世界平和を
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大樹
すばらしき人生141
日本では、旧暦九月を長月と呼び、現在では新暦九月の別名としても用いています。長月の由来は、「夜長月(よながつき)」の略であるとする説が最も有力であります。
暑さ寒さも彼岸までと言われておりますが、まだまだ暑い日が続きます。熱中症にならないよう充分な水分補給をしないといけません。
海水温の上昇が原因となる局所的な大雨は、常識をくつがえす状況となっております。東京でも一時間に百ミリという集中豪雨があり、道路が冠水する被害が出ました。現在では五十ミリの雨まで処理できるそうです。東京には、首都圏外郭放水路があり、日本の首
都圏で水害を軽減することを目的とした治水施設(放水路)が地下に設置され全長六キロもあります。そこで排水の処理をしておりますが、それでも処理しきれないほどのゲリラ豪雨であったということです。
これは、地球温暖化がもたらすものと考えられます。世界規模で温室効果ガス削減を迅速に進めないと地球の未来がどうなってしまうのか想像できません。人間一人ひとりの意識を高め協力することが極めて重要なのであります。
先般の盆施餓鬼先祖大法要会には、お参りをしていただきありがとうございました。十五日には、水子地蔵尊法要会を開催しました。今月は、秋季彼岸先祖法要会並びに萬霊供養塔慰霊祭を開催します。多くの信者の皆さまのお参りをお待ちしております。
私がサラリーマンのときでした。静岡県の責任者をしておりました。K先生は、下垂体性小人症を専門に治療されている県立K病院に勤務されております。先生は成長ホルモン製剤を年間五億円処方されているヘビーユーザー(多量使用先)でした。
その病院を担当していたのが、Hさんという優秀な部下でした。彼は中途採用で入社し最初の赴任地が静岡でした。彼は我々がやる仕事をほとんど理解しておりました。もうこれ以上、彼に教えることはないと思っておりました。
しかし、彼にも教えることが残っていたのです。彼が、拘りをもって営業の限界までチャレンジできるかどうかが、更なる向上へとつながるのです。私は彼に、先生を怒らせる限界まで会話ができるかという宿題を与えました。
K先生は、気分屋ですが、思ったことを口に出して会話するタイプではありません。そこで、他社製品と弊社製品の患者の数を調査するように指示しました。競合他社は二社であり、弊社は年間二億円の売り上げがあります。残りの三億を二社で分けている計算になります。
患者数の調査はそんなに簡単にできませんが、粘り強く先生に話をすれば、教えてくれるか、怒ってしまうかどちらかです。大きな賭けに出ることになりますが、話をする前に、まず、流通会社と薬剤部で聞き取り調査をすることを指示しました。
売り上げ金額から推計すれば、おおよその患者数はわかります。S社患者五十例、E社二十例という状況が把握できました。
まず、「先生、成長ホルモンの患者さまは増えておられますか?」「何かお困りのことはありますか?」と質問します。当然増えていることを承知の上で会話するのです。
「今月、何例新規患者さまがおられましたか?」という問いに答えてくれれば、その先は簡単です。しかし、正直に答えてくれなければ、話題を変え負荷試験がいくつもありますが、「先生の好みの試験は何でしょうか?」という会話に切り替えると以外に新規患者数を教えてくれる場合もあります。
そして、ここからが本番です。先生に製品のメリットを伝え、患者さまの生活の質の向上になることを理解していただいたうえで、先生に新規患者さま二人に一人いただけないでしょうかと依頼をするのです。そこで、先生が怒るか、怒らないか勝負の分かれ道です。
怒らせないように話を進めるのがベストなのですが、自分の限界値を把握することも重要です。最高の仕事をするには勇気が必要なのです。
それができないと、大きく飛躍することは難しいのです。成功するか、失敗するか、この難しい壁を乗り越えてこそ、本当の未来があるのです。あきらめずに、常に自分の限界値に挑戦することは、どんな仕事にも共通のことと思います。Hさんは、このようにして実践を重ね、苦難を乗り越えて営業本部長まで昇進したのであります。
さて、仏教はこう言います。真理の発見とは、徐々に起こるものです。たとえば、山は遠くからでも見えます。富士山のような山なら、三百キロ先からでも見えます。そこから徐々に富士山に向かって進むと、「富士山」が見えます。しかし見え方が違います。より鮮明に見えるのです。
さらに進むと、バスに乗って五合目まで登ることもできます。そのときも見えるのは富士山です。それから富士山に触れながら、十合目の山頂まで進みます。それから頂上に立って、世界を見渡すこともできます。
