世界平和を
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大樹
すばらしき人生156
令和七年も無難に終えることができそうで、本当にありがとうございます。今年もあとわずかです。振り返ると、いろんなことがありました。まず、米国トランプ大統領の二期目の政権が誕生し、トランプ関税が世界中に衝撃を与えました。埼玉県の老朽化による下水管崩落事故や兵庫県知事のパワハラ問題やコメ不足による備蓄米放出など、いろんなことがありました。かたや、大阪・関西万博開催や日本初の女性総理大臣誕生という良いニュースもありました。
気候変動による猛暑や熊のエサ不足による被害も続出しておりました。すべて地球温暖化がもたらす負の遺産です。この問題はいま真剣に考えないといけない課題です。未来の子供たちのためにも智慧を出し合って解決しなければいけないことと思っております。
先般開催の立教五十二年祭には多くの信者さまのお参りをいただきましてありがとうございました。今月は開祖祭法公先生十五回忌です。多くの信者の皆さま方のお参りをお待ち申し上げます。
私がサラリーマンのときでした。四国の責任者をしておりました。香川県、徳島県、高知県、愛媛県と四県の重点病院(大学病院)に訪問するには時間がかかりました。なぜなら、このエリアはとてもアクセスが悪い地域でした。大都市のように重点病院が集中していれば問題ないのですが、そうはいきませんでした。
徳島県を担当していたSさんは、非常に地味な営業マンでした。彼は、とても暗い性格で相手もそのペースに巻き込むタイプでした。私は、彼がこのまま営業を続けていくことは不可能と判断しました。しかし、彼にもう一度チャンスを与えて、それでだめだったら事務職への配置替えも考えました。
まずは彼を、明るい性格にしないといけないと思いました。といっても、性格はすぐには変わらないものです。やはり営業の基本は、上司への報告、連絡、相談なのです。営業でよく使う「報・連・相」です。これを徹底的に叩き込むのです。これが基本です。
これがなぜ大事かと言いますと、彼という人間を理解するためには、報・連・相で、人間関係を構築しないといけません。そうしないと性格は変わりません。
なぜ彼がこのような性格になったのかを考える上で、「家族構成はどうなのか? 会社での友人関係はどうなのか? 会社に不満はないのか? 担当エリアに不満はないのか? 上司が嫌いなのか? やりたい仕事をしているのか?」などなど不満要素は沢山あると思います。
それを一つひとつ紐解いていかなければ、彼の性格につながる原因物質を突き止められません。いろいろと話を聞いてみたら、どうやら彼は関東出身で地元に転勤できないため不満があったと言っておりました。しかし、サラリーマンはどんなエリアであり不満は言わずに職務を全うするのが当たり前です。世の中が自分の思うようにならないのは承知しているはずです。彼は単なるわがままな人間なのです。
まず彼をモチベーション(やる気)するためには、毎日、鏡を見て笑顔をつくることを指導しました。見た感じが良くないため、笑顔の練習です。次に、相手のことを良く聞くこと。要は傾聴力を高める練習です。なるべく自分の意見は言わないようにも指導しました。
報・連・相を毎日すると彼の弱点が見えてまいります。悪い点があれば即改善していくという行動力も必要です。行動力がない人は必ず先延ばしします。それではいつまでたっても成長できません。
何とか笑顔や傾聴力が身についてきたので、次の段階で私たちがなすべきことを簡潔にまとめ、訴求点をシビア(厳格)に表現できるよう練習しました。どの会社も営利企業です。利益が出せなければ必要のない人間です。それこそ、給料泥棒と陰口を言われてしまいます。
そうならないよう日々の努力が肝心なのです。こうして彼は少しは使える営業マンに育っていきました。「あと二年間この状況で売り上げを上げることができたら関東方面への転勤を考えてみてもいいよ」と伝えました。
人間はいつでも変わることができるのです。本気で変わろうとすれば不可能ではないのです。会社の役に立ちたい。患者さんの役に立ちたい。という本懐を遂げるためには自分を変えていかなければ不可能なことなのです。
さて、仏教的に見ますと、何かというとすぐ怒る人がいます。四十代ともなると、組織の中で上の立場であることも多く、そんな人が怒りをあらわにすると、周囲は本当に迷惑します。
そもそも「怒り」とは何でしょうか。それは「起こっている状況を理解できない」「受け入れられない」ということによっってこころが起こす異常現象です。
