夏本番の季節がやって参りました。熱中症対策には配慮しなければいけません。充分な水分補給は欠かせないものであります。どうかご自愛下さいますようお願い申し上げます。
八月といえば先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく、成仏してくれるようにと、子孫が、報恩感謝や追善の供養をする期間を「お盆」と申します。お盆は、目連尊者に由来をしております。ある時、神通力によって亡き母が餓鬼道に落ち逆さ吊りにされて苦しんでいると知った。そこで、どうしたら母親を救えるのか釈迦に相談したところ、「夏の修行が終った7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことができるであろう」と言われたと伝えられている。そこで、目連尊者が釈迦の教え通りにしたところ、その功徳によって母親は極楽往生がとげられたということであります。せめて、盆・正月ぐらいはお墓参りをしないと、ご先祖様が悲しむこととなります。毎日、仏壇に向かい、お経をあげることはとても良い習慣であります。そして、ご先祖様に感謝することが大事であります。お墓や仏壇があるからこそ、こころが洗われ深く感謝ができるのであります。今、自分が生かされていることも、ご先祖様のお蔭であります。常日頃より、仏壇に向かい合掌することが望ましいのであります。
過日、法公会盆施餓鬼先祖大法要会に多くの信者様に、ご参詣いただきました。多くのご先祖様の御霊が救われたことと思っております。誠に有難うございます。
さて、皆様は縁と云うものをどのようにお考えでしょうか?私は縁と云うのは仏教で云う縁起に由来しているものと捉えております。縁があって、この世に生まれた訳でありますから、縁とは縁起と同義語であると解釈しております。仏教では「空」と「縁起」は根本にある思想と云っていいと思われます。「空」とは実体がないということ。自分が思い込んでいるようには世の中は存在しないということであります。「縁起」とは何かに「縁」って「起」きることであります。原因や条件、または部分などに互いに異存することによって全てのものは成り立っている。この二つの思想は深い意味を持っていると思います。
従いまして、縁起とは、世界が無常であることを明らかにすることによって、この世の苦しみを説明する一方で、苦しみを滅するために、苦しみを生み出す原因が何であるかを追究することであります。「縁起」ということばは、現在では、もっぱら「縁起がよい、悪い」というように「ものごとの起こる前ぶれ、前兆」の意味で用いられております。しかし、もともとはそのような意味ではありませんでした。「縁起」とは「よって起こること」で、具体的には「苦しみは、何らかの原因・条件(因縁)によって起こり、その原因・条件(因縁)がなくなれば、苦しみもなくなる」ということであります。仏教で云う「縁起説」は、苦しみを生み出す因果の系列をさかのぼって、苦しみの根源をさぐりあて、それを滅することにより苦しみを解消することをめざすものであります。まあ、そんなに難しく考えないで、単純に「縁」と云うものを考えてみると、善因善果・悪因悪果もすべて縁でございます。良い縁に触れていくことが大切であります。この世に生まれること、家族、学校、会社、結婚、社会すべての縁に触れ、私たちの人生が成り立っているのであります。要するに、良い縁に触れることができるよう精進していくことが大切であります。
さて、今から20数年前、会社でとても良い縁に触れることができました。私より八歳年上の上司との縁が、私の人生に大きく影響を及ぼしました。岐阜県出身のN氏は、まさに私にとっては神様・仏様のような人でした。思考・戦略・戦術・行動・作法とありとあらゆる知識を伝授していただきました。転職したのが34歳の時でありました。二年間のMR職から管理職の課長職に昇進をさせていただきました。それから七年後、43歳の時に四国四県の支店長の命を受け四年間修行をさせていただきました。47歳で東京本社勤務となった訳であります。先輩のお蔭で私は多くのブレーンを持つことができました。今でもどれだけ感謝しても足りないくらいの大恩人であります。
何故、N氏との良い縁に触れられたかと申しますと、『類は友を呼ぶ』と云う故事ことわざがありますが、性格や性質など、お互いに近い距離であったから共通のビジョンを語ることができるのであります。その大部分が一緒にいると楽しいという価値観の共有化が図れたからであります。価値観の違いと云うのは、『そりが合わない』と云うことだと思います。夫婦でも同様であります、最近では三組に一組、また時間に換算すると1分49秒に一組は離婚しているそうであります。これも性格の不一致が堂々たる第一位となっております。如何に性格・性質・ビジョンが重要なファクターであることは言うまでもありません。
よくピンチはチャンスであると云います。一生のうちには、幾多のピンチがあり、また幾多のチャンスがあるのであります。私の経験したピンチは過去にも記させていただきましたが、前の会社入社二年目に年間一億円の売り上げを落としてしまいました。今までの人生を振り返れば、これが最大のピンチでありました。しかし、失敗から多くのことを学ばせていただきました。何事も前向きに行うことの大切さや、決して諦めない信念・信条を手に入れることができました。そして、自分の心を開き長所・短所をオープンにして、相手の懐に飛び込み信頼を獲得するテクニックを身につけました。それには、話し上手は聴き上手でなくてはなりません。そして、二度と同じ過ちをしないという強い決意を持たなければなりません。失敗は成功のもとであります。失敗を恐れないという強い信念で取り組むことが極めて重要であります。
