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世界平和を
大樹
すばらしき人生107

 旧暦きゅうれき で十一月を 霜月しもつき と申しまして、まさに霜が降るという意味で呼ばれております。今年も残すところあとわずかです。この二ヶ月をいかにして生きるかが大事であります。


 私たちは、コロナ 対策たいさく に 明あ け 暮く れたというか、不安を持ちながら生きることの大変さを学びました。 因いん 果が 関かん 係けい は不明ですが、ワクチンが合わない人もおられるようです。私たちは、無事二回のワクチン 接せっ 種しゅ を行い年明けから三回目の接種が始まります。


  抗こう 体たい 価か が下がっても一度でもワクチンを打てばそれなりに 重じゅう 症しょう 化か を 抑おさ えることができると思います。ワクチンを打つか打たないかと迷った場合は、全世界的な 効こう 果か や 実じっ 績せき と 照て らし合わせれば、打つという 選せん 択たく 肢し が正しいのではないかと思います。しかし、 長期的ちょうきてき に見た場合の体内でのRNAワクチンがもたらす 副反応ふくはんのう を 精せい 査さ するには、あまりにも時間が少ないのも事実のことです。


 新しい 生活せいかつ 様式ようしき にもずいぶん 慣な れてきました。手洗い、うがい、 消毒しょうどく 、マスク 着用ちゃくよう は日常の普通の出来事として実行できております。 三さん 密みつ ( 密閉みっぺい ・ 密集みっしゅう ・ 密接みっせつ )を 避さ け、ソーシャルディスタンスをとり、自分の身体は自分で守るという強い意志をもつことが重要であります。


 ワクチン 接種率せっしゅりつ が八割に到達しても 集団しゅうだん 免疫めんえき ができるかどうか不明であり、新型コロナの 感染かんせん は 拡大かくだい する 可能性かのうせい もあります。人間一人ひとりが 信念しんねん をもって新型コロナと 対峙たいじ しなければなりません。


 最近では、各社競争で 治療ちりょう 薬やく の 開発かいはつ も進んできております。ワクチンと治療薬がセットであれば 終息しゅうそく という明るい未来も見えてくるかもしれません。


 今月開催の立教四十八年祭も新型コロナの影響で御詠歌・会員綱領・来賓挨拶・法話・落語・和太鼓・餅投げを中止とさせて頂きます。行事は読経のみの開催となります。悪しからずご 了承りょうしょう 賜たまわ りますようお願いいたします。


 私がサラリーマンのときでした。四国の責任者をしておりました。日本一 面積めんせき の 狭せま い県が四国の 香川県かがわけん (うどん県)です。その香川の 高松市たかまつし に会社のオフィスがありました。昼食はほぼ毎日 讃岐さぬき うどんでした。 安近あんきん 短たん と言いまして、事務所の隣にうどん屋さんがあり、安くておいしく、 短時間たんじかん で食べられるというメリットがありました。香川の食べ物で一番 感動かんどう したのは、やはりおいしい讃岐うどんなのでした。


 その香川に 優秀ゆうしゅう なTさんがいました。彼は入社三年目で、性格はとても良く、明るく、まじめで、正直で、どん 欲よく なまで 前まえ 向む きな性格でした。とにかく新しいことを学び 吸収きゅうしゅう したいと、 常つね 日ひ 頃ごろ より 五感ごかん を 磨みが いていたのです。


 私は、彼の 才覚さいかく を 認みと め高松にある 国立こくりつ K 大学だいがく 病院びょういん を担当させました。K大学には、 気き 難むずか しいI 教授きょうじゅ がおられます。前任者のYさんは、I教授とうまくいかずに会社を 辞や めることとなりました。その後任にTさんを 抜擢ばってき したのです。


 私たちは、 自社医じしゃい 薬品やくひん の 情報じょうほう をドクターに伝えるのが主な 業務ぎょうむ です。彼は 忠実ちゅうじつ に私の 指示しじ に従い、先生のニーズ( 要求ようきゅう )を引き出し、それに応えることができるかどうか、ということをシュミレーション( 模擬もぎ 演習えんしゅう )しながら、いろんな 策さく を 練ね っていたのです。


 私は彼に、I教授と 面談めんだん をしたときに、先生が楽しい気分になってもらえるか、ということを常に考えながらアプローチすることの 重要性じゅうようせい を 教おし えました。 面会めんかい して相手が 不快ふかい になるようではダメですから、また次に良い情報をもらいたいと思っていただけるよう、 質しつ の 高たか い 情報じょうほう 提供ていきょう と面会するときに楽しいと思ってもらえるような人間関係の 構築こうちく をつくることが重要であると教えました。


 自分が相手を 嫌きら いと思っていると、相手もそう感じてしまい嫌いになってしまうものです。良い仕事をするには、まず仕事を好きになること、そして、相手の立場に立ってものごとを考えることができるかどうかです。ということは、 客観的きゃっかんてき にものごとを 捉とら えることができるかどうかです。そして、相手のメリットを考え、 顧客こきゃく 満足まんぞく に 繋つな がるかどうかで、勝負の世界は決まるのです。客観的にものごとを考えることができるよう 五ご 感かん を 磨みが くことが、 極きわ めて重要なのであります。


