世界平和を
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大樹
すばらしき人生165
旧暦で九月を長月と呼び、現在では新暦の九月の別名でも用いております。長月の由来は「夜長月(よながつき)」の略であるとする説が最も有力であります。
まだまだ暑い日が続きます。引き続き熱中症対策が必要です。こまめな水分や塩分補給とエアコンの使用は欠かせません。我慢せずに涼しい環境でお過ごしください。
地球温暖化により日本の環境が大きく変わりました。台風は巨大化しております。雨も昔とは違う降り方になってきております。線状降水帯とは同じ場所で連続的に大雨が降り被害も大きくなっております。一刻も早く脱炭素化プロジェクトを推進しないといけません。
みんなの生活はみんなで守るという気持ちを持って、人間一人ひとりが責任ある行動をとらなければいけません。地球が住みやすい環境になれるよう祈るばかりです。
先般、盆施餓鬼先祖大法要会には、多くの信者の皆さまにお参りをいただき、ありがとうございました。今月は秋季彼岸先祖法要会並びに萬霊供養塔慰霊祭を開催いたします。多くの信者さまのお参りをお待ち申し上げます。
私がサラリーマンのときでした。最初の赴任地は、静岡県東部・中部を担当させていただきました。東部エリアの富士市のF中央病院の小児科で成長ホルモンの患者さまが二例おられました。もともと、当病院の小児科には内分泌専門の先生はおられませんでした。以前、転勤された先生の患者さまと聞いております。
小児科部長のS先生と四名の先生で小児科グループができておりました。私は、もっと患者さまを増やすことにより小児科の立場を高めようと考えておりました。そこで、先生方に治療を促すよういろいろ勉強資料を提供させていただきました。
一例の薬価は年間三百万円で症例を増やせば、必ず病院に貢献できることを訴求させていただき、先生方に奮起していただくよう準備をしておりました。
すると、徐々に先生方の考え方も変わってきました。小児科で使用する薬剤は、薬価の低いものが多く、高い薬価の薬剤は成長ホルモン以外にありませんでした。
現在の二例の患者さまで年間六百万円です。症例を十倍にすれば年間六千万円の売り上げになります。仮に薬価差が二割あれば千二万円の利益になります。院内での立場を強くするためにも、患者さまを増やすことが一番良い方法なのです。
そして、治療には検査が必要です。私は四種類ある検査の中から確実に治療に結び付く検査を提案し実施していただきました。すると半年間で患者さまが八例まで増えました。先生方より感謝され、背の伸びた患者さまや親御さまからも感謝されやりがいを感じました。
その後、部長のS先生がご開業されることになりました。先生はクリニックに成長ホルモンの患者さまを一例連れていかれました。せっかく開業したわけですから、積極的に成長ホルモンの治療をしようと考えられたのでしょう。医療機関は診療報酬で利益を上げているのですが、薬価差も利益に直結するので使用価値はあります。もともと成長ホルモン治療はすべて公費で賄われるため、患者さまの負担はゼロです。これは、小児慢性特定疾患で二十歳まで適応されます。
成長ホルモン治療は、年に一度、成長科学協会に申請をする方法をとっております。年間の身長の伸び率に下限を設けているのです。ですから、それ以上伸びないと治療は継続されません。
今年も申請の時期がやって参りました。先生は、成長ホルモン治療継続申請をされました。しかし、その申請が継続不可で戻ってきてしまったのです。早速、先生から電話があり一度来て欲しいとの依頼でした。
先生に面会し、申請内容を確認したところ、重大なミスを発見しました。先生は、患者さまの骨年齢(手の手根骨の年齢)を記入するところ暦年齢(年齢)を書いてしまったのです。
私は、先生にこう説明しました。患者さまが継続使用をしたいと希望されるなら、もう一度、成長科学協会に再申請してみてください。内容は、本来、骨年齢を記入すべきところを、間違って暦年齢を書いてしまったので再申請をしますと、一筆書いて申請してくださいと告げました。
後日、協会より回答があり、治療継続をすることが可能となりました。先生はもちろん、患者さまや、ご家族の方から感謝されました。私は、個人的には成長ホルモン治療はとても夢のある治療法だと思います。医療に貢献できたことを本当に誇りに思っております。
さて、仏教の立場で考えますと、親の仕事は「子どもを卒業させてあげること」なのです。それは間違いありませんが、それはすべてを放任して、関係を切り離すということではありません。
