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世界平和を
大樹
すばらしき人生105

九月を 旧暦きゅうれき で 長月ながつき と申します。由来は夜が長いということからきていると言われております。まだまだ 残暑ざんしょ きび しい日が続きますが、 熱中症ねっちゅうしょう にならないよう十分な水分の 補給ほきゅう をして頂きたいと思います。


 東京オリンピックもメダルラッシュで多くの 感動かんどう を頂きましたが、その 影響えいきょう かどうかわかりませんが、コロナ 感染かんせん 拡大かくだい のことを考えると、正直、 開催かいさい は正しかったのか、 間違まちが っていたのか 判断はんだん できません。しかし、 確実かくじつ に現時点では感染拡大をしております。


 コロナウイルスとの たたか いは、 おさ まるところを見せません。一度感染した 患者かんじゃ さんが さい かん せん をするということもあります。また、ワクチンを二回打っても 抗体価こうたいか が下がるケースもあり半年後に三回目の 接種せっしゅ (ブースター)をするという国も出てきました。政府の正しい判断が示されなければ、この先不安は つの るばかりです。国民一人ひとりが 納得なっとく できる 対策たいさく をとって頂きたいと思っております。


  終息しゅうそく という明るい未来は、まだまだほど遠いようです。私たちはコロナウイルスを 完全かんぜん 消滅しょうめつ することができるでしょうか。人間の 英知えいち を しぼ り世界が一つとなり、同じ 目標もくひょう に立ち向かっていけば必ず みち は ひら けると しん じております。


 先般の盆施餓鬼先祖大法要会はコロナ感染防止ということで読経のみの開催とさせて頂きました。 三密さんみつ ( 密閉みっぺい ・ 密集みっしゅう ・ 密接みっせつ )を  けるということは、多くの信者さまのお参りは「密集」にあたります。誠に申し訳ございませんでした。


 今月開催の秋季彼岸先祖法要会も参拝・法話を中止させて頂きます。同様に読経のみの開催とさせて頂きます。宣教師全員で 誠心せいしん 誠意せいい 、信者さまのご先祖さまのご供養をさせて頂きたいと思います。どうか宜しくお願いします。


 私がサラリーマンの時でした。四国の責任者をしておりました。国立大学病院が四つありました。 四国しこく 四県よんけん の 面積めんせき は 岩手県いわてけん とほぼ同じです。 田舎いなか ということもありアクセス( 交通こうつう の 便べん )が非常に悪い 地域ちいき でした。従いまして、 てん で仕事をするのではなく、 めん で行わないと 効率こうりつ が上がらないのです。


 いろんな 選択肢せんたくし を 視野しや に入れ、国立四大学病院を中心に 組織そしき 攻略こうりゃく をすることが 最優先さいゆうせん 課題かだい となりました。そこで、各大学の 系列けいれつ ごとに 研究会けんきゅうかい ・ 講演会こうえんかい を立ち上げることを 最重点さいじゅうてん に考え 実行じっこう しました。


 大きくは、 帝大ていだい のK大学とO大学と おおむ ね二大学の 医局いきょく を中心とした 組織そしき 編成へんせい を行い、研究会・講演会の 座長ざちょう をして頂く先生にアプローチをして 実施じっし に いた ったということです。


 また、 糖尿病とうにょうびょう 領域りょういき と 成長せいちょう ホルモンなどの 内分泌ないぶんぴ 領域りょういき と二つの領域のご専門の先生をメインに十ヵ所強の研究会を立ち上げました。 収容しゅうよう 規模きぼ は百名前後参加されるため、地元のホテルの会場を借り 実施じっし していきました。


  勿論もちろん 、私一人では 到底とうてい できないため、四人の課長に責任をもって実施するようにとの指示を出し実施にこぎ  けたのです。


 大学病院は 地域ちいき の病院との 連携れんけい があり、その連携の場を研究会・講演会で提供することのメリットや先生を集めて一度に 自社じしゃ 製品せいひん の 宣伝せんでん ができるというメリットもあります。研究会・講演会終了後には、 日頃ひごろ 診療しんりょう で忙しい先生方と 懇親会こんしんかい を かい さい し 立食りっしょく で行うため更に 情報じょうほう 交換こうかん の場も 提供ていきょう できます。まさに 一石いっせき 二鳥にちょう ということです。


  研究会けんきゅうかい ・ 講演会こうえんかい をすることで、営業部員が病院へ 訪問ほうもん したときの 話題わだい や 情報じょうほう 提供ていきょう がスムーズにできるようになります。 人間にんげん 関係かんけい 構築こうちく には、 組織そしき を 活用かつよう することです。講演会の 座長ざちょう を大学病院の 教授きょうじゅ ・ じゅん 教授きょうじゅ の先生方にやって頂くことで、 自社じしゃ 製品せいひん がトップダウンにより 浸透しんとう するのです。


