舟下(ふなくだ)りしました。そして、祖谷渓にある「かずら橋」は葛類(くずるい)の根でできた吊(つ)り橋(ばし)です。網状(あみじょう)で動くと揺(ゆ)れてとても恐怖(きょうふ)を感じました。スリルがあって良かったと思います。皆さまも徳島にお出かけの際は寄られたら良いかと思います。

 その祖谷渓(いやけい)で社員旅行を企画したM課長は優秀な人でした。もう十年以上も単身赴任(たんしんふにん)で良く続くものだと感心しておりました。実家は熊本県でそろそろ地元に帰してあげたかったのですが、彼も九州男児で一本気(いっぽんぎ)な部分がある反面とても短気な性分でした。ある日、課長を集め支店会議をしました。

 年度初めの大事な会議中に私の説明が悪かったのかどうか分かりませんが、突然怒(おこ)り出したのであります。会社というものは、大義(たいぎ)はボトムアップ〔下の意見を吸い上げる〕なのですが、計画はどうしてもトップダウン〔上からの指示〕でないと、計画は立てられません。その計画がトップダウンであることで、彼が会議をする意味が無いと判断して爆発(ばくはつ)してしまったのです。

 会社の計画がボトムアップであるとするならば、実績を上げることは不可能です。そんな夢のようなことを真面目に考えるほど世の中は甘いものではありません。私は、彼のことを上司にはむかう部下というレッテルをつけ本社の非営業部門(ひえいぎょうぶもん)に転勤させました。

 社員旅行では祖谷渓(いやけい)という素晴らしい名所の手配ができたのに、あまりにも短気であるということが、このような結果を生みました。人間は、常に冷静でないといけません。冷静でないと正しい判断ができなくなってしまいます。どんなに仕事ができても、どんなに実績を上げても、短気であるとろくな結果を生みません。

 そもそも人格者というのは、常に冷静で人の話をよく聞きます。よく傾聴(けいちょう)した上で物事を判断します。そして、何事にも動じない強いこころと、相手のことを考えることができる慈しみのこころと、勇気と優しさが必要なのです。

 更に、物事を客観的(きゃっかんてき)に捉(とら)えることができないといけません。人はどうしても主観的(しゅかんてき)になってしまう。自分が正しいと勘違(かんちが)いしてしまいます。そのようにならないよう常に謙虚(けんきょ)に「これで本当によいのだろうか」と自問自答(じもんじとう)しなければいけません。

 人間は、謙虚だから変わることができるのです。この世の中は常に変化しております。その変化に対応できなければ、人格を高めることはできません。人格を高めてゆけば、必ず良い流れに入っていけます。良い運命になるために必死になって精進(しょうじん)することが大事なのです。

 お釈迦さまは、健康を維持(いじ)するためには、落ち着いて平常心(へいじょうしん)でいることが、すべてに良い結果をもたらすと言われております。その上で、お釈迦さまが、その健康のために守るべき四つのことを教えております。

 先ず第一に「自分の身体にあった食事を摂(と)ること」。普段から病気にならないように、身体に良いものを摂ることです。しかし、この世の中は健康ブームの真(ま)っただ中(なか)にあります。有機野菜(ゆうきやさい)が良いとか、鰯(いわし)が良いとか、椎茸(しいたけ)を食べなさいとか、動物性脂肪(どうぶつせいしぼう)は良くないとか、リノール酸やオリーブオイルが良いとか、自然食品が良いからと言われ、自然に少しでも近い商品でないと駄目(だめ)だと、そのことばかり考えて、とても神経質(しんけいしつ)になってしまう。

 しかし、あまり神経質になっていたらかえって、新たな別の病気を引き起こす可能性もあります。身体にふさわしい食べ物を食べなければ、肉体の健康は保てません。だからと言って、それによって極端(きょくたん)なことをしても意味がありません。ですから、健康食品だからと言って血眼(ちまなこ)になって騒(さわ)ぎ立てないで、落ち着いて身体に良い食べ物を選んで、適度(てきど)に食べれば良いのです。

