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世界平和を
大樹
すばらしき人生22

本格的な秋到来の季節がやって参りました。読書の秋、食欲の秋、運動の秋と夢が膨らむことばかりであります。今までの暑さと戦いハイブリッドな活動から全開モードへとスイッチを入れなくてはなりません。車で例えるなら、ギヤをオーバートップに入れた状態であります。そして、人生を楽しく、喜んで生きることが重要となってまいります。また、私たちは、法華経の教えを通し、生涯教育をして行くことが、自己実現への大きな原動力となってまいります。自己の心を磨くことにより、「慈悲の心」が活性化し、自身の『仏の心』をより豊に成長させることができると思うのであります。


 十月は神無月とも云います。一般的には、出雲の出雲大社に全国の神様が集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神様が居なくなる月の意味と云われているそうであります。私は十月生まれなので周りに神様がおられない中、生まれたことになります。でも大丈夫です。私たちには、尊い法華経との運命的な出逢いが、今を幸せに生かされて頂いている原点となっております。年齢を重ねるにつれ、つくづく一年というのは、あっという間に過ぎ去ってゆくものであると実感しております。一日一日の大切さを、しみじみ噛み締めて一生懸命、生きなければならないと思った次第であります。


 さて、サラリーマン時代のことで、お話しさせて頂きます。お仕事のある方は、日頃より自己のスキル(能力)を上げるための自己学習をされていることと思います。英会話、プレゼン(情報伝達)能力開発、話術、コミュニケーションスキル等々さまざまな自己能力開発ツール(道具)が沢山ございます。しかし、どんなに能力が高くても、その人の持つ『魅力』が乏しいと成績には反映しないことが、しばしばあります。魅力とはいったい何でしょうか?人間の魅力とは一言では言い表せないのですが、私は、その人の『生き方』にあると思います。まさに、人生の軌跡そのものが、魅力として表現できることであると思っております。また、魅力を培う媒体は思考力、創造力、行動力と決断力であると思います。そもそも、個人の持っている本性は云うまでもありませんが、「誠」を尽くすタイプなら問題はありません。優しくて力持ちと表現した方が解かりやすいと思いますが、人はそういう輝いている人にあこがれを持つものであります。そして、短、中、長期的なビジョン(構想)と将来の夢や希望が無くてはなりません。『木を見て森を見ず』ではいけないわけであります。常に、先々を予見して先手を打つことが勝利の方程式となります。『目から鼻に抜ける』そういうタイプの人物に大いに魅力を感じている所でございます。


 人を育てるのは容易なことではありません。そして、魅力ある人材の育成となったら、ますます難しいのであります。個の持つ特徴、習慣、文化の違いをそのまま生かし、その上で人材開発するため、それぞれオリジナリティ(独創性)を持ちながら、最高のパフォーマンス(成果)ができるよう教育をするのであります。


 以前、新入社員が配属となり、手取り足取り知識を伝授したことがありました。A君は性格もよく、人に好かれるタイプでありました。しかし、ドクターと上手く会話ができないと相談がありました。相手の全情報は、すでにインプット(入力)してあるにも拘わらず、どうしても会話がうまく出来ないということでした。私はA君に、このように指導しました。自分の得意のジャンルは無いの……?と聞いたら、大学で臨床検査を学んだということでした。それなら、検査の最新の話題とか、方法とか、何か裏話でもしてみたらとアドバイスをしました。すると、自分の得意な部分での会話が弾み、緊密な関係を構築できたということで、少し成長したように感じました。話をするということは、非常に簡単でありますが、意味の無い会話は無駄であります。会話を通じ、その中から『真の情報』を、如何に入手するかにあります。会話の引出しは多いに越したことはありません。雑学でも専門知識でも何でも良いのであります。相手は意外と冷静になって見ていると思います。会話の中で、その人の性格や人格を観られていると思ったほうが正しいでしょう。従いまして、相手に誠実で安心感を持って頂くよう、自分をアピールするのであります。このことの積み重ねが、信頼関係の構築へと繋がるのであります。


 中途入社のB君のケースですが、B君は私が面接をして採用しました。そのことで彼は、私に対し恩義をもっておりました。私は、彼に言いました。採用したのと仕事で結果を出すのとは、切り離して考えるようにと忠告しました。彼も、性格がよくまじめなタイプで、要領が悪いというか、馬鹿正直というか、少し時間のかかるタイプでありました。彼は、私たちのミッション(任務)を充分に理解しておらず、どちらかといえば職人肌のタイプでした。こういうタイプの人間はどこの会社にでもいると思いますが、指示待ちのスタンスから変化できずに悩んでいたようです。諺で『一を聞いて十を知る』と申しますようなタイプではありませんでした。とにかく私は「報・連・相」の徹底を最大限しました。そして、彼と同行訪問した際に、今、ドクターの言ったこと、説明してくれる?このように確認作業を逐一しました。時間は掛かりましたが会社のミッションも理解し、『真の情報』が取れるようになった訳であります。情報を入手する嗅覚を鍛えることが最も重要であります。そして、正しい判断力と将来を予見する能力を磨く所にあります。指示待ちから率先垂範へと変わることができました。山本五十六の名言『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』にあるように、仕事は教えて、実行させて、評価すれば、誰でも優秀な人材に生まれ変われるのであります。ただ、A君の場合と同様に、その人の持っている性格(本性)が大きく左右することは間違いありません。私はこう思います。ならない鐘はないと思うのであります。人それぞれ、能力の違いがありますが、早く一人前になる人、ならない人、十人十色であります。ゆえに、『真の仕事』とは何かと、常に自問自答することが非常に大切であります。


