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世界平和を
大樹
すばらしき人生27

大樹第七百号という記念すべき掲載月となりましたこと、心より感謝申し上げます。前会長先生の時代より足かけ五十九年という長きにわたり、ご愛読をいただきまして誠に有難うございます。私は創刊第一千号を目指し、これからの二十五年間精進をしてまいる所存でございます。どうか、浅識なうえ乱筆・乱文であることをお許し下さい。


 先月は法公会厄除祈願祭を執り行い、多くの信者様のお参りを頂き有難うございました。一年に一度は厄除け祈願をしたほうが安心であります。今年一年の皆様の無病息災を願っております。そして、三月は、春季彼岸先祖法要会並びに師祖・柴垣法隆大菩薩二十七回忌法要会を執り行います。法隆先生に感謝し、ご先祖様に感謝をする大切な日でございます。どうか、皆様のご参詣を心より、お待ち申し上げております。


 彼岸には、お墓参りをされる方が多いと思いますが、正月、盆、彼岸だけでなく、日頃よりお墓参りをする習慣をつけたほうが良いのではないでしょうか。最近では、嘆かわしいことに、お墓の無い方もおられるようであります。大切な日本人の心(魂)や良い文化が薄らいでゆくような気がします。でも、私たちには、法華経という有難い教えがあります。常に、ご先祖様が守って下さっていると考え、先祖への感謝と供養を忘れてはいけないと思います。


 さて、「人徳」について語りたいと思います。人徳とは人に備わっている「徳」のことをいいます。「徳」の意味は、文化や宗教によって違いがありますが、どれも「バランスの取れた心」のことをあらわしております。人徳がある人は、周りから信頼されたり、尊敬されたり、重要な存在として頼りにされます。人間が生きてゆく上で、大事なことは人徳を高めることであります。何事にも前向きで、優しく、温厚で、親切で、公正公平で、愚痴不満を漏らさず、悪口を言わない人が「人徳」を高めるのではないでしょうか。意識して周りから信頼を得ることは難しいですが、他人の行いを見て不愉快に感じることをしないように心がければ、自ずと人徳が高まり、周りからの信頼も高まるのではないでしょうか。いわゆる、『人の痛みが解かる人』になることが極めて重要であると思います。


 さて、私が製薬会社に勤めていた時のことですが、毎月、一日の学術研修があり毎回テストを受けておりました。そして、年二回の本番のテストの結果が評価基準に入っているのであります。ご存知のように、私は、勉強が好きなほうではありませんでした。しかし、テスト勉強をしないと昇進昇給は不可能であります。従いまして、一生懸命に勉強しないといけないのであります。毎日の積み重ねがとても大切であると思っております。お蔭さまで、薬学知識、法規、周辺知識の習得ができ感謝しております。


 以前、私は名古屋営業部に配属となり、運命を変えるべくNさんとの出会いがありました。中途採用でしたので、右も左も分からない状況で、正直、仕事の方法をあまり理解できなかった時のことですが、Nさんに会って大きく人生が変わりました。彼は、「人徳」の高い方でありましたので、どんなことを聞いても解かりやすい指導を享受できたのであります。この業界の大先輩でしたので、知らないことは何もないのであります。そして、翌年K部長が本社に栄転となり西日本営業部長に昇格されました。後任にNさんが部長に昇格されたのであります。私は入社して二年目で課長に昇進をさせて頂きました。自分でいうのも変ですが、確かに実績・成果は常にトップクラスでしたが、Nさんのバックアップがあったからこそ昇進できたのだと今でも思っております。そして、七年後に支店長まで上げて頂きました。


 私には、決してそのような実力があるとは思っておりませんでした。営業成績が良いから管理職になれるとは限らないのであります。しかし、不思議なことに、どんな職責でも、やればできると確信したのであります。


 『縁』というものは、不思議なものであります。Nさんとの出会いが無ければ、私は、何処で何をしていたのか想像もつきません。偶然Nさんとの良縁に触れたことで、私の人生の軌道が良い方向へと進んだ訳であります。まさに、『縁』というものは、想像の世界を遙かに超越している『何か』があると思います。


 これより法華経について述べさせて頂きます。法華経は、数ある仏教経典の中でもお釈迦さまの教えの集大成といわれる経典で、八巻と第一章から第二十八章で構成されています。法華経でいう一乗とは「世界は一つ・唯一の教え・成仏」ということであり、普遍の法のもとに『すべての差異が生かされ共存する』ということを法華経から学ぶことであり

ます。


 現代社会は文明の発達により進化してまいりました。しかし、人間そのものは何も変化していないのであります。人間を取り巻く環境は変わったけれど、人間だけが変わっていない。その為に、そうした未熟な人間を、賢い人間へと変革して行かなければなりません。皆様が持っている『仏界』という、一人ひとりの内にある『最高の境涯』を開発するところに法華経の意義があると思います。


 薬草喩品(第五章)では、法華経には、みんな一人ひとり中にある『喜びの種』を開かせたいと思う心があります。全ての人々に、仏性という『無上の種』を開かせることを説いております。そういう「わけ隔てのない仏の慈悲」を、譬えによって描いたのが薬草喩品であります。


