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世界平和を
大樹
すばらしき人生30

恵みの雨の季節がやって参りました。この自然界で生かされている全ての生き物の運命を左右するといっても過言ではありません。地球が生きているから季節がある訳で日本人に生まれて本当に良かったと思います。しかし、ここ最近では地球温暖化による自然界の異変を痛感しております。共存しているという一人ひとりの考え方を深め環境問題に取り組むべきではないでしょうか。


 私が高校時代にテレビドラマの「どてらい男(やつ)」という番組が放送され、見るたびに感動し、勇気づけられ毎週欠かさず視聴しておりました。原作は花登筐(はなと こばこ)の小説であります。大阪の商社である山善の創業者、山下猛夫さんがモデルとなっております。故郷の福井から大阪に出て来た主人公の山下猛造が、大阪・立売堀の機械工具問屋に丁稚奉公に入り、親友らと共に働き、大石将軍らに鍛えられて、主人や番頭からいじめられながらも商人(あきんど)として成長し戦争時代を経て、戦後は自分の店を持ち大成してゆくという物語であります。主演の山下猛造役として西郷輝彦が演じておりました。とにかく将来日本一になるという大きな目標に向け日々の努力を怠らないところが共感を呼んだと理解しております。何事にも前向きに失敗を恐れず挑戦していくことが大切であると思っております。


 故事ことわざで『口は災いの元』といいますが、不用意な発言は自分自身に災いを招く結果になるから、言葉は十分に慎むべきだという戒めであります。私がサラリーマンの時によく感じたことですが、顧客を商談をする時は余分なことは言わない方が良いのであります。思ったことをそのまま発言すると、いささか問題が生じます。私の場合、顧客に対し伝えなければならないことは全て話しますが、個人的な意見や感想は思ったことの十分の一程度に留めております。そして、注意したいのは相手の人格的な部分で長所は良いのですが、短所に近いようなことを口にしては絶対にダメです。相手が傷つき商談は不成立になります。しかし、本当のところ何が長所で何が短所か微妙であるため明らかな部分を除き触れないことが賢明であると考えます。人間は人格否定をされると腹が立つものであり信頼関係が崩壊する原因でもあります。もう一つ付け加えるなら会話の注意点ですが相手の目を見て話をすることにより説得力が増し信頼が得られるのではないでしょうか。


 社内の場合は状況が変わります。勿論、どんな場合でも相手の人格的な部分は避けたほうが良いと思います。そして、本音と建前を上手に使い分けしなければなりません。しかし、部下となると全く違います。人格面については配慮しながらも教育するという立場にたち全てを本音で指導しなければ部下の成長は期待できません。相手の長所・短所を明確に示し納得させなければいけないのであります。短所を改善するのは時間がかかるかもしれませんが粘り強く愛情を持って育成することが極めて重要であります。


 ある製薬会社の営業マンにとても無口な人がいました。営業トークは喋るより聴くことが重要であります。『話し上手』は『聴き上手』といいますから、要点だけ話して後は相手に喋らせるというテクニックを修得することが必要となってまいります。


 また、『目は口ほどにものを云う』といいますように、喋らなくても仕事ができれば、これほど楽なことは無いのですが、皆さまもなんとなく経験的に目から相手の感情を読み取っていると思います。そして、相手の表情には心が現れるものです。嬉しい時、悲しい時も一目でわかります。ひとこと話しかけ、どんな表情をするかを見極めなければいけないのであります。そこで、瞬時に押すか引くかをジャッジしなくてはなりません。また、どんな仕事でもコミュニケーションは必ずついて回ります。口と目の使い方ですが簡単なようで意外と奥が深いのが人間関係の難しさであると思っております。


 六月は教祖さまの八十四回忌の法要を教祖祭として執り行わせて頂きます。皆さまの期待の高い抽選会も行います。多くの信者さまのお参りをお待ちいたしております。


 教祖・杉山辰子先生は慶応四年(明治元年)岐阜県笠松町で産声を上げられました。その年の干支が辰であったため辰子と命名されました。私たちは、多くのことを教祖さまより学びました。積徳の人生がいかに重要か身を持って体現されたのであります。『慈悲』 『誠』 『堪忍』の実践が私たちを良い運命へと導いて頂けるのであります。


 教祖さまの語録に『悲しむ人には心から慰め労り、飢えた人には食を与え、寒さに震える人には衣類を施す等、人の喜ぶこと、人の利便を図ることは、他人が見ておろうと見ていないとに拘わらず、一生懸命に実行せられて陰徳を積んで下さい。必ず陽報は子宝となってあらわれます』とありますように、功徳の大切さを説いておられます。


 また、生前の教祖さまはボランティアの草分けともいうべき活動をされました。当時の病でハンセン病がありました。ハンセン病は、らい菌という細菌によって引き起こされる慢性の感染症です。古くから「らい病」とか「らい」といわれていましたが、らい菌を発見した(1873年)ノルウェーのハンセンの名をとって現在はハンセン病と呼ばれております。


 1907年(明治四十年)から1996年(平成八年)までの九十年という長きにわたり、ハンセン病患者の元患者さんたちは国の強制隔離の患者撲滅政策の対象とされ、「人間」として享受すべき『人権』を根こそぎ奪われてきました。


