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世界平和を
大樹
すばらしき人生29

五月といえばゴールデンウィークという大型連休がやってまいります。休暇を利用しレジャーに観光にと想像しただけでも胸がワクワクしてまいります。連休の取れる仕事なら良いのですが、全ての仕事が該当するとは限らないのであります。海外旅行に出て異文化を吸収されるもよし、温泉旅行もよし、家でゴロゴロもよし、とにかくリフレッシュするために休みがあるのです。リフレッシュすることで、再び体がリセットされ元気が出るのであります。人間の体はある意味、非常に繊細にできているのです。健康管理に注意を払う人は、仕事もバリバリできるのであります。日頃のセルフケアがとても大切であると感じております。


 五月には母の日がございます。この時こそ母親に感謝の言葉を贈ることが、何より大切であります。プレゼントなんかいりません。『お母さんありがとう』この一言が尊いのであります。みんな誰でも親になって初めて親の気持ちが痛いほどわかるのです。子供が逆境にある時は、必ず親は陰で支えます。忘れてはならない親の恩を、せめて母の日ぐらいは、心の底から感謝の意を伝えるべきではないでしょうか。


 この時期、私たちの目に映る光景が大きく変わってまいります。新緑が眩しい季節ともなると、世の中の全ての生き物が一斉に活動し始めるのも季節さながらと思えます。命の息吹が聞こえてくる躍動感あふれるエネルギーというかパワーを感じます。何か新しい事にチャレンジするには、もってこいの季節であります。


 以前、会社勤めをしていた頃のことですが、『正義』とは、一体何かを真剣に考えた時期がございました。正義とは、社会における物及び人の固有の秩序であると考えられております。会社における正義とは、売り上げを上げることであります。もしも、売り上げが上がらないとしたら悪く評価されてしまいます。しかし、この考え方は、外資系など売り上げ至上主義の会社が陥りやすい落とし穴なのであります。ただ、物が売れればよいという考えではいけないのであります。この製品を使っていただき良かったと感謝される真心を提供できなければいけないのであります。顧客に喜んでもらう所に会社としての正義が存在するのではないでしょうか。過日、商品偽装が社会問題となっておりました。これは、消費者の満足を完全に無視した行為であり、ただ、物が売れさえすればよいという考え方であります。非常に残念なことと思います。私たちは、どんな仕事をしていても、無駄な仕事は何一つないのであります。どういう仕事であれ必ず社会貢献をしている筈です。詐欺まがいな偽装は論外であります。質の良い製品を開発し長く使用してもらうことが極めて重要であり、売上ばかりが評価されるのは大きな問題を抱えます。確かに、会社の製品が全て一級品ばかりではないと思います。そして、サラリーマンの弱さは、上司の指示次第で売らなければならない状況にあります。悲しいかなサラリーマンの性でしょうか、売り上げを上げて、会社の利益を生み、その労働の対価として給料を貰うのだからしょうがないのかもしれません。


 例えば私が二級品を販売しなければならない状況としたら、まず、会社の幹部に対し価格を下げるよう要望をします。そして、顧客には正直に他製品との違い(弱点)を説明し、価格が安い理由も説明し納得してもらうようなアプローチを考えます。顧客ニーズ(要求)は、様々であります。少々、出来が悪くても安ければよいと考える人もいるでしょう。また、会社に対し更に良い製品開発をするようにと提案をします。一番いけないのは、悪いと知りつつ、その事実を隠ぺいし、さも良い製品であると偽りの宣伝をすることであります。売り上げが伸びなくても「一切ありのまま」を正直に伝える所に『本当の正義』はあるのではないでしょうか。


 法華経がなぜ、多くの人に受け入れられ、広まっていったのかと考えますと、過去の経典にない『全く新しい考え方』をしております。それは、『人間は本来、自由であり、自分の力で運命を切り開けるし、人間の運命は変えられるという考え方』だからであります。私たちは、この尊い法華経に縁があり触れることができたことに大いに感謝したいと思います。


 法華経はいったい誰のためにあるのか?釈尊が法を説いている直接の相手は方便品では声聞や舎利弗であり、後半の寿量品では弥勒菩薩であります。しかし、法華経では『一切衆生の成仏』が仏の一大事因縁、すなわち仏がこの世に出現した、究極の目的であると説かれております。滅後の衆生、とくに末法という濁世の衆生を救わねば、その理想は叶えられないのであります。だから、『一切衆生のため』という法華経の大慈悲がそこには込められているのです。いかに尊く真実の教えであるとご理解いただけますでしょうか。


 法華経 化城喩品(第七章)のキーワードは『因縁』であります。化城喩品の因縁は、釈尊と声聞の弟子たちとの過去世からの深い「繋がり」であり、弟子との「絆」を明かしたものであります。釈尊は今世だけでなく、永遠の過去から、一貫して弟子の声聞たちを導いてきた。そういう大切な過去からの因縁を教えたのであります。


 釈尊は「今世だけでのことではないのだ。いつも私は君たちと一緒だった。君たちはいつも私と一緒だったのだ」。この熱いメッセージが、声聞たちを目覚めさせたのであります。弟子の関係の長さを説いた「三千塵点劫」とは、気の遠くなるような長い時間です。


