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世界平和を
大樹
すばらしき人生161
 旧暦の五月を皐月と呼び、現在では新暦の五月の別名として用いております。「さつき」は、この月は田植えをする月であることから「早苗月(さなへつき)」と言っていたのが短くなったものであると言われております。

 新緑が際立ち、さわやかな気分になり、仕事がはかどる季節となります。ゴールデンウィークもあり八連休取られる方もおられます。ガソリン価格も流動的であり、遠出をされる方はどうなのか、円安で海外に出られる方はどうなのか、動向がつかめない状況です。

 私は、休日は十分な休息をとる場であり、命の洗濯をすることがとても大切と思っております。永い人生だから、物事を急がず、ゆっくりと自分の人生を見つめることも必要だと考えております。

 現在、物価高で生活が厳しい状況であります。特に年金世帯は物価が上昇しても、年金額は増えません。政府は、そういう世帯には即効性のある現金給付という手当を早急にしていただきたいと思っております。

 先般の釈尊降誕祭(花まつり)にはお参りをいただきありがとうございました。来月には教祖祭を開催します。一人でも多くの信者の皆さまがお参りされることをお待ち申し上げます。

 私がサラリーマンのときでした。私の最初の勤務地が静岡県でした。もともと静岡県は東部・中部・西部と三つに分かれております。私は一担当者として中部と東部を担当することになりました。東西に長い地形になっておりますので、県全体を一人ではカバーするのは不可能な状況でした。

 毎年夏休みには、恒例の小児糖尿病サマーキャンプが執り行われました。静岡市S総合病院副院長で糖尿病専門のI先生を筆頭にナース三名、カウンセラー、製薬会社数名、血糖測定器の会社数名でスタッフを組みお手伝いをさせていただきました。

 インスリン依存型(一型糖尿病)の患者さんで、主に小学生・中学生が中心でした。インスリンが全くでないので、一日の注射回数は主に四回打つ子供が標準でした。血糖測定は一日八回と多いですが、自身の現時点での血糖の状況やインスリンの量などの判断するために必要なのです。

 インスリン注射はお腹に注射しますので、さほど痛みは感じないのですが、血糖測定は指先から採血をしますのでとても痛いです。なれない子供は、その痛みに耐えきれずに泣き出す子供さんもおりました。

 私の会社では、子供たちにTシャツをプレゼントして、少しでもモチベーション(動機)が上がるようにしていました。

 I先生はインスリン非依存型糖尿病の患者さまを三千名ほど診ておられました。要するに二型糖尿病です。この病気には遺伝はもちろんですが、生活習慣病といわれ暴飲暴食、運動不足によって発症します。しかし、一度発症したら薬物療法は避けられません。先生は、そんな二型の糖尿病患者さまも、病院にて糖尿病教室を開かれ患者さまの教育をされておられました。

 信頼を築くには年月がかかります。しかし、崩すときは瞬間です。先生との信頼を維持するには、訪問日が月曜日と木曜日の週二回でお昼の三十分だけです。週に一時間しかありません。

 訪問日には、特別な理由がない限り必ず訪問する習慣を身につけることで、三十分間目いっぱい粘り会話をすること。要するに先生を独占することです。そして、先生との約束は絶対に守ることです。そういう地道な活動が土台なのです。

 もちろん、製品の良さを理解していただくことと、患者さまのメリットを訴求することが大事です。本来、良い製品でないと販売をしてはいけないのです。

 先ほどの糖尿病教室のお手伝いも一生懸命先生させていただき、先生との会話の時間を確保しようとがんばっておりました。

 また、学会・研究会・講演会にもほぼ随行させていただきビジネスチャンスを伺っておりました。

 それから仕事以外のプライベートで先生にアプローチすることも重要と考えておりました。先生は写真が趣味でした。その当時はいまと違ってフイルムを使用しておりました。先生が撮られたフイルムの焼き増しや研究会・講演会でご発表されるスライドの作成といろいろとお手伝いさせていただきました。

 私もカメラを購入しいろんなところへ先生とご一緒させていただきました。それで気づいたのですが、プライベートの時間のほうがより信頼関係を深く構築できると確信したのであります。

 さて、話は変わりますが、四十代になると、仕事でも、プライベートでも年下の人が増えてきます。グループの中で自分が一番年上というケースもめずらしくありません。そんな状況のときに、よくおこる病気が「人の話を聞けない」というものです。これは誰もがかかる可能性を秘めた病気です。

 自分が年長者や上司になると、たいていは周囲の人が自分の話を聞いてくれるし、人の意見を聞かなかったとしても、表だって注意する人はいなくなります。

 すると、人は調子に乗って「自分が一番偉い」「自分はなんでも知っている」「私が周りに教えてやろう」という気持ちばかりが強くなり、人の意見を聞けなくなってくるのです。「年よりは頑固」とよく言います。それもそのはずです。先輩が少なく、後輩ばかりの世界で生きているので、どんどん頑固になっていってしまうのです。

 当然ながら、仏教の世界でも年齢を重ねるうちに、先輩が減ってきて後輩が増えるという状況になってくるのですが、お釈迦さまはその状況を最初から見越して「歳を重ねて一人前になってくると、あなた方には大きな落とし穴が待っている」と警告しています。

 歳を重ね、一人前になってきたら、そのときこそ「極端に謙虚でいなさい」と、先手を打って教えているのです。

 そもそも人間というのは、どこまでいっても不完全な存在です。その大前提を正しく理解していれば、誰からだって学ぶことができます。四十代になり、職場でのキャリアが二十年以上になったとしても、新入社員から学ぶとこは必ずあります。