 身体にあった食事は年齢によって変わります。若い時に健康に良いと言って食べてたものも、歳を重ねると身体に合わなくなることもあります。いくら健康食品でも、身体に合わないと逆効果(ぎゃくこうか)になって、かえって病気になってしまう。これは運動の場合と同様で、歳を重ねてきたら運動のメニューも変えないといけません。それなのに若い頃と同じように激(はげ)しい運動をしようとする人がいます。食事にしても、運動にしても、若い頃と同じようにしたいという気持ちがあるのです。若々しい体力と精神力(せいしんりょく)で生きていたいといって、六十代、七十代の人が二十代、三十代と同じ運動をしようとする。それは、誰が考えても、それでは健康どころか病気になってしまいます。従って、あまりいろんな情報(じょうほう)に流されず、歳相応(としそうおう)の「自分の身体に合う」食べ物をお腹いっぱいではなく、腹八分目で規則正しい時間に摂(と)ることが望ましいのです。

 第二の健康法は、「自分に合った環境(かんきょう)を整(ととの)える」ことです。どれだけ健康な人でも、住む環境が悪ければ病気にもなってしまいます。たとえば、現在、肺(はい)や気管支(きかんし)の弱い人は、ほとんどの場合、暖(あたた)かい場所が身体に良いそうです。アトピーの人なら、自分の身体に合った場所に住めば改善するそうです。ですから、私たちの住む環境によっては、病気にならないようにもできます。いかに住む環境が大事であり、健康に大きく左右しているかということです。

 第三の健康法は、「適度な運動をする」ことです。皆さんもよくご存じのとおりです。そして、それを継続(けいぞく)することが大事なのです。運動はやりすぎても病気やけがになってしまいます。無理をせず、適度な運動を継続的に行なうことが重要です。

 お相撲さんが良い例です。体重が重くて力があることが力士の条件です。「食事も稽古(けいこ)のうち」と言ってたくさん食べ、たくさんお酒も飲むことでしょう。激しい稽古のあとに食事を摂(と)って、すぐ昼寝(ひるね)をすることもあるでしょう。

 力士の時は、そのような食習慣(しょくしゅうかん)は当然なのですが、引退した後が大変です。よほど気をつけないと病気になってしまいます。強くなりたいと必死で頑張(がんば)りすぎると、かえって病気になってしまうのです。やはり、一般人は適度な運動の継続が健康を保つうえで大切なのです。

 第四の健康法は、「常に明るいこころを持つ」ことです。明るいこころとは、何ごとも前向(まえむ)きに捉(とら)えることができる人です。良いことは勿論ですが、悪いことでも、明るいこころで観(み)て、感じて、行動をおこしてプラスの方向へと考えることができる人です。そして、物事を客観的(きゃっかんてき)に捉(とら)え、相手の立場に立って考えることができる人です。とにかく明るいこころで生きていれば、たいていの病気は消えてなくなります。

 お釈迦さまは、常に健康な身体でいること、みなに迷惑をかけないように明るく生活することを、いろいろと考えて教えて下さっています。お釈迦さまの言う健康法は、宗教的な呪文(じゅもん)を唱(とな)えたり、お経(きょう)を上げたりするようなことではなく、とても科学的で現代的な方法です。私たちに突然現れる病気を抑(おさ)えて、天寿(てんじゅ)を全(まっと)うするまで健康的で普通に歳を重ね、ごく普通に弱くなって明るく死にたいのであれば、食事や環境(かんきょう)などに気をつけなければなりません。

 それと同時に、「自分の健康は、自分で管理をしてしっかりと守りなさい」ということを教えております。病気になっても、「なぜ私だけが病気にかかったのか、なぜこのように不幸なのか」などと嘆(なげ)いてはいけません。しっかりしなさいということです。

