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世界平和を
大樹
すばらしき人生15

「春よ来い 早く来い あるきはじめた みいちゃんが 赤い鼻緒の じょじょはいて おんもへ 出たいと待っている~♪」 という童謡は大正時代後期に弘田龍太郎作曲、相馬御風(ぎょふう)作詞で作られました。のどかで春の到来を待ち望んだ雰囲気が伝わります。最近ではこのような心温まる童謡など新しい曲は作られているのでしょうか?


 子供向けの歌謡曲でヒットした皆川おさむの「黒ネコのタンゴ」や子門真人の「およげたいやきくん」やNHK『おかあさんといっしょ』という番組のオリジナルナンバーで「だんご三兄弟」もよく耳にしました。どれも実に懐かしい思い出深い歌でした。


 さて、今年の法公会スローガンは『決断と実行』であります。人生とは常に決断を迫られる場面に遭遇します。進学の時も同じであります。今では『お受験』と呼ばれ、学生本人もさることながら、親御さんが悩み苦しむ時代となっております。その受験戦争は、幼稚園の時から始まります。言い返せば、子供さんが生まれて間もなく闘いが始まるという訳であります。今、私の子供は、すでに成人しましたので、苦しむことはありませんが、過去を振り返れば、いろいろ教育には力を注いできたと思っております。ただ、現在のような『お受験』を経験した訳ではありません。三歳を過ぎた頃より、公文を学ばせました。漢字、算数、英語の反復練習であります。いろいろ学ばせましたが、あまり長続きはしませんでした。せいぜい小学生の低学年で辞めてしまったと記憶しております。私の子供には、勉強よりスポーツやピアノを習わせようと考え方を変えました。もともと、アレルギー体質という問題を抱えておりましたので、全身の筋肉を使うスイミングは体質改善に効果的であります。お蔭さまで、アレルギー症状も完璧ではありませんが、一定の効果がありました。ピアノは左右の手の指を使うことで右脳を刺激し少しは学力を上げることが出来るであろうと期待したからであります。実は個人的には、子供がピアノを弾き、その傍らでブランデーでも飲みたいという、小さな幸せを陰では求めておりました。しかし、子供が小学五年生の時に、仕事で転勤をしたことがきっかけで、新たなピアノの先生は探しませんでした。スイミングは中学一年頃まで続きましたが、受験という大きな壁があり、結局、辞めることとなりました。「好きこそ物の上手なれ」という諺がございます。多分、スイミングはそれなりに相性が良かったかも知れません。


 丁度、子供が中学一年の時から、文科省の学習指導要領の改定により週休二日制になりました。いわゆる『ゆとり教育』が始まってしまいました。一つ上の先輩より授業時間が短縮されてしまう訳であります。ただでさえ、頭が良い方ではないのに、そんなハンデーキャップは困ったものだと家族で話しておりました。そこで、やはり、そのぶん塾に通わせないと高校受験で大変な思いをしてしまうと思い通わせました。そんなことで『ゆとり教育』は我が家の家計を直撃しました。つくづく教育にはお金がかかることを思い知らされた訳であります。


 1990年代のバブル全盛期に、三高という言葉がはやりました。高学歴・高収入・高身長とありましたが、これは女性の結婚相手の条件だったそうであります。しかし、現実とのギャップは言うまでもありません。身の丈が一番良いのであります。


 さて、『決断と実行』ですが、人生の岐路はたびたびやってくるものです。私が企業の面接官だったら、どのような採用基準で人間の評価をするのか?個人的な考えですが、お示ししたいと思います。大きく分けて三つあります。一つには性格面、二つには行動面、三つには能力面であります。


 まず、性格面では、人間の奥深くにある『こころ』を中心に観察をします。正直で素直な心を持つ人が良いと思います。会社とは、いろんな社会と同様に協調性を求められております。一方、ショービジネスでは個人プレーヤーが多くを占めております。これはオリジナリティ(独創性)やパーソナリティ(個性)が必要とされるからであります。しかし、会社の組織人として大事なことは、チームプレーに徹することであります。従いまして、温厚で素直なこころを持つことが大切であります。そして、何事もやり遂げるという『強い信念』も必要であります。「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」という名言がございます。やればできる、やらなければできない、何事も、できないのは人がやらないからだということで、何よりも質の高い目標にチャレンジすることが大事であります。そして、最後までやり遂げるという執念を持つことを忘れてはなりません。


 次に、行動面からみると、闘志を持っているかどうかであります。いわゆる『やる気』であります。世の中は競争社会です。いつでも、どこでも競争するということが社会の仕組みとなっております。闘争心のある行動力と俊敏さを求められる瞬発力と精度を求められる正確性と安心・安全を求められる信頼性が必要とされます。


