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世界平和を
大樹
すばらしき人生155
 旧暦で十一月霜月と呼び、新暦の十一月の別名としても用いられております。「霜月」は文字どおり霜の降る月であります。秋の季節はとても過ごしやすく有難いのですが、すぐに寒い冬がやって参ります。

 日本には春夏秋冬という四季があります。私たち日本人にとってはとても有難いことです。夏の暑い時期や冬の寒い時期などメリハリがあるから、健康的に生きられると思っております。最近感じることですが、春と秋が極端に短くなったような気がします。行楽シーズンが短くなるのは残念です。

 地球温暖化は世界の自然を破壊し、人間の住める環境を悪化させております。文明、社会の発達が、思いもよらぬ大自然を悪い方向へと向かわせます。将来の人類にとって、地球がより良い環境になっていくことがとても重要です。人間一人ひとりが真剣に立ち上がって、温暖化防止対策へと舵を切らなければいけないステージになりました。みなで智慧を出し合って進めることだと思っております。

 先般、暑い中、秋季彼岸先祖法要会並びに萬霊供養塔慰霊祭にお参りをいただきありがとうございました。今月は立教五十二年祭を開催させていただきます。また来月には開祖祭を開催します。開祖・法公先生十五回忌です。重ねて多くの信者さまのお参りをお待ち申し上げます。

 私がサラリーマンのときでした。静岡県の責任者をしておりました。人間とは不思議なもので、運の良い人、悪い人は必ずおられます。運の良い静岡市を担当のSさんは、ごく普通の大学を卒業されました。運の悪いWさんは沼津市を担当しておりました。彼は、一流大学出身のため期待度は高かったのですが、運の悪さのためか思うような結果が出ませんでした。

 病院を訪問するときも、運の良し悪しがあり、とても効率的にはできないようでした。そこで、私の仕事は運の悪いWさんを一流の営業マンにしなくてはなりませんでした。基本的に考えますと運が悪いということは、お得意さまの行動パターンを把握していないということと、仕事をやり遂げるという強い信念がないことです。

 いくら一流大学出身でも基本を叩き込まないと仕事にはなりません。まずは、報告、連絡、相談です。これを報・連・相といいます。この基本を徹底的に実践しないとだめなのです。いつ、どこで、誰と、何という会話をしたのかを逐一報告させる練習をしました。それを毎日、毎日、報告させるのです。

 そうすると、自分の欠点や間違っている点が、くっきり、はっきり見えてくるのです。人間を分析すると、長所より短所の方が圧倒的に多いのです。そういうことを知ったうえで活動しないと、まったく無意味なものになってしまいます。

 Wさんは、自分の運が悪いことを認識しておりました。そして、仕事がうまくいかないのを運のせいにしていたのです。しかし、運が悪いからできませんでしたでは話になりません。そのことに自ら気づき自分で自分を変えていかなければ、永遠に運が悪いままで終わってしまいます。

 逆に、運の良いSさんは、運が良いからこれでいいと自分を高める努力をしなかったらどうなるでしょうか。今は一時的に結果がついてきておりますが、これが永遠に継続できるかといえば、そうではありません。

 運も実力のうちと言いますが、私はそう思いません。運だけでは成績を伸ばせません。成績を伸ばすには、確固たるロジック(論理)が必要なのです。

 失敗は成功のもと、とよく言われますが失敗するから考える、失敗するから智慧がつく、失敗するからチャレンジする、失敗するからロジックが生まれる。そのロジックに従って、行動すれば必ず成功の道へと繋がって参ります。

 人間、基本に立ち返り、失敗を恐れず、自分を信じて、智慧を出し高い目標を乗り越えるという、あえて厳しい道を選択していただきたいと思います。大きな目標を掲げれば、それが達成できなくとも、成果は確実に良くなるものなのです。

 さて、世の中を見ますと、よく人は「忙しい、忙しい」と言います。日々、仕事をしている四十代の人は、そのほとんどが忙しいと感じているのではないでしょうか。忙しさにストレスを感じ、体調を崩したり、イライラして、さまざまな人間関係を崩してしまっている人も少なくありません。

 この「忙しい」とは一体何でしょうか。仏教的に言うなら、忙しいというのは妄想に過ぎません。「忙しい」なんて単語はそもそも成立しないので、人間が勝手に思い込んでいるのです。

 一つひとつ解きほぐして、考えてみましょう。まず、どんな人にも一日二十四時間と決まっています。「忙しい人の一日は二十時間しかない」とか「時間に余裕がある人は、一日三十時間も使っている」なんてことは絶対にありません。

 誰もが一日二十四時間で暮らしています。そして、その二十四時間のなかで、できる仕事の量というのはだいたい決まっているものです。生産性は人によって違うでしょうが、「一日二十四時間で、自分ができる仕事の量」というのは決まっているものです。

 端的に言えば、それが自分に課せられた義務なのです。その義務を果たすために人は精一杯仕事をして、それで一日が終われば、それで終わり。結局、それしかないのです。

 自分がやるべき仕事をさぼったり、手を抜いたりするのはダメですが、といって一日十個の仕事しかできない人が、「やるべきことがたくさんあるから」と言って、はたして百個の仕事ができるでしょうか。

 そんなことは不可能です。結局、忙しい人というのは「あれもやらなくては、これもやらなくては」と混乱したり、「この仕事を今日中に終わらせなければいけない」と不安になったり、イライラしたりしているものです。

