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世界平和を
大樹
すばらしき人生145
 新年あけましておめでとうございます。今年一年が皆さまにとって良い年になりますよう願っております。

 昨年は、地球温暖化がもたらす気候変動や地震などありまして厳しい年となりました。温暖化の影響と思われる、海面水温が高くなり、漁業にも大きな影響がありました。この辺りでは見かけない熱帯の魚が捕れたり、深海魚が捕れたり環境に変化がございました。農業でも夏の猛暑の影響で生育が芳しくありませんでした。それが価格高騰の原因にもなりました。

 私たちの住む地球上には、ゴミがあふれております。海も海洋ゴミがたまっております。空も通信衛星のゴミがたくさんあります。地球は一体どうなるのか、遠い未来に地球で生活することができるのか心配になります。

 人間一人ひとりが責任をもって、ゴミはゴミとして処分しないと大変なことになってしまいます。宇宙から見る地球は青かったと飛行士は言っておりましたが、遠くから見る地球ではなく、ゴミを感じない生活ができたら本当にすばらしいことだと思います。

 私がサラリーマンのときでした。静岡県の責任者をしておりました。私の部下でKさんという営業マンがおりました。性格面では明るく素直で真面目で、しかも控えめな人でした。営業の面から考えると、何か物足らない、まだ未開発な部分が多くある人でした。

 まずは、私は相手を知ることから始めないといけないと思い、食事に誘いコミュニケーションを図りました。彼自身のことや育った環境、家庭の状況など知ることができました。

 そこで、彼を開発するためにはどうしたら良いのか、彼オリジナルのプログラムをつくったのです。少し口下手なところがあるので、訴求点を明確にして鋭い会話ができるように訓練しました。今までは決めるべき商談がうまくできなかったのですが、訴求点が明確になることで、自分の意見が相手に伝わるようになったのです。

 もう一つ大事なことは、存在感を明確にすることです。見たこともない営業がいるなという不鮮明な活動ではなく、インパクトのある活動ができるように指導し、存在感も得られるようになりました。

 さらに、もう一つ大事なことは、押しが弱い点です。この問題はさすがに手強いことでした。彼は控えめな性格です。相手の立場を考えすぎなのか、自信がないのかということが考えられます。しかし、会社は営利会社ですので、営業は売り上げを上げ続けなければ、使いものになりません。

 これを改善するためには、常に高い目標を設定し、その目標を乗り越えられるような強い気持ちを持ち、自分のモチベーション(やる気)を高めることを実践したのです。低い目標を立てれば、それなりに低い結果しか得られません。しかし、高い目標にすれば、それなりに結果がついてくるのです。

 人間というのは、本気になれば、性格や行動は変えることができるのです。彼も自分では変わりたいと思っていたのかもしれませんが、自分一人では、なかなか変革できないものです。私が彼に合った指導プログラムを提案し、彼も納得のうえ実施しました。その結果、彼の弱点がほぼなくなりました。

 この世の中は常に変化をしております。自分も変わらないと、取り残されてしまいます。会社が必要と思う人材にならなければ、それは給料泥棒と言われても仕方がありません。すべての人にチャンスは必ずやってきます。そのチャンスをチャンスととらえることができなければ、いつまでも変わらない自分がいるだけなのです。

 彼が、私の指導を受け、自分の弱点を知ること。そして、短所を長所に変えていくことです。このように彼は本気になって人間改革をしたのであります。

 さて、仏教的に考えると、「やめるべきことをやめること」「やるべきことをやること」について、こころはこの二つの項目のあいだで、揺らいでいます。人がたとえ、やめるべきことのすべてをやめることに成功しても、やるべきことをすべてやることに成功しても、こころはこの二つのあいだで揺らぎます。

 その揺らぎから脱出できれば、すべての仕事は終了です。今すぐ簡単にできることではありませんが、理解したほうがよいのです。もしかすると挑戦することが好きになっているこころが、これにも挑戦する気になるかもしれません。

 挑戦することが好きになっている人がいるとしましょう。その人は、やめるべきことのリストを持っていて、やめることに成功するのです。やるべきことのリストも持っていて、それも成功するのです。

 しかし、この区分のリストは「自分がいる」という前提に基づいて成り立っています。要するに、たとえわずかでも自我の錯覚があるのです。自我の錯覚が完全に消えたら、その人からこの二つのリストが消えます。

 大脳に必要な回路が現れて、原始脳から独立して仕事ができるようになったら、やるべきリストも、やめるべきリストも消えます。そのとき大脳が、「当然なこと、当たり前のこと」を行うのです。

 こころの中に煩悩が働いているから、やるべきリストも、やってはいけないリストも現れます。しかし、煩悩のある人は、やるべきことはやらないし、やってはいけないことは感情でやってしまいます。煩悩があるから、二つのリストが現れるのです。

 お釈迦さまが説かれた自分にチェックを入れる作業を行えば、客観的な事実を発見できます。それが智慧の開発です。「煩悩は無知だから起きた感情である」と発見します。智慧が現れたら、無知はありません。無明と智慧も対照的で正反対の機能です。智慧が現れたら、やるべきことのリストも、やってはいけないことのリストも消えます。

 私たちにとって、やるべきことを行うと、それが善い行為になります。やめるべきことをやるのは悪い行為になります。だから、どんな行為についても「やるべきことだったか、やってはいけないことだったか」という判断によって、善と悪に分けてしまいます。

