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世界平和を
大樹
すばらしき人生109

新年あけましておめでとうございます。令和四年がスタートしました。今年がどんな年になるのか誰にもわかりません。私たちは未来に向かいより良い 環境かんきょう をつくることが きゅう  であります。皆さまが生きててよかったと言えるような年にしたいものです。


 この二年間は 新型しんがた コロナで大変な思いをしました。誰しもこのような生活が来るとは考えなかったことでしょう。しかし、現実は きび しいものです。コロナ感染の 第一波だいいっぱ から だい   は 容赦ようしゃ なくやってきました。人間の知恵と自然界の目に見えない力とのぶつかり合いです。過去を ひも  いても必ず人間の勝利に終わっております。今回も必ず勝てると信じております。


 現時点ではワクチンの三回目 せっ しゅ や新型のワクチン かい はつ 、 しん やく 開発が進んできており、コロナが かん せん かく だい しても  りょう ほう があれば  ぜん しょう めつ していくことも考えられます。今年こそかつての普通の生活に戻れることを期待し一年間 がん  りたいと思います。


 ただ引き続き感染防止対策はここ数年間は続くことになるでしょう。マスク・ けん おん ・  ゆび の消毒、うがい等は感染が収まってもしばらく続くと思います。もう絶対大丈夫という あん ぜん せん げん が出されるまで頑張りましょう。


 十二月に開催しました開祖祭・法公先生十一回忌法要会はコロナの影響で読経のみの開催でした。元旦祭も現状では厳しい状況のため読経のみの開催となります。短冊引きは一階観音さまの前で行います。昨年と同形式にて行わせて頂きます。どうか宜しくお願いいたします。


 私がサラリーマンの時でした。 はま まつ  にあるH 医科いか 大学だいがく 病院びょういん 小児科しょうにか では、毎年、夏休みに小、中学生を対象にインスリン 依存型いぞんがた 糖尿病とうにょうびょう ( Ⅰ型いちがた 糖尿病とうにょうびょう )の患者さま約五十名を集め 小児しょうに 糖尿病とうにょうびょう サマーキャンプ(糖尿病教室)を開催されておられます。


 糖尿病には依存型( Ⅰ型いちがた )と非依存型( Ⅱ型にがた )とあります。多くの患者さまはⅡ型で全体の九十五%です。Ⅰ型の患者さまの治療法は原則インスリンを一日四回注射と回数が多いため、とても大変な治療となります。しかも、 自己じこ 血糖けっとう 測定そくてい が一日七、八回あります。注射の痛みよりも血糖測定のほうが はる かに痛いようです。小さなお子さまが、毎日の注射ができるようになるために、サマーキャンプに参加し、糖尿病についての  しき など勉強することが大きな目的です。


  しず おか けん では、もうひとつ かい さい されておりました。  みず  の 日本にほん だいら ユースでも同様にS 総合そうごう 病院びょういん 内科ないか を中心に行っております。病院の先生・ かん   ・ えい よう  ・ 運動うんどう 療法士りょうほうし ・ やく ざい  さんなど、みんなで一人の かん じゃ さまが通常の生活ができるようにサポートするのです。  ほん てき には 薬物やくぶつ 療法りょうほう (インスリン)、 食事しょくじ 療法りょうほう 、 運動うんどう 療法りょうほう の三つがセットになっております。


 H医科大学病院には、Yさんという 優秀ゆうしゅう な営業マンが担当しておりました。彼に同行してO講師に面会しました。O先生はとても気さくな方で、担当のYさんに、とてもフレンドリーに会話をしておりました。O先生は 糖尿病とうにょうびょう だけでなく、 成長せいちょう ホルモンのご 専門せんもん でもあります。Yさんは、O先生に こん  にされ売り上げを ばい ぞう してきたのです。結果的に会社の売り上げに大きく 貢献こうけん できたのです。


 日頃の人間関係というものは、すぐに わか るものです。先生がこんなにこころを開いているということは、 信頼しんらい が あつ いという 証拠しょうこ です。彼は、まじめにコツコツ行うタイプですが、ここぞという時には、 瞬発力しゅんぱつりょく があるのです。他者に負けない情報力とスピードと 絶対的ぜったいてき な 安定感あんていかん があるのです。いつも 適切てきせつ に 対処たいしょ でき、かゆいところに手が届くというそんな人でした。