真理の発見とは、このようなものです。私たちが自分の感情にチェックを入れる作業を始めたら、真理を発見できます。さらにチェック作業を続けると、よりくわしく真理を発見できるのです。
「自我は成り立たない」という真理を発見しました。「執着は成り立たない」と発見しました。それで終わったわけではなく、さらに進まなくてはいけないのです。執着は成り立たないと自分が発見したレベルに合わせて、執着が消えます。その分、こころが安穏に達するのです。悩み、苦しみが減るのです。
仏教は「執着を捨てなさい」という戒めであると、聞いていると思います。しかし、執着を捨てなさいと言われたら、嫌な気分になります。誰も家族や、財産や、仕事を捨てたくありません。要するに、命を捨てたくないのです。それなのに、仏教から「執着を捨てなさい」と言われれば、嫌な気分になるのは当然のことです。
しかし、本当は「捨てる方法」はありません。あるのは、無知を破って智慧が現れる方法であり、錯覚を破って現実に目覚める方法です。それが勘定にチェックを入れる作業です。そこで「執着とは成り立たないものである」という真理を発見するのです。成り立たないと発見したら、「捨てた」といってもかまわないのです。
家族を捨てたわけでも、財産を捨てたわけでも、会社を辞めたわけでもありません。ただそれらに執着して、失敗から失敗へと進む、不幸から不幸へと進む生き方が、幸福から幸福へと進む生き方に変わっただけです。悩み・苦しみ・ストレスの代わりに、精神的な安穏とやすらぎを感じるようになります。
この単純なプログラムは、「富士山を見る」というたとえに合わせて実行すべきものです。少々のやすらぎを経験したからといって、やめてはいけません。幸福になりたいと決めたら、確実に目標に向かって進みましょう。原始脳が強いときは、うまく進まないかもしれませんが、実践をつづけると原始脳が落ち着いていきます。存在欲と恐怖感という感情も消えていきます。
ところで、誰でも人間には癖があります。癖には、良いものも悪いものも、無害なものもあります。「やめたいけど、やめられない」という問題を考えるときに、癖という要素は気になるところです。
「癖」とは何も考えず、つい行うことです。何かを繰り返し行うことで、それに適した回路が脳に現れるのです。そうすると、その行為は何も考えずに行うことができます。
たとえば、子供が小さいとき、犬に吠えられたとしましょう。子供は犬の威嚇を受けます。子供は小さいので、その犬を見かけよりは大きい存在であると脳が記憶します。子供の耳は感度が優れているので、犬の吠える声は全身に振動します。すると、感覚には激しいインパクト(衝撃)が記憶されます。犬の牙は大人にとっても怖い凶器なのに、子供にとってはその何百倍も恐ろしく映ります。
子供は、その怖い経験を覚えます。これで脳に「犬は怖い」という回路が現れます。それからは小型犬のプードルを見ても「怖い」という反応を起こしてしまうのです。
このようにして、私たちの脳の中には、いろいろな回路が現れます。それが私たちの癖というものになります。
繰り返し行うことが、脳にとっては欠かせません。繰り返さないと脳に回路が現れないからです。人間が勉強するときや技術を学ぶときは、脳のその機能を使っています。繰り返し行えば、何でもできるようになるのです。ただし、やってもできないことだってあります。繰り返しても上手にならないことだってあります。それには理由があるのです。
脳に一度回路ができたら、脳は決まった仕事しかしません。新たなことを繰り返し訓練して、新たな能力を開発しようとしても、適切な回路が作れない場合があります。回路を作るために必要な脳細胞が、別の仕事をするために必要な回路に使われているためなのです。
脳細胞はたくさんあるから、問題になるはずがないのですが、大脳は、原始脳の刺激である貪・瞋・痴で回路を作っています。新たな欲を出して、新たな回路を作ろうと思っても、必要な神経細胞は使用中なのです。
学ぶとは癖を作ることです。従って、癖は一概に悪いことではなく、欠かせない能力です。癖は悪いと思っても、回路を作らないと脳は仕事ができません。私たちの仕事は、どうせ癖は現れるので、だったら悪い癖ではなく良い癖が作られるように、自分を戒めることです。
しかし、癖というのは、どうしようもない習慣のことでもあります。直そうとしても直らないのも癖です。癖は直せるものですが、直すのは大変です。ちょっとしたことに怒ってしまう人間がいますが、その人は癖になっているのです。人生が怒りに支配されているので、その人は決して幸福にはなりません。周りに好かれないし、陰口を言われる標的になります。「癖だから仕方ありません」で済ませる話ではありません。
怒りの感情が湧いていることに気づく前に、手が出たり、口が動いたりしてしまう人もいます。暴言を吐いたが、手が出たが、本人は怒っていることにさえ気づかないのです。危険な怒りの回路が現れているわけで、そのような癖を放っておくわけにはいきません。