思春期というのはまだまだ未熟で、いろんな問題、トラブルに遭遇します。親の助けが必要なときもあります。そのときに、大事なのは二つだと私は考えております。それは「大人同士として向き合うこと」と「応援すること」です。
たとえば、思春期の子どもが何か悪いことをしたとします。そのときに、上の立場から「なぜ、そんなことをしたんだ!」と叱ったり、「昔は良い子だったのに」なんて言うのはよくありません。
こども自身だって悪いことをしたのはわかっています。それでいて、親の言うことは素直に聞きたくない年頃なのです。
そんなときに、親として大事なのは「まあ、親の言うことなんてききたくないだろうな」「あまり気にしないで、これからがんばれ」という感じで、相手を思って、応援してあげることです。
特に思春期というのは、親の管理や干渉を嫌う一方で、誰かから応援されないことには、なかなか生きていけないものです。親は、そこをぜひとも理解してあげてください。
結局、親は「幸せになって欲しい」という気持ちがあれば、それで十分なのだと私は考えます。受験では「合格して欲しい」と願い、運動部で試合があれば「活躍して欲しい」「ケガなく、がんばって欲しい」と思う。
そうやって、相手を思いやり、心配するこころがあれば、それでいいのです。大事なのは慈しみです。
よく「愛情が大事」と言いますが、愛情というのは情けですから、むしろ危険なものです。相手を思いやり、心配するという慈しみのこころがあれば、それでいいと私は思っています。
そして、親は親で、決して完璧である必要はありません。そもそも、完璧になんてなれないのです。以前にもありましたが、上司と部下の関係のところで「仮面をとって、本物の自分で向き合うことが大事」という話をしましたが、それは親でも同じことです。
「親だからがんばらなくちゃいけない」「親だから弱音をはいちゃいけない」なんて思う必要はまったくありません。ときに「親」という仮面を外していいのです。子どもにとって親というのは、生れたときから「親」なので、ある種の期待が大きくなりすぎるものです。しかし、親だって、ただの普通の人間です。
親が自分の仮面をとって「本物の自分」として弱音を吐いたり、素直な態度をとれれば、それは子どもだってわかってくれます。子どもは子どもなりに考え、親切になっていくものです。
だから、親自身が「自分がかぶっている『親』という仮面」に騙されることなく普通の人間として子供と向き合うことも大事なのです。
まして、子どもが思春期になったのなら、相手を大人として見なして、一人の人間同士として、仮面を外したコミュニケーションも必要になります。結局は、人として、当たり前の付き合い方をすればいいのです。
四十代くらいになると、自分のことばかりを考えるのではなくて、社会に貢献することも考えなければいけないのです。そんな話をときどき耳にします。確かに大事なこころがけですが、私に言わせれば「四十代でそんなことを思い始めるなんて、ずいぶん遅いですね」というところです。
社会に貢献することは、人間に生まれたら、最初から背負っている義務です。子どもには子供の社会貢献があり、四十代には四十代の社会貢献があるだけで、別に一定の年齢になったから「さあ、始めよう」というものではありません。
たとえば、子どもは元気に「こんにちは」と言います。そうやって元気な声を出したり、笑顔を向けることによって、周りの人を明るくします。それは彼らの社会貢献です。
私は、ときどき、託児所の子どもたちを外に遊びに連れていく様子を見ることがあります。子どもたちはすごくうるさいですが、同時にすごくかわいいのです。保育士さんたちが大きな台車みたいな乗り物に子供を乗せてやったり、抱っこしてやったりして大変です。暴れる子ども、泣く子ども、抱っこをせがむ子ども、行きたくないと座り込む子ども、号泣する子供もいるのです。それでも保育士さんたち、必死で頑張っています。社会貢献しています。そこで私は座り込む子どもたちにも、号泣する子どもたちにも、手を振ります。子どもたちは何のこともなく、手を振り返してくれます。その瞬間で、泣いていたことも忘れるのです。私は楽しくなります。子どもたちは、ちゃんと社会貢献しているのです。
保育士さんたちが子どものたちを世話するのは一つの社会貢献ですが、子どもたちが笑顔で手を振って、周りを楽しくさせてくれるのも、これも立派な社会貢献なのです。
じつは社会貢献というのはそういうもので、それほど大げさなものではないのです。人は誰でも、日々呼吸をするように、社会貢献をすればいいのです。
近年は「社会のために働きたい」「世のため、人のためになりたい」とやや社会貢献が大仰なものになってしまっていますが、本来はそんなものではありません。みんなが日々、呼吸をするように当たり前に社会に貢献する。それが自然な姿なのです。