たとえば、上司が自分の指示通りに動かない部下に対して怒ったとしましょう。よくある話です。結局、その上司は「部下が自分の指示通りに動かなかった」という状況を理解できず(あるいは、受け入れることができず)こころが異常な状態になり、怒っているわけです。
はっきり言えば、それはこころの病気です。言い換えるなら、状況を把握する対応する能力が不足しているから怒っているとも言えます。
皆さまの中でも「自分は結構怒りやすい」「すぐにイライラするタイプ」と感じている人がいるでしょうが、そういう人は「自分はこころの病気だ」「能力が足りないのだ」ということを認識したほうがよいと思います。
目の前で起こっている状況を理解できず、対応できないということは、進化論で言えば明らかな弱者です。この世界から淘汰される存在なのです。
自然界にいるあらゆる生物は、例外なく、状況や環境に対応し、適応することで「生きる資格」を得ています。「適応できない」とは、そのまま死を意味するのです。
大げさな言い方をすれば、起こっている状況に対応できず、すぐ怒ってしまう人というのは、その時点で生きていく資格がないのです。
自分は周りで起こっている出来事に対応できず、すぐに怒りをあらわにしている人は「ああ、自分には生きる資格がない」と思うことです。
しかし、対応策がないわけではありません。そうやって自分が怒りを覚えるたびに「ああ、自分はこころの病気なのだ」「今の自分は生きる資格がないのだ」と意識することができれば、少しずつでも感情のコントロールは可能になります。
言い換えれば、こころの病気が治ってくるわけです。癌に冒された人は、その時点では「生きる資格」「生き続けていく資格」を失いますが、放射線治療や手術を受けることで癌が治れば、再び生きる資格を得ます。
それとまったく同じように、「すぐ怒ってしまう」という時点では生きる資格を失いますが、感情のコントロールができるようになれば、再び生きる資格を得るのです。
世の中は無常なので、四十歳だろうが、六十歳だろうが、八十歳になったって、人はまったく新しい瞬間に出会います。ときに、それは「自分の思い通りにいかない場面」かもしれません。
そんなとき「どうしてうまくいかないのだろう!」と怒りをあらわにして、周りに文句を言って、進化過程の弱者になるか、「どのように、この状況に対応していこうか」とゲーム感覚で環境の変化を楽しみ、適応できるようになるかは、まさにあなた次第です。
「部下が言うことを聞かない」という事態にしても、あなたに課せられた課題であります。そこで怒りを出すのではなく、「どうやってこの課題を乗り越えるのか」と考え、新たなチャレンジをするのは、人生における大きな楽しみの一つだと思います。
きっと多くの人が「今よりももっとお金を稼ぎたい」「もっと出世して、偉くなりたい」「もっと人から評価されたい」「もっと好かれたい」という思いを持っているでしょう。
そもそも、なぜ人はそんなふうに「もっと○○したい」と思うのか。たとえば、今現在、課長の人が「数年のうちに、私は部長になりたい」と思っているとしましょう。彼がそう思うのは「部長になれば、自分は満足だ」「達成感に満たされ、幸せになれる」と勝手に考えているからです。
しかし、それはとんでもない勘違いです。世の中というものはそういうものではありません。この世の中は常に不完全なので、部長になったところで本質的にこころが満たされることなどありません。それは社長になっても同じことです。
わかりやすく言えば、日本では総理大臣が一番偉いということになっていて、多くの政治家が、そのトップの座を目指して争い続けています。では、めでたく総理大臣になった人は「完璧な人生を手に入れた」と言えるでしょうか。
そんなことは絶対にありません。総理大臣といっても、不自由なことはいっぱいあります。「自分が一番偉いのだ」と周囲に吹聴したところで、言うことを聞かない人は大勢います。予算一つを決めるのも、あっちこっちから反対されます。完全は人生とは程遠い状況です。
あるいは、年収三百万円の人が、その翌年に四百万円になれば、それは嬉しいでしょう。これまで我慢していた買い物もできるかもしれません。しかし、これで「完璧な人生を手に入れた」と言えるでしょうか。
これはまた無理な話です。最初は「年収が四百万円になった!」と喜べるかもしれませんが、すぐに「今度は四百五十万円にしたい」「五百万円稼いでいる人がうらやましい」と思うようになります。そのくらい「もっともっと」という思いにはキリがないのです。