 しかし、それだけでは人からの しん らい は得られません。私たちは けん きょ という言葉が必要です。謙虚でないと相手から きら われます。謙虚になれれば、ものごとを 客観的きゃっかんてき に見ることができます。そうすると、先生の考えていることが自然に わか るようになります。


 そして、常に 平常へいじょう しん でこころ おだ やかで冷静に仕事をする 習慣しゅうかん を身に着けるためにも 集中力しゅうちゅうりょく を高めることが必要です。集中力さえあればどんな 問題もんだい 、 課題かだい も 解決かいけつ できるのです。どんな時でも集中力をもって事に当たることが きわ めて重要なのであります。


 現代は社会が こう   ・ ふく ざつ  しているので、 多種多様たしゅたよう な職業があります。そして、インターネットの  きゅう により、どこにいても情報を手に入れることができます。


 仏教的に考えれば、社会は大きく変わりましたが、人間一人ひとりにできることは、昔も今も変わりません。自分のやるべきことをやって、人として自分の 使 めい を まっと うすることです。情報があふれ返っている時代だからこそ、 選択肢せんたくし が豊富にある時代だからこそ、今はそこに おぼ れてしまわないように 自己じこ 管理かんり することが重要になってきているのです。


  優柔不断ゆうじゅうふだん とは、決断できないという意味で、そういう人は、慎重に考えたいと思って、それらのデータ(資料・情報)をいろいろ集めます。それ自体は悪いことではないのですが、それらのデータを 参考さんこう に決断に持っていくところでも慎重になりすぎます。


 もっとデータを集めたら決められるようになるのではないかと思って、さらに 収集しゅうしゅう します。しかし、大量の情報は 優先ゆうせん 順位じゅんい を こん らん させ、ますます優柔不断になってしまいます。


 自分に必要のないことは知らなくても良いのです。情報に溺れて自分を見失わないように、 てき  情報を閉め出す勇気を持つことが大事になっているのです。


 優柔不断というのは、自分のことだけを考えていると生じるものです。「自分などというものはない」と思ったら、何かを自分の思い通りに決めようということはなくなります。自然な成り行きに任せて、その中で精いっぱいできることをすればいいだけです。


 ところが、人間は「自分をなくす」という意識になかなかなれないのです。自己への こだわ りから はな れるために、普通の生活をしている人にもできそうなことが、「 ゆず る」ことです。他の人と意見がぶつかったなら、自分のほうを引っ込めるのです。


 優柔不断な人は、良くこれに似たことをやっています。「どっちでもいいよ」とか「それでいい」とわりと言います。それは自分が決められないから相手に判断をゆだねている状況ですが、譲るというのはそうではありません。相手に喜んでもらうために、自分はあえて「 退しりぞ く」のです。


 たとえば、夫婦で夏休みに旅行しようという相談をしていました。自分は 北海道ほっかいどう に行きたいと 提案ていあん したところ、奥さんは 沖縄おきなわ がいいと言いました。


 お互いが自分の我を通そうとして張り合うと、ケンカになってしまいます。でも、そもそもふたりで楽しく きゅう  を過ごすための相談なのです。自分が行きたいところに行くことが目的ではなく、ふたりで楽しむことが目的なのです。そちらのほうが優先順位は上なのです。


「そうか、じゃ沖縄にしようか」と言えば、奥さんは喜びます。旅行の時だけではなく、これから旅行に出かけるまでずっと、 上機嫌じょうきげん で明るく過ごしてくれるでしょう。それに比べたら、自分の希望などちっぽけなものです。


 その時「じゃあ沖縄でいいよ」なんて、決して言ってはいけません。「こっちは 妥協だきょう してやった」という自我が  けて見えています。これでは奥さんは素直に喜べません。「『沖縄でいい』ってなによ、そんなふうに言われても全然うれしくない。だったら北海道でいいわ」と、いっそう 険悪けんあく になってしまいます。


 素直に「相手を喜ばせたい」と考えると、すっきりと気持ちのいい選択ができます。そうすれば奥さんだってわかっていますから、「今年は私の希望を聞いてもらったから、来年は北海道にしよう」ということになるでしょう。


 会社の 取引とりひき 交渉こうしょう もそうです。条件が相手と折り合わなくて 膠着こうちゃく 状態じょうたい になっていたら、「わかりました。では私たちは、これこれの条件を引っ込めます」と言えばいいのです。


 状況が変われば、相手の出方も変わります。「そちらがその条件を引っ込めてくれたのですから、こちらもこの条件を引っ込めましょう」となります。あるいは、「いや、そこよりもこっちの部分で 譲歩じょうほ してもらえませんか」と言うかもしれませんが、そうしたら、「それだったら、そちらの部分で少し譲歩してもらえませんか」と言えます。