 開祖・法公先生像も順調に出来上がって参りました。これも偏に信者の皆様の厚いご寄付の賜物でございます。深く感謝申し上げます。御影石も仕上がり、銅像の周りの芝生も根が張り、後は先生の銅像を待つばかりであります。先般、最終調整の確認で富山県高岡市へ行って参りました。初めて実物大の像の粘土型と対面して参りました。ブロンズ彫刻家の楢原北悠先生のアトリエで拝謁させて頂きました。第一印象は法公先生が生き返ったと思えるほど、ものすごく似ておりました。まるで、今にも先生が話しかけてくるような表情でありました。私たちは、あまりにも似た法公先生の像を見て身震いがした程でありました。もうすでに模型には手を掛ける所もなく、完璧な状態でありました。


 よい芸術家に出会えて法公先生も喜んでいると思います。因が縁に触れ良い先生にたどり着いたということであります。私たちも感謝することを忘れてはならないと思うのであります。これから十二月の除幕式まで、引き続きご寄付を賜れたら幸いであります。どうか、よろしくお願い申し上げます。


 世間的に見ても私たちは、幸せであると思っております。尊い教え『法華経』に出会うことができたからであります。数ある仏教の尊い教えの中でも『法華経』は、お釈迦さまの集大成と云われる尊い経典でございます。最後の八年をかけ、その教えの神髄が満載されております。縁がなければ生涯において『法華経』に巡り合わない人もおられます。『法華経』に出会えた人は、とても運の良い人であると思っております。


 この『法華経』を、お釈迦さまが説かれた真意は、仏眼でもって地獄界から天界の六道の衆生(全人類)を見てみると、彼らは貧しく困窮し福徳と智慧は無く、生死の険しい道に入って、うち続く苦悩は絶えることが無い。五欲に執着の衆生を見てこられ、このような衆生のために、『私は大悲の心を起こした』と衆生のあまりの救い難さに、愕然とされたのであります。そして、全ての衆生を救済するためには、方便力を用いることを、諸仏より薦められ、それに従ったそうであります。お釈迦さまは「大悲の心」ゆえに悩んだのであります。「救いたい」という思いがあるから「どう救えば良いのか」と悩む訳であります。そういう慈悲があるからこそ、智慧が湧くのであります。それが『方便力』ということであります。そして、人々の「幸福になる力」を開くために、自身の使命を果たすのであります。


 お釈迦さまが説かれた説法で衆生の仏智見を開かせるということは、すでに衆生に仏智見が備わっているということであります。すべての衆生が、『仏』であると云っているのであります。従いまして、全ての衆生が仏ならば、全ての衆生が成仏しなくてはなりません。衆生を救うということは、衆生に『開示悟入』をさせることであります。すなわち、仏智見を開き、示し、悟らせ、仏智見の道に入らせることなのであります。そして、方便品にある十如是(十如実相)が重要な部分でございます。真理を求めるならば、現象を通して真実を仏眼でもって見ることであります。そして、仏智でもって解決することが極めて重要となります。


 如是「相」「性」「体」「力」「作」「因」「縁」「果」「報」「本末究竟等」の意味は、如是「相」から「作」までが、姿・形・性質・性分を全体的に判断し、それに物・心のもつ潜在的な力が加わります。そして、「因」から「報」は原因があり、結果や報いがある訳なので因果と云います。因果は、成仏の因果でありまして、仏になれるか否かにかかわる大切な部分であります。また「本末究竟等」とは、首尾一貫が等しいということで、そういう実相を見るのが『仏眼』であります。つまり、本末究竟等とは『仏が悟った実相においては、仏の生命(本)も九界の衆生の生命(末)もつまるところ(究竟して)妙法の当体として等しい』ということであります。ゆえに、い如何なる衆生も、自身が妙法の当体であるという実相悟れば、仏となるのであります。


 現在をいきいきと生きるために、お釈迦さまは『法華経』を残されたのであります。私たちは、この尊い教えを生活空間に取り込み、日常の中で実践することが求められます。また、『法華経』を理解するには、経験をした人のみ理解できるのでは、駄目なのであります。お釈迦さまは『全ての衆生を救う』とあります。そして、私たちが不幸な経験や体験をする前に、『法華経』を正しく理解することが大切であります。世の中には科学で解明されないことが沢山あります。教えの中で『真理』を求める探求心が物事を解決する手がかりとなるでしょう。


 教祖・杉山辰子先生のように、三徳『慈悲』 『誠』 『堪忍』を実践することが大切であります。三徳で功徳を積むこと。そして、自分自身の徳の器を大きくするためにも積徳の人生を歩むべきと考えております。将来、信者の皆様が生きてきて本当に良かったと云える「すばらしき人生」の階段を着実に一歩ずつ進まれることを願っております。


合 掌


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