  結論けつろん すれば、 田舎いなか だけではなく 組織そしき 攻略こうりゃく という 観点かんてん からすれば、 てん よりも めん で行うほうが売り上げを伸ばすのは 確実かくじつ なのであります。


  現代げんだい は 情報じょうほう 社会しゃかい です。世の中にはありとあらゆる情報が 錯綜さくそう しております。お釈迦さまは、「どんなことも 鵜呑うの みにするのは良くない。正しいかそうでないかは自分で 判断はんだん しなさい。そのために 理性りせい を みが きなさい」と言われました。情報の 精度せいど をきちんとかぎ分けられるようにするのは、自分を磨くことなのです。


  えら そうな かた  きのついた、その みち の 権威けんい の人が言うから正しいわけでもありません。 おお ぜい の人が言っているから正しいわけでもない。誰が言っても 間違まちが いは間違いです。


 何をもって 信頼しんらい してよいのかは、まず、「 理性りせい で 判断はんだん している人か」「言ったことを、自分で 実践じっせん している 言行げんこう 一致いっち の人か」なのです。もうひとつ 情報じょうほう を 見極みきわ めるために大事なことが、「 そん か とく か」で考えるのではなく「必要かそうでないか」で判断することです。


 人間は自分が損をするのは いや なのです。他の人だけが得をするのも嫌なのです。だから、損をしないように、いろいろな情報を集めます。しかし、情報の中には 無駄むだ なものも多くあります。「この情報は、自分が生きていくために必要なものかどうか」考えないといけません。必要のないものを  め  んでもゴミが増えるだけです。本当に必要かどうか考える必要があるのです。


  知識ちしき や 情報じょうほう というのは、社会の 変化へんか に ともな ってどんどん変わってまいります。 科学かがく や 医学いがく の 進歩しんぽ で、いろいろ新たにわかってきたことがあります。以前、私たちが信じていたことが科学的に何の 根拠こんきょ もなかったということもあります。いま「これがいい」と信じていることも、 将来しょうらい には 間違まちが いであったという 可能性かのうせい もあります。


 知識や情報というのは、溜め込んでおいても仕方がないのです。「私はこんなにたくさんの本を読んだ」と本の山に  もれていたからといって、その人がその知識を自分のものにして 理性的りせいてき な考え方ができるようになったということにはなりません。知識や情報は自分に  かしてこそ意味があるのです。


 一人ひとりがきちんと知識を得て、自分が正しいと思う道、幸福だと信じる道を選んでいかなければいけません。


 いろんな 場面ばめん において 理性りせい で 判断はんだん できるところを増やしていけばいくほど、 正確せいかく な 選択せんたく ができるようになるのです。


「 高校こうこう 進学しんがく にあたり広い 視野しや を持って、たくさんの 選択肢せんたくし の中から えら びなさい」「やりたいことがあったら、よけいなことをあれこれ まよ わずに思い切って  び込みなさい」と言います。では、特にこれといってやりたいことがない人、「この学校で学びたい」といった 気持きも ちもない人はどうしたらいいのでしょうか。


 私は、「 のぞ むものがこれと言ってないなら、どこに行っても同じことです」と言います。どこに行ったって、いいことも悪いこともあります。ただし  めたら まよ わないことです。


 ひとたびこころを決めたなら、自分の選ばなかった 選択肢せんたくし のことをあれこれ思ってはいけません。「やっぱりあの学校に行ったほうがよかったかも」なんて考えないのです。


  熟考じゅっこう の すえ に  めても、なんとなく決めても同じです。「これにする」と選んだら、他の選択肢があったことはすべて わす れ、そこに 適応てきおう することだけを考えるのです。いまの自分がいる 環境かんきょう に適応して、そこで楽しく生きるためにはどうしたらいいのかを考える。いま目の前に ひら かれているその場所で花を咲かせることだけを考えればいいのです。これが選択に 後悔こうかい しないための 最大さいだい の 秘訣ひけつ なのです。


  順調じゅんちょう なときは、 過去かこ に自分が選ばなかった道のことなんて考えないものです。ところが、何かうまくいかないことや いや なことがあったりすると、「あの時、もし別のほうを選んでいたら、こんなことにはならなかったじゃないか」という 感情かんじょう が  いてきます。これも 妄想もうそう です。いくら考えたところで、 とき は  き もど すことはできません。


  そのとき「なかった」ことは、なかったことなのです。ありもしないことを 妄想もうそう するのは 現実げんじつ 逃避とうひ でしかありません。


   過去かこ はもう変えられません。しかし、「いま」のことは変えられます。自分の 選択せんたく に 後悔こうかい  する人は「こんなはずじゃなかった」と言いますが、それは 将来的しょうらいてき にどういうことが  きそうかを 想像そうぞう できなかったということです。


