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世界平和を
大樹
すばらしき人生31

暑い季節がやって参りました。皆さまは夏派・冬派どちらですか?勿論、春・秋が一番良いのでありますが、強いていうなら私は冬派であります。夏場の高温多湿には多くの体力を奪われます。しかし、冬の寒さも同様なのであります。暑い、寒いと云っているうちはまだ幸せかもしれません。近ごろは環境が破壊され異常気象が当たり前のようなこのご時世に夏暑く冬寒くないと経済に変調を来たします。それなりの季節に当たり前のように寒暖がないといけないのは当然であります。その為にも人間一人ひとりの考え方や行動により全てを変えられるのですから、ある意味ピンチはチャンスかもしれません。


 七月は盆施餓鬼先祖大法要会がございます。信者の皆さまのお参りを心よりお待ち申し上げております。お盆の行事も静岡から関東にかけては『新のお盆』で七月十三日から十六日に行います。私たちが住んでいるこの地域は一般的な『旧のお盆』で八月に行います。ある地域では迎え火の行事として家の玄関先で白樺の木の皮を燃やすそうであります。私が小さい頃、迎え火や送り火として仏壇の前に盆提灯を灯し、お墓参りには必ず提灯を持って行ったものでした。暗い夜道を提灯の明かりだけが目に入るのであります。なんだか幻想的な情緒もありました。今、このように健康でいられるのも、ご先祖様のお蔭であります。ことあるごとに感謝していく心が尊いのであります。


 私が働いていた医薬品流通会社の時のことを思いだしましたので記させて頂きます。以前にも申し上げましたが、私は入社二年目に年間一億二千万円の売り上げを失ない会社に多大な迷惑を掛けてしまいました。私の直属の上司は責任を取らされ子会社に左遷となりました。ご本人やご家族に大変申し訳ないことをしたと今でも後悔しております。しかし、私は、その最悪な地点を原点に、そこからもがき這い上がってきました。現在では価格の拘束が再販売価格維持行為にあたり独禁法に抵触してしまいますが、当時は概ねメーカー支配型の営業が定石でした。その中で一番うれしかったことが、C型肝炎に効果のあるインターフェロンの販売の権利を頂いたことでした。会社の中でただ自分一人だけが、この製品の帳合いを取れたことが最大の励みとなりました。当時の新薬ではインターフェロンはピカ新(先発品)であります。私の人生を大きく変えたといっても過言でないほどの出来事でありました。


 流通業というのは会社が大きければ大きいほど販売力は増します。取扱い規模によりマージンが違ってまいります。ですから大量仕入れすれば仕入れ価格が下がり価格的なメリットにより競争力が増します。そして、販売力は個人の能力というよりもスケールメリットで売り上げが拡大するのです。ですから、個人の力はあまり関係ないのであります。しかし、私のような中堅会社ではとても苦労をしました。とにかく個人の力を高めなければ、たちまち大手に飲み込まれてしまいます。人間というのは環境が悪ければ悪いほど、知恵を絞り出し能力を高めなければなりません。普通に仕事をしていたらどんどん売り上げが下がり、会社が体力を失い、戦いに敗れ倒産という負のスパイラルに陥ってしまいます。会社に期待するというよりも自分の力を信じ戦うことが何より重要であります。


 人間にとって大切なことは、常に『夢』や『希望』を持ち続けることであります。そして、決して諦めないことが重要であります。その延長線上に必ず成功という二文字がある筈です。粛々と直向きな努力こそ尊いのであります。


 法華経を深く考えると人間はいったい「どこから」「何のために」この世に生まれたのかと問われているように感じます。『生きる意味』を教えてくれたのがこの尊い法華経であると思っております。人は『どこから』 『どこへ』 『何のために』と、この問いに答えることが、人間としての一切の営みの出発点となる筈です。これが法華経の哲理でもあります。しかし、現代では物は豊かであっても心は貧しいのであります。最近とくに感じることは『人間の尊厳』が失われているように思われてなりません。


