九月を 旧暦 で 長月 と申します。由来は夜が長いということからきていると言われております。まだまだ 残暑 厳 しい日が続きますが、 熱中症 にならないよう十分な水分の 補給 をして頂きたいと思います。
東京オリンピックもメダルラッシュで多くの 感動 を頂きましたが、その 影響 かどうかわかりませんが、コロナ 感染 拡大 のことを考えると、正直、 開催 は正しかったのか、 間違 っていたのか 判断 できません。しかし、 確実 に現時点では感染拡大をしております。
コロナウイルスとの 戦 いは、 収 まるところを見せません。一度感染した 患者 さんが 再 感 染 をするということもあります。また、ワクチンを二回打っても 抗体価 が下がるケースもあり半年後に三回目の 接種 (ブースター)をするという国も出てきました。政府の正しい判断が示されなければ、この先不安は 募 るばかりです。国民一人ひとりが 納得 できる 対策 をとって頂きたいと思っております。
終息 という明るい未来は、まだまだほど遠いようです。私たちはコロナウイルスを 完全 消滅 することができるでしょうか。人間の 英知 を 絞 り世界が一つとなり、同じ 目標 に立ち向かっていけば必ず 道 は 開 けると 信 じております。
先般の盆施餓鬼先祖大法要会はコロナ感染防止ということで読経のみの開催とさせて頂きました。 三密 ( 密閉 ・ 密集 ・ 密接 )を 避 けるということは、多くの信者さまのお参りは「密集」にあたります。誠に申し訳ございませんでした。
今月開催の秋季彼岸先祖法要会も参拝・法話を中止させて頂きます。同様に読経のみの開催とさせて頂きます。宣教師全員で 誠心 誠意 、信者さまのご先祖さまのご供養をさせて頂きたいと思います。どうか宜しくお願いします。
私がサラリーマンの時でした。四国の責任者をしておりました。国立大学病院が四つありました。 四国 四県 の 面積 は 岩手県 とほぼ同じです。 田舎 ということもありアクセス( 交通 の 便 )が非常に悪い 地域 でした。従いまして、 点 で仕事をするのではなく、 面 で行わないと 効率 が上がらないのです。
いろんな 選択肢 を 視野 に入れ、国立四大学病院を中心に 組織 攻略 をすることが 最優先 課題 となりました。そこで、各大学の 系列 ごとに 研究会 ・ 講演会 を立ち上げることを 最重点 に考え 実行 しました。
大きくは、 帝大 のK大学とO大学と 概 ね二大学の 医局 を中心とした 組織 編成 を行い、研究会・講演会の 座長 をして頂く先生にアプローチをして 実施 に 至 ったということです。
また、 糖尿病 領域 と 成長 ホルモンなどの 内分泌 領域 と二つの領域のご専門の先生をメインに十ヵ所強の研究会を立ち上げました。 収容 規模 は百名前後参加されるため、地元のホテルの会場を借り 実施 していきました。
勿論 、私一人では 到底 できないため、四人の課長に責任をもって実施するようにとの指示を出し実施にこぎ 着 けたのです。
大学病院は 地域 の病院との 連携 があり、その連携の場を研究会・講演会で提供することのメリットや先生を集めて一度に 自社 製品 の 宣伝 ができるというメリットもあります。研究会・講演会終了後には、 日頃 診療 で忙しい先生方と 懇親会 を 開 催 し 立食 で行うため更に 情報 交換 の場も 提供 できます。まさに 一石 二鳥 ということです。
研究会 ・ 講演会 をすることで、営業部員が病院へ 訪問 したときの 話題 や 情報 提供 がスムーズにできるようになります。 人間 関係 構築 には、 組織 を 活用 することです。講演会の 座長 を大学病院の 教授 ・ 准 教授 の先生方にやって頂くことで、 自社 製品 がトップダウンにより 浸透 するのです。
結論 すれば、 田舎 だけではなく 組織 攻略 という 観点 からすれば、 点 よりも 面 で行うほうが売り上げを伸ばすのは 確実 なのであります。
