PAGE
TOP

世界平和を
大樹
すばらしき人生160
 旧暦四月を卯月と呼び、新暦四月の別名としても用いております。卯月の由来は、卯の花が咲く月「卯の花月(うのはなづき)」を略したものというのが定説となっております。

 新入社員、新学期と新年度がスタートします。私たちにとって四月は自分を変えることができる最大のチャンスです。今までできなかったことや、いろんなものにチャレンジすることが大事です。

 現在の世界の状況は平和ではなくなりました。あちこちで戦争が始まり死者も多く出ております。戦争が生むものは利益ではなく、苦しみ、悲しみ、怒り、憎しみです。要するに煩悩しか生まないということです。

 そして、世界情勢が悪くなると安全資産の金が買われます。すると、金の価格は上昇します。中東での戦争となると原油の値が上がり、いろんなものの価格が上昇します。私たちは物価高に悩まされることとなります。特に年金生活の人は直撃します。私たちはとにかく早く戦争が終結することを祈るばかりです。

 先般、開催の春季彼岸先祖法要会にご参拝いただき誠にありがとうございました。今月開催の釈尊降誕祭(花まつり)には、甘茶を準備して接待させていただきます。どうか、多くの信者の皆さまのご参拝をお待ち申し上げます。

 私がサラリーマンのときでした。四国の責任者をしておりました。香川県のK医科大学付属病院担当のYさんは、国立K大学を卒業されました。とても頭が良く、一を聞いて十を知るそんなタイプの営業マンでした。

 彼は当施設を担当して五年ほどたちます。K医科大学の第一内科教授のI先生を中心に活動しておりました。I先生は糖尿病専門医で多くの患者さまを診ておられました。

 私が同行訪問でI先生に面会に伺ったときのことです。Yさんの先生に対する態度が気になりました。Yさんの大学とI先生のご出身大学では、Yさんのほうが偏差値は上でした。

 そういうことを意識しているのかどうかわかりませんが、まるで上から目線でI教授と会話を始めたのです。本来はあってはならない行為です。私の眼にはYさんがI先生に説法しているような態度に映りました。

 彼とI先生がとても仲が良いということを証明したいと思ったからでしょうか。しかし、営業と先生との一線は超えてはならないものがあります。それを勘違いしたらI先生はこころの底で、不満をもつことになるでしょう。

 Yさんの頭は抜群に良いのですが、営業の基本を理解しておりませんでした。よく「話し上手は聞き上手」ということが言われます。こちらが話すのではなく相手に話をさせることが重要なのです。

 会話中につい大事なことをポロっと言ってしまうかもしれません。だから相手に話をさせて重要なことを話させることが営業としてのスキル(能力)なのです。

 私は、このままYさんをK医科大学の担当者にしておくのは、とても危険と判断しました。そこで、K医科大学の担当を変えようと、決断して若手のTさんに代えることにしました。まだ入社して三年ということで、いろいろと指導するところは沢山ありました。

 まず、第一印象を良くすることです。素直で優しく笑顔で対応することです。それと正しい言葉を使うことと、相手の目を見て会話する習慣をつけることです。そして、傾聴力を磨くことです。先生が話す内容を素早く理解する。そして、先生が問題と思っている重要案件を素早くキャッチし解決へと導くことです。これは問題を提起し解決するとうハイレベルな営業戦術の一つです。

 先生のニーズ(要求)をいかに引き出すかということです。そのためには信頼関係を構築がとても重要です。信頼を築くには時間と労力が必要です。しかし、失うときは一瞬です。

 そして、良い性格でないと信頼は得られません。良い性格を築くためには、先生と同等ぐらいの知識を得ること。そして、糖尿病を学問としてとらえ、難しい症例のコントロールを提案できるように切磋琢磨しないといけません。本気でがんばれば報われるのは当然と思っております。

 さて、仏教的に考えますと同僚や後輩が自分より出世していくことを妬ましく思うこと。

 「なぜ、すぐにライバル関係になってしまうのか」と私は思います。「単純に友達になればいい」というのが私の意見です。

 仏教の言葉で言えば、「慈しみ」ということになるのですが、相手のことを思いやって、心配しあって、仲良くすれば、それが一番いいわけです。

 いろんな話をしたり、食事をしたり、ときには一緒に旅行へ行ったりする。そうやって相手のこと(ごく普通の)友人関係を築くことができれば、それで問題は解決します。

 そういう関係になれば、「誰が部長になる」「リーダーになる」「出世する」なんてことで、いちいち揉めたり、妬ましく思ったりしなくなります。普通の友達としてつき合っていれば、ごく自然な形で「おまえにはリーダーシップがあるから、お前がリーダーになったほうがいいよ」「君は、みんなから慕われているから部長に向いている」と思うようになります。

 ごく普通に、自然な形で「なるべき人がリーダーになる」という現実を受け入れられるはずです。あるいは、友だちのAさんが部長になったと聞けば、「良かったね。がんばれよ」「何かあったら、何でも協力するから、いつでも言ってくれよ」という気持ちに自然になるでしょう。

 それが一番なのに、人はついライバルをつくってしまいます。すると、「相手が自分より出世したら悔しい」「妬ましい」「相手が失敗することを期待する」「少しでも自分が上に行きたい」など愚かな感情に支配されてしまうのです。そんなギスギスした関係では、感情的にいつも嫌な気分になる。

 それで、あなたは本当に幸せなのでしょうか。人の役職、ポジションというのは「なるべき人がなる」という当たり前のことなのです。「あなたが課長になった」ということは、あなたに課長になるべき力があったわけで、「部長になれなかった」というなら、それだけの能力がなかったということです。

