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世界平和を
大樹
すばらしき人生1

新年あけましておめでとうございます。新春号より大樹に執筆をさせていただきます。

どうぞ宜しくお願い申し上げます。


 宗教とは、宇宙自然の根本原理を説いたものである。したがいまして、時代の変遷によって、国柄によって変わることのない教え、永久不変の教えのことをいいます。すなわち、いつの時代でも、いずれの国でも、いずれの民族にも、また、いかなる動物植物にも共通する道理の教え、それが宗教であります。

 教祖・杉山辰子先生はお釈迦様の説かれた、「因果の二法」が、この世の根本原理であると説かれました。そこで、法華経の哲理一念三千の真理が、三徳「慈悲」「誠」「堪忍」の実践、すなわち積徳にあることをお掴みになり、広く布教をされました。また、教えの下、数多くのボランティア活動をされ、とても素晴らしい人格者であり人徳者であったと、深く感銘を致しました。

 さて、法華経の経本には、お題目「南無妙法蓮華経」とあります。南無=「命がけで信仰します」、妙=「真理・真実・正しい」、法=「お釈迦様の教え」、蓮華=「白色の蓮華の花、すなわち、白は真実・正義でお釈迦様の真実の教えである法華経」、経=「お釈迦様の教えが記されている書物」とあります。すなわち「わたくしは、法華経の教えに帰依します」という意味になります。毎日ご仏壇に向かい心を込めて「南無妙法蓮華経」と唱えていただきたいと思います。皆さまが、一心になり妙法を唱えていただく、その御心が一番大切と思っております。


 改めまして、私を知っていただくために自身のルーツをご紹介させていただきます。

 1955年(昭和30年)愛知県西尾市の生まれです。西尾市でも無類の僻地、福地の出身であります。周りは田んぼや畑ばかりで同級生の多くの家業は農業でした。

 大自然の中で育ったといえば良く聞こえますが、ド田舎といったほうが遠くないと思います。何せ、保育園、小学校、中学校に行くのに、家から片道4キロ弱を、毎日毎日、徒歩で通学をしておりました。11年間と長い間、よく歩き足腰を鍛えていただき感謝しております。基礎体力が出来たのもそのお蔭と思っておるところでございます。

 私のモットーは、よく遊び、よく遊び、よく学びと勉強のほうが一つ少ないのですが、とにかく、よく遊んで、のびのびとした生活をしたものだと我ながら感心しております。

 小学生の時には、毎日、外で元気に遊んでいました。戦後十数年、当時の日本は敗戦国でもあり、アメリカ国の影響力が強く、いつもアメリカが勝つというシナリオの戦争ドラマ「コンバット」をよく見ておりました。近所の子供とコンバットごっこもよくしたものです。また、私が、おもちゃ屋さんの前を通ると、いつも駄々をこね、親を困らせたものです。私は、プラモデルが大好きでした。とにかく模型を作るのが大好き少年で、飛行機や自動車はもとより戦車、軍艦、ロボットなどにはとても興味がありました。特に模型を動かすモーターに強い関心があり、分解して中身を見たりして遊んでおりました。

 また、少年たちと神社の境内で草野球もよくやりました。神様にとっては、いい迷惑であったと、いまでは反省をしております。

 そして、中学時代は柔道部に入部し、心身共に鍛えさえていただきました。とにかく部長先生が怖く、とても厳しい人でした。一言でいうと「厳格」な人物でした。柔道の技のみならず、礼儀作法、考え方、精神面での修行をさせていただきました。中学時代の良き思い出となっております。

 高校、大学は名古屋でした。大学時代は専ら”ともだち”についてまじめに考えるようになりました。変な趣味ですが、人間を観察することが面白いと思うようになりました。自分の人生において、親友を沢山つくることを目標とし、友達とはどうあるべきか? 親友と友達はどこで区別するのか? と常に考えておりました。「親友とは」どこまで価値観を共有できるか? どこまで信頼していいのか? どこまで我慢を聞けるのか? 聞いてもらえるのか?・・・といろいろ考えておりました。しかし、最終的にはどちらでも良いという考えに辿り着きました。まあ、とにかく友達は多いに越したことはないという結論でありました。

