世界平和を
HOME>大樹
大樹
すばらしき人生147
三月に入りました。旧暦で弥生とよばれ、新暦三月の別名でも用いております。寒い冬がようやく終わり、日本中が盛り上がる桜の季節となります。なぜか日本人は桜の花には、特に強い思い入れがあるように感じます。まさに大きな生命力への期待と希望を感じる季節です。
長野県の諏訪湖の神事で「御神渡り」が平成三十年を最後に七期連続で現れなくなりました。湖の水温が高いため氷ができないそうです。今年は例年になく強力な寒波がきていますが、いまのところ現れず来年に持ち越しとなりそうです。
この原因の多くは地球温暖化がもたらす影響だと推察されます。地球を生かすも殺すも人間次第です。未来の人類にとって住みやすい環境をつくることが、現在を生きている私たちの使命です。危機感をもって温暖化対策を進めないといけません。
先般の節分厄除祈願祭には多くの信者の皆さまにお参りをしていただきありがとうございました。皆さまの厄を落として、今年一年の無病息災を祈願しました。
釈尊涅槃会も開催しました。私たちに、この尊い法華経を残してくださいました。とても有り難いことと感謝しております。
私がサラリーマンのときでした。私は静岡県の責任者をしておりました。静岡は温暖で住むには、とても良い環境でした。日本一の富士山もあり山や海の幸も豊富でした。私は、この地で九年間、仕事をさせていただきました。
私のエリアで東海四県の中で糖尿病の患者数が最も多い静岡S総合病院を担当させていただき、とても勉強になりました。私が、課長に昇進し部下のHさんというベテランに担当してもらうことになりました。Hさんはとても優秀でした。
彼は、自分のやるべき仕事を理解しておりました。だから、私がどうのこうのと、指示を出すのではなく、彼は自分で考え、行動し、結果を出したのです。彼のような部下ばかりでしたら悩みはないのですが、出来があまり良くなかったAさんには、本当に手を焼いたものでした。
Aさんは、おとなしい性格で、引っ込み思案な面がありました。営業的に見ればマイナス部分となってしまいます。
私の次のミッション(任務)は、Aさんを積極的な人間に成長させることでした。彼の実家は中古車販売業をしており、サラリーマンとは無縁の環境でした。そこで、彼に短期目標(半年)や中期目標(一年から二年)さらに長期目標(三年後)の目標設定をしました。それは、自分がどういう営業マンを目指すかという目標でした。
私が、最初に彼に教えたことは、先輩のまねをしろということでした。まずはまねること、それを忠実に実行することを教えました。それができるようになったら、中期目標では先輩のやり方に自分なりのオリジナリティ(独創性)を加えるよう指示しました。
人間一人ひとりが本気で立ち上がったら、できないことはありません。いかに本気になったかどうかが、勝負の決め手です。
Aさんも人間改革をして、メンバーの一員として活躍することができたのです。チームというのは、全員が一丸となって自己研鑽し目標を達成するものです。一人でも脱落したら、チームとしての達成はありません。
ダメもとで、本気で挑戦すれば三年間で立派な営業マンになれるのです。自分の不得意なジャンルを克服すること、あえて、その難しいテーマにチャレンジすることが極めて重要なのであります。
さて、仏教では、常に「私に何ができますか?」という言葉を呪文のように頭に入れることが大切であるといっています。この呪文は役に立ちます。
大げさなことは何もありません。大事なのは「この瞬間で、何ができるのか?」です。いまやるべきことは、必ず目の前にあります。
たとえば、目の前のペットボトルを倒してしまったら、そのペットボトルを起こすだけです。仕事中、隣の人のファイルか資料が床に落ちたら、それを拾って「はい、どうぞ」と渡す。それだけのことです。
人生は簡単なのです。妄想しているから生きていられなくなっているのです。いまこのときに集中して生活すれば、生きることほど簡単なことはありません。
人生が複雑に見えるのは、現実的に生きることをしないで妄想にふけるからです。妄想する程度によって、人生が複雑になって、右往左往するのです。そういう人は、かえって何もやらないのです。「やらなくては、やらなくては」と妄想しつつ、そのうえ他のことを妄想しているのです。だから、さらに人生が複雑になるのです。
