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世界平和を
大樹
すばらしき人生152
 旧暦の八月を葉月と呼び、現在では新暦八月の別名としても用いております。葉月の由来は諸説ありますが、木の葉が紅葉して落ちる月「葉落ち月」「葉月」であるという説が有名であります。

 六月後半より暑い日が続いております。最低気温が二十五度以上の熱帯夜も続きます。熱中症には気をつけて、寝る前のコップ一杯の水や塩分を補給しないといけません。エアコンをしっかりと使い涼しくして寝るのが良いとされております。電気代が心配ですが、我慢せずに部屋を冷やして就寝しましょう。

 そもそも地球温暖化がもたらす悪い影響が出ております。世界の人口はどんどん増え今年の推計では約八十二億人と言われております。人口が増えるのと同時に森林の伐採も増加傾向にあります。植物は二酸化炭素を酸素に変える光合成をしております。この状況が続くと二酸化炭素の排出量がどんどん増え、更なる温暖化が進んでしまい負のスパイラルから脱却できません。

 世界の将来の人のために今やるべきことを、本気でしっかりとやらないと線状降水帯やゲリラ豪雨、台風の巨大化などの自然災害に苦しむ結果となってしまいます。人間一人ひとりが意識して智慧を出し改善していかなければならない重大な問題です。

 先般の盆施餓鬼先祖大法要会には多くの信者の皆さまにお参りをいただきありがとうございました。来月は秋季彼岸先祖法要会を開催します。多くの信者の皆さまのお参りをお待ち申し上げます。

 私がサラリーマンのときでした。四国の責任者をしておりました。ご存じのように、四国はとてもアクセスが悪く移動するのに大変なところでした。

 配属になり二年が経過しました。今までは四国四県にそれぞれ課長がいましたが、統廃合で香川県・徳島県と愛媛県・高知県で課長が二人になりました。そこで、二名の課長が他県へ転勤となりました。

 愛媛・高知のM課長は、もともとは高知県在住でしたので、愛媛へは出張で営業をしておりました。この二県を担当することは、香川・徳島担当よりもはるかに大変な状況でした。とにかく移動距離が半端なく長く、高知から松山まで高速道路で移動しても三時間ほどかかり大変なエリアでした。

 M課長は、根性があり負けん気の強い性格ですが、明るく繊細な部分もあり、いろんなことに気づきを発見する優秀な営業マンでした。

 彼には部下が五名おりました。人を育てるには、やってみせ、やらせてみるのです。人間誰しも最初から成功することは稀です。しかし、やらせてみないと人は育ちません。これはとても勇気と根性がいることですが、彼は、上手に部下を育てたのです。

 人材育成とは、仕事ができる人でないとできません。仕事ができない人は、部下に教えることなんんかできるわけがありません。彼は地道に部下育成をし、この広いエリアで愚痴もいわず、黙々と努力したのです。

 人間には、行動派と戦略派の二つのタイプがあります。彼はどちらかといえば行動派でした。いろいろと試してみるのもいいことです。ダメもとというぐらいの軽い気持ちでチャレンジすることも大事です。

 そして、そこで体得した成功体験を部下に伝授するのです。自分しかできない重要なミッション(任務)を教えて指導するのです。

 彼は、挑戦することにとても貪欲で、いろんなものを吸収しようという、高い目標を持っていたのです。部下を生かすも殺すも上司しだいです。悪い上司の縁に触れてしまうと、最悪の結果になるケースが多いですが、優秀な上司の縁に触れることは、部下にとっても恵まれた環境だといえます。

 M課長は、歯をくいしばり高めへ高めへと努力して、人にない営業の力を身に着け、それを部下の育成に繋げていったのです。組織というのは一枚岩になれば壊れることはないし、目標に向かって邁進することができるのです。その結果、課全体の力が底上げされ、支店全体として目標を達成できるのです。人材育成というのは、このような地道な活動の連続が一番大事であると思っております。

 さて、仏教的に考えますと四十代は「第二の思春期」となるのです。仕事にしても、プライベートにしても、それなりの年月を重ね、自分なりの生き方が見えてくる反面、「自分の人生はこのままでいいのだろうか?」「この先、どうやって生きていけばいいのか?」など、いろんな悩みが噴出する時期でもあります。それは、ちょうど思春期のようだと感じませんか。高校を卒業するころになると、多くの若者が悩みます。「この先の人生、どうしたらいいのか?」「大学へ行こうか、就職しようか?」「大学へ行くなら、どの大学で、どんなことを学べばいいのか?」「就職するなら、どんな仕事をすればいいのか?」「自分は何がしたいのか?」を考えだしたらキリがありません。

 実は四十代というのも、まったく同じような時期です。人生の折り返しにさしかかって、「この先の生き方」についてあれこれ考え、悩んでしまうのです。

 そんな人たちに対して、最初に言っておきたいのは、四十代というのは「第二の思春期」なのですから、みんな多かれ少なかれ悩んでいます。

 生きていればいろんなことが起こります。自分の思い通りにならないことも多い。年を重ねれば、職場や家庭の環境が変わってくるのも当たり前のことです。身体が衰えることも、これもまた自然なことです。

 そうやってあなたの身の回りには、望むと望まざるとにかかわらず、さまざまな問題、課題が次々と降りかかってきます。それは絶対に避けられません。

 そこで大事になってくるのは、そんな自分に降りかかってくる事態に対して、あなたが「どう受け止めるか」という部分です。

 あなたは、この先も周囲の状況に振り回されて生きていきますか?それとも、「どのように、周囲の変化を受け止めていけばいいのか」という考え方を学び、上手に「身を合わせて」生きていきますか?

