旧暦 で十一月を 霜月 と申しまして、まさに霜が降るという意味で呼ばれております。今年も残すところあとわずかです。この二ヶ月をいかにして生きるかが大事であります。
私たちは、コロナ 対策 に 明 け 暮 れたというか、不安を持ちながら生きることの大変さを学びました。 因 果 関 係 は不明ですが、ワクチンが合わない人もおられるようです。私たちは、無事二回のワクチン 接 種 を行い年明けから三回目の接種が始まります。
抗 体 価 が下がっても一度でもワクチンを打てばそれなりに 重 症 化 を 抑 えることができると思います。ワクチンを打つか打たないかと迷った場合は、全世界的な 効 果 や 実 績 と 照 らし合わせれば、打つという 選 択 肢 が正しいのではないかと思います。しかし、 長期的 に見た場合の体内でのRNAワクチンがもたらす 副反応 を 精 査 するには、あまりにも時間が少ないのも事実のことです。
新しい 生活 様式 にもずいぶん 慣 れてきました。手洗い、うがい、 消毒 、マスク 着用 は日常の普通の出来事として実行できております。 三 密 ( 密閉 ・ 密集 ・ 密接 )を 避 け、ソーシャルディスタンスをとり、自分の身体は自分で守るという強い意志をもつことが重要であります。
ワクチン 接種率 が八割に到達しても 集団 免疫 ができるかどうか不明であり、新型コロナの 感染 は 拡大 する 可能性 もあります。人間一人ひとりが 信念 をもって新型コロナと 対峙 しなければなりません。
最近では、各社競争で 治療 薬 の 開発 も進んできております。ワクチンと治療薬がセットであれば 終息 という明るい未来も見えてくるかもしれません。
今月開催の立教四十八年祭も新型コロナの影響で御詠歌・会員綱領・来賓挨拶・法話・落語・和太鼓・餅投げを中止とさせて頂きます。行事は読経のみの開催となります。悪しからずご 了承 賜 りますようお願いいたします。
私がサラリーマンのときでした。四国の責任者をしておりました。日本一 面積 の 狭 い県が四国の 香川県 (うどん県)です。その香川の 高松市 に会社のオフィスがありました。昼食はほぼ毎日 讃岐 うどんでした。 安近 短 と言いまして、事務所の隣にうどん屋さんがあり、安くておいしく、 短時間 で食べられるというメリットがありました。香川の食べ物で一番 感動 したのは、やはりおいしい讃岐うどんなのでした。
その香川に 優秀 なTさんがいました。彼は入社三年目で、性格はとても良く、明るく、まじめで、正直で、どん 欲 なまで 前 向 きな性格でした。とにかく新しいことを学び 吸収 したいと、 常 日 頃 より 五感 を 磨 いていたのです。
私は、彼の 才覚 を 認 め高松にある 国立 K 大学 病院 を担当させました。K大学には、 気 難 しいI 教授 がおられます。前任者のYさんは、I教授とうまくいかずに会社を 辞 めることとなりました。その後任にTさんを 抜擢 したのです。
私たちは、 自社医 薬品 の 情報 をドクターに伝えるのが主な 業務 です。彼は 忠実 に私の 指示 に従い、先生のニーズ( 要求 )を引き出し、それに応えることができるかどうか、ということをシュミレーション( 模擬 演習 )しながら、いろんな 策 を 練 っていたのです。
私は彼に、I教授と 面談 をしたときに、先生が楽しい気分になってもらえるか、ということを常に考えながらアプローチすることの 重要性 を 教 えました。 面会 して相手が 不快 になるようではダメですから、また次に良い情報をもらいたいと思っていただけるよう、 質 の 高 い 情報 提供 と面会するときに楽しいと思ってもらえるような人間関係の 構築 をつくることが重要であると教えました。
自分が相手を 嫌 いと思っていると、相手もそう感じてしまい嫌いになってしまうものです。良い仕事をするには、まず仕事を好きになること、そして、相手の立場に立ってものごとを考えることができるかどうかです。ということは、 客観的 にものごとを 捉 えることができるかどうかです。そして、相手のメリットを考え、 顧客 満足 に 繋 がるかどうかで、勝負の世界は決まるのです。客観的にものごとを考えることができるよう 五 感 を 磨 くことが、 極 めて重要なのであります。
