十月を 神無月 と申しまして、 出雲 の 出雲 大社 に全国の神さまが集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神さまがいなくなる月といわれております。
ようやく過ごしやすい季節となりましたが、未だ新型コロナウイルスが 蔓延 しております。ワクチン 接種 も 順調 に進んでいますが、半年でワクチンの 抗 体 価 が 減少 することもあり三度目の接種が必要となってきました。
これから先、どのようにコロナが 終息 していくのか、誰も予測することはできません。ウィズコロナ(コロナと 共生 )という 観点 から 新 生 活 様 式 への 転換 が必要をされると思います。私たちは、いつ、どこで、感染するかもしれない 暗闇 の中で不安もありますが、基本的には 不要 不急 の外出を 避 け、ソーシャルディスタンスをとり、手洗い、うがい、消毒、マスク等 感染 防止 対策 を 継続 していくことがとても重要であります。
先般の秋季彼岸先祖法要会並びに萬霊供養塔慰霊祭は参拝・法話を中止とさせて頂きました。宣教師全員で信者の皆さまのご先祖さま、ご家族さまの追善供養をさせて頂きました。今後予定をしております、立教四十八年祭も現時点で考えますと、参拝・法話・餅投げ・太鼓等中止とさせて頂きます。同様に読経のみの開催となります。行事が十分に執り行えないこと深くお詫び申し上げます。
私がサラリーマンであったときのことです。 静岡県 の責任者をしておりました。日本一の 富 士 山 は、静岡県と 山 梨 県 にまたがっております。夏場はほとんど 姿 を見せないのですが、冬場はとても 綺麗 で 壮大 です。私が中学生のときに法公会青年部で、バス 駐 車 場 の 五 合 目 から 登 山 して 頂 上 を 目 指 した 記 憶 があります。誰もが憧れる富士山に一度は登山されると良いと思います。
静岡県で営業をしていたとき十名の部下がおりました。中でも年齢が三十代半ばのKさんは、 中途採用 で 配 属 になりました。彼はライバル会社から 転 職 してきたのです。 引 き 抜 くことでライバル会社の 戦 力 が落ち大きなダメージを与えることができます。しかし、そううではない場合もあります。
今回は、 後 者 のケースです。彼は仕事に対する 情 熱 がやや 乏 しく、仕事が 上手 にできるほうではありませんでした。 業績 を上げることが彼にとって 負 担 となっていたのです。
よくよく 精 査 をすれば、彼は個人プレーヤーで 組 織 の中で浮いた存在になってしまったのです。彼はマーベリック( 一匹 狼 )なのです。一人でもマーベリックがいると何人かは悪い 影 響 を受けます。そうならないように日頃からの 結束 が大事なのです。
チームというものは 総合力 で結果が出るものです。その総合力も個人個人のスキル( 能力 )が高くなければ発揮できないものです。 個 の 力 を 集結 して総合力を発揮するのが最高のチームなのです。幸いなことに、私たちの課にHさんが 配属 となりました。まずは、できる人間は性格の 良 し 悪 しと気力でほぼ決まります。
彼には、Kさんの 教育 を任せました。 協調性 のないKさんを 指 導 すれば、他の営業部員も 刺 激 され、 触発 されるのです。やる気のない部下には、常にベストを 尽 くすという良き 手 本 が必要です。Hさんは、まさにその 申 し 子 なのです。
育 つか育たないかは 本人 次第 ですが、人間が本気で立ち上がれば、できないことはありません。仕事を 効率 よく、テキパキとやって見せれば、そのやり方を 覚 え人間は育つのです。Hさんのような 優秀 な 部下 が一人でもいれば、 鬼 に 金棒 なのです。
世の中の 絶対的 成功者 という人は、常に 最高 のブレーン( 頭 脳 )と物事をやり 遂 げるという 信念 と 気 概 が必要なのです。そういう人間を何人育てるかが 上司 の 重要 な 役 目 なのであります。
