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世界平和を
大樹
すばらしき人生130
 十月を神無月と申しまして、全国の神さまが島根県の出雲大社に集まるため、神さまが不在になるという、いわれからきております。

 今年の夏は、本当に暑い日が長く続きました。秋とはいえ、まだまだ暑い日もあります。寒暖の差が激しくなるため体調不良の原因となります。油断しないように気をつけましょう。

 環境の変化は、地球温暖化の影響と思われます。この重大な問題を人間一人ひとりが真剣に考えないと、将来、地球上に人間が住めなくなるかもしれません。

 十月は台風シーズンです。今年は多く発生する可能性が非常に高くなります。スーパーエルニーニョ現象がもたらす影響で台風をはじめ線状降水帯や暴風雨、さらには竜巻や雹まで発生します。災害に巻き込まれないよう注意しないといけません。自分の身は自分で
守るという気概を持たなければいけないと思います。

 現時点で、新型コロナとインフルエンザが増えてきております。感染症に罹らないよう注意することが大事です。ランクが二類から五類へと引き下げられましたが、感染する状況は以前と何も変わりません。感染しないような対策をとることがとても重要です。十分に注意しましょう。

 先般の秋季彼岸先祖法要会並びに萬霊供養塔慰霊祭にお参りをいただき、ありがとうございました。信者の皆さまのおかげで開催することができ感謝しております。十一月には立教五十年祭を開催の予定です。恐縮ではありますが、来賓挨拶、演芸、和太鼓、餅投げは中止させていただきますので、悪しからずご了承賜りますようお願いいたします。多くの信者の皆さまのご参拝をお待ち申し上げます。

 私がサラリーマンのときでした。静岡県の責任者をしておりましたが、配属当初は、まだ私が一人で東部・中部を担当しておりました。三か月、半年と成長ホルモン製剤の実績上がらず、上司のK部長からこのように言われておりました。「病院の空気を吸ってくるだけがではいけません」と、厳しく責められる毎日でした。

 とにかく実績を上げないと会社をクビになってしまうと思い、卸さんと連携し、東部地区で市場調査をかけました。すると、H小児科という開業医で成長ホルモンの実績があることを突き止めました。

 そして、卸さんの担当者に同行して施設訪問をしました。先生は国立H大のご出身で東京のK大学大学院のご卒業でした。内分泌がご専門の先生で下垂体性小人症の患者さまを三例診ておられました。

 先生は競合他社のS製薬の製品をご使用になられ、弊社にも同様の製剤があることを宣伝させていただきました。すると、先生の方から一度見積もりを出して下さい。と、回答がありました。医薬品の価格は卸さんが決めるため、価格の見積もりを出していただくよう依頼しました。

 その結果、弊社の成長ホルモン製剤が採用になったのです。後日、先生はS社の担当者を呼びつけ、今までこんなに高い価格で納品していたんだな、と激怒され三例の患者さまを即切り替えていただいたのです。おそらく、S社は開業医であることで、薬価に近い価格で納入していたことが先生の逆鱗に触れたものと思います。私は卸さんの担当者と協力して、攻めの営業をしたのです。待っていても売り上げは上がりません。攻めて、攻めてこそ真価が問われることを体験したのです。

 これが、私の初成功例となったのです。この体験があったから、次のプランが実現できたのです。静岡市のS総合病院の小児科M先生です。先生は下垂体性小人症の患者さまを十四、五例ほど診ておられました。弊社は二例が三例で、あとは競合他社のS社の製品を使われておりました。私は、先生が治療に興味をお持ちで患者さまを増やしたいというニーズ(要求)があったのです。

 そのニーズに答えるために、患者発掘のお手伝いをしたのです。外来の待合室に「背が伸びない、お子さまをお持ちのお母さんへ」といったフレーズの成長曲線のチラシをセットしました。すると反応があり検査依頼も増えたそうです。

 でもなかなかヒットする患者さまは、そう簡単にはおられません。そこで、考え方を変えて体重が増えた患者さまに弊社の四倍の濃度の製剤に切り替えていただくよう、先生にお願いしました。四倍の濃度となれば注射液量は四分の一で済むから、注射液量が減ることで痛みの軽減につながることを説明し、先生にご納得をいただきました。

 そして、体重が増えた患者さまを、十例ほど切り替えていただき、売り上げも十倍になったのです。自然に患者さまが増えるのを待つのではなく、こちらから積極的にとりにいくという、攻めの部分が極めて重要になってくるのです。こんな成功体験が更なる患者獲得へとつながり売り上げに大きく貢献できたのであります。

 さて、仏教では自動的にこころにたまるものは、怒り、嫉妬、憎しみ、落ち込み、怨み、後悔などの悪感情であるといいます。

 人間は、一度落ち込んだら、どんどん落ち込んでいって、キリがありません。会社で怒って、帰宅したら家の中でも怒って、また夜になっても怒って、夢を見ても怒って、朝起きても怒っているのです。

 このような悪感情というものは、家にいるとゴミが自然にたまっていくように、いつでもたまっていくのです。だから困るのです。

 一方で、苦労して努力しないとたまらないもの、苦労して努力してためなくてはいけないものがあります。それは、慈悲喜捨、不貪・不瞋・不痴なのです。これらは頑張らないとたまらないのです。

 お金は空から降ってくれません。お金が欲しければ、仕事をしなければなりません。精神の世界を見ると、怒りなら簡単に現れます。しかし、喜びというのは、もともと備わっているものではありません。自分で頑張って蓄えなければいけないのです。