 勝ち負けにしてはダメです。いくつか希望を引っ込めたかもしれないけれど、相手に聞いてほしいことも  んでもらっていたら、不幸な結果ではありません。


 相手に求めるのではなく、まずは自分のほうから ゆず ることです。いま目の前にある事態を変えたかったら、自分のほうから動く。人に言う前に、自分が実行するのです。実行している人が言えば、相手は文句が言えません。


 お釈迦さまは、「勝ち負け」の 概念がいねん があるから、よけいな苦しみを いだ くのだと言っておられます。他の人と対立した時、話し合いをしようとすると、そこにはどうしても「勝ち負け」という概念が入ります。


「勝ってもあなたは てき をつくるだけ。負けたら負けたことを  やんで苦しむ。だから、勝ち負けという 概念がいねん を捨てなさい、勝ち負けという言葉が消えたところに、 究極きゅうきょく の 安穏あんのん 、 やす らぎが生まれる」とお釈迦さまは説いておられます。


 勝ったから偉いわけではないのです。勝つということは、相手の かな しみや にく しみを受けて苦しむことです。次は負けるかもしれないという不安を かか えることです。だから、苦しみの原点となる勝ち負けという概念を捨てたほうが良いのです。


 AかBかと まよ って決められない場合、いっそどちらの選択もやめて、全く別のCの道を選ぶ。決められないのは決め手になるだけの材料がないのです。どちらにしたところで不満が残りそうであれば、新たな「第三の選択」を考えたほうがすっきりします。


 相手がある時も、相手の  すAでも、自分の推すBでもない新たなC あん にすれば、どちらが勝った、負けたという話にはなりません。いい選択とは、いかに思いきりよく こだわ りを捨てていけるかにかかっているのです。


 医療の 進歩しんぽ は、人間に新たな なや みを増やしているという 側面そくめん もありますが、かつて がん は 不治ふじ の病といわれていましたが、最近ではさまざまな治療法が開発され癌が治るケースも出てきました。


 人間、遅かれ早かれ、いつかは死にます。ここで治すことができたとしても、 再発さいはつ の 可能性かのうせい はゼロではないかもしれないし、また別の命にかかわる病気になるかもしれません。


ならなかったとしても、いつかは老いて死にます。だから、「死にたくない」ということに囚われすぎてはいけません。


 大事なのは、自分が 納得なっとく いく 治療ちりょう を受け、「できることはやった。これでよかった」と最後に思えるかどうかです。それは治療の 技術力ぎじゅつりょく よりは、その人自身のこころの問題です。


 いま生きている人は、一度も死んでいないのです。つまり、これまで命にかかわるようなことで間違った選択を一度もしていないのです。だから今、こうやって生きていられる。これまでずっと正しい選択をしてきたのです。自分の選んだ 選択肢せんたくし を信じて、前を向いて、一瞬一瞬を、「ああ良かった、これで死んでも悔いはない」と思えるよう生きることが大切なのであります。


 法華経は信じることの重要性を説いております。人は 信心しんじん することで変わることができます。妙法を深く深く信じれば見えてくるものがあります。 普段ふだん のなにげない行動のなかから生きることの とうと さを感じることができます。 おだ やかなこころで 無心むしん になれば感じるものです。どうかこころを開いて集中してみてください。


 教祖・杉山辰子先生も妙法を深く信じることの重要性を説かれました。信じて、信じて、信心していくことが大事と言われました。 行住坐臥ぎょうじゅうざが いついかなる時も妙法蓮華経の五文字を とな えていれば、  りょ の事故や 災難さいなん から まぬか れることができると おお せです。そして、 大難だいなん が 小難しょうなん に小難が  なん へと 罪障ざいしょう を 消滅しょうめつ できると説かれました。


  さん とく 『 慈悲じひ 』『 まこと 』『 堪忍かんにん 』の 実践じっせん がとても重要となります。法華経は人のためになることを 率先そっせん して行うことが 功徳くどく になると説いております。特に慈悲は絶大な功徳を生みます。慈しみを育てることがとても重要です。人を幸せにしたら必ずその功徳で幸せをいただけます。私たちが 努力どりょく ・精進を行い いつく しみを育てれば必ず〝すばらしき人生〞へと みちび いて頂けるのであります。


 


合 掌


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