 ここはぜひとも後者になって欲しいと思います。周囲で起こってくるめまぐるしい変化を、どのように受け止め、どのように自分の身を合わせて、生きていくのか。それはお釈迦さまの智慧を学ぶことで解決していくのです。

 四十代という年齢は、働くうえでまさに脂の乗った、充実した時期と言えます。社会人としてキャリアを積み、組織の中でも重要な役割を任されます。それでいて「まだまだこの先長く働いていける」という長期的な展望を持つことも可能な時期です。

 しかし、その一方で「人生の曲がり角」に差し掛かり、迷いが訪れる時期でもあります。二十代のように若さに任せて突っ走るわけにもいかず、ある程度「自分の人生が見通せてしまう」ということもこの世代の特徴ではないでしょうか。

 だからこそ、多くの人が四十代で働き方、生き方に迷い、不安を感じ始めるのです。そんな四十代の人たちに、やってもらいたいことは「過去を捨てる、未来も捨てる」という指針です。

 そもそも、生きるとは「いまを生きる」ということにほかなりません。過去も、未来も、本来的に関係ないのです。ところが四十代になると「過去の栄光」というものを捨てきれず、「昔はこうだった」「十年前は、こんな活動をしていた」なんで、ことさらに語る人が結構います。

 しかし、そんなふうに「過去に栄光がある」と思う時点で自分の人生は失敗していると思ったほうがいいのです。過去の栄光にすがるというのは、すなわち「現在の自分」が過去に比べて劣っているということです。

 こんなに明確な人生における失敗があるでしょうか。どうせなら「あのときの自分はどうしようもない人間でした」「何もできない未熟者でした」(でも、いまの自分はあのときより成長した)と言える人生を歩んだほうがいいと思います。

 過去がどんなにダメでも、今が成功しているなら、それはすばらしい人生です。過去の栄光にすがり、今の時間をないがしろにするのは、それこそ愚かな生き方です。今、自分の目の前にあることをしっかりと精一杯やる。それで十分なのです。

 「今」という時間を大事に精一杯生きるということにおいて、「過去」は全く関係ないのです。そして、それは未来も同じです。

 「将来は部長になろう」「社長になりたい」「年収を今の倍にしよう」「もっといいポジションで仕事したい」など、未来像、将来像を描く人も大勢います。あるいは、「自分の未来はどうなってしまうのだろうか?」という漠たる不安を抱えてしまう人も多いと思います。四十代には顕著にみられる傾向です。

 しかし、そもそも未来とは何でしょうか・あなたは未来を生きることができますか?どんな人間でも、未来を生きることなどできません。それを想像しているとしたら。それは具体性のない妄想に過ぎません。

 そんな具体性のない未来について、あれこれ妄想したり、心配して不安になっている暇があったら、もっと今を大事に生きることです。結局は、「今」という時間の連続でしかないのです。だから、今、目の前にある事柄について、しっかりと精一杯やるしかないのです。

 今日やるべき仕事をしっかりとやって、それが終わったら終わり。その繰り返しです。そういう意味で「過去を捨てる、未来も捨てる」という指針を忘れずにいて欲しいと思います。

 「過去を捨てる、未来も捨てる」これは、私たちが「過去への執着」からくるものです。過去に囚われ「これまでと同じ状況が続いていくはずだ」「続いて欲しい」という妄想があるから、自分に降りかかった「変化」を受け入れることができずに悩んでいるのです。

 でも、それってそもそもおかしいと思いませんか。仏教には「無常」という教えがあって、そもそも世の中というのは絶えず変化していくものです。それなのに「これまでと同じ状況が続いていくはずだ」と思い込んだり、「続いて欲しい」と願ったところで、うまくいくわけがありません。状況は絶えず変わっていきます。それが当たり前の法則なのです。そんな大原則をお釈迦さまは教えているのです。

 どんなに過去に執着しても、変わっていくものは変わっていく。結局、そんな過去は切り捨てて、変化を受け入れ、今を生きていくしかないのです。

 四十代だからこそ、つい考えたくなる「過去のこと」「未来のこと」があります。しかし、そんな過去や未来に囚われることなく、「今を精一杯生きる」ということが実は一番大事なことなのです。

 教祖・杉山辰子先生は妙法を信じることの重要性を説かれました。妙法を深く信じて、信じて、信心するときに真理に目覚めると仰せです。常住坐臥いついかなるときも妙法蓮華経の五文字を唱えていれば、不慮の事故や災難から免れることができると仰せです。妙法を唱えていれば、いつでもどこでも護られるということです。

 妙法を唱えるときに功徳をいただけるのです。このように妙法蓮華経には不思議な力が備わっております。

 教祖さまは『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳を実践することの大事さを説かれました。このなかでも慈悲の功徳は絶大です。慈悲とは慈しみのことであり、慈しみを育てると人格が高まります。具体的に言いますと「見返りを求めず 人さまに善いことをして差し上げる その方が喜んでいる姿を見て 素直にこころの底からよろこべるかどうか」です。喜べたら慈しみが一つ育ったということです。

 私たち人間は、こころが思った通りに生きております。こころが善いことをしようと思えば善いことをします。しかし、悪いことをしようと思ったら悪いこともしてしまう。従って、私たちはこころの奴隷になっているのです。常に善いことをしておれば、仏教でいう自然と善い方向へと向かっていきます。善いことの積み重ねで〝すばらしき人生〞へと高めていきたいと思っております。


  合 掌
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