 しかし、それって必要なことでしょうか。あるいは、Aという仕事をしている最中に、「Bという案件について、○○さんに電話をしなければ」と余計なことを考えて、集中力を下げているなんてケースも多いでしょう。

 それが「忙しい」という状態なのですが、ちょっとおかしいと思いませんか。「Bという案件で○○さんに電話しなければいけない」というなら、電話をすれば、それで終わりです。あるいは「Aの仕事をかたづけてから電話すればいい」という状況なら、集中してAの仕事をすればいいだけです。

 結局、忙しいというのは、物事が整理されていない状況で、勝手にパニックになっているだけなのです。まさに妄想にとりつかれているのです。

 あなたにとって一日は二十四時間しかありません。その時間にできることは決まっています。できることはできるし、できないことはできないのです。やるべき仕事が目の前にいくつもあるなら、それを整理して、優先順位を決めて、今やるべきことをやればいいのです。逆に言えば、それ以上のことはできないのです。

 そんな単純なことを忘れて、混乱状態のまま、ひたすら「忙しい、忙しい」なんてこころを乱しているのは、とてもおかしな話です。日々、忙しいと感じている四十代の人は特に「忙しいとは妄想に過ぎない」ということを理解してください。

 中年の人たちの多くは「自分には自由がない」と嘆いています。たしかに、仕事の面では多くの業務や責任を任され、家庭では夫婦の問題、親子の問題などに多くの時間をとられることでしょう。「だから、自分には自由がない」と多くの人が悩んでいるわけです。

 しかし、そういう人たちは前提が間違っているのです。きっと、その種の人たちは「人間とは自由なものだ」と思い込んでいるのです。そんな思い込みから出発するので、当然「自分には自由がない」とストレスを感じるわけです。

 ここではっきりさせておきますが、もともと人間は自由なんかではありません。「自由になりたい」と願っているだけです。

 仕事でも、プライベートでも、「いくら努力しても報われない」「思うような結果が得られない」と悩んでいるという人は多いでしょう。部長になれるように、必死になって努力したからといって、すべての人が部長になれるわけではない。東大に合格したいと勉強を続けても、不合格の人もいます。そんな状況になると、たいていの人は「努力が報われなかった」と嘆き、悩むわけです。

 そして、そんな人に対して「努力したことに意味があるのだ」「がんばることに価値があるのだから、あきらめずにがんばれ」なって助言する人も大勢います。

 しかし、視点を変えれば、「努力しても結果が出ないもの」について、がんばり続けるなんて、そんな不合理なことがあるでしょうか。

 努力(行動)には、必ず結果が必要です。たとえば、芋を鍋に入れて茹でるとしましょう。でることによって、柔らかくなり、おいしくなるからなのです。つまり、行動や努力には、必ず結果が必要で、その結果に向かって私たちは行動するのです。

 ただし、ここで間違ってはいけないのが、結果というのは、変化に過ぎないということです。わかりやすく「結果」と表現しましたが、正しく言うなら、「法則に則した正しい変化」が起こっていることなのです。芋を茹でれば柔らかくなる。これは法則に則した正しい変化です。しかし、「自分なりに仕事をがんばったら、部長になれる」というのは、法則に則した正しい変化でしょうか。それは人と場合によります。

 組織のなかで、あなたよりも部長に適任の人がいなければ、当然、あなたが部長になるでしょう。ほかに優れた人がいれば、その人が部長になる。これが法則に則した正しい変化です。つまり、世間一般で言われている(努力に対する)「結果」というのは「自分の望みどおりの変化」のことで、身勝手な妄想なのです。そんな法則を無視した身勝手な変化(結果) をいくら妄想したところで、それが実現されないのは当然のことです。

 結局、「こういう努力をすれば、こういう結果が得られるだろう」という正しい法則に即した努力をすることです。もし、あなたの努力が報われていないのだとしたら「努力の仕方が間違っている」か「努力の量が足りない」か「起こり得ない変化を妄想している」かのいずれかです。

 法則に則した正しい努力をしていれば、当然の結果(変化)が得られます。身勝手な妄想で「こんな結果になって欲しい」と願っても、それが法則に則していなければ、報われないのは当然のことなのです。

 教祖・杉山辰子先生は妙法を信じることの重要性を説かれました。妙法には不思議な力が備わっております。信じて、信じて、信心すれば、真理が見えてくると仰せです。

 常住坐臥いついかなるときも、妙法蓮華経の五文字を唱えれば、不慮の事故や災難から免れることができると仰せです。妙法を唱えていれば、いつでもどこでも護られるということです。

 『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践がとても大事です。法華経は自らが実践することを教えております。三徳のなかでも慈悲の功徳は絶大です。慈悲とは慈しみのことです。慈しみのこころを育てることが、とても重要なのです。

 具体的にいいますと「見返りを求めず 人さまに善いことをして差し上げる その方の喜んでいる姿を見て 素直にこころの底から喜べるか」どうかです。喜べたら慈しみが一つ育ったということになります。

 教祖さまの語録に、「悲しむ人にはこころから労り、飢えた人には食を与え、寒さに震える人には衣類を施す等、人の喜ぶこと、人の便利を図ることは、他人が見ておろうと見ていないとに拘わらず、一生懸命に実行せられて陰徳を積んでください。必ず陽報は子宝となって現れます」人のためになることで徳を積んでくださいということです。

 私たちも慈しみのこころを育て善い人格を得て〝すばらしき人生〞へと精進していきたいと思っております。


  合 掌

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