いまやるべきことをいまやっておかないと、人生はうまくいきません。勉強すべきときに、勉強しない。仕事をするべきときに、真面目に仕事をしない。その結果、会社で立場が悪くなります。そうなってから、他人のせいにしても解決しないのです。同僚に文句を言ってどうするのですか。妄想に浪費する時間を現実に向ければいいのです。
人生というのは、そんなものです。大げさに考える必要はないのです。妄想したり悩んだりすると、先へ進むことができなくなります。人生はなんでも成功するというのは、とんでもない妄想です。何をやっても失敗するというのも、また妄想なのです。ただやってみて、アタックする、挑戦してみればいいだけのことです。
私たちの行動を仏教では、善と不善の二つに分けています。その中でマイナス思考は、不善で悪と考えます。マイナス思考というのは、一見、格好いいことと考えているように錯覚してしまいますが、本当は悪なのです。
善因善果、悪因悪果という言葉がありますが、そのとおり明らかに悪い結果を招くものです。ですからマイナス思考は不善である、罪であるということです。
では、マイナス思考の代わりに何を考えればいいかというと、みんな仲良く幸せでいてほしいと、いつでもそれを考えるのです。病気の人を見たら、早く治って欲しいと、身体が弱っているおじいさんやおばあさんを見たら、大変だな、どうか幸せにいてくださいと。
要するに、自分のマイナス的な思考を、人の苦しみを理解する方向に使うのです。苦しんでいるのは私だけではない、このおじいさんやおばあさんは、これからもっと体が弱くなるから大変になると考える。
子供たちを見て「うるさいな、おとなしくしなさい」と怒るのではなくて、子供たちも大変だ、勉強は厳しいし、競争は激しいし、これから世界がどうなるのかわからないし、でもこの子たちは何もわかっていない。
「大変だな」と、人の苦しみを感じられるようになると、マイナス思考が消えてしまって、清らかな優しい思考に変わるのです。
「こんな大変な生き方、いつ終わるのだろう」といくら悩んでも苦しんでも、それは終わりません。死ぬまで生きることは大変で、どこへ逃げても逃げるところはない。会社を辞めても、生きていかなくてはなりません。会社が忙しい、面倒くさいからといって辞めたら、もっと大変なことになる。
他人から「あの人は何も仕事をしない怠け者だ」とか、「ただ食って寝るだけの人だ」とか侮辱されたこともある。これはものすごくつらいことなのです。そうすると「何のために生きているのだろう」と、また思い悩むことになります。マイナス思考がもっとひどくなるのです。
だから。仕事を辞めても問題が解決するわけではないのです。逃げられないのです。逃げようと思うこと自体が間違いなのです。
私たちはみんな、毎日毎日ただ生きているだけ、ただそれだけなのです。それからは逃げられないのです。仕事を、何か特別なものとして考えた時点で間違っています。生きるということは、瞬間、瞬間、何かをやっているということだけのことなのです。
でも考えてみてください。やることがあったほうが、つまらない人生だと文句だけ言っているよりもいいのではないですか。くだらないことを考えないで、一分単位で何か仕事をするというのは良いことなのではないでしょうか。
これをやって終わると次にこれ、それが終わるとまた次のこれと。そうやっているうちに夜遅くなって寝る。起きたらやることが次から次へとある。それは死ぬまでつづくことなのです。
でも、それで悩んで神経質になる必要はありません。ただ生きているだけなのですから。だから、仏教は生きることは何の意味もないというのです。
「絶対に不幸にならないよう生きる」と決めて努力する。こう言うと、世の中のことを何も観察せずに「生きることは何の意味もない」といって虚無的になる人がいますが、それは間違いです。自分自身で実践してみることが大事なのです。
そうすると変な考え方は消えて、智慧が生まれてくるのです。しっかりと実践すれば必ずうまくいくはずです。
私たちの悪いところは、根性がないところです。「幸せになってやるぞ」「不幸になってたまるか」という決意がないのです。中途半端はいけません。自分に甘えてはいけないのです。人間であるなら「負けてたまるか」「幸せになるぞ」という気持ちで生きることです。
たとえば、誰かがケンカを仕掛けてくる。そのとき「仕返ししてやろう」と思うのではなく、「自分は不幸にはなりません。あなたは勝手にケンカしてください。私は怒りませんから」と思う勇気が必要です。
