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世界平和を
大樹
すばらしき人生154
 旧暦で十月を神無月と申します。新暦十月の別名としても用いられております。ある説では、出雲の出雲大社に全国の神様が集まって一年のことを話し合うため、出雲以外には神様がいなくなるということで神無月といわれております。

 十月に入りました。まだ残暑厳しい日もありますが、これから徐々に落ち着き過ごしやすい日々が来ると思います。本当に今年の夏は酷暑でした。

 台風、豪雨、竜巻などの被害が大きくなってきております。これは地球温暖化がもたらす環境の変化と思われます。誰しも、もっと過ごしやすい地球になって欲しいと願っていると思いますが、現実はなかなか難しいようです。

 みんなの地球を守るという発想の転換がないと環境の維持にはつながりません。自分さえよければいいという考え方は捨てないといけません。いま私たちが行っていることが、将来の人類にとってマイナスにならないよう、しっかりと考えて、今やるべきことをやる。必ずやり遂げるという強い信念が必要なのであります。

 先般の秋季彼岸先祖法要会並びに萬霊供養塔慰霊祭にはお参りをいただきありがとうございました。来月は立教五十二年祭を開催します。多くの信者さまのお参りをお待ち申し上げます。

 私がサラリーマンのときでした。四国の責任者をしておりました。香川県で仕事をしているYさんは、とても頭が良くかつて帝大である京都の国立K大学を卒業されておりました。仕事もスピーディーで卒なくしておりました。

 私が彼に同行して香川の国立K医科大学付属病院に訪問しました。第一内科の教授でI先生に面会しました。Yさんは営業の能力が高く先生に弊社製品のメリットを的確に訴求しておりました。

 しかし、彼はかなり強い口調で説明し先生はしかたなく同意しているように私の目には映りました。Yさんは京都の国立K大学卒業であり、先生は大阪の国立O大学のご卒業です。どう見てもYさんの学歴のほうが上回っておりました。

 私は直感でこの図式は良くない傾向だなと感じました。この会話を聞いてどちらが先生でどちらが営業なのか分からない状況に見えました。

 このまま彼を担当させて良いのか、一生懸命考えました。本来あるべき営業とは、先生の要望を正しく聞き出し、そのリクエストに素早く応えることであると思っております。彼がそのような営業マンに変わることができるのか?もう一皮むけた先を見通す洞察力を身に着けることができるのか?と考えたのですが、彼が国立K大学を卒業したという自身のプライドがある限り変わることはできないと結論しました。

 Yさんの後任を考えていたのですが、Tさんという入社三年目の若い営業マンがいました。彼は素直で優しく、真面目で申し分のない性格でした。彼ならI教授とうまくやれるような気がしたので、思い切って担当させました。

 まだ年齢的に若いのですが、説得力ある青年でした。人間の基本はまず素直であることです。ただ能力が高いだけでは営業は務まりません。素直になれば、困ったとき誰かに助けてもらえます。人間は苦境に立たされるから、それを乗り越えるべく知恵がつくのです。考えて、考えて、悩んで出た答えは間違いなく正しい答えです。彼にはそういう能力があったのです。

 彼はK大学病院を担当になり一年二年と月日がたち、悩み、もがき苦しみ歯をくいしばって活動をしておりました。そこで、同行してI教授に面会したとき、教授から絶大な信頼を得ている事実を知りとてもうれしく思いました。人間は高ければ高い壁ほど乗り越えるための知恵と努力を必要とします。彼も、努力して大きな壁を打ち破ったのであります。

 さて、仏教的に考えますと仕事が楽しくできたら幸せだと思います。四十代の人に限りませんが、「仕事がつまらない」と嘆く人がけっこういます。私から見れば「仕事がつまらない」「毎日がつまらない」と文句を言っている人は、妄想から生まれる精神的な汚れが溜まっているということです。

 「仕事がつまらない」と文句を言うのは自由ですが、「仕事がつまらないなら、おもしろくすればいいじゃないですか」というのが基本的な考え方です。

 こんなことを言うと、「それができないから苦労しているのだ!」「そんな身も蓋もないことを言われても……」と反論する人も出てくるでしょう。しかし、それなら逆に質問したいのですが、「あんたの仕事をおもしろくする」のは一体誰の仕事でしょうか。誰の責任でしょうか。答えは明白です。それは自分の仕事なのです。

 「仕事がつまらない」と嘆いていても、誰も何もしてくれません。結局、それは自分に与えられた「自分への宿題」だからです。

 まずはその大前提を理解して欲しいと思います。そして、このように質問します。「仕事がつまらないとあなたは言いますが、どのようになれば、あなたは仕事が面白くなるのですか?」というものです。

 しかし、残念ながら、この問いに対して「はっきりとした答え」を持っている人はあまりいません。

 多くの人が「つまらない」という具体性のない妄想に取りつかれているだけなのです。時々かえってくる答えとしては「自分をもっと生かせる仕事をしたい」というところでしょうか。そこで私が「それじゃあ、あなたを生かしてくれる仕事って、どんなものですか?」と一歩踏み込んだ質問をすると、「いや、それは……」と言い淀んでしまいます。結局、これも妄想の域を出ていないのです。

 よく聞きますが、「言葉はあるけど、中身がない」という表現がありますが、これこそまさにその一例です。

 「自分をもっと生かせる仕事」「面白い仕事」「充実した人生」など、立派な言葉は世の中にはたくさんありますが、具体的な中身がはっきりしないなら、それはすべて妄想なのです。そんな妄想に縛られて「仕事がつまらない」「だからやる気が出ない」なんて言っているのは、明らかな「怠け」です。