結局、「もっともっと」という欲望に縛られている人は「無知」なのです。ものの道理がわかっていないから、「もっともっと」という思いに縛られてしまうのです。
どんなにお金を稼いでも、立場や役職が上がっても、人から評価されようとも、完璧に満たされることなどありません。それが世の中の、動かしようのない法則なのです。
ところが、その法則を無視して「こんな状態になれば、自分は満足できるはずだ」「幸せになれるに違いない」と勝手な妄想をしているから、人は「もっともっと」と思うようになるのです。
まずは、どこまでいっても世の中は不完全であり、自分が完璧に満たされることなどない、という現実を理解すること。そして、その現実を受け入れること。そんなふうに冷静に、理性的に生きることが重要なのです。
自分を奮い立たせるために「来年は年収四百万円を目指そう」とか「部長になれるようがんばろう」と思うのは良いと思います。それが現実的な目標であるなら、自分自身の成長にも繋がっていくでしょう。しかし、年収四百万円の目標に達したからといって、完全に満足できる生き方に達したわけではないのです。四百万円に適した不平不満が現れてくるのです。
ただ漠然と「こうなりたい、ああなりたい」と思うのは、無知からくる単なる妄想です。それが達成できたところで、決してあなたは満足しません。そんな無益で無知な生き方からは早く抜け出して、理性的な生き方をぜひとも手に入れていただきたいと思います。
教祖・杉山辰子先生は、妙法の不思議な力を信じることの尊さを説かれました。妙法を信じて、信じて、信心するときに真理に目覚めると仰せです。私たちが日々無事に生かされているのも妙法の見えない力によるものです。
常住坐臥いついかなるときも妙法蓮華経の五文字を唱えれば、不慮の事故や災難から免れると仰せです。この教えを信じて唱えるときに功徳があるのです。私たちは、いつでもどこでも護られております。
『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践も大事なところです。三徳の中でも慈悲の功徳は絶大です。慈悲とは慈しみのことであり、慈しみのこころを育てることが、幸せに繋がってまいります。
具体的に言いますと「見返りを求めず 人さまに善いことをしてさしあげる その方が喜んでいる姿を見て 素直にこころの底から喜べるか」どうかです。喜べたら慈しみが一つ育ったということです。
私たちは、慈しみを育て人のためになることを実践し、それによって人格を高める努力が必要です。そして、自分の人生を〝すばらしき人生〞へと高めていきたいと思っております。
合 掌
気候変動による猛暑や熊のエサ不足による被害も続出しておりました。すべて地球温暖化がもたらす負の遺産です。この問題はいま真剣に考えないといけない課題です。未来の子供たちのためにも智慧を出し合って解決しなければいけないことと思っております。
先般開催の立教五十二年祭には多くの信者さまのお参りをいただきましてありがとうございました。今月は開祖祭法公先生十五回忌です。多くの信者の皆さま方のお参りをお待ち申し上げます。
私がサラリーマンのときでした。四国の責任者をしておりました。香川県、徳島県、高知県、愛媛県と四県の重点病院(大学病院)に訪問するには時間がかかりました。なぜなら、このエリアはとてもアクセスが悪い地域でした。大都市のように重点病院が集中していれば問題ないのですが、そうはいきませんでした。
徳島県を担当していたSさんは、非常に地味な営業マンでした。彼は、とても暗い性格で相手もそのペースに巻き込むタイプでした。私は、彼がこのまま営業を続けていくことは不可能と判断しました。しかし、彼にもう一度チャンスを与えて、それでだめだったら事務職への配置替えも考えました。
まずは彼を、明るい性格にしないといけないと思いました。といっても、性格はすぐには変わらないものです。やはり営業の基本は、上司への報告、連絡、相談なのです。営業でよく使う「報・連・相」です。これを徹底的に叩き込むのです。これが基本です。
これがなぜ大事かと言いますと、彼という人間を理解するためには、報・連・相で、人間関係を構築しないといけません。そうしないと性格は変わりません。
なぜ彼がこのような性格になったのかを考える上で、「家族構成はどうなのか? 会社での友人関係はどうなのか? 会社に不満はないのか? 担当エリアに不満はないのか? 上司が嫌いなのか? やりたい仕事をしているのか?」などなど不満要素は沢山あると思います。
