まことに心地の良い季節がやって参りました。やはり、五月はいいですね。毎年、大型連休のゴールデンウィークに遠出をしたくなるのは、誰しも同じであります。一生懸命、働いた自分へのご褒美と云っていいでしょう。何処へ行っても楽しめる訳であります。しかし、それに伴い各地で道路の渋滞や新幹線・飛行機と満席でチケットが取れないケースも多々あります。大変な思いをしても旅行でリフレッシュすることが大切であります。心身の健康にはストレスの排除が最も効果的であります。
五月と云えば、端午の節句がございます。四国・高知県の四万十川での鯉のぼりの川渡しや徳島県の吉野川、大歩危峡(おおぼけきょう)の川に泳ぐ鯉のぼりの雄大な姿が瞼に浮かびます。端午の節句は菖蒲の節句とも呼ばれるそうであります。端午の節句に男子の健やかな成長を祈願し各種の行事を行う習わしがあります。親なら誰しも子供の健康を望まない人はおりません。従いまして、私たちは両親に『産んでくれてありがとう!』と感謝することが大切であります。
皆さまにとって、お祭りとはどのようなものでしょうか?私は幼少の頃、西尾市の田舎育ちでしたので、秋の豊作に感謝をする、お祭りが各集落でございました。親戚が集まり、美味しい料理を食べ、わいわい、がやがやと話をし、お酒も入りテンションも上がるのは当然であります。また、お互いの健康を確認するような所もあり心温まる行事であります。年中お祭りでは困りますが、年に一度のことだから楽しいのかも知れません。
五月の連休には知立まつりがございます。今年は本祭りということで飛騨高山より「からくり人形の山車」や「いろいろな山車」が勇ましく町内を巡行いたします。狭い道に大きな山車が通りますので、ものすごい迫力がございます。そして、「山車文楽・からくり」の上演もございます。つくづく日本の伝統芸能はすばらしいと思っておる所でございます。今年は、カメラにしっかりと納めようと思っております。東京の三社まつりも壮大であります。あの御輿は誰が担いでも良いそうであります。法被と鉢巻きさえあれば良いのですが、人をかき分けて担ぐにも度胸と体力が要ります。『法被着て老いの姿が一寸伸び』という川柳があります。老いも若きも祭りにより心が洗われ、日本人魂が目覚めるのでしょうか?なんだか元気になってきます。
さて、五月病(ごがつびょう)という言葉はご存知ですか?五月病とは、新人社員や大学の新入生などに見られる、新しい環境に適応できないことに起因する精神的な症状の総称であります。新年度の四月には入学や就職、異動、一人暮らしなど新しい環境への期待があり、やる気があるものの、その環境に適応できないでいると人によっては、うつ病に似た症状がしばしば五月のゴールデンウィーク明け頃から起こることが多いため、この名称となっているようであります。私のいた会社でも五月病で連休明けから出社しなくなった社員がおりました。新人の導入研修・製品研修で二か月ほどあるのですが、五月の連休は、一旦、故郷人事的に地元の支店に配属となりOJT(育成・指導活動)をして、先輩たちが手本となり教育をいたします。しかし、こちらが準備をしていても連休を境に辞めてしまう訳であります。五月病とは厄介な病気であります。
仕事は、辛いことばかりではありません。ポジティブに取り組んでいるうちに楽しいことが見えて参ります。その楽しいことの蓄積が更なる飛躍へと繋がって参ります。『石の上にも三年』という諺がございます。つらくても辛抱して続ければ、いつかは成し遂げられるということであります。日々の努力なくして成功は有り得ません。信念を持って自分のやるべきことを確実に実行するだけです。
私が製薬会社で製薬会社で働いていた頃、会社は人事考課を強力に推進して参りました。アセスメントと申しまして、部下、同僚、上司によって、自分というものの評価を受けるのであります。すなわち、360度評価をされる訳であります。評価というのは一言でいって、とても難しいことであります。評価=給料であります。その人の給料が決まってしまいます。従いまして、部下の生活部分まで介入するということであります。評価者それぞれの価値観や尺度が違うため、より精度を上げるために360度評価が生まれたものと思っております。実際、部下や同僚から評価されるのは、あまり良い気持ちはしませんが、より公正で公平な評価ができるものと思われます。会社というのは不思議なもので、個人の評価は絶対評価でなければならないのですが、絶対評価の相対評価というのが一般的でございます。そのからくりは給料が予算として計上されているからであります。どの会社も相対評価でないと評価が難しいのであります。