 そんな人たちに対しては「あれこれ文句を言うのではなく、自分に与えられた仕事を精一杯やればいいじゃないですか」と言います。

 一方で、「私はもっとこういう仕事がしたい」「こんなふうに働きたい」というはっきりとしたものを持っている人は、それを上司なり、先輩なりに伝えればいいと思います。

 「私はもっと○○のような仕事をしたいので、そういった部署に異動させてください」「私に○○の仕事を与えてくれれば、もっと能力を発揮するので、そういった仕事を振ってください」とはっきり言えばいいのです。

 しかし、これらの提案をすると、たいていの人から「そんなこと言えるわけがない」「言ったところで、自分のやりたい部署へなんて行けるはずがない」「組織というのは、そんなに甘いものではない」などの反論が返ってきます。

 いったいなぜ、そう思うのでしょうか。厳しい言い方になりますが、結局それは「あなた自身に能力がないから」です。周囲の能力を認められていないからこそ、希望の部署へ配属されなかったり、希望の仕事が与えられないのです。

 その現実を棚に上げて、「今の仕事はつまらない」「もっとこんな仕事がしたい」「自分の力を生かしたい」と思うのは、これもまた具体性も、現実性もない、単なる妄想を言わざるを得ません。

 「やりたい仕事」があるなら、上司なり、先輩にはっきり言うこと。そして、それが「実現されない」のはあなた自身の能力が欠けているのです。これは転職についても全く同じで、「今の仕事がつまらない」「もっと自分を生かせる仕事がしたい」と思うなら、そんな会社はさっさと辞めて、違う会社へ行けばいいと思います。

 実際、本当に能力のある人は、すでにそれをやっています。「自分にはもっと違う能力がある」「もっと高い評価を得ていいはずだ」と感じる人、(そして、本当にその実力がある人)は、すぐに別の会社の面接を受けに行き、「自分の能力を生かせる仕事」「納得のいく評価を得られる会社」へと移っていきます。

 それができないというのは、やはり、そこまでの能力がないからです。そんな状況にありながら、ただ「仕事がつまらない……」「もっと違う仕事がしたい……」と文句を言い続けているなんて、無益な時間の使い方だと思います。

 ここでとるべき選択肢は二つしかありません。一つは、自分が与えられている仕事・ポジションで精一杯がんばって、誰にも文句を言われないレベルの仕事をすること。もう一つは、「自分に足りない能力」(身に着けたい能力)を勉強するなり、訓練して、周囲に認められるレベルにまで自分を持っていくこと。結局、そのどちらかしかないのです。

 世の中には、自分の置かれている状況、自分に与えられている仕事やポジションに不満を持っている人は大勢います。四十代ともなれば、「同僚は課長や部長になっていくのに、自分はまだ平社員のままだ」と不満を抱えている人もいるでしょう。あるいは大学時代の同期たちは、ものすごく楽しそうな仕事をしているのに「自分は、誰にでもできるようなルーティンワーク(日常的に繰り返し行う業務)をしてつまらない」と愚痴を言っている人かもしれません。

 しかし、そんな人にこそ理解してほしいのは「どんな人も、自分の能力が生かせるところで止まっている」という現実です。

 あなたは「自分に与えられている仕事やポジション」に不満を持っているかもしれませんが、その「今いるその場所」こそが、あなたの能力を一番発揮できる場所なのです。

 いかにあなたが「別の仕事」「別の立場」を望んだところで、それを与えられていないという時点で「それだけのものがあなたにない」という証明なのです。

 だからまずは、今いる場所で、目いっぱい能力を発揮してみることです。そこからしか何も始まりません。自分に与えられた仕事に対して全力で取り組むこともせず、「こんな仕事はしたくない」「私にはもっと別の能力がある」なんて妄想に取りつかれていても、物事は決して好転しません。

 あなたが今そこにいる、ということは、そこで能力を発揮できる(あるいは、発揮すべき)と誰かが判断したわけです。

 まずはその「自分に与えられた場所」で、周囲の人が文句を言えないほどの仕事をしてみることです。そうすれば、あなたは自分自身の能力に気づくでしょう。そして、仕事のおもしろさにも出会うはずです。あるいは、その仕事内容が評価されれば、もっとハイレベルの仕事や別の種類の仕事を与えられるようになるのです。

 教祖・杉山辰子先生は妙法を信じることの大事さを説かれております。信じて、信じて、信心して、この教えを聞くと自然と体に入ってまいります。私たちは、深く信じるときに真理に目覚めるのです。

 教祖さまは、常住坐臥いついかなるときも妙法を唱えていれば、不慮の事故や災難から免れると仰せです。妙法を信じて唱えるときに功徳があるのです。唱えていればいつでもどこでも護られるということです。

 『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践も大事であります。実践しなければなんの功徳もありません。中でも慈悲の功徳は絶大です。慈悲とは慈しみのことです。慈しみを育てることがとても重要なのです。具体的言いますと「見返りを求めず 人さまに善いことをして差し上げる その方が喜んでいる姿を見て 素直にこころの底から喜べるか」どうかです。喜べたら慈しみが一つ育ったということです。

 私たちは慈しみを育てる努力が必要です。口で言うのは簡単ですが実行はとても難しいことです。だから自然と人を慈しむこころになれるよう、こころを育てないといけません。慈しみが育てば、〝すばらしき人生〞へと高めていけるのです。

  合 掌

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