 さて、仏教的に考えますと、 愛あい が 喜よろこ びや 安やす らぎ、 幸福感こうふくかん をもたらしてくれることもありますが、同時に、 悲かな しみ、 憎にく しみ、 怒いか り、 嫉妬しっと などの苦しみも生みます。愛情が大きくなればなるほど、さまざまなトラブルが起きます。愛に限らず「 情じょう 」も大きくなりすぎると危険です。


 しかし、人間は 感情かんじょう を 捨す てられません。「好きだ」「大事だ」と思う感情を止めることができません。そこでお釈迦さまは、そこに 理性りせい をとり入れるという考えを示されました。「愛という感情を超える大きな理性を持ちなさい」と言われたのです。


 それが「 慈いつく しみ( 慈悲じひ )」です。「どんな生命も必要な存在としてある。生命はすべて欠かさない存在で、それぞれが自分の世界で 一生懸命いっしょうけんめい がんばって生きている。だから、その 尊厳そんげん を 無む 条じょう 件けん で 認みと め、受け入れる。すべての生命に対して、 限かぎ りなく大きな 優やさ しさを持つ」ということです。愛を捨てるのではなく、愛よりもっともっと大きなこころを 理り 性せい で持つのです。


  慈いつく しみが持てれば、好きな人、大事な人に 愛あい 情じょう をささげることよりも、もっと 優やさ しくできます。相手の存在を 無条件むじょうけん で 認みと めて、もっと 愛いと おしむことができるようになります。


 悲しみが持てれば、好きな人、大事な人だけでなく、それ以外の人たちに対しても、もっと 寛容かんよう になれます。 嫌いや な存在も、 苦手にがて な存在も、 妬ねた ましい存在も、みんな欠かさない存在なのです。その存在があるから自分があるのだと思えば、 嫌きら うどころか、いてくれてありがたいという気持ちでいられます。


  愛あい という 曖昧あいまい な 感情かんじょう をこころの 支ささ えにするのではなく、 慈いつく しみを生きていくうえでのこころの支えにするのです。それがお釈迦さまの教えなのです。


 お釈迦さまは、 慈悲じひ には四つの種類があると説かれました。「 慈じ 」「 悲ひ 」「 喜き 」「 捨しゃ 」です。この四つすべてを身につけることは相当な修行が必要ですが、一般的にわかりやすいのは、「 慈じ 」、 慈いつく しみのこころです。わかりやすくひとことで言えば「仲良くしましょう」ということです。


 たとえば、家に帰ったら、 奥おく さんは 旦那だんな さんに「今日一日、どうだった」を 尋たず ねて、相手の話を聞いてあげる。「ああ、そんなことがったの。いろいろお疲れさま」と今日一日のがんばりをねぎらってあげれば、旦那さんもほっとしてリラックスでき、 疲つか れがとれるでしょう。


 もちろん、旦那さんも「そっちはどうだったの」と奥さんに聞いてあげる。子育てのこととか、家事のこととか、仕事のこととか、うまくいかないことが重なってイライラしていたとしても、話を聞いて「そうか、それは大変だったね。今日一日、本当にお疲れさま」と言ってもらえたら、奥さんもだいぶスッキリします。


  相あい 手て の話を聞いて、ねぎらうというのは 愛情あいじょう の 深ふか さの 問題もんだい ではないのです。相手の存在に 敬けい 意い を払って、その行動を 認みと めてあげられるかどうかです。慈しみのこころでお互いを 労いたわ り 合あ い、仲良くすることができれば、家庭は円満なのです。


 結局、仲良くやっていけばいいのだと考えると、何をしたらいいのかが 具ぐ 体たい 的てき になります。「どうして愛してくれないの」と言われても答えに 困こま りますが、「どうしたらもっと仲良くできる」だったら、いろいろ考えられます。


  慈いつく しみは自然に生まれるものではありません。自分で 意い 識しき してこころのはたらきをそう 仕向しむ けて身につけていくものです。慈しみが身につくと 自我じが がなくなりますから、相手に対して、「なぜわかってくれない」「何でこうしてくれない」と 不ふ 満まん に思うことがなくなります。


 慈しみは好きな人だけに向けるものではありません。学校でも 職場しょくば でも、 社会しゃかい 全般ぜんぱん に向けるのです。みんな、ひとつのネットワークの中で生きているのであって、みんな必要な存在です。自分がひとりの人間として〝良い仕事をする〞ために、みんながいるのです。


  嫌きら いな人、 怖こわ い人、 苦手にがて な人、その人たちがいてくれるから、自分はいまのようなこころを 抱いだ けるようになり、こうして存在していられるのだと考えることができます。