 そして、あなたより若い人が部長になったというなら、それだけの能力があったということです。そうやって、人はそれぞれ分相応の立場で、怠けることなく、精一杯やればよいのです。

 それを「あいつには負けたくない」「あいつが出世するのは許せない」という自我が張り出し、ライバル関係になるから、自然の法則からどんどん外れていってしまうのです。

 ライバル関係はやめて、友だちになることが大事です。そんなこと言うと、多くの人が、「相手によっては友達になれない人もいる」と反論するでしょうが、それこそが、自分に与えられた宿題ではないでしょうか。

 仏教が説く慈しみというのは、どんな相手にもその思いを持つことです。相手を憎んだり、妬んだりするのではなく、友人として受け入れ、心配してあげることです。それこそが自分に与えられた宿題であり、そうやって自分を成長させていくことが、実は一番大事なのです。

 部長や課長など、それぞれの役職には「なるべき人がなる」というのが自然の姿ですが、「組織の中では、そうでもないケース」があります。たとえば、「上司にゴマをするのがうまくて、ただそれだけで出世している人」「他人の手柄を横取りして、点数をかせいでいく人」「社内の根回しが巧みで、上に気に入られる人」など、そういう人たちもいます。その種の人たちが出世していくのは「なるべき人が役職につく」という話とは少し違うのではないか、と思われる方もおります。しかし、そういう相手に対しては二つの考え方を持っておくことが必要です。

 まず一つは、社内で根回しをして「自分の能力以上のポジション」についたところで、最終的にはうまくいかないということです。たしかに、一時的には「出世してよかった」「根回しが成功した」と本人は(もしかしたら、周りの人も)思うかもしれません。

 しかし、冷静に状況を観察してみてください。能力もないのに高いポジションについてしまえば、周囲からの信頼は得られず、自分の実力不足が露呈され、結局は辛い時間がやってくるのです。それが自然の法則というものなので、それに逆らって生きていくことなどできないのです。そこは冷静かつ客観的に理解しておくべきでしょう。

 そしてもう一つ、世の中には、いろんな悪いことをする人がいます。社内で根回しをして出世していくなんていうのは穏やかなほうで、コンビニ強盗をする人もいれば、麻薬に手を染める人もいます。そういう、いわゆる「悪いこと」をする人たちいちいち文句を言っても仕方がない、という考え方です。世の中には「悪い人」「ずるい人」は山ほどいますが、あなたはそんな文句を言って回るのでしょうか。

 そんな「世直し思考」になって、あなた自身が余計な損害を受ける必要はありません。そもそも、自然の法則として、自分の蒔いた種は自分で刈り取ることになります。

 コンビニ強盗にしても、麻薬に手を出すにしても、他人の手柄を横取りして出世していくにしても、最終的な報いは必ず自分に返ってきます。だから、そんな人たちに、あなたがわざわざかかわる必要などありません。

 人間はすぐに「正義」という罠にひっかかり「これが正しい」「そんな間違ったことをする人は許せない」という思考になりがちです。では、その「正義」というのは、いったい何でしょうか。誰がどのように決めたものでしょうか。

 実は、これも言葉だけであって、中身のないものなのです。よくアメリカは「正義」を振りかざし、世界のあっちこっちに戦争をしかけますが、あれが本当の正義でしょうか。正義なんて、そもそも中身がないものです。

 だから、あなた自身も「世直し思考」になって「正義」を振りかざし、余計な怒りを生まないことです。

 「正義」とは何なのかと理解しましょう。自分の自我・主観によって、世界はこうあるべきです、と決めつける価値観なのです。私の個人的な主観に合わせて、世界が活動してくれるわけではありません。一般的に言えば、正義とは世間の多数が認める価値観です。正義とは本来、すべての生命に幸福を与える価値観であるべきなのです。世界はその価値観を発見していないのでしょう。だから、世界にあるのは主観的な価値観であって、正義ではないのです。間違った正義感に足をとられて、不幸に陥る必要はありません。

 組織の中には「実力で出世していく人」もいれば、「社内政治が巧みで出世していく人」もいれば、「他人の手柄を横取りする人」もいます。しかし、自分に直接の被害が生じない限り、基本的に放っておけばよいのです。悪行為をする人々が、その悪果を受けるのです。そこに介入する必要はありません。だから、自分の周りにいる不正を働く人々に関わって、わざわざ自分が腹を立てるなんて、決して理性的な生き方ではないということなのであります。

 教祖・杉山辰子先生は、妙法の不思議な力を信じることの重要性を説かれました。妙法を信じて、信じて、信心するときに真理に目覚めると仰せです。妙法を深く、深く信じることが大事なのです。

 常住坐臥いついかなるときも、妙法蓮華経の五文字を唱えていれば、不慮の事故や災難から免れることができると仰せです。妙法を唱えていればいつでもどこでも護られるということです。

 『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践も大事なところです。教祖さまは、三徳の中でも慈悲の功徳は絶大と説かれました。慈悲とは慈しみのことで、いかにして慈しみを育てるかが重要となります。

 具体的に言うと「見返りを求めずに 人さまに善いことをして差し上げる その方が喜んでいる姿を見て 素直にこころの底から喜べるか」どうかです。喜べたら慈しみが一つ育ったということです。

 私たちも慈しみを育て人格を高め〝すばらしき人生〞への階段を昇りたいと思っております。


  合 掌

一覧に戻る
ACCESS
交通アクセス