 仏教の世界に、ある有名なとても偉いお坊さんがいました。この世の中でトップの知恵者として知られておりました。あるとき、そのお坊さんの衣の後ろの部分が少しだけ地面に触れていたことがありました。衣を着る際には、地面に触れてはならないという戒律があるのですが、衣が滑り、ほんの少しだけ触れてしまっていたのです。

 それを見た子どもが「先生、衣が地面に触れていますよ」と言ったところ、お坊さんは、すぐに膝をつき、その子どもに向かって合掌して「ありがとうございます。よく教えてくれました」と丁寧に感謝の言葉を述べたのです。

 ほとんどの人が、恐縮して口もきけないような偉いお坊さんでありながら、そのような謙虚な態度がとれるということが、じつはとても大事であり、「どんな人からでも教わることがある」ということを示したエピソードです。

 そうやって考えてみると、「自分の部下の話が聞けない」「後輩から注意されると、怒り出す」「無視をする」なんていうのが、いかに愚かな行為かがわかります。

 人間はいつだって不完全です。人間に生まれたというのは「成長し続ける」という宿題が与えられているということです。言い換えれば、それは「学び続ける」ということです。

 「人の意見が聞けない」というのは学ぶ姿勢を忘れてしまっている証拠であり、学ぶ姿勢を忘れるというのは、人間として生きるために「もっとも大事な部分」を失っているのと同じです。

 歳を重ね、キャリアを積み、一人前になったときこそ、人間として極端に謙虚にならなければならない。そうでなければ、本当の意味で学び続けることはできないのです。

 「部下が何を考えているのか、わからない」「相手のことがよく理解できない」ということを、ときどき耳にします。同じような悩み、課題を抱えている人も多いと思います。そういう人たちに、私は逆に質問します。あなたは「他人のことを完璧に理解できる」と思っているのですか。もしそう思っているとしたら、「それはとんでもない勘違いをしております」と答えます。

 大前提として、他人のことを理解することなど不可能です。「相手のことがわからない」「理解できない」というのは当然の話なのです。相手どころか、自分自身のことだって、そうそう簡単に理解できるものではありません。

 そもそも人間の性格というのは、その都度変わっているものです。「私は正直な人間です」と言ったって、常に正直なわけではなくて、場面、場面に応じて変化しているはずです。同様に「あの人は誠実だ」「あの人はいじわるだ」なんて言ったところで、誠実なときもあれば、いじわるなときもある。というのが人間ではないでしょうか。

 それくらい人の性格というのは、そのときどきで変化するのです。「自分はこういう人間だ」「あの人はこういう人だ」なんて理解することなどできないのです。まずはその前提を理解しておくべきです。

 自分のことですら「理解できない」のが当たり前なのに、「他人を理解しよう」なんて、とんでもない話で、とても失礼な態度です。そもそも、なぜ他人を理解したいと思うのかと言えば、それは「相手を管理しよう」「支配しよう」という思いがあるからです。

 四十代というと組織の中でも上司になっている人も多いと思います。上司になると、つい「部下を管理しよう」という思考になります。「相手を理解して、自分の言う通りさせよう」という発想です。

 そういう思いがあるから、「部下のことがわからない」「理解できない」という悩みが生じてくるのです。しかし、それは大前提が間違っています。人を管理することなど、できるはずがないのです。

 元来、人は「誰かに管理されている」と思うと、とても嫌な気持ちになります。上司であるあなた自身だって「さらに上の立場の人に管理されて嬉しい」「社長の管理下あって楽しい」なんて思ったりはしないと思います。人間というのは、管理されることが嫌いなのです。

 よく「上司は部下のことを理解しなければいけない」とマネジメントの本にありますが、それはむしろ逆で、「上司は『部下を理解できない』ということを認識しなければいけない」というのが真実です。

 相手のことは理解できない。当然、管理なんてできるはずもない。その前提を理解することが大事であって、「理解しよう」「管理しよう」なんてとても失礼な話なのです。

 もしあなたの周りに「自分は部下のことを理解している」「相手のことがよくわかっている」という人がいたら、それは大いなる妄想を膨らませているだけです。

 相手に対して持つべきは「慈しみのこころ」だけです。部下のことを心配して、「何か困っていないかな」「気持ちよく仕事ができているかな」と気にかけてあげれば、それでよいのです。

 それ以上に「理解しよう」「管理しよう」なんて考えは、そもそも必要ないのです。人を理解しようとするのではなく、人のことを心配して慈しむように努力することが大事であ
るのです。

 教祖・杉山辰子先生は妙法を信じることの重要性を説かれました。妙法を深く信じて、信じて、信心するときに真理に目覚めると説かれました。

 常住坐臥いついかなるときも妙法蓮華経の五文字を唱えていれば、不慮の事故や災難から免れることができると仰せです。妙法を唱えて入れば、いつでもどこでも護られるということです。

 『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践もとても大事なところです。三德の中でも慈悲の功徳は絶大と説かれました。慈悲のこころとは慈しみのこころです。具体的に言いますと「見返りを求めず 人さまに善いことして差し上げる その方が喜んでいる姿を見て 素直にこころの底から喜べるかどうか」です。喜べたら慈しみが一つ育ったということです。

 私たちも、慈しみを育て、人格を高め、来世に向け努力精進することで〝すばらしき人生〞の扉を開けましょう。


  合 掌

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