  慈悲じひ とは、すべての生命に対する大きな 優やさ しさです。仏教ではこれを「 無む 量りょう 心しん 」と言い、「 慈じ 」「 悲ひ 」「 喜き 」「 捨しゃ 」の四種類のこころの 働はたら きがあります。「慈」については、先ほどあった「仲良くしましょう」というのは、常に安定した明るく楽しい気持ちで接することです。


 次の「 悲ひ 」です。これは、 憐あわれ みのこころです。たとえば、家族が病気になったら 介抱かいほう します。赤ちゃんが熱を出したら、お母さんは必死になって 看かん 病びょう します。なんとかしてラクにしてあげたい。この苦しみから救ってあげたいという気持ちで一生懸命になります。


 人間にはみんなこういうこころがあります。 他者たしゃ の 苦くる しみをなくしてあげたい、そのために 協力きょうりょく したいという優しさを、すべての生命に対して持ちましょう、というのが 憐あわれ みです。


 その次に「 喜き 」です。これは 一緒いっしょ に 喜よろこ ぶこころです。社会を広い 視野しや で 眺なが めてみると、みんながそれぞれの持ち場でそれぞれしっかり生きることをがんばっていることがわかります。そのがんばりを 評価ひょうか し、その生命をほめたたえるこころを持つということです。


 最後が「 捨しゃ 」です。これは、 差さ 別べつ のない 平等びょうどう のこころです。すべての生き物が自分の仕事をきちんと行い、よく生きているかというと、なかにはそうでない生き物もいます。がんばっているのですが、うまくいってない生命もいます。人間で言えば、 悪あく 事じ をはたらく、 犯罪はんざい を行うというのはよく生きているとは言えません。しかし、どんな生き方をしていようと、生きとし生けるものすべてに対して、 優やさ しいまなざしを 注そそ ぎ、 偏見へんけん を持ったりしないというのが 捨しゃ のこころです。


 この四つの 慈悲じひ 心しん をもつことがとても大事です。少なくとも一つでも身につければ、 自我じが に 翻ほん 弄ろう されない落ちついた人間になることができます。


 慈しみといっても、どうやって身につけたら良いのかわからないという人もおられます。ひとつの方法として、「人をほめる」 習慣しゅうかん を 身み につけることが良いと思います。ほめるというのは、相手を 評価ひょうか し、 尊厳そんげん を 認みと めることです。


 誰かからほめてもらったらうれしいものです。もっとほめてもらいたいと思います。だから「自分がほめてもらう」のではなく「自分が人をほめる存在になる」のです。これが成功の 秘ひ 訣けつ です。なぜなら、ほめるということで、相手を喜ばせ、社会の役に立っているからなのです。


  慈いつく しみを使って自分のこころを 癒いや すことができます。この世の中に 完璧かんぺき な人間はいません。誰だって 間ま 違ちが いを 犯おか します。自分を 裏うら 切ぎ った人も、 騙だま した人も、幸福に生きていればいいのではないかと思うと、自分のこころについた 傷きず が無くなるのです。ご 褒ほう 美び として、 穏おだ やかな気持ちと落ち着いた性格が得られます。受けた 損そん より、 得とく のほうが 遙はる かに高くなるのです。ということで、慈しみがあれば何があっても 動どう じないこころで対応することができるようになるのです。


  慈いつく しみが 育そだ っていくと、生きるうえで起こるさまざまな問題に対して、冷静で、 客観的きゃっかんてき に、落ち着いて対応できます。落ち着いてものごとを理解し、 冷静れいせい に 判断はんだん できる人は、周りから 信頼しんらい されます。


「生きとし生けるものが幸せでありますように」と 願ねが う、 慈悲じひ のこころを育てれば、その人自身が常に喜びの中にいる人になれます。これこそが、 幸福こうふく への 最大さいだい にして 最速さいそく の 道みち なのであります。


 教祖・杉山辰子先生は妙法を 深ふか く 信しん じるときに 功徳くどく があると説かれました。 信心しんじん のこころが 強つよ ければ強いほど功徳も大きくなるのです。そして、 常住じょうじゅう 坐臥ざが いついかなるときも、妙法蓮華経の五文字を 唱とな えると、 不慮ふりょ の 事故じこ や 災難さいなん から 免まぬか れることができると 仰おお せです。常に妙法を唱えていると 護まも られるということです。


『 慈悲じひ 』『 誠まこと 』『 堪忍かんにん 』の 三さん 徳とく の 実践じっせん が何より大事であります。こころから相手のことを思い慈悲を尽くせば功徳を頂けます。私たちが幸せになりたいのであれば、慈悲を尽くすことが一番大きな功徳となり必ず幸福へと 導みちび いてくれます。


 人間一人ひとりが、慈しみを持ち、人のためになることをしたなら、世の中を変えることができます。優しさと、助け合いのこころが、将来に向かい成長へと 繋つな がって参ります。皆さまご自身の努力・精進が〝すばらしき人生〞へと高めてくれるのであります。


 


合 掌


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