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世界平和を
大樹
すばらしき人生151
 旧暦七月を文月と呼び、現在では新暦七月の別名としても用いております。文月の由来は、七月七日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝したりする風習があるからというのが定説となっています。

 地球を取り巻く環境は大きく変化してきております。たとえば、黒潮大蛇行は終息しつつありますが偏西風の蛇行は最たるものです。それによって生態系にどんな影響を及ぼすか誰にも分かりません。

 今年の台風予測は二十三個前後と言われております。昨年は、台風による水害のため、東海道新幹線が計画運休になった日もありました。雨に弱い新幹線が露呈されましたが、今年はだいじょうぶなのか心配です。

 また、昨年は大地震と雨による水害とダブルパンチでした。地震は防ぎようがありませんが、水害は防げると思います。地球温暖化対策をしっかり行えば被害も減少していくと思われます。

 人間一人ひとりが真剣になって、二酸化炭素排出量を制限するよう取り組まないといけないと思っております。

 先般は、教祖祭に多くの信者の皆さまにお参りをいただきありがとうございました。今月は、盆施餓鬼先祖大法要会を開催いたします。ご先祖さまに感謝して、いま命のあることに感謝して、一生懸命務めさせていただきます。多くの信者の皆さまのお参りをお待ち申し上げます。

 私がサラリーマンのときでした。静岡県の責任者をしておりました。静岡市のS総合病院は、東海四県の中で最も多くの糖尿病患者さまを診ておられる施設でした。副院長の糖尿病専門医のI先生は全国的にも有名な先生でした。

 県内外から患者さまが先生の治療を希望され、総数で患者さまが三千名超おられたと聞いております。先生との面会は週二回で各三十分しかありませんでした。私が担当した当初は、古い製剤に古い注射器を使用されている患者さまがほとんどでした。

 早速、先生に依頼し新しタイプの注射器を使用してもらうようお願いしました。弊社には注射器を専門に指導するインストラクターという制度がありました。当時はこの制度は全く問題がなかったのですが、後には医療の業務提供にあたるとして公取協からの指摘によりできなくなったのですが、その制度をフル活用して患者さまの注射器の切り替えを行いました。

 週二回の三十分という短い時間で週約十名の切り替えをしました。三年でおおよそ千名の切り替えができたのです。当然、新しい注射器には薬価の高いインスリン製剤を使いますので、売り上げは二倍、三倍と増えました。

 I先生は、糖尿病教室を毎月開催され、病気の知識、薬の知識、運動療法、栄養指導などありましたが特にフットケアには注意するよう指導され患者教育をされていました。このように糖尿病の進展防止に繋がるような教育を重点に行われました。

 私は、先生からの信頼を得るためには、ありとあらゆることをしました。年に一度開催される糖尿病学会や糖尿病学の進歩という学会への随行を六年間させていただきました。そのほかには、研究会、講演会に主賓で招かれる場合には、必ずお供をさせていただき、信頼を得るよう努力しました。

 夜のお食事の接待などにより、より深い信頼を得るようにがんばりました。その結果、先生からの絶大なる信頼を得ることができたのです。信頼を築くためには多くの時間と労力が必要です。しかし失うときは瞬間です。信頼関係を大切に維持していくことがとても重要なのです。

 私は、過去に大きな失敗をしてしまいました。それは信頼を得るという基本的なことができなかったからです。ビジネスの基本とは、それは一にも二にも信頼です。信頼なくしてビジネスは成立しません。

 人間が必死になって、もがき苦しみ、信頼を勝ちとる秘訣を掴むことは、それほど難しいことではありません。自分のこころに素直に生きること。そして、相手の立場に立って考えることができること。あとは努力の積み重ねなのです。

 驚くことにS総合病院の売上は、この六年間で三倍に増え、ほぼ新製品に切り替えることができました。その後、先生は定年退職されたのですが、最後に置き土産として、私を支店長に推挙していただけるように上司に掛け合っていただきました。今でもI先生には感謝してもしきれない思いなのであります。

 さて、仏教的に考えますと私たちは、自分がつくった世界で生きております。だから、自分がつくった世界で「この人は悪い人だ」「この人は良い人だ」と自分で判断するのです。他人を勝手に判断しないほうが正しいのですが、まだまだ私たちはそこまでの人格ができていないので、それは無理なことです。

 従いまして、理性のある人間として、自分の判断に自分で責任を持つようにすることです。お釈迦さまは、人を判断するなかれ、過去にあった出来事で人を判断してはならない、相手に慈悲のこころを抱きなさいと説かれております。

 「この人は悪人です」ではなく、「この人を悪人のように感じています」「私には悪人に見える」「私には道徳を守っていない人に見える」というふうに客観性を持ってください。

 たとえば「このラーメンはおいしいよ」ではなく、食べたことで「私にはすごくおいしかった」と言うと、全く別な世界が見えてくるのです。「あの店のラーメンは世界一だ」と言ってはいけません。それは愚か者の言い方です。「私はあの店でラーメンを食べましたけど、ものすごくおいしく感じました」と言うと、それを聞いた人がラーメンを食べに行っておいしくなかったと感じても、こちらの責任ではありません。