欲の場合も同じことが起きます。何か品物を見て「いいなあ」と思った瞬間に買ってしまう人がいます。このようなケースでは、強い欲の回路が現れたことになります。
このような悪い癖は、苦労してでも直すべきです。新たな回路を作らなくてはなりません。方法は一つです。良い習慣を繰り返し行えば、良い回路が現れます。たとえば、衝動的に品物を買ってしまう人なら、買う前に一週間ほど考える。また、必ず誰かと相談して、その人の判断に従うといった工夫をすれば、衝動買いの回路はなくなります。
「私たちは悪い癖がない」と、油断することも良くありません。原始脳の刺激で生きる人間なので、誰だって悪い癖がいっぱいあります。嘘をつく、怒る、見栄を張る、傲慢になる、おせっかいをする、などなどの癖があるのです。これらは直さなくてはいけないものです。
たしかに問題視するほどの癖がない人もいます。しかし、悪い癖があるか否かにかかわらず、誰でも良い習慣を繰り返して、良い回路を作る必要があります。
一言でいえば「より良い人間になる」ということです。「より」という言葉は、「今日より明日」という意味ではありません。より良いとは、「昨日より今日」という意味なのです。ですから、今日を一生懸命生きなさいということが、お釈迦さまの大事なメッセージなのであります。
教祖・杉山辰子先生は妙法の不思議な力を信じることの重要性を説かれました。深く、深く信じるときに、人は真理に目覚めると説かれました。常住坐臥いついかなるときも、妙法蓮華経の五文字を唱えていれば、不慮の事故や災難から免れることができると仰せです。唱えていれば、いつでもどこでも護られるということです。
『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践がとても大事なところです。三徳の中でも慈悲の功徳は絶大です。私たちは、慈しみを育てないといけません。具体的には、見返りを求めず、人さまに良いことをして差し上げる。その方の喜んでいる姿を見て、素直にこころから喜べることができるかどうかです。喜べたら慈しみが一つ育ったということです。
そして、私たちは、すべてに感謝して生きることがとても大事です。今日、命があること、健康でいられること、家族があることなど、こんなに素晴らしいことはありません。毎日、感謝して生きれば〝すばらしき人生〞へと高めることができるのであります。
合 掌
暑さ寒さも彼岸までと言われておりますが、まだまだ暑い日が続きます。熱中症にならないよう充分な水分補給をしないといけません。
海水温の上昇が原因となる局所的な大雨は、常識をくつがえす状況となっております。東京でも一時間に百ミリという集中豪雨があり、道路が冠水する被害が出ました。現在では五十ミリの雨まで処理できるそうです。東京には、首都圏外郭放水路があり、日本の首
都圏で水害を軽減することを目的とした治水施設(放水路)が地下に設置され全長六キロもあります。そこで排水の処理をしておりますが、それでも処理しきれないほどのゲリラ豪雨であったということです。
これは、地球温暖化がもたらすものと考えられます。世界規模で温室効果ガス削減を迅速に進めないと地球の未来がどうなってしまうのか想像できません。人間一人ひとりの意識を高め協力することが極めて重要なのであります。
先般の盆施餓鬼先祖大法要会には、お参りをしていただきありがとうございました。十五日には、水子地蔵尊法要会を開催しました。今月は、秋季彼岸先祖法要会並びに萬霊供養塔慰霊祭を開催します。多くの信者の皆さまのお参りをお待ちしております。
私がサラリーマンのときでした。静岡県の責任者をしておりました。K先生は、下垂体性小人症を専門に治療されている県立K病院に勤務されております。先生は成長ホルモン製剤を年間五億円処方されているヘビーユーザー(多量使用先)でした。
その病院を担当していたのが、Hさんという優秀な部下でした。彼は中途採用で入社し最初の赴任地が静岡でした。彼は我々がやる仕事をほとんど理解しておりました。もうこれ以上、彼に教えることはないと思っておりました。
しかし、彼にも教えることが残っていたのです。彼が、拘りをもって営業の限界までチャレンジできるかどうかが、更なる向上へとつながるのです。私は彼に、先生を怒らせる限界まで会話ができるかという宿題を与えました。
K先生は、気分屋ですが、思ったことを口に出して会話するタイプではありません。そこで、他社製品と弊社製品の患者の数を調査するように指示しました。競合他社は二社であり、弊社は年間二億円の売り上げがあります。残りの三億を二社で分けている計算になります。