さて、仏教的に考えますと、 愛 が 喜 びや 安 らぎ、 幸福感 をもたらしてくれることもありますが、同時に、 悲 しみ、 憎 しみ、 怒 り、 嫉妬 などの苦しみも生みます。愛情が大きくなればなるほど、さまざまなトラブルが起きます。愛に限らず「 情 」も大きくなりすぎると危険です。
しかし、人間は 感情 を 捨 てられません。「好きだ」「大事だ」と思う感情を止めることができません。そこでお釈迦さまは、そこに 理性 をとり入れるという考えを示されました。「愛という感情を超える大きな理性を持ちなさい」と言われたのです。
それが「 慈 しみ( 慈悲 )」です。「どんな生命も必要な存在としてある。生命はすべて欠かさない存在で、それぞれが自分の世界で 一生懸命 がんばって生きている。だから、その 尊厳 を 無 条 件 で 認 め、受け入れる。すべての生命に対して、 限 りなく大きな 優 しさを持つ」ということです。愛を捨てるのではなく、愛よりもっともっと大きなこころを 理 性 で持つのです。
慈 しみが持てれば、好きな人、大事な人に 愛 情 をささげることよりも、もっと 優 しくできます。相手の存在を 無条件 で 認 めて、もっと 愛 おしむことができるようになります。
悲しみが持てれば、好きな人、大事な人だけでなく、それ以外の人たちに対しても、もっと 寛容 になれます。 嫌 な存在も、 苦手 な存在も、 妬 ましい存在も、みんな欠かさない存在なのです。その存在があるから自分があるのだと思えば、 嫌 うどころか、いてくれてありがたいという気持ちでいられます。
愛 という 曖昧 な 感情 をこころの 支 えにするのではなく、 慈 しみを生きていくうえでのこころの支えにするのです。それがお釈迦さまの教えなのです。
お釈迦さまは、 慈悲 には四つの種類があると説かれました。「 慈 」「 悲 」「 喜 」「 捨 」です。この四つすべてを身につけることは相当な修行が必要ですが、一般的にわかりやすいのは、「 慈 」、 慈 しみのこころです。わかりやすくひとことで言えば「仲良くしましょう」ということです。
たとえば、家に帰ったら、 奥 さんは 旦那 さんに「今日一日、どうだった」を 尋 ねて、相手の話を聞いてあげる。「ああ、そんなことがったの。いろいろお疲れさま」と今日一日のがんばりをねぎらってあげれば、旦那さんもほっとしてリラックスでき、 疲 れがとれるでしょう。
もちろん、旦那さんも「そっちはどうだったの」と奥さんに聞いてあげる。子育てのこととか、家事のこととか、仕事のこととか、うまくいかないことが重なってイライラしていたとしても、話を聞いて「そうか、それは大変だったね。今日一日、本当にお疲れさま」と言ってもらえたら、奥さんもだいぶスッキリします。
相 手 の話を聞いて、ねぎらうというのは 愛情 の 深 さの 問題 ではないのです。相手の存在に 敬 意 を払って、その行動を 認 めてあげられるかどうかです。慈しみのこころでお互いを 労 り 合 い、仲良くすることができれば、家庭は円満なのです。
結局、仲良くやっていけばいいのだと考えると、何をしたらいいのかが 具 体 的 になります。「どうして愛してくれないの」と言われても答えに 困 りますが、「どうしたらもっと仲良くできる」だったら、いろいろ考えられます。
慈 しみは自然に生まれるものではありません。自分で 意 識 してこころのはたらきをそう 仕向 けて身につけていくものです。慈しみが身につくと 自我 がなくなりますから、相手に対して、「なぜわかってくれない」「何でこうしてくれない」と 不 満 に思うことがなくなります。
慈しみは好きな人だけに向けるものではありません。学校でも 職場 でも、 社会 全般 に向けるのです。みんな、ひとつのネットワークの中で生きているのであって、みんな必要な存在です。自分がひとりの人間として〝良い仕事をする〞ために、みんながいるのです。
嫌 いな人、 怖 い人、 苦手 な人、その人たちがいてくれるから、自分はいまのようなこころを 抱 けるようになり、こうして存在していられるのだと考えることができます。