仏教的に考えると私たちは、 愛 国 心 なんて持たないほうがよいのです。自分の生まれ育った国に強い 執 着 があると 敵対 する国を 嫌 ったり、 憎 んだりしてしまいます。たまたまその国に生まれたに過ぎないので、 愛着 を持つなら地球に愛着を持つべきです。そうなれば、みんなが自分の国という 概念 に執着しないで、地球に愛着を持つようになれば、国や 民族 間 の 争 いごとも、 環境 問題 も、もっと 簡単 に 解決 に向かうことでしょう。
私たちは、地球という星に生まれたひとりの人間です。自分を生かせる場は、地球上のどこかに必ずあります。そう考えると、小さなことに 執着 してくよくよすることのバカバカしさに気づきます。 視野 を広げていくというのは、こころをオープンにすることでもあります。 凝 り 固 まった 概念 から抜け出して自分を自由にすると、もっとおおらかになり、いろいろなものがよく目に入るようになります。
たとえば、音楽の仕事ですと、普通の会社に 勤 めることよりは 遙 かに 生存 競争 が 激 しい世界です。一度はその道でスタートしてみたけれど、どうもずっとやっていくのは 厳 しい、とても続かない、ということもあります。
自分は本当に音楽が好きで、ずっとこの世界にいたい、そのときに、もっと視野を広げて、自分の「やりたい」ことではなくて、自分に「やれる」ことは何かと考えると、苦しみから 解放 されます。 見栄 とか 意地 といった 自我 が 邪魔 しなければ、その場所で自分の花を咲かせる方法はいろいろあります。
華 やかな 表 舞台 でなくてもいいと思えば、周りに 活躍 する場所はあるのです。バックバンドでもいいし、ミキシングをするエンジニアでもいいわけです。
好きな音楽にずっと触れていられることが幸せならば、そうやって自分に「やれる」ことを考えればいいのです。
大事なのは、自分自身がきちんと 納得 して、自分の 能力 の 活 かし方をしっかりと自分で考えることです。納得して今の生き方を楽しめていたら、 叶 わなかった 夢 や、 途 中 で 断念 した 選 択 肢 にこだわるようなことはありません。
自分の花を咲かせる場所を考えるためには、「やりたい」ことよりも、「やれる」ことを 探 したほうがいい。やれることは、自分の「やるべき」ことになっていきます。
やりたいことができる人生は幸せですが、自分のやるべきことが見つかったほうがもっと幸せです。やりたいことは自分の 想像 の 範 囲 にしかありませんが、やるべきことは、思いもよらないところにあったりします。だから人生は 面 白 いのです。
さて、「 愛 」とはいったい何なのか。人間は、生きていくために必要なものが足りていても、何かが欠けていると感じます。 衣 食 住 に不自由せず、まあまあ安定して 暮 らせる社会があって、 経済 もちゃんと回っていても、何かが足りないと思う。自分は何のために生きているのかと考えたり、人生こんなことでいいのかと不安になったりします。その足りないものを、みんな 愛 で 補 おうとします。
愛の感じ方は人それぞれです。「愛とはいったい何なのか」「どういうこころの 働 きなのか」という 定 義 が、みんなに 浸透 しておりません。そんな中で、個人がそれぞれ、そのときどきの 感情 で「愛している」と言っているのです。
「愛してる」を、わかりやすく 具 体 的 に言えば「 必要 な 存在 である」ということになります。欠くことのできない存在であるということです。
夫 婦 も互いの存在が欠かせないものになっているから 一緒 にいるのです。たとえば、子どもが小さいときは、親が 面倒 を見てやらないと生きていけません。子どもにとって親は、いてもらわなくてはならない存在です。ところが 成 長 して、もう自分で何でもでき、どこへでも行くことができるようになると、 世話 を 焼 かれることがちょっと 煩 わしくなるのです。お母さんはがっかりしてしまいます。では、子どもはお母さんを愛さなくなったのでしょうか。そういうことではなく、自分が生きていくうえで、以前よりは必要な存在ではなくなったということです。
子どもがさらに成長して、大人になって 結婚 します。そうすると、お母さんよりも 旦 那 ( 奥 )さんのほうが大事になります。それもまたお母さんのことを愛さなくなったのではなく、お母さんよりも必要な存在の人ができただけです。