私の評価方法は少し視点を変えておりました。例えば、二年生と五年生ではキャリアが違う訳であります。そのキャリア分を差し引いて評価をすると全体のバランスが良くなります。まず、若手で優秀な社員に良い評価を与えます。そうすれば、同僚との差別化になります。評価の悪い同僚は、その評価の高かった同輩を追い抜こうと頑張るでしょう。五年目の中堅社員はキャリアの部分を差し引きますから、自分が思っているような評価を得られません。そこで、先輩としてもプライドを刺激します。このように絶対評価部分は決められているので、触れられませんが、相対評価部分が社内での競争意識を高めてまいります。競争により勝ち抜いてゆくというカルチャー(文化)を作ることが極めて重要であります。一番悪いのは、成績を重視すればよいのですが、「好き」「嫌い」という感情によって評価をするケースは最悪であります。また、嫌われたくないという感情で甘い評価をする上司もおります。結構、私が知る限りでは、以上のようなフィーリングで評価をしていた輩(やから)は多くおりました。公正で公平な評価がなされないと、部下が上司に不信感を持ち『負のスパイラル』へと落ちて行きます。最終的に人事考課の権利をはく奪され降格となるのは必至でございます。ひとの人生を変える人事評価というものは、厳格でないといけません。
さて、私が四国の責任者をしていた時に、松山市である研究会を主催しました。医療スタッフ100名ほどの参加を頂きました。そして、研究会をスタートさせようと準備をしている時に、演者の大学教授の先生より遅れますという一報が入りました。困ったなと思い、どれぐらい遅れますかと聞いたら、飛行機に乗り遅れましたということであります。東京→松山便は一時間に一本なので講演が一時間遅れてしまうのであります。前座の先生に持ち時間30分の所、一時間ほど講演を長くやって欲しいと依頼をして、できるだけ延ばして頂きました。そして、先生が到着の時間まで、なんとか繋いで特別講演を行なえると思っていた矢先にまた電話が入り、更にもう一本乗り遅れましたという電話でした。まさに、とんでもない危機がやって参りました。講師の先生が飛行機に乗り遅れたとは云えませんので、急患が入り飛行機に間に合いませんでした、このようにアナウンスした次第であります。今度は、二度目のアナウンスなので先生方を怒らせないようにする為に、飛行機のトラブルでもう少し遅れますと説明し、二時間遅れで講演の先生が到着された研究会も無事終了した記憶がございます。私たちは、この研究会の歴史と重みと価値を落としてはなりません。そのためにも『嘘も方便』ではありますが、長く待ったけれど勉強になったという成果を頂くことが大事であります。人を怒らせないためのテクニックが『嘘も方便』なら良いことではないでしょうか?
松山と云えば道後温泉が有名であります。日本三古湯のひとつと云われており、日本国内でもひときわ古い三千年もの歴史を持つと云われる温泉であります。私も何度か足を運びました。『坊ちゃん湯』の愛称で広く国民に愛された温泉であり、あの夏目漱石が英語教師として松山に赴任し正岡子規らとともに浸かったことなど歴史を感じさせます。三階は少しお値段が高いのですが、『坊っちゃんの間』があり、御座敷で、お茶やお菓子を楽しむことも風情があって良いのではないでしょうか。温泉の建物やお風呂は昔ながらの情緒を感じさせます。湯温は四六度と高めで、熱くてなかなか浸かることが容易ではないのですが、慣れれば心地良くなります。この連休には温泉でリラックスすることも良いのではないでしょうか?身も心も癒されます。
今年の法公会開祖祭(法公先生四回忌)には、先生の銅像の除幕式を執り行います。どんな法公先生像ができるのか?大いに楽しみでございます。必ず信者の皆さんに満足して頂けるように準備して参りたいと思っております。何卒ご協力をお願い申し上げます。
私たちは、今ここに生きております。命があるということは最も尊いことであります。その命を与えて下さったご両親、ご先祖様のお蔭であることを忘れてはなりません。人それぞれに人生があります。しかし、どんな人生を送るにしても精一杯努力をして生きることが大切であります。先ず、どんな人生にしたいか目標を立て、その目標に向かい、ひたすら努力することであります。そして、命に感謝!両親に感謝!家族に感謝!ご先祖様に感謝!隣人に感謝!親戚に感謝!大自然に感謝!そして、この尊い教えの縁に触れることができたことに『感謝』をしなければなりません。私たちが天寿を全うする、その日まで感謝という『生き方』であって欲しいと思っております。感謝なくして幸せは有り得ません。
私たちは、日々の暮らしの中で『積徳』について、深く考える必要があります。徳を積むということは、『言うは易く行うは難し』と申しまして、口で云うのは簡単ですが、積徳を生活の中に組み入れて行くことは、なかなか難しい面もあります。夫婦であったら、お互いに尊敬することができますか?親子でも100%親を尊敬できますか?例えば、ご両親や子供さんが不治の病を患ってしまった場合、看病をするあなたは相手を尊敬できますか?面倒なことなので、ついつい愚痴の一つも出てしまいますよね。いろいろ生活する上で尊敬したくても別の素因でできない場合があると思います。しかし、この法華経の教えに照らし合わせると、困っている人の罪となる訳であります。『施し』という積徳により自分の徳を増やせる環境を作って下さったことに感謝するべきであります。そうすれば自然と相手を敬う心が生じます。
私たちは、積徳の人生を選択しました。『慈悲』 『誠』 『堪忍』の三徳を積むことが最も重要であります。自分の徳を増やし、魂を磨き心の健康を手に入れ、足るを知ることで無駄を省き、命あることに感謝して生きる『すばらしき人生』いうゴールを目指し日々ご精進をお願いいたします。
合 掌