一年というのは、あまりにも早く過ぎ去ってゆくものであると常日頃、思っております。今年の元旦はとても暖かく、穏やかな日であったと記憶しております。一年を通して穏やかに過ごせると思っておりましたが、各地で雨の被害が多い年でありました。過去の観測史上記録を上回る豪雨などによる土砂災害で多くの方々が犠牲となられました。ご冥福をお祈りいたします。自然環境の変化に人間の智慧が追いついていない感じがいたします。
師走はいつも緊張感があります。今年やるべきことをやり遂げるために、一年を振り返りやり残しがないようにしなくてはなりません。今日やるべきことは、必ずやり遂げるという強い信念を持たなければなりません。明日やればいいと思う人は、生涯何一つ満足のいく結果を出せないと私は思います。一日一日を大切に生きることが、とても重要であることは云うまでもありません。たかが一日、でも一生分の一日であります。貴重な一日を充実して生きることが望まれます。
さて、私のサラリーマン時代に四年ほど、四国で活動していた頃の思い出に触れたいと思います。香川県の高松市に支店がありましたので、そこを拠点に活動するのですが、四県への移動がとても不便でありました。徳島が一時間、高知が二時間、松山が二時間半と、いずれも特急列車の乗車時間であります。大いなる田舎なのでアクセスも良くないのは当然であります。また、四国はご存じのように島であります。岡山とは、瀬戸大橋、広島とは、しまなみ海道、兵庫とは、明石海峡大橋と繋がっております。しかし、当時の料金はとても高く往復で一万円前後もかかってしまうため、なかなか四国を脱出できないのが現状でありました。そして、食文化では皆さんご存じの『うどん』が有名であります。支店の隣にうどん屋がありましたので、毎日うどんを食べておりました。安・近・短(あん・きん・たん)の『うどん』は、まさに香川の代名詞であります。そして、気候はごくごく平均的でありまして、過ごしやすい所でした。また、人間性ときたら、とても温厚で大らかな性格で人間関係がとても良好でありました。ただ、全体的にのんびりしている雰囲気があります。例えると一日が二十五時間あるという感じでしょうか?アクセスは別として、大自然に囲まれ、生活することが最高の贅沢かもしれません。
そんなある日、部下のT君との同行で小豆島の病院へ訪問しました。瀬戸内には大小あわせて三千個の島があると云われております。勿論、小豆島へはフェリーで行くのですが、私の経験上フェリーでお得意先を廻ったことがございませんでした。なんだか仕事のようで半分遊びのような楽しい気分になったものでした。私とT君との出逢いは、彼が入社二年目の時でした。学業もでき非常に優秀な部下でした。彼は育て方によっては、ぐんぐん伸びる素質を秘めていると直感しました。日常の営業活動の指導は営業課長の仕事であります。私は、いつも側面から仕事ぶりを観察しておりました。時々、ピンポイントでアドバイスをすることもありましたが、立場上あまり触れないようにしていたのであります。私は、支店の目標達成のために、常にビジョン(未来像)を語っていたのであります。そして、物事に対する考え方を部下に伝授していたのであります。いわゆる『生き方』を示すことが、側面から彼らを成長させるのであります。T君には四年目にして最高の評価を与えました。彼もそれに応えてバリバリと仕事をこなし、高成績を維持するようになりました。私は、ここまで成長すれば日本一、超ビップユーザーの大学病院を担当させようと思い上司にT君を推挙したのであります。ところが他の支店よりT君が欲しいと、横恋慕されてしまったのであります。T君は東京出身で関東方面への転勤なら本人も悪い話ではないので、快く受けることは間違いないと思った次第であります。どんな地域を担当しても彼なら絶対にあきらめずにやり遂げるであろうと期待して送り出しました。
そして、1~2年ほど経過し、彼の実績を確認していたら、どうもあまり芳しくない状況でした。私が電話で近況の確認をしたら、彼がこのように私に打ち明けたのであります。「私の上司(課長)は、業績が悪いと責任を全部部下に押し付けるのです」と言いましたので、私は、「課長はいずれ転勤するよ。もう少し我慢して修行することだね」と諭しました。このような事態が起きていることは、会社にとって非常に大問題であります。早く彼を転勤させるか、課長を転勤させないと、このままでは彼が潰されてしまうと思いあらゆる手を尽くしT君を転勤させました。しかし、転勤先の課長もまた同じタイプの人間であったため、最終的に彼を更なる飛躍どころか、飼い殺し状態にしてしまったのであります。結局、その課長は降格となり管理職を解かれたのであります。T君は才能があったにもかかわらず、まともな上司との縁が薄かったため、彼の人生を大きく変えてしまいました。人生は不思議なものであります。先が分からないから面白いのかもしれませんが、悪くなる人生は歩みたくないものであります。「部下は上司を選べない」「上司も部下を選べない」とこう考えると、『いかに良い縁に触れるか』『いかに良い上司に巡り合うか』が重要となって参ります。しかし、悪縁に触れるという『業』があるから、自然と悪い方向へ向かってしまったのであります。今、彼が何を考え、どんな行動を取っているかは定かではありませんが、必ず上へ上へと這い上がって行く不屈の精神を彼のDNAに移植しました。今、彼は35歳前後です。必ずや成功を成し遂げることでしょう。
