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世界平和を
大樹
すばらしき人生110

さむ さも  してきている今日この ごろ です。皆さまはいかがお過ごしでしょうか。新型コロナウイルスも三年目となり、多少気が ゆる んできているところへ第六波と思われるオミクロン かぶ が 感染かんせん 拡大かくだい をしております。 重症化じゅうしょうか のリスク( 危険きけん )が低いということは、デルタよりも 安心あんしん 材料ざいりょう があるのではないでしょうか。


 しかし、また新たにデルタクロン株と言ってデルタ株とオミクロン株の 合体がったい したようなウイルスの 変異へんい が 発見はっけん されました。


 いつまでたっても  わりが見えてきません。非常に 厄介やっかい なウイルスであると思います。ワクチン三回目 接種せっしゅ もあり、 治療ちりょう やく も出てまいりました。しかし、私たちが少しでも 油断ゆだん するとウイルスの感染拡大につながります。「 さん みつ 」を  け手洗いうがいマスクは当然しなくてはいけません。その上で、新しい 生活せいかつ 様式ようしき への 転換てんかん が必要となってまいります。


 コロナウイルスを完全にシャットアウトするのではなく、 人類じんるい が 共存きょうぞん 共栄きょうえい の道を 選択せんたく することが一番望ましいのではないでしょうか。すべての生きとし生けるものと上手に付き合うことが大事であると思います。


 令和四年元旦祭はコロナの影響で読経のみの開催となりました。信者の皆さまには、短冊を分散して引いて頂きご協力ありがとうございました。今月開催の節分厄除祈願祭も同様に読経のみの開催とさせて頂きます。ご供養頂いた厄除祈願を宣教師一同こころより 祈祷きとう させて頂きます。どうかご 容赦ようしゃ いただ きますようお願いします。


 私がサラリーマンの時でした。 静岡県しずおかけん の責任者をしておりました。部下が十名いると、さまざまなキャラ( 個性こせい )がおります。 優秀ゆうしゅう な 人材じんざい が二割いると、反対によくない人材も二割おります。 二八にっぱち の法則でも、二割の人材で八割の売り上げをあげるというふうに言われております。


 優秀なEさんは自分のやるべき仕事を 理解りかい しております。しかし、間に合わないAさんは、やるべき仕事が理解できなかったのです。Aさんは東京の有名な大学を 卒業そつぎょう されております。 理系りけい ということで、 病院びょういん を担当するにあたり最高の状況でした。


 彼は、 普段ふだん からよくしゃべる人間で 性格せいかく も明るく人間的にも問題ありませんでした。しかし、彼の 欠点けってん は 極度きょくど に 緊張きんちょう するタイプの人間でした。先生と面会しても仕事の話がスムーズにできないのです。


 私は、彼にN先生に 自社じしゃ 製品せいひん のPR( 宣伝せんでん )をしてくるようにと指示しましたが、緊張のためか先生に面会せずに帰ってきました。「君やる気あるの」と問いただしたのですが、そのときはまた普段の彼に戻っていたのです。


 要は、 精神的せいしんてき に弱い 部分ぶぶん が出ているのです。なんとか彼のメンタル( 精神面せいしんめん )を強くしないと仕事にならないと思い 面会めんかい するときの引き出しを、いくつか 伝授でんじゅ したのです。まずは世間話から入り、最近の 話題わだい に  れ、先生のこころが開いてきたら、いよいよ 本題ほんだい の話をします。①ヒアリング(相手の意見を聞く)② 課題かだい 合意ごうい ③ 提案ていあん ④課題 解決かいけつ の 提示ていじ ⑤クロージング( 商談しょうだん 成立せいりつ )という流れの 話法わほう を 徹底的てっていてき に しゅう とく させました。


 すると、いつの間にか先生と話ができるようになったのです。もともと話が好きな彼が 緊張きんちょう という大きなプレッシャーに押しつぶされて、後ろ向きな仕事になってしまったのです。やればできるじゃないかと  めてやりました。