現代 は 情報 社会 です。世の中にはありとあらゆる情報が 錯綜 しております。お釈迦さまは、「どんなことも 鵜呑 みにするのは良くない。正しいかそうでないかは自分で 判断 しなさい。そのために 理性 を 磨 きなさい」と言われました。情報の 精度 をきちんとかぎ分けられるようにするのは、自分を磨くことなのです。
偉 そうな 肩 書 きのついた、その 道 の 権威 の人が言うから正しいわけでもありません。 大 勢 の人が言っているから正しいわけでもない。誰が言っても 間違 いは間違いです。
何をもって 信頼 してよいのかは、まず、「 理性 で 判断 している人か」「言ったことを、自分で 実践 している 言行 一致 の人か」なのです。もうひとつ 情報 を 見極 めるために大事なことが、「 損 か 得 か」で考えるのではなく「必要かそうでないか」で判断することです。
人間は自分が損をするのは 嫌 なのです。他の人だけが得をするのも嫌なのです。だから、損をしないように、いろいろな情報を集めます。しかし、情報の中には 無駄 なものも多くあります。「この情報は、自分が生きていくために必要なものかどうか」考えないといけません。必要のないものを 溜 め 込 んでもゴミが増えるだけです。本当に必要かどうか考える必要があるのです。
知識 や 情報 というのは、社会の 変化 に 伴 ってどんどん変わってまいります。 科学 や 医学 の 進歩 で、いろいろ新たにわかってきたことがあります。以前、私たちが信じていたことが科学的に何の 根拠 もなかったということもあります。いま「これがいい」と信じていることも、 将来 には 間違 いであったという 可能性 もあります。
知識や情報というのは、溜め込んでおいても仕方がないのです。「私はこんなにたくさんの本を読んだ」と本の山に 埋 もれていたからといって、その人がその知識を自分のものにして 理性的 な考え方ができるようになったということにはなりません。知識や情報は自分に 生 かしてこそ意味があるのです。
一人ひとりがきちんと知識を得て、自分が正しいと思う道、幸福だと信じる道を選んでいかなければいけません。
いろんな 場面 において 理性 で 判断 できるところを増やしていけばいくほど、 正確 な 選択 ができるようになるのです。
「 高校 進学 にあたり広い 視野 を持って、たくさんの 選択肢 の中から 選 びなさい」「やりたいことがあったら、よけいなことをあれこれ 迷 わずに思い切って 飛 び込みなさい」と言います。では、特にこれといってやりたいことがない人、「この学校で学びたい」といった 気持 ちもない人はどうしたらいいのでしょうか。
私は、「 望 むものがこれと言ってないなら、どこに行っても同じことです」と言います。どこに行ったって、いいことも悪いこともあります。ただし 決 めたら 迷 わないことです。
ひとたびこころを決めたなら、自分の選ばなかった 選択肢 のことをあれこれ思ってはいけません。「やっぱりあの学校に行ったほうがよかったかも」なんて考えないのです。
熟考 の 末 に 決 めても、なんとなく決めても同じです。「これにする」と選んだら、他の選択肢があったことはすべて 忘 れ、そこに 適応 することだけを考えるのです。いまの自分がいる 環境 に適応して、そこで楽しく生きるためにはどうしたらいいのかを考える。いま目の前に 開 かれているその場所で花を咲かせることだけを考えればいいのです。これが選択に 後悔 しないための 最大 の 秘訣 なのです。
順調 なときは、 過去 に自分が選ばなかった道のことなんて考えないものです。ところが、何かうまくいかないことや 嫌 なことがあったりすると、「あの時、もし別のほうを選んでいたら、こんなことにはならなかったじゃないか」という 感情 が 湧 いてきます。これも 妄想 です。いくら考えたところで、 時 は 巻 き 戻 すことはできません。
そのとき「なかった」ことは、なかったことなのです。ありもしないことを 妄想 するのは 現実 逃避 でしかありません。
過去 はもう変えられません。しかし、「いま」のことは変えられます。自分の 選択 に 後悔 する人は「こんなはずじゃなかった」と言いますが、それは 将来的 にどういうことが 起 きそうかを 想像 できなかったということです。
