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世界平和を
大樹
すばらしき人生123
 三月に入り暖かい日もあり、ずいぶん過ごしやすくなりました。日本中が盛り上がる桜の開花もあります。生命の息吹を感じる季節です。日本人ぐらいと思いますが、桜でこんなに元気をいただけるのは、本当にありがたいことです。

 最近の異常気象には不安を感じております。日本を含め海外でも影響が出ております。全世界でカーボンニュートラル(脱炭素)社会の実現をしていかないと人間が住める環境ではなくなるかもしれません。人間一人ひとりが関心を持って取り組まないといけません。

 いまだに新型コロナ感染症は終息しない状況ですが、ようやく五月には、二類から五類に引き下げられ、季節性インフルエンザと同じ扱いになってまいります。早く通常の日常が取り戻せるようにと願っております。

 二月五日の節分厄除祈願祭は、コロナの影響で読経のみの開催とさせていただきました。釈尊涅槃会は通常開催でした。三月開催の春季彼岸先祖法要会も現時点で考えますと、参拝・法話はできない状況です。あしからずご了承願います。

 私がサラリーマンの時でした。転職して最初の赴任地が静岡県の東部、中部と県全体の約三分の二を担当しました。浜松より西は別の担当者が愛知県の一部と担当しておりました。都市部は細長いため、東名高速を往復したりして移動時間がかかりました。とにかく走行距離はありました。毎年秋には東名高速のリフレッシュ工事が半月ほどありました。大渋滞で仕事どころではありませんでした。

 三年目には静岡県全体の組織となり、課長に昇格できたのです。その年より毎年新入社員をいただき八年目には部下十名までになり、組織も大きく充実しました。

 その静岡市に糖尿病で有名なS総合病院がありました。糖尿病の患者様が三千名おられまして、東海四県でも一、二を争うような患者さんの数でした。そこに専門医のI副院長先生がおられました。

 先生にはとても懇意にしていただき、売り上げへの貢献をしていただきました。当時、私が担当していたのですが、部下が入ってきたため、その病院をSさんに担当させました。

 Sさんは新人なので仕事をよく理解しておりませんでした。学生から社会人になって、どうしてよいのかわからないのは当然です。私は、徹底的に営業の基礎の「報」「連」「相」、いわゆる報告、連絡、相談することを叩き込みました。

 最近の人は、上司に相談しないで、勝手に判断して失敗してしまうというケースが多々あります。何かわからないことがあったら、必ず相談するという癖をつけなければいけません。

 入社三か月ほどで「報」「連」「相」ができるようになりました。次に訓練することは、いかに売り上げを上げるか、ということです。そのためには、相手のこころの中に飛び込むことです。それぐらい信頼を勝ち取ることができるのか、また、期待してもらえるかということなのです。

 人間、信頼を築くには長い時間がかかります。しかし、失うのは一瞬です。瞬間、瞬間、緊張感をもって、親切に、やさしく、丁寧に対応できるように、自分を高めないと、売り上げを上げることはできません。

 次に大事なのは他社製品から自社製品へ切り替えてもらうという重要な作業があります。これは、とてもレベルの高いスキル(能力)が必要です。他社から切り替えると、病院や先生や患者様のメリットがあるかどうかで決まります。

 一番の決め手は、先生方は常に患者様のメリットを考えておられます。その一点こそとても重要なところです。いかにそこを訴求できるかによって勝負は決まります。そして、常に前向きに取り組むことです。前向きに仕事ができれば、チャンスを読み、チャンスを生かすことができるのです。

 世の中、そんなにチャンスがあるものでもありません。いかにワンチャンスを掴むかが成功か失敗の分かれ道であると思っております。

 さて、仏教の立場でみると、なぜ人間はモノをためようとするのか。そもそもなぜためようとするのか考えますと、私たちは誰でも未来のことを心配します。「今日の晩ごはんは何をつくろうか?」「明日は会社にどんな服を着ていこうか?」「住宅ローン、完済することができるかどうか?」「うちの子供は、将来、いい大学に入れるだろうか?」「定年退職したら、年金だけで生活できるだろうか?」このような未来への心配から、いろいろなモノをためることになってしまいます。しかし、未来を知らないというのは、私たちだけの問題でしょうか。

 いえ、これは全生命にかかわる問題です。未来を知っている生命は存在しません。誰もがためていかなければならないのです。

 とはいえ、誰でも同じものを同じだけためる、なんてことはあり得ません。なぜなら、ためこみ方やためこむ量、質、種類などは、その人の未来像によって変わります。それぞれの人に自分が描いている未来があって、それに合わせて準備しているからです。

 たとえば、ケチな人でやたらとお金を貯めこもうとする人には、「とにかく貧乏にはならない」という未来像があるのでしょう。

 そんなに読みもしないのに、家の中に本をたくさん持っているという人は、「本をたくさん読んで、たくさんの知識を得て、物知りになる」という未来像を描いていたのかもしれません。