 その分け方をするためには、「行いたい/行いたくない」という意欲が必要です。やりたい行為は原始脳の刺激なので、苦労してやめなくてはいけない。やりたくないと思われる行為も、同じく苦労して行わなくてはいけない。だから、行為を善悪に分けるために、原始脳の働きも必要になるのです。要するに、煩悩があるから、善悪が成り立ちます。

 では、こころから煩悩が完全に消えたとしましょう。生きているのでさまざまな行為をしなくてはいけませんが、その方法は、やりたいからやっているわけではありません。やめている行為も、やめたいからやめているのではないのです。この状況を、仏教の世界で「当たり前のことをやっている」と言います。

 たとえば、汚れを見つけたら綺麗に掃除をする。その人は善行為をしたわけではなく、汚れたら掃除をするという当たり前の行為をやっているのです。私たちとの違いは、私たちは「汚れたら掃除をしなくてはいけない」ので、掃除をするということです。「しなくてはいけない」ところがポイントです。

 世の中の人々は、善い行為を自慢したり、悪い行為を批判したりするのです。それは自我の錯覚があるから起こる現象です。

 善いことを行うことに徹するのはかまいませんが、問題もあります。エゴの錯覚が強くなる恐れがあるのです。悪いことをすべてやめることに徹するのはかまいませんが、しかし、それで自分が成功したと喜ぶ場合は、自我の錯覚があるのです。

 完全は人格者は、善悪の区別を超えます。自我の錯覚を消しているので、行為に善と悪のラベル貼りができないのです。

 たとえば、私は商売をしております。つい「もっと品物を売りたい、もっとお金が欲しい」と思ってしまいます。これは、仏教的に見て、過剰な欲の世界なのでしょうか?

 この質問に、仏教では「もっと、もっと」という際限のない欲の道は正しい道ではないと言っています。この質問からすると、商売が自分より大事だと思っているようです。逆なのです。あなたが幸せでいて、商売はそれを支えてくれるものでないといけません。

 生きるためには何か仕事をしないといけません。だから働いているのであって、商売は自分の幸福のための生活を支えてくれている道具に過ぎない。

 「もっと、もっと」という欲があるから、苦しみが生まれるのです。私たちは、お金への執着を捨てないと永遠に幸福になれないのです。

 では、その目標をどこに設けるかという問題ですが、それは、自分の主観で考えればいいのです。個人的に、どこらへんで自分が幸福を感じて、安らぎを感じて、悩むことなく生きていけるのか。そこで線を引けばいいのです。そこを満たしてくれたなら、もうそれで、商売の成長は十分です。

 これぐらい儲かれば、自分と自分の家族は十分安心して生きていられるという線を、まず設定する。もし自分が簡単にその線に達して、まだエネルギーもあるし、品物も売れるとなれば、あとはのんびりと仕事をする。売れるのに売らないでいるということもあまり意味がないし、仕事を休む必要もない。

 でも、それからお客が「欲しい」と言うから売っているのであって「もっと売らなくては」と焦る必要はなくなります。だからストレスがたまらなくなって気楽になるのです。

 「もっと、もっと」ときりがなくなって、商売の奴隷になってしまうのです。際限なく働いて、苦しむことになるのです。

 もう一つ大事なことは、目標をできるだけ低い設定にしておくこと。とにかく自分を冷静に見て、実現できそうな目標をたてることです。世間のことは見なくてもいいのです。個人個人生きているのだから、「一応、自分はがんばればこの程度はできるかな」という、それぐらいの目標を設定しましょう。

 「自分には実現できないハードルがある」と思わないようにしましょう。実現できるぐらいの目標をつくって、その中で生きるように工夫するのです。

 その目標が達成できたら、あとは、楽に、気分良く仕事をする。そうやって余分にできたお金や時間は、適当に自分の暮らしをより豊かにするために使ってもいいのですが、本当は、より良い人間になるために使うといいです。それで幸福になれます。

 大きなダイヤを買ったり、海外に家を買ったりしても意味はありません。目標を達成して余裕ができたら、より穏やかな人間になるために、より良い人格をつくるために使う。たとえば、ボランティアをしたり恵まれない子供たちに寄付をしたりする。

 そういう生き方をする人々は、決して不幸にはなりません。社会から認められます。それが正しい道なのであります。

 教祖・杉山辰子先生は妙法の不思議な力を信じることの重要性を説かれました。信じて、信じて、信心することです。信心に徹すれば真理に目覚めるのです。

 常住坐臥いついかなるときも妙法蓮華経の五文字を唱えるときに功徳があるのです。そうすれば不慮の事故や災難から免れることができると仰せです。妙法を唱えていれば、いつでもどこでも護られるということです。

 『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践もとても大事なところです。中でも慈悲の功徳は絶大であると仰せです。私たちは慈しみのこころを育てることがとても大事です。慈しみのこころを育てる方法はあります。具体的に言いますと「人さまに善いことをして差し上げます。その方が喜んでいる姿を見てこころの底から素直に喜べるかどうかです」喜べたら慈しみが一つ育ったということです。

 人間は、すべて己のこころが考え、実行します。善いこころなら善の方向へ、悪いこころなら悪の方向へと行動します。こころ一つで良くもなれば、悪くもなる。だから、お釈迦さまはこころのあり様を説かれました。

 私たちも綺麗で、清らかなこころを育てることです。そうすれば、徐々に智慧が現れてくると、お釈迦さまは説かれました。清らかなこころを育てて〝すばらしき人生〞へと高めていただきたいと思っております。


  合 掌

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