愛という言葉では 説明 できないことも、「必要な存在かどうか」と考えると、 簡単 に説明がつきます。お母さんも、「子どもが自分を愛してくれなくなった」と思ったら悲しいですが、「自分よりも必要な存在ができた」と受けとめれば、子どもの成長を見守ってあげることができます。 悲 しくもないし 嫁 と 姑 のバトルも 起 きずに 済 むかもしれません。
これは自然の 摂 理 に 則 っているのです。木に花が 咲 き、 実 がなります。実は、始めのうちは枝にしっかりとくっついています。木から 栄養 をもらって育たないといけません。しかし、 熟 した実は自然と落ちます。
木は自分の仕事をしました。だから 手 放 すのです。実は、これから 独立 して自分の仕事をしなくてはいけないのです。子どもが成長して、 親元 から 離 れて 自 立 していくのもまったく同じことです。
お互いに欠かせないものですが、それぞれがそれぞれの仕事をしていくために、つまり自分の人生を生きていくために、 親 離 れ、 子 離 れが必要になるときがきます。いつまでもお互いが 依 存 関 係 ではいけないのです。
愛というのは「欠かせない存在」であり「かけがえのない存在」ということになります。「あなたは私のかけがえのない存在」と親から言われたらどうでしょうか。 重 苦 しく、 負 担 になります。負担から抜け出したくて反抗するか、そこにどっぷり依存してしまうかどちらかです。
依 存 体 質 になると、すべて親の言いなりで、 進学 や 就職 も自分で決められません。そうすると親に頼る人生を送ることになります。なぜなら、「自分は親にとって世界で一番大事な存在だから、何とかしてくれる」という 思 考 回 路 になってしまうからです。
つまり、もう十分ずっしりと重たい実になっているのに、いつまでも枝から離れない状態ということです。とても不自然です。木にとってものすごい負担となります。
そのように育って、親のお金を 無 駄 遣 いして、あげくの 果 てに 悪 いことに手を 染 めてしまう 悪循環 になるケースもあります。あれは、「かけがえのない存在だ」と言われ続け、何か問題を起こしても親から護られ続けてきた、すなわち 溺愛 されてきた結果です。親の 過 剰 な 愛 に 溺 れて、人生を失敗してしまったのです。「特別な存在」であるかのように思わせないことです。
かけがえのない大事な存在ではなく、必要な存在、欠かせない存在というのは、別の言い方をすると「役に立っている」ということです。
「大事にされる存在」ではなく、「自分は役に立っている存在」と思えるようにしてあげればいいのです。役に立っているというのは自分が 評 価 されていることですから、誰もがうれしいものです。どんな場所でも役に立てる人になれたら、常に人から評価される人生になります。そうすると、「どうしたら人から必要な存在だと思ってもらえるか」「何をしたら役に立てるか」ということをいつでも考えられる人間になれるのです。
教祖・杉山辰子先生は妙法深く信じる「 信心 」の 功 徳 を 説 かれました。信心の深さが大きいほど功徳も大きいと言われました。そして、妙法蓮華経の五文字を 唱 えることの 重要 さも説かれました。 行住坐臥 いついかなるときも、妙法の力を信じ唱えることです。そうすれば、 不 慮 の 事故 や 災難 から 免 れることができると 仰 せです。そして、 大難 が 小難 に小難が 無 難 へと 罪障 を 消滅 できるのです。
功徳には 顕 益 と 冥 益 がありますが、末法は顕益もありますが、おもに冥益が説かれました。 積 んだ 徳 が五年、十年と月日がたち、 小 樹 が 大 樹 となり花を咲かせ、実をならせるように 徐々 に 現 れる 功 徳 のことをいいます。
『 慈悲 』『 誠 』『 堪忍 』の 三 徳 の 実践 が何より大切です。私たちは常に功徳を積むことです。功徳の中でも『慈悲』の功徳がとても大きいのです。相手のことを思いやるこころ、すなわちこころから相手の幸せを願い慈悲のこころをおこすことがとても重要です。
私たちが三徳の実践を行ううえで大事なことは、喜んで、楽しく、希望をもって行えば、必ず自分を成長させることができるのです。すべては前向きに 捉 え、前進、また前進することによって〝すばらしき人生〞へと高めることができるのであります。
合 掌