二度目のピンチは、転職して成長ホルモンの患者を全く獲得できなかった時のことであります。どんな仕事も同様でありますが、MRは積極的にドクターにアプローチをしないと駄目であります。私の性格上、人を倒してまで売り上げを取ってくることは違うと思いこんでおりました。しかし、それは間違いでありました。自分の持てる力を100%出し切らなくてはなりません。サッカーで例えるなら相手ディフェンダーの壁を突き破りシュートしてゴールを決めなければなりません。競争の中で生まれるスキルは能力の限界を知りません。サラリーマンとは競争社会の中で、如何にスピードを持って、賢く、逞しく競争に勝ち抜く力を身につけることであります。競争により自分自身を切磋琢磨し、更なる完成度を高めることであります。しかし、長年、営業をしていると図々しくなってくることもありますが、常に初心の気持ちを忘れることなく気概を持って取り組むことを忘れてはなりません。
私の経験から申し上げますと、本社での仕事に就き、全国規模の企画を推進していたのですが、仕事の難しさで云うと兵庫県以西を除き考察すると、西高東低の冬型の気圧配置のように難易度が変わります。静岡県以東は比較的人間関係が上手く取れるようでありますが、愛知県以西は難しいのであります。特に名古屋・滋賀・京都・奈良はいろいろ悩むことも、しばしばありました。中でも、京都・奈良はとても難易度が高かったと記憶しております。しかし、物事トータルで考えれば良い訳でありまして、全体で企画の達成ができれば良いのであります。如何に選択と集中ができるのかがポイントとなります。
1993年に縁あって本社の見学に参加をさせていただきました。北欧のデンマーク・コペンハーゲンに行って参りました。本社・工場見学をさせていただき、見学半分、観光半分の有意義なツアーでした。本国はとても小さな国で面積は、およそ日本の九州ほどであります。人口も少なく北海道と同等で第一次産業国であります。そして、スウェーデンと国境を挟んでおります。隣国との距離の近さに驚きました。もともとバイキングなので運河にはたくさんの船が係留されておりました。夏至の頃には日の出は四時半で日の入りは夜十時であります。このサマータイムに仕事を終え、それから海水浴などのバカンスをエンジョイしているようであります。しかし、冬至には三時半に日が落ちます。日本との環境の違いに、ただただ驚かせられるのであります。また食事はいたってシンプルです。朝食は地元でなじみの黒パンであります。お昼は定番のサンドウィッチ、夜のメインはサーモンか鶏肉であります。日本食のようなゴージャスな食べ物はありません。平均して粗食であると感じました。一つ驚いたことに多くのタクシードライバーは、何故か助手席に大型犬を乗せております。番犬を乗せて防犯のためにしているのではないかと思いました。あのパリのシャンゼリゼ通りはダークホワイトに統一されておりますが、コペンハーゲンの町全体はレンガ色のイメージであります。歴史や文化を重んじ、建築や創造物全てに、不変の美を追求する姿勢が大事ではないでしょうか。
開祖・法公先生像の土台が完成しました。これから富山県高岡市にて、銅像の原型となる粘土が出来上がって参ります。12月の開祖祭には銅像の除幕式を兼ね執り行うことができます。これも偏に信者様の厚いご寄付のたまものであります。これからも引き続きご支援を賜りますようお願い申し上げます。
仏教が目指す境地は「成仏」、つまり文字どおり『仏に成る』ことであります。『仏』とは世の中の真理に目覚め(さとり)心は何にも乱されず、その智慧を活かして人々の苦しみや悩みを解決しようとする人を指しております。成仏というと、お葬式や死後の世界などを連想される方もおられるかと思います。しかし、お釈迦様が繰り返し説いて下さった尊い教えは、私たちがいのちを授かっているこの『現世』で、いかに悩みや苦しみから解放され、イキイキと生きるかということに尽きます。つまり、『今』をイキイキと生きるための智慧、それが仏教なのであります。
教祖・杉山辰子先生は『一念三千』を悟られました。『善』の心を持って功徳を積めば幸福の人となって幸せな生涯を送り、未来は仏となることもできるが、『悪』の心をもってすれば罪業を作って病気災難の報いを受けます。一念(瞬間の心づかい)によってもたらされるさまざまな結果、その積み重ねによって生ずる境遇の種々相が三千種にも及ぶ違いでもって説かれ、その種々相の善悪を知り、それを修養の基にすべしと説かれております。教祖様は生涯にわたり法華経の布教活動をされました。三徳『慈悲』 『誠』 『堪忍』の実践をされました。誠に尊いことであります。
今こそ、私たちは尊い法華経の教えを通して、三徳の実践をする時であります。この積徳により、私たちの徳の器を大きくし、更なる積徳をされることをお薦めします。そして、現世をイキイキと楽しんで下さい。そうすれば必ず『すばらしき人生』と云える日が必ず訪れます。日々ご精進をお願い致します。
合 掌