ある大学生に質問します。大学生が勉強をするというのは、いったい誰のためなのでしょうか。多くの人が「自分のため」と答えるでしょうが、それだけではありません。学生がしっかり勉強して、一人前の大人になるのは、非常に大事な社会貢献なのです。
多くの学生がろくに勉強もしないで、サボってばかりいるのは、それが「自分のため」という狭い視野しかもっていないからです。しかし、彼らは自分のために勉強しているのではなく、「社会のため」に勉強しているのですから、もっと必死でやらなければいけないのです。サボるなんて、そもそも許されないのです。もちろん、それは学生に限らず、社会人でも同じです。
自分に与えられた仕事を一生懸命やるというのは、十分な社会貢献です。しかし、逆に言えば、日々の仕事で手を抜くとか、サボるというのは、社会に対する害悪を実行しているようなものです。
子供たちは元気で、笑顔を振りまくことが大事な社会貢献です。学生はコツコツと勉強して、一人前になって社会に出ていくことが社会貢献です。そして、社会人になったら、日々の仕事をサボることなく、懸命にやること自体が社会貢献です。
だから、誰しもが社会貢献をするというのは、実に当たり前のことなのです。大きな災害を受けた地域でボランティア活動をすることだけが社会貢献ではありません。そして、「四十代になったから、社会のために働こう」という、変に大げさなものでもありません。社会貢献とは、もっと日常的で、あなたの生活の中にあるものなのです。
教祖・杉山辰子先生はとても重要な法理を説かれました。この妙法を信じる力の強さによって功徳が変わってくると説かれました。そして、妙法を深く信じて、信じて、信心するときに真理に目覚めると仰せです。
常住坐臥いついかなるときも妙法蓮華経の五文字を唱えていれば、不慮の事故や災難から免れることができると仰せです。妙法を唱えていればいつでもどこでも護られるということです。
『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践も大事なところです。三徳の中でも慈悲の功徳は絶大です。慈悲とは慈しみのこころです。具体的に申しますと「見返りを求めず 人さまに善いことをして差し上げる その方が喜んでいる姿を見て 素直にこころの底から喜べる」かどうかです。喜べたら慈しみが一つ育ったということです。
私たちも慈しみを育てること、一生懸命に精進することで〝すばらしき人生〞へと高めてまいりたいと思います。
合 掌
まだまだ暑い日が続きます。引き続き熱中症対策が必要です。こまめな水分や塩分補給とエアコンの使用は欠かせません。我慢せずに涼しい環境でお過ごしください。
地球温暖化により日本の環境が大きく変わりました。台風は巨大化しております。雨も昔とは違う降り方になってきております。線状降水帯とは同じ場所で連続的に大雨が降り被害も大きくなっております。一刻も早く脱炭素化プロジェクトを推進しないといけません。
みんなの生活はみんなで守るという気持ちを持って、人間一人ひとりが責任ある行動をとらなければいけません。地球が住みやすい環境になれるよう祈るばかりです。
先般、盆施餓鬼先祖大法要会には、多くの信者の皆さまにお参りをいただき、ありがとうございました。今月は秋季彼岸先祖法要会並びに萬霊供養塔慰霊祭を開催いたします。多くの信者さまのお参りをお待ち申し上げます。
私がサラリーマンのときでした。最初の赴任地は、静岡県東部・中部を担当させていただきました。東部エリアの富士市のF中央病院の小児科で成長ホルモンの患者さまが二例おられました。もともと、当病院の小児科には内分泌専門の先生はおられませんでした。以前、転勤された先生の患者さまと聞いております。
小児科部長のS先生と四名の先生で小児科グループができておりました。私は、もっと患者さまを増やすことにより小児科の立場を高めようと考えておりました。そこで、先生方に治療を促すよういろいろ勉強資料を提供させていただきました。
一例の薬価は年間三百万円で症例を増やせば、必ず病院に貢献できることを訴求させていただき、先生方に奮起していただくよう準備をしておりました。
すると、徐々に先生方の考え方も変わってきました。小児科で使用する薬剤は、薬価の低いものが多く、高い薬価の薬剤は成長ホルモン以外にありませんでした。
現在の二例の患者さまで年間六百万円です。症例を十倍にすれば年間六千万円の売り上げになります。仮に薬価差が二割あれば千二万円の利益になります。院内での立場を強くするためにも、患者さまを増やすことが一番良い方法なのです。
