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世界平和を
大樹
すばらしき人生126
 六月を水無月と申しまして、梅雨の時期であり水の月と言われるのが通説です。この時期雨が降らないと、農家の人は大変になってしまいます。また、ダムや貯水池の水が不足し、節水制限になるかもしれません。とにかく雨は降るときに降らないといけません。

 しかし、最近の傾向ですが、地球温暖化の影響と思われますが、雨が降るとゲリラ豪雨や、線状降水帯といって、同じ場所で多くの雨が降り、川の氾濫や、崖崩れなどの土砂災害も増えてきております。地球の環境を守らなければ、被害の激しさも増すばかりです。人間一人ひとりが、地球温暖化に対する意識を強く持つことが、とても重要なのです。

 五月より新型コロナウイルスが、二類から五類に引き下げされ、通常の日常生活が戻ってまいりました。しかし、コロナが完全に消滅したわけではありません。注意しながら、手洗い、うがい、検温を継続して、感染しないような予防対策が、今後も必要になってきます。気を抜かないようにしなければいけません。

 行事も六月開催の教祖祭から順次通常開催をさせていただきます。七月には盆施餓鬼先祖大法要会、九月には秋のお彼岸を開催します。空白の三年半が経過し、ようやく開催できるところまできました。今後とも感染拡大しないように、行事を開催しますので、多くの信者の皆さまの参拝をお待ち申し上げます。

 私がサラリーマンのときでした。私は、大学を出て医薬品流通会社のK社に入社しました。流通会社は医薬品が公定価格なので、多くの利益を出してはいけないのです。薄利多売で商売をしないといけません。従って、給料もあまり期待してはいけないのです。

 以前も書きましたが、私が入社して二年目のことです。会社に大きな損害を与えてしまったのです。年間売り上げを一億二千万円落としたことです。私は周りから白い目で見られているように感じました。実際はどうかわかりませんが、どうしても自分の中に劣等感が生まれてしまうのです。

 私は、必死になって、もがき苦しみました。しかし、どうして失敗したのか、答えが出てきません。悩んでも、悩んでもどうしようもありません。こうなったら、悩み苦しむより、前を向かないといけないと思ったのです。後ろばかり振り返っても解決しないことに気づいたのです。

 四年、五年と月日が経過し、私もその過去の苦い経験を思い出すこともなくなりました。自分を磨くことしか、自分を高めることができないと気づいたのです。それから二、三年がたち、C型肝炎の特効薬であるインターフェロンがロンチ(上市)されました。

 私が小学生の頃は、予防接種の打ちまわしは当然のことのように行われておりました。一本の注射器で十名くらいは打っていたと思います。そのことが原因で、肝炎のウイルスが体内に入りキャリア(保菌者)になられた方もおられました。または、血液製剤の非加熱処理製品による感染もありました。それで潜伏期間を経てB型、C型肝炎を発症された方もおられました。

 県立Gセンター病院の薬事審議会でインターフェロンの採用が決まりました。私は、その画期的な新薬の販売ができるよう努力しました。メーカーの営業に私が持っているすべての情報を提供し、先方が納得できる情報を収集し信頼を深めました。

 その結果、社内では誰も取り扱ったことのない、まったくのピカ新の製品を販売することができたのです。人間死ぬ気になったら、どんなことでもできます。失うものは何一つありません。努力しかないのです。その努力している自分を信じることで、必ず成就できるのであります。

 さて、仏教の立場で考えると、ものをためるときには、いつどこでどれだけの期間と数量といったことを良く考えて、倫理と道徳を守ってためることが大事です。

 しかし、いくら考えて行っても、ときに客観性を失い、好き嫌いの感情に負けてしまい、悩みや苦しみといった精神的な問題を引き起こすことがあります。これは「可能性」ではありません。現実です。
「ためる」という問題に関わっている世の中は、ほとんどおかしくなっているのです。ためることに関して、常識的な人間というのは、それほどいないのです。

 むしろ、ためることによって、何かしら精神的に悩み苦しむことになるということを、覚えておいたほうが良いのです。

 そうはいっても、目的を常に具体的に考えてためていれば、将来に対して安心して生きられるのではないかと思われるかもしれません。

 観念だけで述べるならば、その通りだと思います。しかし、ためる生き方が観念ではないのです。具体的に実行しなくてはいけないことなのです。ですから、いくら注意してためても、現実の世界では必ず精神的な問題が起こってしまいます。

 所詮、未来とは認識できない概念なので、常識的に未来を描こうとしても結局、常識離れになります。ほとんどの人は、常識離れをして妄想の世界で戯れているのです。むしろ、それが楽しいみたいです。「砂上の楼閣」といえば怒られるかもしれませんが、多かれ少なかれ誰もがやっていることです。

 そもそもの脳細胞には、将来を認識して生き方を設定することはできません。脳は現実的なデータにしか反応しないのです。そのため、年を重ねたから身体が弱って、生きるのが苦しくなりますが、脳がそのことを知れば、細胞の老化を抑制する物質を作り出すでしょう。

 また、現実を知って行動する脳は、「細胞組織は常に壊れていくものだ」と知っています。ですから、不安と心配を感じて、身体を修復したり維持管理したりします。

 たとえば、骨が折れたら、脳はそれを修復する作業に入ります。しかし、将来のことを考えて、転んでも折れない骨を作ることは絶対にできません。なぜなら、脳の職務範囲は、現実のデータを認識することだからです。

 それにもかかわらず、私たちは脳に、心配すること、不安になること、将来を考えること、将来を想像して生きることなどの「仕事」もさせているのです。これは脳になっては管轄外の指令です。