 90年にわたる患者隔離政策において、療養所の職員の中から一人のハンセン病患者も出ていないことからも、感染力・発病力が弱いことがわかります。衛生状態の改善により発生率も大幅に低下します。ですから、すべての患者・感染者を一生にわたって隔離する必要性など全くありませんでした。強制隔離された施設はといえば、「療養所」とは名ばかりで、およそ療養する環境にはありませんでした。いわゆる強制収容所そのものであります。まわりを海に囲まれた小島や人里離れた山間地に高い塀で囲まれた場所に立地して患者の逃亡を防いでいるのです。入所時に所持していた現金は療養所内でしか通用しない園内通用券に交換させられました。これも逃亡を防ぐためなのです。


 療養所への患者送り込みには特別列車が使われました。このような国の政策によって、患者は行動、住居、職業選択、学問、結婚の自由などありとあらゆる人間としての権利を奪われたのであります。こうしてハンセン病患者は、社会に害毒を撒き散らす危険な存在というレッテルを貼られ、その後長年にわたり家族を含めて激しい社会的差別に遭うことになりました。誠に悲しい出来事であります。


 教祖さまが、らい病患者さんを見舞われた時は、まだ、そのような施設は無く、廃院となった病院や医院で患者さんと共に生活し、こころの支えになられたという誠に尊いお話であります。


 当時の医学の知識では、らい病=感染が常識だったと思います。しかし、教祖さまは法華経の尊い教えの力を信じ、何事にも恐れずに、世の為、人の為、『慈悲心』を強くお持ちになり、多くの患者さんを救われました。私たちも教祖さまを良きお手本として世の為、人の為に三徳の実践を忘れてはなりません。


 法華経は、数ある仏教経典の中でもお釈迦さまの教えの集大成といわれる経典で、八巻と第一章から第二十八章で構成されています。法華経でいう一乗(一仏乗)とは「世界は一つ・唯一の教え・成仏」ということであり、普遍の法のもとに『すべての差異が生かされ共存する』ということを法華経から学ぶことが重要であります。


 法華経 授記品(第八章)人記品(第九章)は声聞たちの「目覚めのドラマ」であります。これは、「救われる人」から「救う人」に変わったということです。人々を断じて救いきるという「大願」に目覚めたのであります。声聞たちは、悪世の苦しみから逃れたい、救われたいという思いで仏の教えを求めました。仏は、その心を知って、苦しみから脱却する道として、まず声聞たちに小乗の教えを説いた。彼らの失敗は小乗の教えに執着してしまったのであります。「求めるべきは小乗の悟りではなく、仏の智慧である。すべての人に、仏の智慧を得させて、仏と同じように、自在に人を救ってゆく境涯へとしたい」これが釈尊の本意であるのです。


 「衣裏珠の譬え」は五百弟子が、釈尊から授記された後の述べた「歓喜の証し」であります。――ある貧しい男が親友の家に行って、ごちそうになり、酒に酔いつぶれ寝てしまった。この時、その親友は公用で急遽、出かけなければならなくなった。そこで親友は、酔いつぶれている友人の衣の裏に『無価(むげ)の宝珠(ほうしゅ)』つまり、値段のつけられないほどの高価な宝の玉を縫い付けて、出かけていきました。貧しい男は酔いつぶれていたので、そんなことも知りませんでした。そして、他国をあちこち流浪します。そのうちお金が無くなり生活が苦しくなっていきます。衣食の為に働きますが、苦しさは変わりません。


 少しでもお金が入ると、それで満足していました。やがて親友は、男に出会います。そのみずぼらしい姿を見て男に言います。「君はなんと愚かなんだ。どうして、そんなに衣食に窮しているのか。私はあの時、君が安楽な生活ができるよう、また、欲しいものは何でも手に入るようにと思って『無価の宝珠』を君の衣の裏に縫い付けておいたのです。今も、そのままあるではないか、それなのに、君はそのことを知らないで、ひどく苦労し、悩んでいる。まったく愚かだ」。


 『無価の宝珠』とは、経文には「一切智の心」であり、「一切智の願」であります。一切智は仏の智慧なのです。ですから「仏の智慧を求める心」であり、「成仏を願う心」であるのです。貧しいまま流浪し、その日暮らしに満足している姿は、小乗の教えを学び、阿羅漢の悟りに満足して、仏の智慧を求めようとしない声聞の境涯を表しております。


 また、親友と再び会って、無価の宝珠のことを知らされるのは、今、法華経を聞くことによって、三千塵点劫の昔に起こした、成仏を願う『本願』を思い出したのであります。


 五百弟子品では、「深心(こんしん)の本願」と表現されておりますが、要するに全人類を救っていこうという『大願』を思い出したのであります。五百弟子の声聞たちは求めるべきは小乗の悟りではなく、仏の智慧であることを悟った訳ですから菩薩に成れたということであります。


 この尊い法華経に縁があり触れることができたことに大いに感謝したいと思います。法華経は『人間は本来、自由であり、自分の力で運命を切り開けるし、人間の運命は変えられるという考え方』であります。私たちは、一日一日を尊く生き積徳という人生の階段を登り『すばらしき人生』という頂上を目指して精進して参りましょう。


合 掌


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