 人生「ダメ もと 」でいいんだと割り切り、「  てる」ということの大切さを 理解りかい しないといけません。彼は、プライドを捨て、変な 自信じしん も捨て、 理系りけい としての 知識ちしき も捨て、自分という人間を信じて、ゼロから立ち上がったから 成就じょうじゅ できたのです。


 人間には、今まで つちか ってきた人格や人間性があります。変なプライドもあります。そういうことをすべて捨ててゼロベースから立ち上がれば成功できるのです。


 彼の人生を大きく変えたのは、過去にしがみついていた自分と 訣別けつべつ することです。そして「  せば  る」の 精神せいしん で仕事を まっと うする。そこに大きな意義があるのであります。


 人生の中で「 選択せんたく 」とは、 将来しょうらい のためのものだと 勘違かんちが いをされる人がいます。「将来、こうありたい」「こんなふうになりたい」と考えて、そのためにどういう選択をしたらいいのか頭を なや ませています。みんな、人生に成功したい、失敗のない選択をしたいと考えているのです。


 仏教の立場で見ると、将来というのは自分では 管理かんり することができないことです。先のことは誰にもわかりません。


 いま現在の自分と、管理できない将来のことを 一緒いっしょ に考えて、何とかしたいと無理をするから、いろいろ不安になったり、ストレスを溜めたりするのです。


 私たちが管理できるのは「いま」のことだけ、いま目の前にあることだけです。いまの 判断はんだん によって、その結果があとからついてくるのです。


 従いまして、将来をよくしたい、明るいものにしたいと思うなら、「いま、ここで成功する」ことです。


  意志いし を持つことは大事ですが、将来をあれこれあまり考えすぎないことです。「いまの成功」をコツコツと  み上げていくことが、「こうなりたい」という意志を 現実げんじつ のものにしていく 唯一ゆいいつ の方法です。


 いまこの 一瞬いっしゅん に 集中しゅうちゅう し、自分のベストを尽くす。この 瞬間しゅんかん がうまくいけば、次の瞬間の結果はよくなります。そこでまたしっかりやれば、その次の瞬間の結果もよくなります。瞬間、瞬間の判断と行動に成功すれば、それでよいのです。


 過去のことではなく、いまのことであれば、自分の力でいかようにも変えられます。人生に成功するには、この一秒で成功し、次の一秒でも成功し、一秒ごとに成功を続けていくことが大事なのです。


 何かをやろうとするとき、「明日やろう」と決めるのは、だいたい 実現じつげん までたどりつきません。「明日やる」というのは、「いますぐやる」という強い 意志いし がない 証拠しょうこ です。そういう 中途半端ちゅうとはんぱ な 判断はんだん で決めたことは、 途中とちゅう で  げ出しやすいのです。


 だから、「明日やればいいか」と思ってしまったら、自分はどうしてこれをやることにしたというきっかけを思い返し、「本当にいまやらなくていいのか」と自分に聞いてみることです。


 親が子どもの 将来しょうらい を あん じることはよくあります。「こうなって欲しい」「ああなって欲しい」と、誰もが考えます。しかし、親が子どもの人生を決めることはできません。


 生まれてきたものは、育てる 義務ぎむ があるだけです。個人にできるのは、その自分の義務を果たすことだけです。 余計よけい な考えを起こし、余計な口をはさんだり手を出したりしてしまうと余計な問題が起こるだけです。


 人間はいつの間にか、自分で何でも決められて、自分の思うがままに生きていけるような思い違いをするようになります。しかし、仏教は、「自分などというものはない」という考え方です。


 そもそも「私の命」とは何なのでしょうか。親が生んでくれて、育ててくれて、教育を ほどこ してくれる。周りが「ああしなさい、こうしなさい」と教えてくれて、大きくなるのです。生き物はみな環境の中で成り立っています。自分で考えて決めたと思っていることも、まったくゼロからのオリジナル( 原型げんけい )で自分が考えたわけではありません。これまで身につけた知識や経験、環境の中で培われてきたものの中から出てきたにすぎない。一人の人間が何者かというのは、社会の 機能きのう によって成り立っているだけです。


 人間は何のために生きるのかと、とかく生きることに意味をつけたがりますが、人のために生きる人生なら価値があると思います。この地球の一員、この宇宙の一員として生まれてきたから、この命を 精一杯せいいっぱい 生きる。そこに生まれたものとして、役目を果たす。それが人生なのです。