そして、治療には検査が必要です。私は四種類ある検査の中から確実に治療に結び付く検査を提案し実施していただきました。すると半年間で患者さまが八例まで増えました。先生方より感謝され、背の伸びた患者さまや親御さまからも感謝されやりがいを感じました。
その後、部長のS先生がご開業されることになりました。先生はクリニックに成長ホルモンの患者さまを一例連れていかれました。せっかく開業したわけですから、積極的に成長ホルモンの治療をしようと考えられたのでしょう。医療機関は診療報酬で利益を上げているのですが、薬価差も利益に直結するので使用価値はあります。もともと成長ホルモン治療はすべて公費で賄われるため、患者さまの負担はゼロです。これは、小児慢性特定疾患で二十歳まで適応されます。
成長ホルモン治療は、年に一度、成長科学協会に申請をする方法をとっております。年間の身長の伸び率に下限を設けているのです。ですから、それ以上伸びないと治療は継続されません。
今年も申請の時期がやって参りました。先生は、成長ホルモン治療継続申請をされました。しかし、その申請が継続不可で戻ってきてしまったのです。早速、先生から電話があり一度来て欲しいとの依頼でした。
先生に面会し、申請内容を確認したところ、重大なミスを発見しました。先生は、患者さまの骨年齢(手の手根骨の年齢)を記入するところ暦年齢(年齢)を書いてしまったのです。
私は、先生にこう説明しました。患者さまが継続使用をしたいと希望されるなら、もう一度、成長科学協会に再申請してみてください。内容は、本来、骨年齢を記入すべきところを、間違って暦年齢を書いてしまったので再申請をしますと、一筆書いて申請してくださいと告げました。
後日、協会より回答があり、治療継続をすることが可能となりました。先生はもちろん、患者さまや、ご家族の方から感謝されました。私は、個人的には成長ホルモン治療はとても夢のある治療法だと思います。医療に貢献できたことを本当に誇りに思っております。
さて、仏教の立場で考えますと、親の仕事は「子どもを卒業させてあげること」なのです。それは間違いありませんが、それはすべてを放任して、関係を切り離すということではありません。
思春期というのはまだまだ未熟で、いろんな問題、トラブルに遭遇します。親の助けが必要なときもあります。そのときに、大事なのは二つだと私は考えております。それは「大人同士として向き合うこと」と「応援すること」です。
たとえば、思春期の子どもが何か悪いことをしたとします。そのときに、上の立場から「なぜ、そんなことをしたんだ!」と叱ったり、「昔は良い子だったのに」なんて言うのはよくありません。
こども自身だって悪いことをしたのはわかっています。それでいて、親の言うことは素直に聞きたくない年頃なのです。
そんなときに、親として大事なのは「まあ、親の言うことなんてききたくないだろうな」「あまり気にしないで、これからがんばれ」という感じで、相手を思って、応援してあげることです。
特に思春期というのは、親の管理や干渉を嫌う一方で、誰かから応援されないことには、なかなか生きていけないものです。親は、そこをぜひとも理解してあげてください。
結局、親は「幸せになって欲しい」という気持ちがあれば、それで十分なのだと私は考えます。受験では「合格して欲しい」と願い、運動部で試合があれば「活躍して欲しい」「ケガなく、がんばって欲しい」と思う。
そうやって、相手を思いやり、心配するこころがあれば、それでいいのです。大事なのは慈しみです。
よく「愛情が大事」と言いますが、愛情というのは情けですから、むしろ危険なものです。相手を思いやり、心配するという慈しみのこころがあれば、それでいいと私は思っています。
そして、親は親で、決して完璧である必要はありません。そもそも、完璧になんてなれないのです。以前にもありましたが、上司と部下の関係のところで「仮面をとって、本物の自分で向き合うことが大事」という話をしましたが、それは親でも同じことです。
「親だからがんばらなくちゃいけない」「親だから弱音をはいちゃいけない」なんて思う必要はまったくありません。ときに「親」という仮面を外していいのです。子どもにとって親というのは、生れたときから「親」なので、ある種の期待が大きくなりすぎるものです。しかし、親だって、ただの普通の人間です。
親が自分の仮面をとって「本物の自分」として弱音を吐いたり、素直な態度をとれれば、それは子どもだってわかってくれます。子どもは子どもなりに考え、親切になっていくものです。
だから、親自身が「自分がかぶっている『親』という仮面」に騙されることなく普通の人間として子供と向き合うことも大事なのです。
まして、子どもが思春期になったのなら、相手を大人として見なして、一人の人間同士として、仮面を外したコミュニケーションも必要になります。結局は、人として、当たり前の付き合い方をすればいいのです。
