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世界平和を
大樹
すばらしき人生153
 旧暦九月を長月と呼び、現在では新暦九月の別名としても用いております。長月の由来は、「夜長月(よながつき)」の略であるとする説が最も有力であると言われております。

 今年の夏は、各地で四十度超えの酷暑日が多くの地域で観測されました。体温以上の気温となれば、息苦しさなどの暑さ指数も上昇します。日本の気候も以前より変化して亜熱帯化しているように感じます。最近では特にゲリラ豪雨・線状降水帯・竜巻・台風の巨大化など生活への影響が出ております。

 人間が自然破壊したその結果の報いと思われます。地球温暖化を人間が行い自らが罰を受けるという悲惨な結果となっているような気がします。仏教的に言えば「因果の二法」です。

 このままではいけません。人類の知恵を絞って、集中して早急に新たな取り組みを行うべきと考えます。

 九月に入りましたが残暑の厳しい日が続きます。熱中症には十分注意が必要です。こまめな水分補給と塩分摂取が大事であります。電気代はかかりますがエアコンを使用しましょう。熱中症で亡くなる方の六割強がエアコンを使用していないという報告もあります。熱中症にならないよう、この厳しい夏を乗り越えましょう。

 先般の盆施餓鬼先祖大法要会には多くの信者の皆さまにお参りをいただきありがとうございました。今月も秋季彼岸先祖法要会を開催させていただきます。多くの信者の皆さまのお参りをお待ちしております。

 私がサラリーマンのときでした。静岡県の責任者をしておりました。優秀なEさんは、茨城県のT国立大学を卒業されました。女性の営業職の方ですが、やる気と根性があり男勝りの性分でした。性格も良く明るく素直な人でした。

 私は彼女が優秀なことを知っておりましたので、静岡県で成長ホルモンの最重点施設のK病院を担当させました。この施設には、内分泌専門のM先生が多くの患者さまの治療をされておられました。

 先生と面会した際に、もっと多くの患者さまの治療がしたいという、先生の思いを感じ取ることができましたので、私はまず、先生に患者さまを増やす意思があるかどうか、それとなく彼女に確認させました。すると、先生は、まだ未治療の子供は沢山いると彼女にぼやいたそうです。

 どうしたら先生の患者さまを増やすことができるのかと、いろいろ考えてみました。先生には、専門医であるという自負がありましたので絶対に先生のプライドを傷つけないような患者さまを増やす方法を懸命に考えました。

 M先生は、学校で背の低いことが原因でいじめがあるということを、問題視されておられました。そんな貴重な情報をEさんに取ってもらいました。

 そのような現状があるのであれば、まずは、小学校の校医の先生とパイプができれば、期待できると考えました。そこで、校医の先生を集めて、勉強会形式の研究会を立ち上げたらどうかと思い、彼女より先生に提案させました。何事も組織攻略をすることが重要で、研究会もそういったお仲間集団をつくることに意義があります。

 もちろん主役はM先生であり、多くの問題を抱えている患者さまが期待以上の成果が得られるような研究会にしたいと考えました。

 小学校の校医の先生が背が伸びずになやんでいる生徒がいたら、病院で負荷試験を受けてもらうよう校医の先生方を説得しました。

 私たちの仕事とは、いかに売れる仕組みをつくるかです。患者さまが来るまで待つのではなく、攻めないとチャンスが逃げていきます。私は彼女に研究会という組織で患者さまがどんどん増える仕組みを構築できるよう指導しました。

 彼女は、見事に売れる仕組みの中で、確実に売り上げを伸ばしたのです。待っていても仕事はきません。こちらからアクションして初めて結果はついてくるのです。すべてのことを前向きにとらえ、自分自身のエネルギーに転換していくことが極めて重要なのです。

 さて、仏教的に考えますと、多くの人は「変化」を嫌い、なかなか受け入れません。まして、ある程度の成功体験を持つ人は「自分はこれで成功してきた」「こうやってうまく生きてきた」という思いが強くなるため、ますます受け入れにくくなるのです。

 四十代は仕事におけるキャリアを積んでいるだけに、変化を受け入れにくい世代と言えるのかもしれません。しかし、望むと望まざるとにかかわら、変化を受け入れずに生きていくことなど誰にもできません。

 仏教には「無常」という概念がありますが、世の中が無常であることは、動かしようがない絶対的な事実です。そんな「絶対的な事実」である無常を受け入れられないというのは、一言でいえば無知だからです。

 そもそも、私たちの「生」というのは無常だからこそ成り立っています。万物は「土」であって、その土がいろんな経緯を経て、劇的に変化して、植物になったり、動物になったりして、それが滅びるとまた土になって、そこからさらにまた新しい何かに変わっていく、そんな無常の流れがあるだけです。

 もちろん、人間もその一部で、無常という大前提の上で、さまざまな形に行くからこそ、私たちは生きているのです。

 旧来から日本では、死ぬことを「土にかえる」と表現しますが、別に「かえる」わけではなく、ただ純粋に「変化し続けているだけ」なのです。それが無常というものです。

 無常こそ世の中の大前提ですから、「変化を受け入れられない」「無常を認めない」なんて発想自体成り立ちません。

 そんな大きな「無常」という法則を意識してみれば、自分の職場、仕事に関して「変化」が訪れぬことはすごく当たり前のことなのです。

 職場の状況が変わった、会社の制度やルールが変わった、上司や部下が変わる。与えられる仕事が変わる。市場の状況も変わる。ライバル会社や業界の事情が変わる。

 そんな変化にいちいち文句を言う人がいますが、「変わること」に文句を言っても仕方ありません。それこそ間違った前提で生きている証拠です。途方もなく無知である証明です。