相手はカンカンに怒って言いたい放題こちらを罵ったとしても、それは相手の自由です。でも自分は怒らないようにしましょう。
だいたい、ケンカを仕掛けてくる人は、相手にも怒ってもらいたいし、悩んで欲しい、嫌な気持ちになって欲しい、不幸になって欲しいから攻撃してくるのです。でも、こちらが怒らなかったらどうなるでしょうか?相手は攻撃できなくなります。
マイナス思考をまとめると、マイナス思考は不善行為で重い罪があります。そして、苦しみや悩みは誰にでもあることです。すべての生命に対して優しい気持ちで、みんな幸福でいて欲しいと願うこころを育てること。そして、生きることは忙しくて、休みがなくて、大変なものであるということを理解することです。
このように、客観的に物事を見ることで。こころに余裕が生まれます。その余裕から智慧が現れるのです。そうすると過去のことを思い煩うこともないし、将来のことをどうしようかと悩む必要もなくなります。結果として、いまの瞬間を明るく元気に生きていられるのです。
それで最終的には、智慧を開発して解脱に到達する。それが、仏教が教えている生きる目的なのです。
教祖・杉山辰子先生は妙法の不思議な力を信じることの重要性を説かれました。深く、深く信じると見えてまいります。信心すれば真理を理解できるようになるのです。
常住坐臥いついかなるときも妙法蓮華経の五文字を唱えていれば不慮の事故や災難から免れることができる仰せです。いつでもどこでも護られるということです。
『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践がとても重要です。この法華経は自らが自らの力で高めていくことを教えております。要は自力本願なのです。幸せになりたかったら、自らの行動を変えることです。
三徳の中でも慈悲の功徳は絶大です。慈悲とは慈しみのこころを育てることです。具体的には、「見返りを求めず、人さまに善いことをして差し上げる、その方の喜ぶ姿を見て、素直にこころの底から喜べるかどうか」喜べたら慈しみが一つ育ったということです。
私たちが、人のために役に立つことができることがあるなら、即実行することです。その行動が、私たちを成長させ〝すばらしき人生〞へと導いてくれるのであります。
合 掌
長野県の諏訪湖の神事で「御神渡り」が平成三十年を最後に七期連続で現れなくなりました。湖の水温が高いため氷ができないそうです。今年は例年になく強力な寒波がきていますが、いまのところ現れず来年に持ち越しとなりそうです。
この原因の多くは地球温暖化がもたらす影響だと推察されます。地球を生かすも殺すも人間次第です。未来の人類にとって住みやすい環境をつくることが、現在を生きている私たちの使命です。危機感をもって温暖化対策を進めないといけません。
先般の節分厄除祈願祭には多くの信者の皆さまにお参りをしていただきありがとうございました。皆さまの厄を落として、今年一年の無病息災を祈願しました。
釈尊涅槃会も開催しました。私たちに、この尊い法華経を残してくださいました。とても有り難いことと感謝しております。
私がサラリーマンのときでした。私は静岡県の責任者をしておりました。静岡は温暖で住むには、とても良い環境でした。日本一の富士山もあり山や海の幸も豊富でした。私は、この地で九年間、仕事をさせていただきました。
私のエリアで東海四県の中で糖尿病の患者数が最も多い静岡S総合病院を担当させていただき、とても勉強になりました。私が、課長に昇進し部下のHさんというベテランに担当してもらうことになりました。Hさんはとても優秀でした。
彼は、自分のやるべき仕事を理解しておりました。だから、私がどうのこうのと、指示を出すのではなく、彼は自分で考え、行動し、結果を出したのです。彼のような部下ばかりでしたら悩みはないのですが、出来があまり良くなかったAさんには、本当に手を焼いたものでした。
Aさんは、おとなしい性格で、引っ込み思案な面がありました。営業的に見ればマイナス部分となってしまいます。
私の次のミッション(任務)は、Aさんを積極的な人間に成長させることでした。彼の実家は中古車販売業をしており、サラリーマンとは無縁の環境でした。そこで、彼に短期目標(半年)や中期目標(一年から二年)さらに長期目標(三年後)の目標設定をしました。それは、自分がどういう営業マンを目指すかという目標でした。