 次に、能力面では、一般的には専門分野専攻の人材を採るのが手っ取り早いのですが、私は標準以上の学歴があれば、出身大学や専攻学科は全く関係ないと思っております。頭が良いというだけの人物では駄目なのであります。勉強ができて頭が良い人でも、会社で仕事が上手くできるかどうかは疑問が残ります。これが全てではありませんが、一流大学の高学歴の人材ほど、一つの壁がなかなか破れずに悩んでいるケースがあるように思います。そこには、自分という人間を勉強と同様に仕事も自分が一番できると勘違いしてしまうからであります。ある意味、自分のプライドが邪魔をして成功しないケースがあるようにも思われます。私なら、一定以上の学力があれば、一流大学卒の頭の良い人材よりも、処世術を持った賢い人材を選ぶと思います。過去の例から見ても、ぼんぼん育ちで頭が良く一流大学を出られた方で一番困ったことは、失敗経験が一切ないという人がおられました。「失敗は成功のもと」と申しまして、失敗経験がないうえに、親から叱られた経験もなく、『純粋バイオ』のような完全無菌室で育ったような人ですと、一度、自信を無くすとなかな回復しないのであります。


 私は、一流大学出身で三年目のA君を一から教育して、営業の基本を徹底的に教えました。そして、効率よく活動していたかに見えたのですが、一人で活動しているうちに何か勘違いをしているのに気づきました。私は彼に「君は上から目線の部分があるよ。注意した方が良いと思う」とアドバイスをしました。そうなるのも無理はないと思いました。彼はドクターよりレベルの高い大学出身であるからであります。しかし、プロはそのような部分は決して見せてはいけません。「能ある鷹は爪を隠す」という諺が然りでございます。また、彼は過去、失敗経験が全く無く、ある日、大事なドクターを怒らせてしまうという結果になってしまいました。打開策も見いだせないまま会社を辞めることとなりました。


 私の上司からは、「君は彼のような優秀な人材を辞めさせて困るのだけど」と云われました。しかし、私は、「彼のためになったと思いますよ」と反論しました。そして、「彼の欠点は、自分が優秀であると勘違いしている点に気づいていないことが大きな問題である」と説明しました。もともと、彼には、そのようなレセプター(受容体)のような受け入れる素因がありませんでした。ここでの一番の問題点は会社の採用担当の面接者の資質にあると思った次第であります。


現在では、就職はとても難しく氷河期の真っただ中であります。買い手市場と申しましょうか?企業が人材を選んで採用することができる状況であります。


 三年前に子供が就職活動をしていた時、先ず、パソコンのウェブ(ホームページ)で会社のエントリーシートを書き、パスすると今度は、ウェブ上で文章やSPI(採用選考)というテストを行います。そんなに難しいテストではないようですが、その段階で面接できるかどうか決まるそうです。会社はこの段階で学歴や専攻学科を重視しているように思えてきます。さらに、SPIをクリアして一次面接、二時面接となり採用が決まる訳であります。これには、若干の問題があるようにも思われます。採用する人材をふるいに掛けているように見えてきてなりません。会話もなく人間の体温も感じないまま、パソコンの資料だけで、伝えたいことも伝えられないという現実は、とても残念で仕方ありません。


 一言で能力と云っても個人差がありますが、将来、伸びる要素があるかどうか、そこを見極めることは至難は業であります。私の場合、自分の直感力で以上の三つの点に留意して面接をした経験がございます。やはり、性格面と行動面がしっかり土台をつくっていれば、学歴よりも、何よりも、人に先んずくテクニック(業)を学び取るといった進取の精神が極めて重要であると思っております。この機転の利く能力の持ち主こそ求められる人材ではないでしょうか。


 三月はお彼岸という行事がございます。十八日が彼岸の入りで、春分の日は二十一日、明けが二十四日となっております。彼岸の入りから七日間を云います。中日(春分の日)には、ご先祖様を敬い、感謝する日でございます。中日の前後三日間に私たちは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・仏智という六波羅蜜の修養をする必要があります。一日一善のごとく、特にお彼岸の間は行うべきであります。法公会の春季彼岸先祖法要会は三月二十三日(日)でございます。どうかご参詣をお願い致します。


 法華経の真の『教え』は森羅万象、宇宙すべての真理でございます。私たちは、この尊い教えに縁があったことに感謝することが大切であります。縁がなければ、幸せになるチャンスを見失うことと同じであります。私たち人間は動物であります。すべての動物には親がおります。当たり前のことですが、親から子供は生まれます。従いまして、親の徳に勝る子はおりません。常に親に感謝をして、ご先祖様に感謝する。そして、この世のすべての恵みに感謝することを忘れてはなりません。


 そして、人生とは、楽しんで、喜んで、笑顔で、一生懸命に生き抜くことであります。ご先祖様、両親から授かった大切な命を無駄に使ってはなりません。私たちが有難い法華経の教えを通じ三徳『慈悲』 『誠』 『堪忍』を実践することが、極めて重要であります。そして、積徳の人生を歩むことが、私たちの『生き方』であると思っております。皆様は、今年一年どのような徳を積むか、すでに決断されたと思います。後は、実行をするだけでございます。どうかこの一年ご精進をされ『すばらしき人生』を掴み取って下さい。


合 掌


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