  過去を  やんで「こんなはずではなかった」と言いはじめたら、どんどん さかのぼ っていって「生まれてこなければよかった」ということになります。ということは、「お父さんお母さ んが出会わなければよかった」となる。そうやって、この世の中のすべてを 否定ひてい しなくてはいけなくなります。


   過去かこ に  てた 選択肢せんたくし のことは、きれいさっぱり忘れるのです。そして、いま目の前にあ るものを「こんなはずじゃない」というものではないようにすることです。


  学校の選択も、 就職先しゅうしょくさき も、 結婚けっこん 相手あいて もそうです。いまはいろいろと気に入らないことが ある相手でも、結婚しようと思ったときは「この人にする」というものがあったから 決心けっしん できたのです。「こんな相手とは思わなかった」「こんなことなら、あのとき、あの人と結婚していればよかった」、そんなことを言っても仕方のないことです。「暮らしてみたら自分とは合わなかったから 離婚りこん します」と言う前に、どうすればその人ともっと 仲良なかよ くやっていけるか、今をもっと良くしていけるか考えて、そのために 全力ぜんりょく を そそ がなくてはいけないのです。


 結婚したら 絶対ぜったい に 一生いっしょう  い  げなければならないという決まりはないですが、そうやって せい いっぱいがんばってみて、それでもうこれ 以上いじょう 一歩いっぽ も すす めないとなったら、そのときは「さようなら」の 決断けつだん をする。そこまでやりきらないと、また 後悔こうかい して、「ああ、あのとき別れなければよかった」ということになります。


「もっといい生き方があるのではないか」という 発想はっそう は、ないものねだりというものです。「もっといい生き方」があると思うなら、今、その生き方を 実践じっせん すればいいのです。


 人間はわがままです。「自分にピッタリ合う学校じゃなかった」「自分の 能力のうりょく が  かせる会社ではなかった」「自分に合う人ではなかった」と言って、自分が決めたことを 簡単かんたん に 否定ひてい します。


  植物しょくぶつ を  なら うべきです。植物は自分が置かれた かん きょう の中で、一生懸命  を出し、  を  り、花を咲かせます。


 森は、ほとんどが 斜面しゃめん です。きつい斜面でもそこでちゃんとまっすぐ立っていられるよう根を生やし、 大木たいぼく に成長します。


  岩肌いわはだ に  えているような木もあります。こんな石の上ではなくて、もう少し先の土のところだったら、もっと成長できたかもしれません。でも、その場所でがんばるしかない。植物は自分の持てる力の限り、そこでがんばるのです。


 植物は、自分がおかれた場所で精いっぱい生きています。必ずしもぴったりの かん きょう ではなくても、生きているからにはそこで花を咲かせよう、実をつけようとするのです。


 どんな あく 条件じょうけん であろうとも、 最善さいぜん を尽くす。それが生きることの 本質ほんしつ です。そういう生き方を、していくことがとても大切なのです。


 人間も誰もが 能力のうりょく を持って生まれてきています。何も能力がない人というのはいません。その能力をどこで生かすか。 地球ちきゅう のどこかに自分を活かせる 場所ばしょ 、花を咲かせる場所が必ずあるのです。自分の置かれた 環境かんきょう で、いまやるべきことを精いっぱいやる。それがやがて花となり、実となるのです。そういう自分を信じ 努力どりょく 精進しょうじん することなのであります。


 教祖・杉山辰子先生は妙法の力を しん じることの 重要性じゅうようせい を説かれました。 信心しんじん が大きければ大きいほど 功徳くどく も大きくなると言われました。そして、 常住じょうじゅう 坐臥ざが いついかなるときも、妙法の力を信じ「妙法蓮華経」の五文字を とな えるときに、功徳が 発生はっせい すると言われました。


 常に妙法を唱えていれば、 不慮ふりょ の 事故じこ や 災難さいなん から まぬか れることができると仰せです。私たちも妙法の力を信じ、いつでもどこでも妙法蓮華経と唱える 習慣しゅうかん を身に着けましょう。


 教祖さまは、『 慈悲じひ 』『 まこと 』『 堪忍かんにん 』の さん とく の 実践じっせん が何よりも重要と仰せです。なかでも 慈悲じひ の功徳は 絶大ぜつだい です。相手に対し単なる あわ れみではなく「慈悲のこころ」で接するときに大きな功徳があるのです。


 私たちは「慈悲」を育てることが最も 重要じゅうよう なこととなります。人に善いことをすること、人が喜ぶことを常に考えて 実行じっこう すれば必ずや〝すばらしき人生〞と言える 境涯きょうがい になれるのであります。


 


合 掌


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