 この薬草喩品には、「三草二木」の譬えがあります。第四章の信解品では、迦葉(かしょう)等の四大声聞(迦葉、須菩提、迦旃延、目連)が釈尊の説法(譬喩品第三章の三車火宅の譬え)を理解したことを、「長者窮子の譬え」をもって示しました。薬草喩品では、それを聞いた釈尊が、「すばらしい。すばらしい。迦葉よ。巧みに如来の真実の功徳を説いた」とたたえ、四大声聞の理解が正しいことを承認します。その上で、釈尊は「如来の功徳は、あなたたちがいかに長時間にわたり説いても、説き尽くすことはできない」と述べ、さらに「三草二木の譬え」を説くのです。いうなれば、薬草喩品は、弟子が領解した内容を仏が承認するとともに、さらに補って述べるという形をとっております。そして、これを受けて、次の授記品(第六章)では、四大声聞の一人ひとりに、未来に必ず成仏するとの「授記」が与えられる訳であります。一人ひとりが、いつ(劫)、どこで(国)、何という(名号)の如来になるかが具体的に示されております。


 薬草喩品の「三草二木の譬え」のあらましですが、 《《三千大千世界(全宇宙)にある山や川、渓谷や大地に、多くの樹木や薬草が生えているとします。それらは、様々な種類があり、それぞれ名前や形が異なっています。譬えでは、このように多種多様の草木を、一応、上、中、下(大、中、小)の薬草と、大、小の樹木に立て分けています。それで「三草二木」といいます。そのような所へ厚い雲が空いっぱいに広がり、あまねく世界を覆い、雨となって降り注ぎます。そして、多くの樹木や薬草をあまねく潤します。雨は平等に降り注ぎますが、草木は、それぞれの性質に従って成長し、異なった花を咲かせ、異なった実がなります。同じ大地に生育し、同じ雨に潤されても、多くの草木にはそれぞれの差別がある。》》 と説かれております。


 厚い雲は「仏」を譬え、雲が起こって空を覆うのは「仏の出現」を譬えております。また、平等の雨とは「仏の説法」であり、「法雨」とも呼ばれております。種々の草木は「衆生」で、草木が雨を受けるのは「聞法(もんぽう)」(法を聞くこと)であります。


 そして、草木が生長し、花を咲かせ、実を成らせていくのは「修行」や「功徳」を譬えているといえます。また、三草のうち「小の薬草」は、人界・天界を譬え「中の薬草」は声聞・縁覚を譬えています。「上の薬草」と、二木にあたる「小樹」と「大樹」は、いずれも成仏を目指す菩薩を譬えていると説かれております。


 雲から雨が「等しく」降り注ぐということは、如来の説法が「一相一味」であることを意味しております。「一相一味」とは、究極的には、いかなる衆生をも等しく成仏させるという功徳があるということです。つまり、『一仏乗』のことであります。


 草木の性質や大小によって、受け止める雨の量や効用が違うように、仏はただ一仏乗を説いているのに、衆生の受け止め方が違うのです。衆生が受け止める教えが、いわゆる「三乗」(声聞・縁覚・菩薩)です。結局「三草二木」も、前の二つ(三車火宅と長者窮子)と同様、やはり「開三顕一」(三乗を開いて一仏乗を顕す)を表現している訳です。つまり、一つには、仏がなぜ三乗などの教えを説いてきたか明かしています。それは、仏の教えを受け止める衆生の能力・資質に種々の違いがあったために、それに合わせて種々の教えが説かれたということを示しております。もう一つには、仏の教えはさまざまであるが、本質は一仏乗であり、雨の様に「一味平等」であるということを明かしております。


 この薬草喩品の「三草二木」は『衆生の多様性』を強調しております。これは法華七譬の中では唯一であります。また、それによって、同時に『仏の慈悲の平等性』が浮き彫りにされております。仏の慈悲は、完全に平等であり、一切の衆生を『わが子』と見て、自分と同じ境涯へ高めようとしている。それは、「衆生に差異が無い」からではなく「仏が衆生を差別しない」のであります。むしろ仏は、衆生の違いを充分に認めています。衆生の「個性」を尊重し、自分らしさを存分に発揮することを望んでいるのであります。


 薬草喩品には『我は一切を観ること 普く皆な平等にして 彼此 愛憎の心有ること無し 我れに貧著(とんじゃく)無く また限礙(げんげ)無し 恒に一切の為めに 平等に法を説く 一人のためにするが如く 衆多も亦た然なり』。仏は常に、すべてのもののために平等に法を説く、彼と此れとを分け隔てる心や、愛憎の心などもなく、まさに一人のために説くように、多くの人々に説くのだということであります。これが薬草喩品の心なのであります。


 教祖・杉山辰子先生は行住坐臥(ぎょうじゅうざが)南無妙法蓮華経と唱えることが大事といわれております。そして、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・仏智の六波羅蜜の修養をし、功徳を積むことが大切であります。そうすれば、不慮の事故や災難、病気から逃れることができると、おっしゃっておられます。私たちは、三徳『慈悲』 『誠』 『堪忍』の実践により、自分自身の徳の器を大きくすることが大切であります。


 法華経には『運命を切り開くことができる』と説かれております。自分の運命は自分でないと変えられません。日々の功徳の積み重ねが『すばらしき人生』へと導いてくれるものと信じております 。


合 掌


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