 そして、社会人になったら、環境が全く違う訳であります。私が就職をする時に、法公先生より、たった一言だけ「会社というのは1+1は2じゃない」と言われました。その言葉自体、私自身よく理解していたつもりでしたが、今から思えば、「法公会の仕事は、しかるべき時にやってくるぞ・・・」といっていたのかも知れません。

 社会人となり、あたり前ですが、お金を稼ぐということは、とても大変なことであると、しみじみ実感した訳であります。常に「勝つか負けるか」「取るか取られるか」「敵か味方か」「押すべきか引くべきか」「発言すべきか黙るべきか」「相手を立てるべきか見下すべきか」と現実は容赦なく降りかかってくる訳であります。諺で「男は敷居を跨げば七人の敵あり」と云います。よくあることですが、仕事ができない人間ほど、人の足を引っ張るものです。人を陥れて自分の存在価値を引き出すタイプの人間です。とても悲しいことです。そのような人間にならないよう注意したいものです。また、仕事は常に決断という岐路に立たされるものです。どう決めたらよいのか? どちらを選ぶのか? 今やるべきか? 今やらざるべきか? 必ず二つに一つを選択しなければ前には進まないものです。

 ”仕事における成功者”になるためには、仕事は普通にできるという条件下で、実行するべきことは、常に己に目標を立て、目標に向かい日々努力精進し、反省すべき点は改善し、決めたことを必ずやり遂げれば、成功者になれると私は思っております。そして、人間みな平等に”成功をする”というチャンスは必ず巡ってきます。但し、そのチャンスを如何に掴むか、そのタイミングが勝負の分かれ目となります。先ず、チャンスを見極める視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚という五覚のアンテナを磨き、常に張り巡らさないと、チャンスをチャンスとして捉えることはできません。且つ、人間的な側面でも、人格者であり人徳者であること、すなわち、周囲の人から尊敬され、愛される人になるということです。そうでないと人は集まりません。そして、在りのままの自分を出し、多くの方々とのコミュニケーションを通じ、信頼を得、情報を得、発信力を得た人、すなわち真のリーダーシップを持った人は必ず”仕事における成功者”になれると私は信じて疑いません。

 しかし、”人生の成功者”というのは、そう簡単にはなれません。お金や地位や名誉だけではないと思うのであります。一番重要なのは、自分の経験や知恵を如何に”法華経の教え”に照らし、理解し、納得し、信念を持って実践することができるかということだと思っております。

 皆様がご自身の人生において成功者になれることを、心より祈念致しております。


 さて、私たちが、現在、信仰している法華経は、お釈迦様のお説きになられた「因果の二法」が森羅万象、この自然界の根本原理である、誠に尊いお悟りを説かれました。まさに、これ以上の御教えはなく、善因善果、悪因悪果であり、「蒔かぬ種は生えぬ」と申しますように、日々、善い行いをしてゆかなければ良いことは帰ってこないということです。しかし、私たちは人間ですから、過ちはあるものです。もし、過ちを犯したら、御教えに照らし、反省し、同じ過ちを繰り返さないように、凛として自らを律し、御教えに則した行動をとれば良いと思うのであります。

 法華経では、三つの根本原理を説いており、それを三法印と申しております。その一つに「諸法無我」があります。つまり、この世のすべてが、二つ以上の物からできている。単独で存在するものは何も無いのであります。すなわち、相依相関(もちつもたれつ)し、組み合わされて成り立っている。人間はもちろん、動物も植物も、その他の何物も、もちつもたれつでなければ生きられない。水さえ二つ以上の元素からできている。

 したがいまして、私たちは、お互いの存在を認め、尊重し、理解しなければなりません。お互いが相依相関でなければ、”幸福”という現実は生まれないのではないでしょうか。


合 掌

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