 まず三千大千世界にある台地を全てすり潰して塵にし、東方に向かって千の世界を過ぎた所で一つの塵を落とします。さらに千の世界を過ぎた所に一つ塵を落とし、同様にして全ての塵を落とし終わる所まで行きます。そして、塵を落とした所と落とさなかった所を問わず、それまでの経過した範囲の全ての世界をまたすり潰して塵とし、その塵の一つを一劫と数えるのであります。


 「三千塵点劫」とは、長遠の師弟関係の始まりを説明しているのであります。化城喩品は、初めに「大通智勝仏」という仏の出現であります。「大通智勝仏」という名は、『大いなる神通と智慧によって最も優れた仏』という意味で、この仏が『智慧の完成者』であることが示唆されています。「大通智勝仏」という、大いなる指導者が世に出現し、これから新しい偉大な時代が創り上げられていくという『始まりの時』を表しております。


 大通智勝仏の成仏について詳しく説かれているのですが、大通智勝仏が道場に坐して魔軍を破った後にも、十劫もの長い間、成仏しなかったと説かれております。ここでは、魔軍を破ることは、基本的には煩悩に打ち勝つことを意味していると思われます。しかし、煩悩に勝つことだけが悟りではないのです。それは、あくまでも悟りの一面なのです。衆生を救い慈悲と智慧ができてこそ、本当の悟りとなるのであります。


 そして、大通智勝仏の十六人の王子の話へと進展します。十六番目の王子が釈尊であり、その教化された衆生が、今の声聞たちである。と明かすのであります。釈尊は「私は十六番目の菩薩として、かつてあなた方のために法華経を説いてきた。このゆえに方便を用いてあなた方を導き、仏の智慧に向かわせてきたのである。この、『本因縁』を以って、今、法華経を説いて、あなた方を仏道に入らせるのである」と釈尊と声聞たちの『宿世の因縁』を語るのであります。


 化城喩品は声聞たちへの説法であります。声聞たちは、煩悩を断じて静寂な境地に入ることが悟りだと思っている。しかし、仏の真の悟りは、煩悩を「断ずる」のではなく、慈悲と智慧が、煩悩や業を「包み返す」のであります。「煩悩・業・苦」を押し返して「慈悲と智慧」とする。慈悲と智慧が煩悩を善へと導くのであります。


 化城喩品では、仏と在世の弟子たちの因縁を説いた後、さらに「化城宝処の譬え」が説かれます。譬喩となっているのは、砂漠を旅する隊商の一行です。―――宝のある場所(宝処)を目指して五百由旬もの険しい遠路を、一人の導師に導かれた隊商が行きます。しかし、途中で人々は疲労の極限に達し、もうこれ以上歩くことができない、と導師にいいます。ここで引き返しては、これまでの苦労が無駄になってしまいます。素晴らしい宝を捨てて、なぜ帰ろうなどというのかと人々を憐れんだ導師は、三百由旬を過ぎた所に神通力でもって一つの城を作り、あの城に入れば安穏になれると励まします。この言葉を聞いて歓喜した人々は進んで城に入り、疲れ切っていた体を休めました。そして、人々が十分な休息をとったことを確認した導師は、その城をたちまち消し去り、実は、あなた方を休息させるために私が作った幻の城に過ぎないのだ、真の目標である宝処はもうすぐそこだ、と説くのであります。導師が見せた幻の城(化城)とは、仏が衆生を導くために説いてきた三乗の方便の教えを譬え、宝処とは衆生が最終的に目指すべき一仏乗を譬えています。特に二乗の悟り(化城)は方便で、仏の無上の悟り(宝処)のみが、目指すべき真実の悟りであるということを明かしているのです。そして声聞らは、小乗の悟りをもたらす二乗の法は方便であり「化城」だったのだ、成仏という『宝処』が本当の目的地だったのだ、釈尊は、その宝処に我々を連れて行ってくれるために、これほどまでに忍耐強く、これほどまでに慈愛深く、これほどまでに巧みに導いて下さったのだ。―――と感動するのであります。これが「化城宝処の譬え」なのです。


 因と縁では、当然因が中心です。縁はそれを助けるものです。師弟の道も、弟子の自覚が中心です。弟子がどれだけ強い求道心を持つか、どれだけ強き使命感に立つか、その一念の強さに師匠が応じるのであります。そういうことで、仏はいかなる師弟も見捨てることなく、三世にわたって化導している。教育している。慈愛を注いでいる。この大慈悲を法華経は強調しているのであります。


 教祖・杉山辰子さまは、行住坐臥、南無妙法蓮華経と唱える。そして、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・仏智の六波羅蜜の修養をし、功徳を積むことが大切である。不慮の事故や災難、病気から逃れることができる。そして、三徳を積むこと。終始一貫功徳を積むべし。かくの如く説法されておられます。


 私たちも、この尊い法華経の縁に触れ、偉大なるお釈迦さまの説かれた『因果の二法』という、原理・原則・哲理に基づき、日々の暮らしの中で『三徳』を実践することが、とても大切であると思います。そして、この大自然の恵みに感謝、生かされているということに感謝、ご先祖さまへの感謝、今日あることに感謝を致しましょう。一生懸命、精進することで『すばらし人生』への道筋を掴みましょう 。


合 掌


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