 より理性的に生きるとしたら、それは「すべては無常だ」ということを知り、認めることにほかなりません。

 状況が変わったら、変わったなりに、合わせて生きていくしかないのです。誰かがバイオリンを弾いて美しい音色が出るのも、無常だからです。状態が変わるから、美しい音が流れ、私たちに聞こえるのです。

 あるいは、あなたの目の前に大事なコーヒーカップがあるとして、あなたはそれを「壊れて欲しくない」と思う。しかし、形あるものはいつか必ず壊れます。それが無常ということです。この世の中の大前提なのです。誰もがいつかは死ぬことも、地球が自転したり公転したりしているのも、すべては無常だからです。

 ぜひともこの機会に、「死にたくない」「壊れて欲しくない」「変化を受け入れたくない」「このままでいたい」というのはすべて間違った前提から生まれる妄想だということを理解してほしいと思います。この世の中は「変化し続ける」のが当たり前の状態なのです。

 世間では、「チャレンジすることが大事」とよく言われております。その一方で、四十代ぐらいになると、なかなか新たなチャレンジができなくなっていくものです。

 組織のなかでそれなりの立場を得て、保身の気持ちが芽生えてくる人も多いでしょう。新しい仕事、企画に出会ったときも「もし、失敗したら出世に響くんじゃないか……」「ここでミスをしてリストラ対象にされたくない……」「何にもせずに、やり過ごすほうが得策だ」などと考える人も少なくありません。あなたはどうでしょうか?

 さて、ここで一つ確認しておきたいことは「そもそもチャレンジとは何か」というところです。もし「これまでと違う、新しい何かをする」ということがチャレンジとすれば、それは日々、誰もが当たり前のようにやっていることではないでしょうか。

 すでに述べたように、この世の中は無常です。絶えず変化し続けているわけですから、本質的には「出会うことはすべてが新しい」はずです。昨日と同じ瞬間など、絶対に訪れません。

 そう考えると、私たちは常に新しい何かに出会い、それに対応するという「チャレンジ」を繰り返しながら生きています。

 そんな本質的な意味でのチャレンジなら呼吸するのと同じように、誰もが、日々行っているものであり、行わなければならないものです。要するに、周りが驚くような、奇抜で、斬新な行動をとることだけがチャレンジではないということです。

 川の流れに例えますと、あなたが生きているというのは、川に流されているようなものです。川岸の風景が昨日と同じように見えても、それは昨日とは違うものです。

 そして、川の流れによっては「これは危ない、岸に向かって必死に泳がなければいけない」「あの滝つぼに落ちないように、泳いで回避しなければならない」という場面も訪れるでしょう。

 そんなとき「私はチャレンジしたくない」「このままでいたい」と言って、川に流されるままでいたら、間違いなくあなたは死んでしまいます。人生とはそういうものです。

 そうならないように、必死で泳ぐというチャレンジは、誰にだって必要なものです。そして、それは「大きな危機に直面したとき」に限った話ではなく、誰もが日々チャレンジするのが当たり前の姿なのです。私が「呼吸するのと同じようなもの」というのは、そういう意味です。

 仏教にも「チャレンジ」という言葉はありますが、よりぴったりした言葉を使うなら、それは「精進」ということになります。正しい方向へ向かう精進を「正精進」と言いますが、私たちは日々、正精進をすることが必要なのです。

 ただ「変わりたくない」「このままでいたい」という理由でチャレンジしないのは単なる怠けです。

 また、「失敗したくない」「この立場を失いたくない」という保身の思いでチャレンジをせず、何もしない人もいるかもしれませんが、そういう人も、結局はその立場を失うでしょう。世の中は無常なのですから、それに合わせてあなた自身が(チャレンジして)変化していかなければ、取り残されて衰退していくのは当然のことです。

 だからこそ、世の中が無常であることを理解し、自分が今、やるべきことをしっかりとやる。結局、それが「正精進」であり、本当の意味でのチャレンジなのです。

 私たちは、「仏のこころを生きる」ことが大事です。仏のこころとは、何があっても揺るぎない、何があっても怒らない、何があっても許す。そういう仏のこころで生きることです。

 教祖・杉山辰子先生は妙法の不思議な力を信じることの重要性を説かれました。妙法を深く信じて、信じて、信心するときに真理に目覚めると仰せです。そして、常住坐臥いついかなるときも妙法蓮華経の五文字を唱えるときに、功徳があると仰せです。

 妙法を唱えていれば不慮の事故や災難から免れることができると言われました。いつでもどこでも護られるということです。

 『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践がとても大事と仰せです。三徳の中でも慈悲の功徳は絶大です。慈悲とは慈しみのこころです。慈しみを育てることはなかなか難しいことです。具体的に言いますと「見返りを求めず 人さまに善いことをして差し上げる その方が喜んでいる姿を見て 素直にこころの底から喜べるかどうか」です。喜べたら慈しみが一つ育ったということです。

 慈しみを育て、人格を高め〝すばらしき人生〞と言えるような人生にしたいと思っております。

  合 掌

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