それを一つひとつ紐解いていかなければ、彼の性格につながる原因物質を突き止められません。いろいろと話を聞いてみたら、どうやら彼は関東出身で地元に転勤できないため不満があったと言っておりました。しかし、サラリーマンはどんなエリアであり不満は言わずに職務を全うするのが当たり前です。世の中が自分の思うようにならないのは承知しているはずです。彼は単なるわがままな人間なのです。
まず彼をモチベーション(やる気)するためには、毎日、鏡を見て笑顔をつくることを指導しました。見た感じが良くないため、笑顔の練習です。次に、相手のことを良く聞くこと。要は傾聴力を高める練習です。なるべく自分の意見は言わないようにも指導しました。
報・連・相を毎日すると彼の弱点が見えてまいります。悪い点があれば即改善していくという行動力も必要です。行動力がない人は必ず先延ばしします。それではいつまでたっても成長できません。
何とか笑顔や傾聴力が身についてきたので、次の段階で私たちがなすべきことを簡潔にまとめ、訴求点をシビア(厳格)に表現できるよう練習しました。どの会社も営利企業です。利益が出せなければ必要のない人間です。それこそ、給料泥棒と陰口を言われてしまいます。
そうならないよう日々の努力が肝心なのです。こうして彼は少しは使える営業マンに育っていきました。「あと二年間この状況で売り上げを上げることができたら関東方面への転勤を考えてみてもいいよ」と伝えました。
人間はいつでも変わることができるのです。本気で変わろうとすれば不可能ではないのです。会社の役に立ちたい。患者さんの役に立ちたい。という本懐を遂げるためには自分を変えていかなければ不可能なことなのです。
さて、仏教的に見ますと、何かというとすぐ怒る人がいます。四十代ともなると、組織の中で上の立場であることも多く、そんな人が怒りをあらわにすると、周囲は本当に迷惑します。
そもそも「怒り」とは何でしょうか。それは「起こっている状況を理解できない」「受け入れられない」ということによっってこころが起こす異常現象です。
たとえば、上司が自分の指示通りに動かない部下に対して怒ったとしましょう。よくある話です。結局、その上司は「部下が自分の指示通りに動かなかった」という状況を理解できず(あるいは、受け入れることができず)こころが異常な状態になり、怒っているわけです。
はっきり言えば、それはこころの病気です。言い換えるなら、状況を把握する対応する能力が不足しているから怒っているとも言えます。
皆さまの中でも「自分は結構怒りやすい」「すぐにイライラするタイプ」と感じている人がいるでしょうが、そういう人は「自分はこころの病気だ」「能力が足りないのだ」ということを認識したほうがよいと思います。
目の前で起こっている状況を理解できず、対応できないということは、進化論で言えば明らかな弱者です。この世界から淘汰される存在なのです。
自然界にいるあらゆる生物は、例外なく、状況や環境に対応し、適応することで「生きる資格」を得ています。「適応できない」とは、そのまま死を意味するのです。
大げさな言い方をすれば、起こっている状況に対応できず、すぐ怒ってしまう人というのは、その時点で生きていく資格がないのです。
自分は周りで起こっている出来事に対応できず、すぐに怒りをあらわにしている人は「ああ、自分には生きる資格がない」と思うことです。
しかし、対応策がないわけではありません。そうやって自分が怒りを覚えるたびに「ああ、自分はこころの病気なのだ」「今の自分は生きる資格がないのだ」と意識することができれば、少しずつでも感情のコントロールは可能になります。
言い換えれば、こころの病気が治ってくるわけです。癌に冒された人は、その時点では「生きる資格」「生き続けていく資格」を失いますが、放射線治療や手術を受けることで癌が治れば、再び生きる資格を得ます。
それとまったく同じように、「すぐ怒ってしまう」という時点では生きる資格を失いますが、感情のコントロールができるようになれば、再び生きる資格を得るのです。
世の中は無常なので、四十歳だろうが、六十歳だろうが、八十歳になったって、人はまったく新しい瞬間に出会います。ときに、それは「自分の思い通りにいかない場面」かもしれません。
そんなとき「どうしてうまくいかないのだろう!」と怒りをあらわにして、周りに文句を言って、進化過程の弱者になるか、「どのように、この状況に対応していこうか」とゲーム感覚で環境の変化を楽しみ、適応できるようになるかは、まさにあなた次第です。
「部下が言うことを聞かない」という事態にしても、あなたに課せられた課題であります。そこで怒りを出すのではなく、「どうやってこの課題を乗り越えるのか」と考え、新たなチャレンジをするのは、人生における大きな楽しみの一つだと思います。
