三月を 弥生 と申しまして、いよいよ暖かい春がやってまいります。今年は平年より雪も多く寒い日が続きました。 豪雪 地帯 の方は大変なご苦労をされたと思います。自然の力の大きさにはかなわないという思いです。
新型コロナウイルスのオミクロン 患者 も 急速 に増えピークも過ぎようとしている状況にあります。私たちは、今までかつて 経験 したことがないようなパンデミック( 感染 爆発 )を経験しました。しかし、このまま 終息 へと向かうとは思えません。また、いつか新たな 変異 が私たちを 襲 うかもしれません。ワクチン三回目接種と、治療薬がそろえば解決に向かうと思われます。それまで、じっと 耐 えることです。
医学の発達と研究者の努力に 敬意 を 表 したいと思います。しかし、反面人類として考えないといけないことは、この自然の法則に逆らうことが、果たして正解なのかどうかは未来にならないと答えは出てきません。今後、自然災害や人災を含め天災が大きくなる一方です。人類は常に 厳 しい状況から 智慧 を出し合い解決してきました。新型コロナも本来あるべき姿で解決できるようにしていかなければいけないと思っております。
先般は節分厄除祈願祭を開催させていただきました。コロナの影響で読経のみの開催となりました。今月開催の春季彼岸先祖法要会並びに柴垣法隆先生三十四回忌も読経の開催とさせていただきます。どうか宜しくお願いします。
私がサラリーマンのときでした。四国の責任者をしておりました。私たち家族四人で四国八十八ヵ所 霊場 巡 りをしました。 阿波 二十三ヵ寺(一番〜二十三番)、 土佐 十六ヵ寺(二十四番〜三十九番)、 伊予 二十六ヵ寺(四十番〜六十五番)、 讃岐 二十三ヵ寺(六十六番〜八十八番)です。一番札所の 霊山寺 から八十八番札所の 大窪寺 まで二年の歳月をかけ参拝をさせていただきました。
人間の 厄年 にあたる男性が四十二歳、女性が三十三歳、子どもの十三歳の合計が八十八なので「八十八ヵ寺」になったといわれております。とにかく大変な思いで霊場巡りをしましたが、四国に住んでいたから達成できたのです。
部下のYさんは京都の有名な国立大学を卒業されました。頭もよく背も高く 三拍子 そろった人物でした。香川県の国立K医科大学病院を担当しておりました。しかし、そんな優秀な彼にも欠点がありました。すべてに対し上から 目線 で見る悪い 癖 がありました。K大学病院の 教授 をされているI先生とはうまくいっておりませんでした。普段の 行動 や 言動 から自然と出てしまう彼の悪い癖を受け入れてくれなかったのです。
人間のプライドはとても大切な部分ですが、プライドが 傲 りになってしまうと、よい結果は得られません。常に 謙虚 で 冷静 な 平常 心 を 養 うことがとても大事です。
私が彼に 指導 することが何もありませんでした。人間の基本的な部分というものは、言っても理解できるものではありません。 即効性 のある対策は担当者を変えることです。最重点病院を彼のような 自尊 心 の強い人間が担当してはいけないのです。
私は、彼の代わりにTさんを担当にしました。Tさんの性格はとても良く、明るく素直で 謙虚 な人間でした。 大技 はないけれど 小技 でコツコツ実績を上げるタイプでした。K医科大学病院のI先生も気さくで優しい先生でした。Tさんを担当にして本当にうまくいきました。先生が困っていることをしっかりと聞き出して、対策を 講 じ、 問題 解決 の 提案 ができたのです。彼のように 腰 の低い人間がオールマイティ( 完璧 )なのです。
仕事において 自我 をいかに 捨 てることができるか、より頭が低く、腰も低い者こそ、相手との 信頼 関係 が深くなるのです。自分流ではダメなのです。いかに相手に合わせるか、そこでニーズ( 需要 )を引き出せるか、そのニーズにこたえられるかによって勝敗は決まるのであります。
さて、自分という人間は社会をつくっている一つのピース( 小片 )です、ジグソーパズルの一つのピースは全部が違うかたちをしています。必ずそのピースがぴったりとはまる場所があります。ピースが一つでも欠けたら、パズルを完成することはできません。人間というのはそういう存在なのです。
ただ、社会が絶えず変化を続けているという違いがあるので、ジグソーパズルのように 単純 ではありません。「自分探し」という言葉あります。「自分には何ができるのだろうか」「自分の 居場所 はどこにあるのだろうか」と探します。
しかし、真の自分探しとは、自分は社会の中でどんなピースなのかを見つけ出し、 自覚 するプロセス( 過程 )のことです。そこには必ずはまるピースがあるのです。
自分がどんなピースであるのかを見つけたら、もう 中途半端 に 迷 わなくなります。どんな 選択 も正しくできるようになります。「何をやりたいか、やりたくないか」とか、「どっちが得で、どっちが損か」と考えずに、「これは自分が今こそやるべきことか、やるべきではないことか」で 判断 できるようになるからです。
「僕は 介護 の仕事をしています。やりがいはありますが、正直、給料が安くて生活が 厳 しいのです。体力的にもけっこう厳しい。今後、子どもができたりしたら生活していけないだろうかと、将来に不安を感じています。 転職 したほうがいいのではないか」と 悩 んでいる方がおられます。
これは、お金か、やりがいかを 天秤 にかけて考えています。この人はおそらく、どちらを選択しても不満が残るでしょう。このまま介護の仕事を続けていても、仕事の大変さに比べ収入が少ないという気持ちをずっと 抱 え 続 けます。ではもっと収入のいい仕事に転職をすすめれば、「この仕事にはやりがいが感じられない、 充 実感 がない」ときっと言うでしょう。
自分のことだけで考えるのをやめて、自分を社会の一つのピースとして考えたらどうでしょうか。