 初めからきちんと、身体に良いものを正しく食べ、自分にふさわしい環境を選んで、適度に身体を動かし、明るいこころでいれば、ひどい病気から身を遠(とお)ざけることもできます。逆に、自分の生き方が悪いために、あちこちひどい病気になることもあります。私たちは、常に良い生き方をすることが肝心(かんじん)です。

 四つの健康法を守っていても、それでも病気になった場合は、迷わずお医者さんに診(み)てもらうことです。お釈迦さまは、迷信的(めいしんてき)になるな、ということを言われております。身体の病気を治すことはお医者さんの仕事であって、仏教者の仕事ではありません。

 お医者さんできちんと治療(ちりょう)をしてもらっても、病気がなかなか治(なお)らないこともあります。サッと治る人と、なかなか治らない人がいます。中には原因不明で、お医者さんにはどうすることもできないような患者(かんじゃ)さんもいます。

 宗教はこう考えます。それは、こころの問題(もんだい)なのです。こころが汚(よご)れていると、病気は治りません。わがままで高慢(こうまん)なこころの人は、病気になったら怒(おこ)ったり文句を言ったりして、余計(よけい)にこころを苛立(いらだ)たせます。だから病気はなかなか治らないのです。

 頭が痛くなって薬を飲んでも、どうしても治らない人がいます。普通は頭痛薬(ずつうやく)を飲(の)めば、およそ十五分程度で痛(いた)みもおさまります。しかし、こころが苛立ち、神経質になって混乱していると、薬は効(き)かないのです。

 手術をしても、早く治る人と、なかなか治らない人がいます。それがなぜなのか、お医者さんにはわかりません。お医者さんの仕事は、手術(しゅじゅつ)をして治(なお)るまで待っていることだけです。あるいは薬を処方(しょほう)して、その薬が効くのを待つだけです。それでも治らない人に対して、お医者さんはどうしていいのかわかりません。

 それにはこころの問題が深く関係しているのです。仏教は病気を扱(あつか)うのではなく、こころの問題を扱うのだということです。何ごともこころがすべてを支配(しはい)してしまうのです。いかに清(きよ)らかで、きれいで、清浄(せいじょう)なこころで生きることが大切かを私たちに教えているのです。

 教祖・杉山辰子先生は行住坐臥(ぎょうじゅうざが)いついかなる時も、妙法(みょうほう)の力を信じ「妙法蓮華経」の五文字を唱えれば、不慮(ふりょ)の事故や災難(さいなん)から免(まぬか)れることができると仰(おお)せです。そして、三毒(さんどく)、貪(どん)〔貪欲(とんよく)〕・瞋(じん)〔瞋恚(しんい)〕・痴(ち)〔愚痴(ぐち)〕をなくすことが重要と仰せです。貪欲〔目先欲(めさきよく)〕は貧乏(びんぼう)の基(もと)、瞋恚〔怒(いか)り〕は病気災難の基、愚痴〔不足〕は不和不運(ふわふうん)の基と仰せです。この三毒が生じた時は、毒(どく)を飲んでいる時と思え。毒矢(どくや)が刺(さ)さっている時と思えと説いておられます。

 法華経は、煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)を説きました。煩悩という悪いエネルギーをお釈迦さまの智慧(ちえ)でよい方向へと変えてゆけると説かれております。私たちは、教祖さまの仰せの『慈悲(じひ)』 『誠(まこと)』 『堪忍(かんにん)』の三徳(さんとく)の実践(じっせん)がとても重要であります。実践することで初めて開かれてゆく。その継続(けいぞく)が私たちのこころを清(きよ)らかにしてくれる。そして、大難(だいなん)が小難(しょうなん)に小難が無難(ぶなん)へと罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)できるのです。日々精進(しょうじん)することが『すばらしき人生』へと押し上げてくれるのであります。

合 掌