私が、最初に彼に教えたことは、先輩のまねをしろということでした。まずはまねること、それを忠実に実行することを教えました。それができるようになったら、中期目標では先輩のやり方に自分なりのオリジナリティ(独創性)を加えるよう指示しました。
人間一人ひとりが本気で立ち上がったら、できないことはありません。いかに本気になったかどうかが、勝負の決め手です。
Aさんも人間改革をして、メンバーの一員として活躍することができたのです。チームというのは、全員が一丸となって自己研鑽し目標を達成するものです。一人でも脱落したら、チームとしての達成はありません。
ダメもとで、本気で挑戦すれば三年間で立派な営業マンになれるのです。自分の不得意なジャンルを克服すること、あえて、その難しいテーマにチャレンジすることが極めて重要なのであります。
さて、仏教では、常に「私に何ができますか?」という言葉を呪文のように頭に入れることが大切であるといっています。この呪文は役に立ちます。
大げさなことは何もありません。大事なのは「この瞬間で、何ができるのか?」です。いまやるべきことは、必ず目の前にあります。
たとえば、目の前のペットボトルを倒してしまったら、そのペットボトルを起こすだけです。仕事中、隣の人のファイルか資料が床に落ちたら、それを拾って「はい、どうぞ」と渡す。それだけのことです。
人生は簡単なのです。妄想しているから生きていられなくなっているのです。いまこのときに集中して生活すれば、生きることほど簡単なことはありません。
人生が複雑に見えるのは、現実的に生きることをしないで妄想にふけるからです。妄想する程度によって、人生が複雑になって、右往左往するのです。そういう人は、かえって何もやらないのです。「やらなくては、やらなくては」と妄想しつつ、そのうえ他のことを妄想しているのです。だから、さらに人生が複雑になるのです。
いまやるべきことをいまやっておかないと、人生はうまくいきません。勉強すべきときに、勉強しない。仕事をするべきときに、真面目に仕事をしない。その結果、会社で立場が悪くなります。そうなってから、他人のせいにしても解決しないのです。同僚に文句を言ってどうするのですか。妄想に浪費する時間を現実に向ければいいのです。
人生というのは、そんなものです。大げさに考える必要はないのです。妄想したり悩んだりすると、先へ進むことができなくなります。人生はなんでも成功するというのは、とんでもない妄想です。何をやっても失敗するというのも、また妄想なのです。ただやってみて、アタックする、挑戦してみればいいだけのことです。
私たちの行動を仏教では、善と不善の二つに分けています。その中でマイナス思考は、不善で悪と考えます。マイナス思考というのは、一見、格好いいことと考えているように錯覚してしまいますが、本当は悪なのです。
善因善果、悪因悪果という言葉がありますが、そのとおり明らかに悪い結果を招くものです。ですからマイナス思考は不善である、罪であるということです。
では、マイナス思考の代わりに何を考えればいいかというと、みんな仲良く幸せでいてほしいと、いつでもそれを考えるのです。病気の人を見たら、早く治って欲しいと、身体が弱っているおじいさんやおばあさんを見たら、大変だな、どうか幸せにいてくださいと。
要するに、自分のマイナス的な思考を、人の苦しみを理解する方向に使うのです。苦しんでいるのは私だけではない、このおじいさんやおばあさんは、これからもっと体が弱くなるから大変になると考える。
子供たちを見て「うるさいな、おとなしくしなさい」と怒るのではなくて、子供たちも大変だ、勉強は厳しいし、競争は激しいし、これから世界がどうなるのかわからないし、でもこの子たちは何もわかっていない。
「大変だな」と、人の苦しみを感じられるようになると、マイナス思考が消えてしまって、清らかな優しい思考に変わるのです。
「こんな大変な生き方、いつ終わるのだろう」といくら悩んでも苦しんでも、それは終わりません。死ぬまで生きることは大変で、どこへ逃げても逃げるところはない。会社を辞めても、生きていかなくてはなりません。会社が忙しい、面倒くさいからといって辞めたら、もっと大変なことになる。
他人から「あの人は何も仕事をしない怠け者だ」とか、「ただ食って寝るだけの人だ」とか侮辱されたこともある。これはものすごくつらいことなのです。そうすると「何のために生きているのだろう」と、また思い悩むことになります。マイナス思考がもっとひどくなるのです。