患者数の調査はそんなに簡単にできませんが、粘り強く先生に話をすれば、教えてくれるか、怒ってしまうかどちらかです。大きな賭けに出ることになりますが、話をする前に、まず、流通会社と薬剤部で聞き取り調査をすることを指示しました。
売り上げ金額から推計すれば、おおよその患者数はわかります。S社患者五十例、E社二十例という状況が把握できました。
まず、「先生、成長ホルモンの患者さまは増えておられますか?」「何かお困りのことはありますか?」と質問します。当然増えていることを承知の上で会話するのです。
「今月、何例新規患者さまがおられましたか?」という問いに答えてくれれば、その先は簡単です。しかし、正直に答えてくれなければ、話題を変え負荷試験がいくつもありますが、「先生の好みの試験は何でしょうか?」という会話に切り替えると以外に新規患者数を教えてくれる場合もあります。
そして、ここからが本番です。先生に製品のメリットを伝え、患者さまの生活の質の向上になることを理解していただいたうえで、先生に新規患者さま二人に一人いただけないでしょうかと依頼をするのです。そこで、先生が怒るか、怒らないか勝負の分かれ道です。
怒らせないように話を進めるのがベストなのですが、自分の限界値を把握することも重要です。最高の仕事をするには勇気が必要なのです。
それができないと、大きく飛躍することは難しいのです。成功するか、失敗するか、この難しい壁を乗り越えてこそ、本当の未来があるのです。あきらめずに、常に自分の限界値に挑戦することは、どんな仕事にも共通のことと思います。Hさんは、このようにして実践を重ね、苦難を乗り越えて営業本部長まで昇進したのであります。
さて、仏教はこう言います。真理の発見とは、徐々に起こるものです。たとえば、山は遠くからでも見えます。富士山のような山なら、三百キロ先からでも見えます。そこから徐々に富士山に向かって進むと、「富士山」が見えます。しかし見え方が違います。より鮮明に見えるのです。
さらに進むと、バスに乗って五合目まで登ることもできます。そのときも見えるのは富士山です。それから富士山に触れながら、十合目の山頂まで進みます。それから頂上に立って、世界を見渡すこともできます。
真理の発見とは、このようなものです。私たちが自分の感情にチェックを入れる作業を始めたら、真理を発見できます。さらにチェック作業を続けると、よりくわしく真理を発見できるのです。
「自我は成り立たない」という真理を発見しました。「執着は成り立たない」と発見しました。それで終わったわけではなく、さらに進まなくてはいけないのです。執着は成り立たないと自分が発見したレベルに合わせて、執着が消えます。その分、こころが安穏に達するのです。悩み、苦しみが減るのです。
仏教は「執着を捨てなさい」という戒めであると、聞いていると思います。しかし、執着を捨てなさいと言われたら、嫌な気分になります。誰も家族や、財産や、仕事を捨てたくありません。要するに、命を捨てたくないのです。それなのに、仏教から「執着を捨てなさい」と言われれば、嫌な気分になるのは当然のことです。
しかし、本当は「捨てる方法」はありません。あるのは、無知を破って智慧が現れる方法であり、錯覚を破って現実に目覚める方法です。それが勘定にチェックを入れる作業です。そこで「執着とは成り立たないものである」という真理を発見するのです。成り立たないと発見したら、「捨てた」といってもかまわないのです。
家族を捨てたわけでも、財産を捨てたわけでも、会社を辞めたわけでもありません。ただそれらに執着して、失敗から失敗へと進む、不幸から不幸へと進む生き方が、幸福から幸福へと進む生き方に変わっただけです。悩み・苦しみ・ストレスの代わりに、精神的な安穏とやすらぎを感じるようになります。
この単純なプログラムは、「富士山を見る」というたとえに合わせて実行すべきものです。少々のやすらぎを経験したからといって、やめてはいけません。幸福になりたいと決めたら、確実に目標に向かって進みましょう。原始脳が強いときは、うまく進まないかもしれませんが、実践をつづけると原始脳が落ち着いていきます。存在欲と恐怖感という感情も消えていきます。
ところで、誰でも人間には癖があります。癖には、良いものも悪いものも、無害なものもあります。「やめたいけど、やめられない」という問題を考えるときに、癖という要素は気になるところです。
「癖」とは何も考えず、つい行うことです。何かを繰り返し行うことで、それに適した回路が脳に現れるのです。そうすると、その行為は何も考えずに行うことができます。
たとえば、子供が小さいとき、犬に吠えられたとしましょう。子供は犬の威嚇を受けます。子供は小さいので、その犬を見かけよりは大きい存在であると脳が記憶します。子供の耳は感度が優れているので、犬の吠える声は全身に振動します。すると、感覚には激しいインパクト(衝撃)が記憶されます。犬の牙は大人にとっても怖い凶器なのに、子供にとってはその何百倍も恐ろしく映ります。