四十代くらいになると、自分のことばかりを考えるのではなくて、社会に貢献することも考えなければいけないのです。そんな話をときどき耳にします。確かに大事なこころがけですが、私に言わせれば「四十代でそんなことを思い始めるなんて、ずいぶん遅いですね」というところです。
社会に貢献することは、人間に生まれたら、最初から背負っている義務です。子どもには子供の社会貢献があり、四十代には四十代の社会貢献があるだけで、別に一定の年齢になったから「さあ、始めよう」というものではありません。
たとえば、子どもは元気に「こんにちは」と言います。そうやって元気な声を出したり、笑顔を向けることによって、周りの人を明るくします。それは彼らの社会貢献です。
私は、ときどき、託児所の子どもたちを外に遊びに連れていく様子を見ることがあります。子どもたちはすごくうるさいですが、同時にすごくかわいいのです。保育士さんたちが大きな台車みたいな乗り物に子供を乗せてやったり、抱っこしてやったりして大変です。暴れる子ども、泣く子ども、抱っこをせがむ子ども、行きたくないと座り込む子ども、号泣する子供もいるのです。それでも保育士さんたち、必死で頑張っています。社会貢献しています。そこで私は座り込む子どもたちにも、号泣する子どもたちにも、手を振ります。子どもたちは何のこともなく、手を振り返してくれます。その瞬間で、泣いていたことも忘れるのです。私は楽しくなります。子どもたちは、ちゃんと社会貢献しているのです。
保育士さんたちが子どものたちを世話するのは一つの社会貢献ですが、子どもたちが笑顔で手を振って、周りを楽しくさせてくれるのも、これも立派な社会貢献なのです。
じつは社会貢献というのはそういうもので、それほど大げさなものではないのです。人は誰でも、日々呼吸をするように、社会貢献をすればいいのです。
近年は「社会のために働きたい」「世のため、人のためになりたい」とやや社会貢献が大仰なものになってしまっていますが、本来はそんなものではありません。みんなが日々、呼吸をするように当たり前に社会に貢献する。それが自然な姿なのです。
ある大学生に質問します。大学生が勉強をするというのは、いったい誰のためなのでしょうか。多くの人が「自分のため」と答えるでしょうが、それだけではありません。学生がしっかり勉強して、一人前の大人になるのは、非常に大事な社会貢献なのです。
多くの学生がろくに勉強もしないで、サボってばかりいるのは、それが「自分のため」という狭い視野しかもっていないからです。しかし、彼らは自分のために勉強しているのではなく、「社会のため」に勉強しているのですから、もっと必死でやらなければいけないのです。サボるなんて、そもそも許されないのです。もちろん、それは学生に限らず、社会人でも同じです。
自分に与えられた仕事を一生懸命やるというのは、十分な社会貢献です。しかし、逆に言えば、日々の仕事で手を抜くとか、サボるというのは、社会に対する害悪を実行しているようなものです。
子供たちは元気で、笑顔を振りまくことが大事な社会貢献です。学生はコツコツと勉強して、一人前になって社会に出ていくことが社会貢献です。そして、社会人になったら、日々の仕事をサボることなく、懸命にやること自体が社会貢献です。
だから、誰しもが社会貢献をするというのは、実に当たり前のことなのです。大きな災害を受けた地域でボランティア活動をすることだけが社会貢献ではありません。そして、「四十代になったから、社会のために働こう」という、変に大げさなものでもありません。社会貢献とは、もっと日常的で、あなたの生活の中にあるものなのです。
教祖・杉山辰子先生はとても重要な法理を説かれました。この妙法を信じる力の強さによって功徳が変わってくると説かれました。そして、妙法を深く信じて、信じて、信心するときに真理に目覚めると仰せです。
常住坐臥いついかなるときも妙法蓮華経の五文字を唱えていれば、不慮の事故や災難から免れることができると仰せです。妙法を唱えていればいつでもどこでも護られるということです。
『慈悲』『誠』『堪忍』の三徳の実践も大事なところです。三徳の中でも慈悲の功徳は絶大です。慈悲とは慈しみのこころです。具体的に申しますと「見返りを求めず 人さまに善いことをして差し上げる その方が喜んでいる姿を見て 素直にこころの底から喜べる」かどうかです。喜べたら慈しみが一つ育ったということです。
私たちも慈しみを育てること、一生懸命に精進することで〝すばらしき人生〞へと高めてまいりたいと思います。
合 掌
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