慈悲 とは、すべての生命に対する大きな 優 しさです。仏教ではこれを「 無 量 心 」と言い、「 慈 」「 悲 」「 喜 」「 捨 」の四種類のこころの 働 きがあります。「慈」については、先ほどあった「仲良くしましょう」というのは、常に安定した明るく楽しい気持ちで接することです。
次の「 悲 」です。これは、 憐 みのこころです。たとえば、家族が病気になったら 介抱 します。赤ちゃんが熱を出したら、お母さんは必死になって 看 病 します。なんとかしてラクにしてあげたい。この苦しみから救ってあげたいという気持ちで一生懸命になります。
人間にはみんなこういうこころがあります。 他者 の 苦 しみをなくしてあげたい、そのために 協力 したいという優しさを、すべての生命に対して持ちましょう、というのが 憐 みです。
その次に「 喜 」です。これは 一緒 に 喜 ぶこころです。社会を広い 視野 で 眺 めてみると、みんながそれぞれの持ち場でそれぞれしっかり生きることをがんばっていることがわかります。そのがんばりを 評価 し、その生命をほめたたえるこころを持つということです。
最後が「 捨 」です。これは、 差 別 のない 平等 のこころです。すべての生き物が自分の仕事をきちんと行い、よく生きているかというと、なかにはそうでない生き物もいます。がんばっているのですが、うまくいってない生命もいます。人間で言えば、 悪 事 をはたらく、 犯罪 を行うというのはよく生きているとは言えません。しかし、どんな生き方をしていようと、生きとし生けるものすべてに対して、 優 しいまなざしを 注 ぎ、 偏見 を持ったりしないというのが 捨 のこころです。
この四つの 慈悲 心 をもつことがとても大事です。少なくとも一つでも身につければ、 自我 に 翻 弄 されない落ちついた人間になることができます。
慈しみといっても、どうやって身につけたら良いのかわからないという人もおられます。ひとつの方法として、「人をほめる」 習慣 を 身 につけることが良いと思います。ほめるというのは、相手を 評価 し、 尊厳 を 認 めることです。
誰かからほめてもらったらうれしいものです。もっとほめてもらいたいと思います。だから「自分がほめてもらう」のではなく「自分が人をほめる存在になる」のです。これが成功の 秘 訣 です。なぜなら、ほめるということで、相手を喜ばせ、社会の役に立っているからなのです。
慈 しみを使って自分のこころを 癒 すことができます。この世の中に 完璧 な人間はいません。誰だって 間 違 いを 犯 します。自分を 裏 切 った人も、 騙 した人も、幸福に生きていればいいのではないかと思うと、自分のこころについた 傷 が無くなるのです。ご 褒 美 として、 穏 やかな気持ちと落ち着いた性格が得られます。受けた 損 より、 得 のほうが 遙 かに高くなるのです。ということで、慈しみがあれば何があっても 動 じないこころで対応することができるようになるのです。
慈 しみが 育 っていくと、生きるうえで起こるさまざまな問題に対して、冷静で、 客観的 に、落ち着いて対応できます。落ち着いてものごとを理解し、 冷静 に 判断 できる人は、周りから 信頼 されます。
「生きとし生けるものが幸せでありますように」と 願 う、 慈悲 のこころを育てれば、その人自身が常に喜びの中にいる人になれます。これこそが、 幸福 への 最大 にして 最速 の 道 なのであります。
教祖・杉山辰子先生は妙法を 深 く 信 じるときに 功徳 があると説かれました。 信心 のこころが 強 ければ強いほど功徳も大きくなるのです。そして、 常住 坐臥 いついかなるときも、妙法蓮華経の五文字を 唱 えると、 不慮 の 事故 や 災難 から 免 れることができると 仰 せです。常に妙法を唱えていると 護 られるということです。
『 慈悲 』『 誠 』『 堪忍 』の 三 徳 の 実践 が何より大事であります。こころから相手のことを思い慈悲を尽くせば功徳を頂けます。私たちが幸せになりたいのであれば、慈悲を尽くすことが一番大きな功徳となり必ず幸福へと 導 いてくれます。
人間一人ひとりが、慈しみを持ち、人のためになることをしたなら、世の中を変えることができます。優しさと、助け合いのこころが、将来に向かい成長へと 繋 がって参ります。皆さまご自身の努力・精進が〝すばらしき人生〞へと高めてくれるのであります。
合 掌