 苦労して努力してためなくてはいけないものとして挙げた「慈悲喜捨」というものは、次の四つから成り立ちます。

 「慈」とは、慈しみ、友情です。ふつうの「友情」と違って、一切の生命に対して友情のの気持ちを抱くことです。「生きとし生けるものが幸せでありますように」という正直な気持ちです。

 「悲」は、他の生命を助けたいという気持ち、他人の苦しみをなくしたいという気持ちです。悩み苦しんでいる人を目にしたとき、なんの見返りも期待せずに、「あなたは苦しんでいますね。ならば、助けます」となる気持ちです。

 「喜」は、ともに喜びという意味で、他人の成功、幸福、楽しみを見て自分のことのごとく喜びを感じることです。人の幸福を見て、「あの人が結婚できてよかった」「あの人が元気になってよかった」というふうにこころから喜ぶことで、嫉妬とは正反対のこころです。

 「捨」は、平等心のことで、一切の生命を平等に受け入れる気持ちです。これは慈悲喜捨の四つの中では一番実践が難しいのですが、感情の波を立てずに、物事を中立的に見ること、すべての生命に対して冷静でいることです。

 次に、不貪・不瞋・不痴ですが、「不貪」とは、欲から離れることです。見返りを期待せずに、なにかを人に施すこと、与えること、手放すことです。

 「不瞋」とは、怒らないことです。何があっても怒りを正当化しない、認識した対象を自分の好き嫌いを基準にして判断しないことです。

 「不痴」とは、無知・無明ではないことです。たんに「知識がたくさんある」とか「物知り」だからといった話ではありません。物事をありのままに知っていること、真理を知っていることが不痴なのです。人間はみな生まれつき「無知」ですが、努力して「不痴」をめざしてこころを成長させるのです。これら精神的な善は、頑張らないとこころにたまらないものです。

 ほかにも「愛語」があります。愛語は仏教用語で、人に乱暴な言葉を使わず、たとえ叱る場合でも相手の人格を大事にして、やさしい言葉で話すことです。そんなに簡単にはできないのですが、聞く相手のことを大事に思って、愛語を話すようにこころがければ、できるようになります。

 「悪感情は勝手に現れますが、精神的な善は意図的に育てないと現れません」という法則を覚えておきましょう。

 人間は、生まれつき「善人」ではありません。生まれつき善人など、あり得ない話です。私たち人間は、自然のままにしておくと、汚く恐ろしい精神のゴミがたまってしまう存在なのです。

 なので、こころのゴミをどんどん処分して、慈悲喜捨、不貪・不瞋・不痴といったすばらしい宝物を、意図的にためなければいけないのです。モノの世界でも、意図的にためれば、たとえば貯金を増やしていけば、ある程度は幸せになると思いますが、精神の世界にも同じことが言えます。

 精神の世界においても、計画的に意図的に慈悲喜捨、不貪・不瞋・不痴などをためていくと、人間はどんどん幸せになります。こころに意図的にためるものは、人間に幸福と安らぎを与えてくれるのです。

 人生には、「勉強」がつきものです。たとえば、結婚したら、相手と仲良く助け合いながら共同生活するコツを学ばなければなりません。子供が生まれてきたら、適切な子育てについて、勉強しなければなりません。仕事で給料をもらったら、そのお金をどう使うべきか、勉強しなければなりません。何かの研究をして知識を得たとしたら、その知識の使い方を、いつでも勉強していなければなりません。

 しかし、仏教では、「計画的に意図的に精神の善をためなさい」「功徳をためなさい」と教えてはいますが、その使い方を勉強する必要はありません。

 結局、功徳はためるだけで十分なのです。功徳の使い方を考える必要はありません。功徳はためるだけですぐ楽になるのです。お金は、その使い方を知らないと危険なことになりますが、功徳の使い方は知る必要もないのです。それはなぜでしょうか?それには理由があります。善行為をする人は、その善行為によって人格が変わっていくからです。人格が変われば、もうそれはよいのです。それで人生はうまくいきます。

 意図的に育てる精神的な善が人格を変えるので、使い方の問題は起こりません。功徳をためればためるほど、人格が良くなっていくのです。良い人格の持ち主は、すばらしい人生を送るのです。一方、劣悪な人格を持つ人は、悪行為ばかり犯して、最悪の人生へと陥ってしまう。

 お釈迦さまがためてくださいと言った徳をためておくと、人間は、ものすごく自然で、流れるように生きられます。精神的な善を育てて功徳をためて、人格が変わったら、その人は教えに沿った人生へと変わります。「功徳をためる」というのは、こころが善の方向に変化することなのです。今のこころが善に変化する。次の善行為で、さらにこころが善に変化する。

 一方、怒り、嫉妬、憎しみといった悪感情は、こころのゴミですので、ちゃんと処分しなくてはなりません。悪感情は精神的なもので、物質的なゴミではありません。「こころのゴミは、ためこむ前に処分しましょう」とお釈迦さまは仰せです。そして、ためこむ前に処分できる人は、必ず幸せになることができるでしょう。

 教祖・杉山辰子先生は妙法を深く信じることの重要性を説かれました。妙法を深く、深く信じるときに感じるものがあります。人生の夜明けです。そして、常住坐臥いついかなるときも妙法蓮華経の五文字を唱えれば、不慮の事故や災難から免れると仰せです。

 妙法を深く信じ、常に唱えていれば、いつでも護られるのです。何もなかったから護られているかどうかわからないと思うより、何かが起きたかもしれないが何も起こらなかったということが、常に護られているということなのです。

 『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践がとても大事です。慈悲の功徳は絶大です。私たちは日々努力して、成長して人格を高めることを目標にすれば〝すばらしき人生〞へと高めることができるのであります。


  合 掌

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