過去を 悔 やんで「こんなはずではなかった」と言いはじめたら、どんどん 遡 っていって「生まれてこなければよかった」ということになります。ということは、「お父さんお母さ んが出会わなければよかった」となる。そうやって、この世の中のすべてを 否定 しなくてはいけなくなります。
過去 に 捨 てた 選択肢 のことは、きれいさっぱり忘れるのです。そして、いま目の前にあ るものを「こんなはずじゃない」というものではないようにすることです。
学校の選択も、 就職先 も、 結婚 相手 もそうです。いまはいろいろと気に入らないことが ある相手でも、結婚しようと思ったときは「この人にする」というものがあったから 決心 できたのです。「こんな相手とは思わなかった」「こんなことなら、あのとき、あの人と結婚していればよかった」、そんなことを言っても仕方のないことです。「暮らしてみたら自分とは合わなかったから 離婚 します」と言う前に、どうすればその人ともっと 仲良 くやっていけるか、今をもっと良くしていけるか考えて、そのために 全力 を 注 がなくてはいけないのです。
結婚したら 絶対 に 一生 添 い 遂 げなければならないという決まりはないですが、そうやって 精 いっぱいがんばってみて、それでもうこれ 以上 一歩 も 進 めないとなったら、そのときは「さようなら」の 決断 をする。そこまでやりきらないと、また 後悔 して、「ああ、あのとき別れなければよかった」ということになります。
「もっといい生き方があるのではないか」という 発想 は、ないものねだりというものです。「もっといい生き方」があると思うなら、今、その生き方を 実践 すればいいのです。
人間はわがままです。「自分にピッタリ合う学校じゃなかった」「自分の 能力 が 活 かせる会社ではなかった」「自分に合う人ではなかった」と言って、自分が決めたことを 簡単 に 否定 します。
植物 を 見 習 うべきです。植物は自分が置かれた 環 境 の中で、一生懸命 芽 を出し、 根 を 張 り、花を咲かせます。
森は、ほとんどが 斜面 です。きつい斜面でもそこでちゃんとまっすぐ立っていられるよう根を生やし、 大木 に成長します。
岩肌 に 生 えているような木もあります。こんな石の上ではなくて、もう少し先の土のところだったら、もっと成長できたかもしれません。でも、その場所でがんばるしかない。植物は自分の持てる力の限り、そこでがんばるのです。
植物は、自分がおかれた場所で精いっぱい生きています。必ずしもぴったりの 環 境 ではなくても、生きているからにはそこで花を咲かせよう、実をつけようとするのです。
どんな 悪 条件 であろうとも、 最善 を尽くす。それが生きることの 本質 です。そういう生き方を、していくことがとても大切なのです。
人間も誰もが 能力 を持って生まれてきています。何も能力がない人というのはいません。その能力をどこで生かすか。 地球 のどこかに自分を活かせる 場所 、花を咲かせる場所が必ずあるのです。自分の置かれた 環境 で、いまやるべきことを精いっぱいやる。それがやがて花となり、実となるのです。そういう自分を信じ 努力 精進 することなのであります。
教祖・杉山辰子先生は妙法の力を 信 じることの 重要性 を説かれました。 信心 が大きければ大きいほど 功徳 も大きくなると言われました。そして、 常住 坐臥 いついかなるときも、妙法の力を信じ「妙法蓮華経」の五文字を 唱 えるときに、功徳が 発生 すると言われました。
常に妙法を唱えていれば、 不慮 の 事故 や 災難 から 免 れることができると仰せです。私たちも妙法の力を信じ、いつでもどこでも妙法蓮華経と唱える 習慣 を身に着けましょう。
教祖さまは、『 慈悲 』『 誠 』『 堪忍 』の 三 徳 の 実践 が何よりも重要と仰せです。なかでも 慈悲 の功徳は 絶大 です。相手に対し単なる 憐 れみではなく「慈悲のこころ」で接するときに大きな功徳があるのです。
私たちは「慈悲」を育てることが最も 重要 なこととなります。人に善いことをすること、人が喜ぶことを常に考えて 実行 すれば必ずや〝すばらしき人生〞と言える 境涯 になれるのであります。
合 掌