 そのように、「私の気持ち」「私の考え」という態度をこころがけてください。自分の判断で「この人は道徳を守っていない」と思ったとしても、私がそう思っているだけで本人がどう思っているのかは関係ありません。私からは道徳を守っていないようにみえる、だから、私はそれに合わせた対応をする、ということになる。

 自分で責任をもっていて、「私は自分で選んで影響を受ける」というところまで成長していれば、悪人と付き合うことの問題はそれほど出てきません。「この方の影響は受けます。あなたの影響は絶対受けません」と、そういう態度ができれば、誰とでも一緒にいることはできます。

 とはいっても、あまりにも悪人で、波長が合わなくて、嫉妬・怒り・憎しみにかられている人のことは、できるだけ避けたほうがいいでしょう。なぜかというと、こころを常に自己管理することは難しいからです。ときどき、私たちは自分のガードを緩めてしまいますが、そのときに相手の影響を受けてしまうのです。

 だから、念のために一般的には悪人を避けたほうが良いのです。しかし、それは普遍的な法則というわけではありません。

 もしお釈迦さまが悪人を避けたらどうなりますか?お釈迦さまから見れば、お釈迦さまだけ覚りに達して、他はみな頭の汚れた悪い人々です。しかし、そんな人々を避けず、相手が、たとえ殺人者であっても真理を教えてあげたのです。

 人格ができた人には、悪人善人という考えはあまり起こらないのです。他人を判断しないのです。行為が悪いのであれば、「あなたのやっていることは悪い」「これをやったら、こういう結果になる」と客観的に言うのです。その場合、悪人も精神的なパワーのある人の影響を受けて、良い方向に変わります。

 寝るよりは、起きていて精いっぱいがんばることを喜んでください。やることはいろいろとあります。働くこと、本を読むこと、勉強すること、それから自分の生き方に誇りを持つこと。そうすると脳が活性化するのです。

 それで本当に肉体がくたくたになって疲れたら、しっかり寝ることです。こういう場合睡眠時間は短くて済みます。そうした睡眠は気持ちもいいし、健康にも良い。脳が働いたほうが健康にいいのです。

 惰眠を貪っていると、脳の機能が低下するし、体調にもよくありません。だから惰眠をやめて、質の良い睡眠こそ良いこころを育ててくれるのです。

 真面目に仕事をすると仕事は増えます。みんな基本的に怠け者ですから、そいういう現実もきちんと理解しておかなくてはいけません。

 仕事を上手にこなすと、どうしても仕事の量が増えてしまうのは、誰かのせいでもないのです。できる人に頼むということは、世の中のありさまなのです。

 それでは自分の自由がなくなってしまいますし、忙しすぎて困るということもあります。でも、「まあ気にしない」ということでいいのではないかと思います。実際、仕方がないのです。うまくできない人には、誰も頼みません。

 ですから、真面目にやっている人からすると、相手は怠けて何も仕事をしていないというふうに腹が立ってきます。それは自我です。

 全然仕事をしないで怠ける人は、それはその人の生き方です。その結果(不幸)は、そ人が受けます。従って、あなたには関係ありません。自分は真面目に仕事をこなす。そうすると自分が充実感を感じる。それでどんどん仕事が増えてしまっても、困らなくていいのです。

 なぜならば、生身の人間にできる仕事の量は、決まっているからです。それ以上はできないということになるので、正直に「一日がんばっても、ここまでしかできません」ということがわかります。その基準で、やるべき量をはっきりさせてください。

 たとえば、百くらい仕事が来ても、自分の能力をフルに生かしてもできるのは二十だとする。それをはっきりさせて素直に言えばいいのです、ということで、自分に降りかかってくる仕事の量をきちんと整理整頓することで、対応できない仕事はカットすることができます。

 あれもやりたい、これもやりたいという、余計な欲が出てくると困ります。全部やってあげたいといっても無理です。全部やってあげる必要もないのです。仕事は自分にできる範囲でやればいいのです。

 自分の一番大切な親が病気で倒れたとします。二十四時間つきっきりで看病しないといけない、というのは理想論であって、一日ぐらいならできますが、二日目になってくると疲れが出てきます。看病する人もご飯を食べないといけません。「私は母親なのだから二十四時間付き添っていないと……」と思っても不可能です。

 そういうわけで、問題が出てくる、困っているということは、自分が何でもやってあげたいという余計な自我が出てきたことになります。それはよくありません。生身の人間ですから、できる量は決まっている。その分は真面目にやる。残りは「これはできません」と言えばよいことなのです。

 教祖・杉山辰子先生は妙法の不思議な力を信じることの重要性を説かれました。深く信じて、信じて、信心するときに人は、真理に目覚めるのです。常住坐臥いついかなるときも、「妙法蓮華経」の五文字を唱えれば功徳があると説かれました。そうすれば、不慮の事故や災難から免れることができると仰せです。

 『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践も大事なところです。教祖さまは、三徳の中でも慈悲の功徳は絶大であると仰せです。慈悲とは慈しみのこころを育てることです。具体的に言いますと「見返りを求めず 人さまに善いことをして差し上げる その方が喜んでいる姿を見て 素直にこころの底から喜べるかどうか」です。喜べたら慈しみが一つ育ったということです。

 私たちも人格を高めて、慈しみのこころを育てることが〝すばらしき人生〞へと繋がって参ります。


  合 掌

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