辞 めてしまったら、いま介護の 現場 で、その人を 頼 りにし必要としてくれている人たちはどうなるのでしょうか。やりがいがあるということは、自分は、ここで「人の命を支える 役割 を 果 たせている」という手ごたえを日々感じているはずです。いま、ここで成功しているのです。
「自分が誰かの役に立っている」という充実感は、金銭には代えがたいものです。自分の生命をかける重要な仕事として見れば、「こんな安い給料でこんなに苦労している」と思ってしまいますが、「自分を必要とする人たちのために役に立っているのだ。この人たちの命を支える仕事なのだ。社会の中で今の私は大切な役目を果たしているのだ」と考えることができると、きっと幸せに生きられます。
苦労なんて感じなくなり、迷いが消えます。迷いが消えると、すっきりして仕事に取り組む 姿勢 も変わります。今が変わるので、もっといい結果がでます。
日常生活を見回してみると、さりげない 存在 ですが、とても役に立っているものがいろいろあります。たとえば、紙パックのジュースを買うと、横に小さなストローが付いております。人は、ジュースが飲みたくて買うのであって、ストローが欲しいと思って買うのではありません。でも、あれがなかったら困ります。必要とされています。立派に役目を果たしています。
人間は、すぐに「自分が、自分が」と言って 主役 になりたがろうとしますが、あのストローはずっと 脇役 人生 を歩んでいます。
社会の中で一つのピース( 小片 )として役に立つ存在になるということは、そういった「いい仕事をする 道具 」になることと同じです。私たち人間も、社会の中において何かしらの道具として役に立つために存在していると考えるほうがよいのです。そうしたら自我に 支配 されることが無くなるのです。
「人は道具だ」と言うと、「人間を道具扱いするな」と怒る人もおられます。道具というものをあまり上等なものではないように思っている人が多いようですが、「道具」といわれるようになったらありがたいことです。まして「いい道具」になれたら、すごいことなのです。
いい道具としていつでもきちんと役に立てるようにするためには、 準備 とメンテナンス( 保守 )が必要です。自分を 磨 いて、いつでも見事な働きができるようにしておかなければいけません。
日本料理の 板前 見習 の人たちがいるとしましょう。日本料理の基本となるのは包丁づかいです。包丁にも 用途 によっていろいろあり、その技を磨くために必死に 修行 します。それぞれ自分の包丁があって、それを常にきれいに 研 いて、 拭 いて、大事にメンテナンスしている人と、「こんなに切れ味がいいから今日は研かなくてもいい」と手を抜く人では、やはり違うのです。
いま、この 瞬間 に最高の技を 発揮 するためには、常に 入念 な準備が必要です。 手先 が 器用 で 物覚 えがよく、すぐに 上達 できる人でも、包丁の扱いがぞんざいだったら、プロとして 大成 しません。いい板前になるのは包丁のメンテナンスをきちんとやっている人です。
「 志 がある」というのは「俺は日本一の板前になる」と高い 理想 を 叫 ぶことではなくて、いつも「いま」の仕事に 専念 して、準備を 怠 らずにコツコツと 丹念 にやり続けていける 気概 をもつことです。自分がどういう 舞台 で 活躍 する道具かによって,準備の仕方、メンテナンスの仕方も 違 います。
もし、自分がどんな準備やメンテナンスをしたらいいのかわからなかったら、同じ道具でいる仲間たちの行動を 観察 してみてください。見分け方は 簡単 です。「すごいな」「さすがだな」「うらやましいな」と思えるような人は、みんなしっかり準備、メンテナンスができている人です。
それを 妬 ましく思うのではなく、やるべきことがしっかりできているところに 敬意 を 払 い、自分もそこから学ぶのです。年齢とかキャリアの長さは全く関係ありません。若くてもしっかりできている人はたくさんいます。
自分をよく 磨 いている人は、人気があります。それは、自分を喜ばせることができ、他人を喜ばせることができているからです。だから、いっそう世の中から必要とされます。
人間はどんな小さな選択をするときも、大きな選択をするときも、自分個人に 囚 われてはいけません。「大事にすべき、尊重されるべき一人の人間」という、うがった 視点 で考えるのではなく、社会の宇宙の小さな一つのピース( 小片 )として考えることです。
自分を喜ばせても、他人を喜ばせられなかったら、それはいい 判断 、いい行動ではありません。また、他人を喜ばせても、自分を喜ばせられなかったら、そこには 偽 りがあります。どちらも正しい 選択 ではありません。
自分も、みんなも喜ばすことができること、それが正しい選択です。そして、 一度 選 んだとしたら、その 選択肢 を正解に 導 いていくのです。それが 後悔 しない最良の選択なのであります。
教祖・杉山辰子先生は妙法を深く信じることの大切さを説かれました。深く、深く信じて、 信心 していけば、その 功徳 をいただけると言われました。私たちが、 素直 になり妙法の力を信じるこころがとても大事なのです。
教祖さまは、 行住坐臥 いついかなるときも、妙法蓮華経の五文字を唱えるときに大きな功徳があり、 不慮 の 事故 や 災難 から 免 れることができると 仰 せです。そして、 大難 が 小難 に小難が 無難 に 罪障 を 消滅 できるのです。
『 慈悲 』『 誠 』『 堪忍 』の 三 徳 の 実践 がとても重要です。中でも慈悲の功徳は絶大です。「すべての生きとし生けるものが幸せでありますように」と、こころに念ずることです。そういう大きな慈悲のこころになれば必ず幸せをいただけます。
自分のために生きてきた人生を、人のために生きる人生へと 変革 すること、私たちの生きる目的を 明確 にすることで〝すばらしき人生〞へと高めたいと思っております。
合 掌