子供は、その怖い経験を覚えます。これで脳に「犬は怖い」という回路が現れます。それからは小型犬のプードルを見ても「怖い」という反応を起こしてしまうのです。
このようにして、私たちの脳の中には、いろいろな回路が現れます。それが私たちの癖というものになります。
繰り返し行うことが、脳にとっては欠かせません。繰り返さないと脳に回路が現れないからです。人間が勉強するときや技術を学ぶときは、脳のその機能を使っています。繰り返し行えば、何でもできるようになるのです。ただし、やってもできないことだってあります。繰り返しても上手にならないことだってあります。それには理由があるのです。
脳に一度回路ができたら、脳は決まった仕事しかしません。新たなことを繰り返し訓練して、新たな能力を開発しようとしても、適切な回路が作れない場合があります。回路を作るために必要な脳細胞が、別の仕事をするために必要な回路に使われているためなのです。
脳細胞はたくさんあるから、問題になるはずがないのですが、大脳は、原始脳の刺激である貪・瞋・痴で回路を作っています。新たな欲を出して、新たな回路を作ろうと思っても、必要な神経細胞は使用中なのです。
学ぶとは癖を作ることです。従って、癖は一概に悪いことではなく、欠かせない能力です。癖は悪いと思っても、回路を作らないと脳は仕事ができません。私たちの仕事は、どうせ癖は現れるので、だったら悪い癖ではなく良い癖が作られるように、自分を戒めることです。
しかし、癖というのは、どうしようもない習慣のことでもあります。直そうとしても直らないのも癖です。癖は直せるものですが、直すのは大変です。ちょっとしたことに怒ってしまう人間がいますが、その人は癖になっているのです。人生が怒りに支配されているので、その人は決して幸福にはなりません。周りに好かれないし、陰口を言われる標的になります。「癖だから仕方ありません」で済ませる話ではありません。
怒りの感情が湧いていることに気づく前に、手が出たり、口が動いたりしてしまう人もいます。暴言を吐いたが、手が出たが、本人は怒っていることにさえ気づかないのです。危険な怒りの回路が現れているわけで、そのような癖を放っておくわけにはいきません。
欲の場合も同じことが起きます。何か品物を見て「いいなあ」と思った瞬間に買ってしまう人がいます。このようなケースでは、強い欲の回路が現れたことになります。
このような悪い癖は、苦労してでも直すべきです。新たな回路を作らなくてはなりません。方法は一つです。良い習慣を繰り返し行えば、良い回路が現れます。たとえば、衝動的に品物を買ってしまう人なら、買う前に一週間ほど考える。また、必ず誰かと相談して、その人の判断に従うといった工夫をすれば、衝動買いの回路はなくなります。
「私たちは悪い癖がない」と、油断することも良くありません。原始脳の刺激で生きる人間なので、誰だって悪い癖がいっぱいあります。嘘をつく、怒る、見栄を張る、傲慢になる、おせっかいをする、などなどの癖があるのです。これらは直さなくてはいけないものです。
たしかに問題視するほどの癖がない人もいます。しかし、悪い癖があるか否かにかかわらず、誰でも良い習慣を繰り返して、良い回路を作る必要があります。
一言でいえば「より良い人間になる」ということです。「より」という言葉は、「今日より明日」という意味ではありません。より良いとは、「昨日より今日」という意味なのです。ですから、今日を一生懸命生きなさいということが、お釈迦さまの大事なメッセージなのであります。
教祖・杉山辰子先生は妙法の不思議な力を信じることの重要性を説かれました。深く、深く信じるときに、人は真理に目覚めると説かれました。常住坐臥いついかなるときも、妙法蓮華経の五文字を唱えていれば、不慮の事故や災難から免れることができると仰せです。唱えていれば、いつでもどこでも護られるということです。
『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践がとても大事なところです。三徳の中でも慈悲の功徳は絶大です。私たちは、慈しみを育てないといけません。具体的には、見返りを求めず、人さまに良いことをして差し上げる。その方の喜んでいる姿を見て、素直にこころから喜べることができるかどうかです。喜べたら慈しみが一つ育ったということです。
そして、私たちは、すべてに感謝して生きることがとても大事です。今日、命があること、健康でいられること、家族があることなど、こんなに素晴らしいことはありません。毎日、感謝して生きれば〝すばらしき人生〞へと高めることができるのであります。
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