 やたらと健康食品や健康器具を買い集めている人は、「病気にならずに、いつまでも健康で長生きする」という未来像を強く抱いているのかもしれません。

 このように人間がためるものはいろいろです。仏像、茶碗、洋服、靴、切手、宝石など、なんでもあります。

 そんなわけで、世の中には大勢の、実にさまざまなタイプの「コレクター」が存在しているのです。そういう視点で世の中を見れば、誰もがみんなコレクターなのです。

 面白いことに、「この人は一体どんなものをためているのだろう」と分析してみると、その人が頭で描いている未来像が見えてきます。このことは、もちろん自分自身についてもいえます。自分のためているものをよく見れば、自分の描く未来像が見えてくるはずです。

 ここで「ためこみ」の問題を、仏教的に掘り下げてみましょう。「ためる」という営みは、仏教的には、業の問題ともかかわってきます。業というものは、これはふつう「悪いもの」「悪運」と想像されてしまいます。

 たとえば、「自分がいま不幸なのは、業が悪いからだ」とか、「業が深いから、不幸にあったのだ」といった具合です。つまり、現在の幸不幸にかかわる、自分には思い当たらない、よくわからない不可抗力として捉えられているようです。

 しかし、仏教では業を「意思をもってなされた善悪の結果を出す行為」と定義しています。良いことでも悪いことでも、私たちがいまここで意思を持ってしている行い、考えること、しゃべること、体を使って何かをすることも、すべて「業」になります。

 わかりやすく言えば、「人がしたいからする行為は、すべて業である」ということです。こころが行う潜在的エネルギーといってもいいかもしれません。「ためこみ」の関連で見ると、その人がためているモノを見ることで、その人の業が見えてきます。

 たとえば、ある女性が、過去世に美しい服や靴といったものを使いたいという気持ちがあって、それなりの徳を積んでいたとすると、今世では、いとも簡単にそういうものが手に入ってしまうことがあるのです。

 また、ある人は、過去世で土地を持ちたいと思って、それなりの徳を積んでいたならば、今世で手広く土地を買えてしまうことがあるのです。つまり、簡単に土地を手に入れる条件に恵まれるのです。

 地主の家に生まれなくても大丈夫です。その人が土地を手に入れたいという目的で頑張ると、いつの間にか土地を買える財産と条件がそろってくるのです。自分が住める程度の土地さえあれば十分なのに、その目的に関係なく、手に入る土地はなんでも買って増やしていくのです。

 そして、家も何軒も買ってしまいます。家がないところに土地を買ったならば、そちらに豪華な家を建てるのです。

 では、自分がそこに住んで楽をしたいという気持ちがあるのでしょうか。それはないのです。買った家を回って楽しく過ごす暇もありません。やがて、土地を買うという衝動に振り回されて、機械のように生きたあげく、老いて死ぬのです。

 これはこの人の業です。しかし、業を正しく管理することなく、業の奴隷になった人生でもあります。

 とにかく、「何かをためたい」という気持ちを、業が刺激するのです。そういう場合は、とにかく何かをためているのだけれども、「なぜ、あなたはこれをためているのですか?」と聞かれても本人にもよくわからない。これは、自分が「業に使われている」ケースです。こういう場合は、「なぜそれをためるのか?」という目的を、意図的にはっきりさせた方が良いのです。そうすることで、業に使われているのではなく、「業を使う」生き方になります。

 つまり、自分が理性で考えた決断に、業が合わせてくれることになるのです。業に使われるのではなく、業を使う道を進む。その方が、ずっと幸せで理想的な生き方になると思います。

 未来のことを心配するから人間は「ためこみ」をする。ということは、逆に、未来への心配がなくなれば、つまり、未来を具体的に知ることができれば、「ためこみ」をする必要もなくなります。

 では、未来を知ることはできるのでしょうか?未来を知って、ためこみをしないようになることは、できるでしょうか?答えは「いいえ」です。未来を知ることは不可能です。

 仏教は不可能だと断言するのですが、世間はそうではありません。人は、何としてでも未来を知りたいからです。

 たとえば、消費者の動向や市場などを調査して分析するマーケッティング(売れる仕組みづくり)というのは、これから未来、どんな商品が売れるのかを知りたいから行っております。

 健康診断というのも、将来その人の体にどんな病気が生じる可能性があるかをあらかじめ調べておきたいからです。このように、未来を何としてでも知りたいから、人間はろいろなことをやっております。

 そして、未来を知るためには、どんなやり方であっても、人は受け入れます。人間というものは、それぐらい未来のことを知りたがる存在なのです。

 教祖・杉山辰子先生は妙法の力を信じることの重要性を説かれました。深く信じることが必ず功徳につながると説かれました。妙法を信心して、信心して、信心することが、自分を高めてくれるのです。

 常住坐臥いついかなる時も、妙法蓮華経の五文字を唱えることで護られるのです。唱えていれば不慮の事故や災難から免れることができると仰せです。今この末法の時代に何が起きても不思議ではありません。一生懸命妙法を唱えることがとても大事です。

 そして、私たちは、仏の智慧を生かした生き方をすることです。仏のこころとは、何があっても揺るぎない。何があっても怒らない。何があっても許す。という仏のこころで生きることが大切です。

 『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践もとても大事です。自らが実践することで、自らを変えることができるのです。三徳のなかでも慈悲の功徳は絶大です。いつでも、どこでも慈しみのこころを育てることが大事なのです。私たちは、日々精進して〝すばらしき人生〞を目指し努力することであります。


  合 掌
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