きっと多くの人が「今よりももっとお金を稼ぎたい」「もっと出世して、偉くなりたい」「もっと人から評価されたい」「もっと好かれたい」という思いを持っているでしょう。
そもそも、なぜ人はそんなふうに「もっと○○したい」と思うのか。たとえば、今現在、課長の人が「数年のうちに、私は部長になりたい」と思っているとしましょう。彼がそう思うのは「部長になれば、自分は満足だ」「達成感に満たされ、幸せになれる」と勝手に考えているからです。
しかし、それはとんでもない勘違いです。世の中というものはそういうものではありません。この世の中は常に不完全なので、部長になったところで本質的にこころが満たされることなどありません。それは社長になっても同じことです。
わかりやすく言えば、日本では総理大臣が一番偉いということになっていて、多くの政治家が、そのトップの座を目指して争い続けています。では、めでたく総理大臣になった人は「完璧な人生を手に入れた」と言えるでしょうか。
そんなことは絶対にありません。総理大臣といっても、不自由なことはいっぱいあります。「自分が一番偉いのだ」と周囲に吹聴したところで、言うことを聞かない人は大勢います。予算一つを決めるのも、あっちこっちから反対されます。完全は人生とは程遠い状況です。
あるいは、年収三百万円の人が、その翌年に四百万円になれば、それは嬉しいでしょう。これまで我慢していた買い物もできるかもしれません。しかし、これで「完璧な人生を手に入れた」と言えるでしょうか。
これはまた無理な話です。最初は「年収が四百万円になった!」と喜べるかもしれませんが、すぐに「今度は四百五十万円にしたい」「五百万円稼いでいる人がうらやましい」と思うようになります。そのくらい「もっともっと」という思いにはキリがないのです。
結局、「もっともっと」という欲望に縛られている人は「無知」なのです。ものの道理がわかっていないから、「もっともっと」という思いに縛られてしまうのです。
どんなにお金を稼いでも、立場や役職が上がっても、人から評価されようとも、完璧に満たされることなどありません。それが世の中の、動かしようのない法則なのです。
ところが、その法則を無視して「こんな状態になれば、自分は満足できるはずだ」「幸せになれるに違いない」と勝手な妄想をしているから、人は「もっともっと」と思うようになるのです。
まずは、どこまでいっても世の中は不完全であり、自分が完璧に満たされることなどない、という現実を理解すること。そして、その現実を受け入れること。そんなふうに冷静に、理性的に生きることが重要なのです。
自分を奮い立たせるために「来年は年収四百万円を目指そう」とか「部長になれるようがんばろう」と思うのは良いと思います。それが現実的な目標であるなら、自分自身の成長にも繋がっていくでしょう。しかし、年収四百万円の目標に達したからといって、完全に満足できる生き方に達したわけではないのです。四百万円に適した不平不満が現れてくるのです。
ただ漠然と「こうなりたい、ああなりたい」と思うのは、無知からくる単なる妄想です。それが達成できたところで、決してあなたは満足しません。そんな無益で無知な生き方からは早く抜け出して、理性的な生き方をぜひとも手に入れていただきたいと思います。
教祖・杉山辰子先生は、妙法の不思議な力を信じることの尊さを説かれました。妙法を信じて、信じて、信心するときに真理に目覚めると仰せです。私たちが日々無事に生かされているのも妙法の見えない力によるものです。
常住坐臥いついかなるときも妙法蓮華経の五文字を唱えれば、不慮の事故や災難から免れると仰せです。この教えを信じて唱えるときに功徳があるのです。私たちは、いつでもどこでも護られております。
『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践も大事なところです。三徳の中でも慈悲の功徳は絶大です。慈悲とは慈しみのことであり、慈しみのこころを育てることが、幸せに繋がってまいります。
具体的に言いますと「見返りを求めず 人さまに善いことをしてさしあげる その方が喜んでいる姿を見て 素直にこころの底から喜べるか」どうかです。喜べたら慈しみが一つ育ったということです。
私たちは、慈しみを育て人のためになることを実践し、それによって人格を高める努力が必要です。そして、自分の人生を〝すばらしき人生〞へと高めていきたいと思っております。
合 掌
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