 世の中にあるものは、どんなものにも 役割やくわり があります。生かされている命としての「仕事」があります。


  生計せいけい を立てるために行うことも仕事と言いますが、 職業しょくぎょう というのは人間の仕事のほんの一部です。生かされている命としての仕事は、生まれたときから死ぬまで、ずっと続きます。


 赤ちゃんには赤ちゃんの仕事があり、子どもには子どもの仕事があります。生きて社会とのかかわりが増えていくほど、社会人として つと めなくてはいけない仕事も増えていきます。


 会社に新入社員が入ってきて 後輩こうはい ができたら、 先輩せんぱい の仕事をしなくてはいけません。 結婚けっこん したら夫や妻の仕事もできます。子どもが生まれたら、親の仕事も加わります。一方で自分の親に対して果たすべき子どもとしての仕事も続いています。住んでいる場所の市民として、国民としての仕事だってあります。


 社会というのは人で 構成こうせい されているものですから、それぞれがそういったさまざまな役割をきちんと果たさないと、うまく回っていきません。


 会社の仕事が忙しいと言って、子どもとゆっくり話をしたり遊んだりできないというのは、親としての仕事をサボっていることになるのです。


  田舎いなか に年老いた親が 認知症にんちしょう になって生活にいろいろ 支障ししょう が出てきているのに、 はな れて  らしているという理由でほったらかしにしているのは、子どもとしての仕事を なま けているのです。


 日本人は特に、仕事と家庭というものを分けて考える 傾向けいこう がありますが、「これはやりたい」「これはやりたくない」と言えるものではないのです。 分離ぶんり することはできません。生きている以上、すべてひっくるめて  け  わなければいけない。


 週末に電車に乗ると、若いお父さんが  っこ ひも をつけて子どもを抱っこして、家族一緒に乗っている姿を見かけます。平日は仕事をがんばっている、休日にはこうして父親として、夫としての仕事をがんばってやっております。「がんばってやっている、いい仕事している」と 微笑ほほえ ましく思えます。


 生かされているものとしての役割を果たすことは、全部、人生の大事な仕事なのです。自分の役割は 運命的うんめいてき に決まっているわけではありません。神が定めたものでもないのです。環境によって成り立つものです。そこから逃げることはできません。


 たとえば、女性が子どもを産んだら、 瞬時しゅんじ に母親に変わるのです。女性であることがなくなったわけではないですが、環境によって母という役割が現れたのです。それを果たすのです。


 自分の能力を みが きあげて、 いつく しみの気持ちで生きているならば、 社会しゃかい 環境かんきょう によって成り立つ役割よりも大きい役割を果たすこともできるのです。もっと社会の役に立つ人間になろうと思えば、その道も おの ずと ひら けてくるのであります。


 教祖・杉山辰子先生は妙法を深く信じることの重要性を説かれました。人間は深く信心するときに気づくものです。 信仰しんこう とは有り難いものです。 信心しんじん して信心していけば必ず変化に気づきます。


  行住坐臥ぎょうじゅうざが いついかなるときも妙法蓮華経の五文字を唱えていれば、 不慮ふりょ の事故や 災難さいなん から まぬか れることができると おお せです。そして、 大難だいなん が 小難しょうなん に小難が 無難ぶなん へと 罪障ざいしょう を 消滅しょうめつ できるのです。


  三大煩悩さんだいぼんのう の どん ・ じん ・  を少しでも減らしていくこと。私たちは、煩悩に 支配しはい されない生き方をしなければなりません。それには、感情に流されず 冷静れいせい に 平常へいじょう しん で生きることが求められます。


 私たちが、 将来しょうらい の 自己じこ 実現じつげん に向け成功するには『 慈悲じひ 』『 まこと 』『 堪忍かんにん 』の さん とく の 実践じっせん をすることです。三徳の実践は私たちの生きる 指標しひょう となるでしょう。もっと、もっと自分を高め みが いて〝すばらしき人生〞へと昇りたいと思っております。


 


合 掌


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