 職務範囲を超えたことをやる場合、当然、失敗したり、間違いを犯したりします。それなのに、「将来のイメージを作りなさい」と脳に強制しているわけです。このようなことをすれば、当然脳が壊れる可能性も大いにあります。壊れなくても、正常には働かなくなることだけは確かです。

 つまり、人が将来のことを心配せざるを得ないことが問題なのです。脳の立場からしてみれば、「無理を言うな」と言いたいところです。それでも無理を強いられるので、どうしても曖昧で中途半端な仕事をすることになります。

 「私は何をためれば良いのか?」という問いに、「何でもいいからためてみろ」と答えることになります。「何のためにためるのか?」という問いに、「別に、何かの役に立つでしょう」と答えます。「どれぐらい?」という問いに、「できるだけたくさん」と答えます。

 このような答えが、常識から外れているのは明らかです。脳というのは、いい加減なのです。蓄えることを目的にしている人は、常識離れをして、悩み苦しむのです。

 世界に目を向ければ、必死になってモノをためて、常識がなくなっている人がいっぱいいます。それが、〝コレクター〞(収集家)と呼ばれる人たちです。皆さんは、そんなコレクターのコレクションを見てびっくりしますが、「この人、馬鹿だな」と思っていませんか。

 コレクターはコレクションのためには、いくらでもお金と労力をつぎ込みます。こうなると、彼の周囲に「もっとましなことにお金を使ったほうがいいのに」と思う人がいても、「彼はこれが好きで好きでしょうがないのだから、やめろといっても聞かないだろう」と思ってあきらめてしまいます。

 「ためこみ」は、もう一つ厄介な問題を引き起こします。それは、人間が「ためたものの奴隷になってしまう」ことです。

 世の中には、ためたもので自分の自我同一性を言って、自分の価値を他者に認めてもらう人がいます。ほとんどの人が、ためたもので自我同一性を作っているのです。モノをためて、それで、「私はこういうものだ」と言いたいのです。

 たとえば、ある人が、「この方は、珍しいものをたくさん集めておられます。世界でも指折りのコレクターです」と紹介されたら、皆さんは拍手でその人を迎えます。その場合は、モノをためることが、その人の自我同一性になっているのです。つまり、〝自我の名刺〞になっているのです。

 いろいろとためていって、「私はこういうものだ」と名刺まで作ってしまうと、ためたものに対して、自分の権利がなくなってしまうことがあるのです。ちょっと変ですが、自分が管理者に変わり、ためたものを守らないといけなくなり、使用権を失うのです。

 たとえば、お金をたくさん貯めて長者番付に名前が載ったとします。すると、その人は、来年は番付から落ちたくないという気持ちになってしまいます。

 長者番付に限らず、いろんな世界で一位になってしまうと、負けたくないという気持ちが生まれます。そして、次の年に一位になれなかっただけでなく、ランキングからも名前が消されたという結果になると、本人にとっては「失敗した」という気持ちになってしまう。

 そのため、長者番付の場合は、名前が載った人は「金持ち」で自我同一性を作りたいと思うようになって、大胆にお金を使うことができなくなってしまう。あるいは、「新しい会社を作るぞ」とか「ベンチャー企業に一億円投資するぞ」といったことができなくなってしまう。つまり、手元の資金を自由に使えなくなってしまうのです。

 ためることで自我を作り、自我を作ることでまた更にモノをためこみ、持ち続けることになる。

 皆さんも、お金を貯めますよね。貯めたお金が十万円ぐらいだったら、すごく楽しくなって、「十万円貯めた、どこか旅行でも行こうかな」と思って、すごく自由を感じるものです。ところが、貯めたお金が百万円ぐらいになってしまうと、その「自由」がちょっと弱くなってしまうのです。「この先何があるかわからないから、使わずに貯金しておこう」「このお金でちょっと贅沢したいところだけれど、やっぱり住宅ローンの返済に回さないと」というような具合になってしまう。決して「自由」が増すわけではないのです。それがさらに一千万円、一億円となっていくと、さらに「自由」が弱くなっていくのです。

 そういうわけで、ためることが〝自分の名刺〞になっていくと、執着心が起こり、最終的には、自分が「ためたもの」に使われる奴隷になってしまう。本当はモノに執着しない方が、悩みや苦しみを生まない良い生き方なのであります。

 お釈迦さまは、仏のこころを生きることが大事と説かれました。何があっても揺るぎない、何があっても怒らない、どんなことでも許すという気持ちになれば、仏の智慧がわかるようになれます。そういうことを理解し実践することが大事であるのです。

 教祖・杉山辰子先生は、「祈りとして叶わざるはなく、罪として滅せざるはなく、福として来らざるはなく、理として顕われざるはなし」と、この妙法を信じることが大事であると説かれました。

 そして、妙法を信じる強さにより功徳が違ってくるといわれました。この教えを深く、深く信じることで、見えないものが見えてまいります。そのとき、初めて人間は目覚めるのです。今生きていることのすばらしさを実感できるのです。

 常住坐臥いついかなるときも、妙法蓮華経の五文字を唱えれば、不慮の事故や災難から免れるのです。教祖さまは一日、何万回と妙法を唱えておられ、身をもって護られたことを体現されたのです。妙法の持つ不思議な力、不思議なエネルギーを感じ取られたのです。私たちも、いつでも、どこでも、常に妙法を唱えれば、必ず護られるのです。

 そして、『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践がとても大事なところです。私たちが、普段の生活の中で三徳を実践することがとても重要なのです。三徳の中でも慈悲の功徳は絶大です。人に善いことをして差し上げる、慈しみのこころを育てることが、法華経の真の目的です。この教えは、「人を幸せにしたら、その功徳で必ず幸せをいただける」と、説かれております。

 まずは三徳の実践により、人格を高めることで〝すばらしき人生〞へと高めることが、人生の大きな目的であると思っております。


  合 掌





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