だから。仕事を辞めても問題が解決するわけではないのです。逃げられないのです。逃げようと思うこと自体が間違いなのです。
私たちはみんな、毎日毎日ただ生きているだけ、ただそれだけなのです。それからは逃げられないのです。仕事を、何か特別なものとして考えた時点で間違っています。生きるということは、瞬間、瞬間、何かをやっているということだけのことなのです。
でも考えてみてください。やることがあったほうが、つまらない人生だと文句だけ言っているよりもいいのではないですか。くだらないことを考えないで、一分単位で何か仕事をするというのは良いことなのではないでしょうか。
これをやって終わると次にこれ、それが終わるとまた次のこれと。そうやっているうちに夜遅くなって寝る。起きたらやることが次から次へとある。それは死ぬまでつづくことなのです。
でも、それで悩んで神経質になる必要はありません。ただ生きているだけなのですから。だから、仏教は生きることは何の意味もないというのです。
「絶対に不幸にならないよう生きる」と決めて努力する。こう言うと、世の中のことを何も観察せずに「生きることは何の意味もない」といって虚無的になる人がいますが、それは間違いです。自分自身で実践してみることが大事なのです。
そうすると変な考え方は消えて、智慧が生まれてくるのです。しっかりと実践すれば必ずうまくいくはずです。
私たちの悪いところは、根性がないところです。「幸せになってやるぞ」「不幸になってたまるか」という決意がないのです。中途半端はいけません。自分に甘えてはいけないのです。人間であるなら「負けてたまるか」「幸せになるぞ」という気持ちで生きることです。
たとえば、誰かがケンカを仕掛けてくる。そのとき「仕返ししてやろう」と思うのではなく、「自分は不幸にはなりません。あなたは勝手にケンカしてください。私は怒りませんから」と思う勇気が必要です。
相手はカンカンに怒って言いたい放題こちらを罵ったとしても、それは相手の自由です。でも自分は怒らないようにしましょう。
だいたい、ケンカを仕掛けてくる人は、相手にも怒ってもらいたいし、悩んで欲しい、嫌な気持ちになって欲しい、不幸になって欲しいから攻撃してくるのです。でも、こちらが怒らなかったらどうなるでしょうか?相手は攻撃できなくなります。
マイナス思考をまとめると、マイナス思考は不善行為で重い罪があります。そして、苦しみや悩みは誰にでもあることです。すべての生命に対して優しい気持ちで、みんな幸福でいて欲しいと願うこころを育てること。そして、生きることは忙しくて、休みがなくて、大変なものであるということを理解することです。
このように、客観的に物事を見ることで。こころに余裕が生まれます。その余裕から智慧が現れるのです。そうすると過去のことを思い煩うこともないし、将来のことをどうしようかと悩む必要もなくなります。結果として、いまの瞬間を明るく元気に生きていられるのです。
それで最終的には、智慧を開発して解脱に到達する。それが、仏教が教えている生きる目的なのです。
教祖・杉山辰子先生は妙法の不思議な力を信じることの重要性を説かれました。深く、深く信じると見えてまいります。信心すれば真理を理解できるようになるのです。
常住坐臥いついかなるときも妙法蓮華経の五文字を唱えていれば不慮の事故や災難から免れることができる仰せです。いつでもどこでも護られるということです。
『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践がとても重要です。この法華経は自らが自らの力で高めていくことを教えております。要は自力本願なのです。幸せになりたかったら、自らの行動を変えることです。
三徳の中でも慈悲の功徳は絶大です。慈悲とは慈しみのこころを育てることです。具体的には、「見返りを求めず、人さまに善いことをして差し上げる、その方の喜ぶ姿を見て、素直にこころの底から喜べるかどうか」喜べたら慈しみが一つ育ったということです。
私たちが、人のために役に立つことができることがあるなら、即実行することです。その行動が、私たちを成長させ〝すばらしき人生〞へと導いてくれるのであります。
合 掌
ACCESS
交通アクセス
Copyright(c) Houkoukai All Rights Reserved.