また、こんな部下がおりました。Aさんという私より五つほど年上の部下の話でございます。Aさんはとても愉快な方でした。高松に住んでおられまして、時々、食事を共にさせて頂きました。年上の部下を使うことは非常に難しい部分があります。会議などでも、一応、意見を聞くようにします。そして、敬いの態度は常に持つように努力しないといけません。故事ことわざで「亀の甲より年の功」と云いますように、年長者の豊富な経験は貴重であり、尊重すべきものだということであります。しかし、支店の方針にそぐわない時は、ピシャリと一蹴する時もあります。そのためには、日頃よりビジョン(未来像)の摺り合わせが欠かせないのであります。ぶれずに的確に部下へのビジョンの浸透を図る上で、年長者をうまく使うことが大切であります。そのコツは上手に持ち上げ、私の言いたいことを、代弁して言って貰う所にあります。そして、部下全員に、その内容を伝えて、どのようなリアクションが起こるのかを客観的に見ることが大事であります。Aさんには、貴重な情報をいち早く伝えることにより、自分を信頼していると思わせることであります。いずれにしろ信頼関係を作らなければ機能しないことは事実であります。今、Aさんは定年を過ぎ、再雇用で就労されておられます。もう一年ほどで現役を引退されると思います。いまでも、Aさんの大きな笑い声が聞こえてくるような気がいたします。
いよいよ、開祖・法公先生四回忌の法要並びに銅像の開眼除幕式を来る12月14日(日)10時より執り行わせて頂きます。皆様の尊いご寄付のお蔭で建立できることとなりました。誠に有難うございます。法公先生にもきっと喜んで貰えることと思っております。 『法華経』第八章では化城喩品が説かれております。この章でのポイントは「因縁」であります。化城喩品の因縁は、釈尊と声聞の弟子たちとの過去世からの深い「結びつき」であり、弟子の「絆」を明かしたものであります。釈尊は今世だけでなく果てしない過去から、一貫して弟子の声聞たちを導いてきた。そういう過去からの因縁を教えたのであります。釈尊は「今世だけでのことではないのだよ。いつも私は君たちと一緒だった。君たちはいつも私と一緒だったのだ」この熱いメッセージが、声聞たちを目覚めさせたのです。弟子の関係の長さを説いた「三千塵点劫」とは、気の遠くなるような長い時間であります。
まず三千大千世界にある台地を全てすり潰して塵にし、東方に向かって千の世界を過ぎた所で一つの塵を落とします。さらに千の世界を過ぎた所に一つ塵を落とし、同様にして全ての塵を落とし終わる所まで行きます。そして、塵を落とした所と落とさなかった所を問わず、それまでの経過した範囲の全ての世界をまたすり潰して塵とし、その塵の一つを「一劫」と数えるというのであります。「三千塵点劫」とは、長遠の師弟関係の始まりを説明しているのであります。
化城喩品は、初めに「大通智勝仏」という仏の出現があります。「大通智勝仏」という名は、『大いなる神通と智慧によって最も優れた仏』という意味で、この仏が『智慧の完成者』であることが示唆されています。「大通智勝仏」という、大いなる精神的指導者が世に出現し、これから新しい偉大な時代が創りだされていくという『始まりの時』を表しております。大通智勝仏の成仏について詳しく説かれているのですが、分かりにくいのは、大通智勝仏が道場に坐して魔軍を破った後にも、十劫もの間、成仏しなかったと説かれております。ここでは、魔軍を破ることは、根本的には煩悩に打ち勝つことを意味していると思われます。しかし、煩悩に勝つことだけが悟りではない。それは悟りの一面であり、『衆生を救う慈悲と智慧』が現れてこそ、『本当の悟り』となるのであります。
そして、大通智勝仏の十六人の王子の話へと展開します。十六番目の王子が釈尊であり、その教化された衆生が、今の声聞たちである。と明かすのであります。「私は十六番目の菩薩として、かつてあなた方のために法華経を説いた。このゆえ方便を用いてあなた方を導き、仏の智慧に向かわせてきたのである。この『本因縁』を以って、今、法華経を説いて、あなた方を仏道に入らせるのである」と、これが釈尊と声聞たちの「宿世の因縁」を説いているのであります。
化城喩品は声聞たちへの説法であります。声聞たちは、煩悩を断じて静寂な境地に入ることが悟りだと思っている。しかし、仏の真の悟りは、煩悩を「断ずる」のではなく、慈悲と智慧が、煩悩や業を「包み返す」のであります。「煩悩・業・苦の波」を押し返して「慈悲と智慧の清流」にする。そして、生命の「悪の波」を「善のうねり」へと変えることである。と説法をしたのであります。釈尊と弟子の因縁の深さと、真の悟りについて、ご理解頂けたと思います。『法華経』は難解難入と云われております。難しいと思っておられる方は多いと思います。しかし、難しいからこそ勉強して理解しようとするのであります。私は、この『法華経』に縁があったことに大いに感謝しております。
教祖・杉山辰子先生は行住坐臥(ぎょうじゅうざが)南無妙法蓮華経と唱えることが大事と云われております。そして、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・仏智の六波羅蜜の修養をし、功徳を積むことが大切であります。そうすれば、不慮の事故や災難、病気から逃れることができると、おっしゃっておられました。私達は、三徳『慈悲』 『誠』 『堪忍』の実践により、自分自身の徳の器を大きくすることが大切であります。沢山徳を積んで『積徳』の人生を歩むことが『すばらしき人生』への登竜門となるでしょう。
合 掌