 現代社会に目を向ければ、政治・経済・環境の問題も、誰もがこのままではいけないと思っていると思います。しかし、それらはすべて自分の手の届かないところで決定され、動かされている訳であります。自分一人が何かしたところで、大きな機構の前に何ができますか・・・。この「無力感」が、さらに事態を悪化させ悪循環をもたらしております。この『無力感』の対極にあるのが、法華経の一念三千の哲理であり、実践であるのです。一人の人間の『一念』が一切を変えてゆくというのですから、一人の人間の可能性と尊貴さを、極限まで教えた経典ともいえると思います。


 法華経は普遍性、永遠性を説いた教えとして、仏典の最高峰に位置しております。法華経が時代を超え、文化を超えて、世界の人々に共感をもって受け入れられたという事実は、現代に生きる私たちに多くの示唆を与えてくれます。すなわち、多文化の融合、多様性の統合が叫ばれている現代、まさに異文化に生きる人々の心を大きく引き付けたのがこの法華経ではないでしょうか。


 法華経法師品(第十章)そのとき、釈尊は薬王(やくおう)菩薩をはじめとして、八万人の菩薩たちに語った。とあります。法師品から、いよいよ「釈尊の遺言」である法華経のハイライト部分が始まります。滅後の焦点は、末法にあります。何が正義で何が間違っているのか、分からなくなった時代に、人はどう生きるべきか、ということであります。実は、法華経全体が釈尊は「滅後の衆生のため」を説いているのです。


 在世は短く、滅後は長い。在世の門下は少なく、滅後の衆生は無量であります。『一切の人を救いたい』という仏の大慈悲は、必然的に自分の死後をどうするかということが焦点となります。そして、この品の中に「在家・出家の法華経を読誦するもの」とあるように、在家・出家という区別を超えた存在であります。お釈迦さまは「全ての人が仏に成れるのだ」という『真実』を分からせようとして、まず『諸法実相』という法理を説きます。それを聞いて舎利弗(しゃりほつ)は理解した。しかし、他の人は分からなかった。そこで『譬喩』を説いた。今度は四人の声聞が理解した。まだ分からない人のために、釈尊は自分と衆生との『深い縁』を説いた。そして、全ての声聞が納得できた。このように釈尊は「納得できるように」心をくだき、優しく説いたのであります。


 滅後の布教の在り方として、法師品では「衣座室(えざしつ)の三軌(さんき)」が説かれます。「薬王よ。若(も)し善男子・善女人有って、如来の滅後に四衆(ししゅ)の為めに、是(こ)の法華経を説かんと欲せば、云何(いか)んが応(まさ)に説くべき。是の善男子・善女人は、如来の室(しつ)に入り、如来の衣を着、如来の座に坐して、爾(しか)して乃(いま)し応に四衆の為めに、広く斯(こ)の経を説くべし。如来の室とは、一切衆生の中の大慈悲心是(これ)なり。如来の衣とは、柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心是なり。如来の坐とは、一切法空是なり」と。


 衣坐室の三軌は、『如来の心』を象徴的に説いたものであります。では『大慈悲』が、なぜ如来の『室』に譬えられるのだろうか?慈悲とは「慈しみ」であり、深い意味での「友情」であります。同じ人間として、また、同じ生命としての共通の絆を感じることです。ともに成長する。ともに幸福になるということなのです。


 『衣』の譬えですが、『柔和忍辱の心』をいっているのであります。衣は暑さ寒さをしのぎます。柔和忍辱の衣があれば難に遭わないということです。「忍辱の心」とは、どんな難があっても耐え忍ぶ心です。耐えるといっても、退くことでも、負けることでもありません。まさに耐えて勝つことなのであります。


 次に『一切法空の座』とは、いったい何なのでしょうか?それは、自在の智慧のことです。すべては常に変化している。無上の存在である。空である。そういう世界の諸法実相をありのままに見て、何ものにもとらわれない境涯にして行くことであります。


 まず、この品の主旨から言えば、法師という言葉には「法を師とする人」という意味と、「師となって法を弘める人」という意味があります。「法を師とする人」とは、菩薩の「求道者」の側面であり「法を弘める人」とは、菩薩の「救済者」の側面であります。法師には、その両目があります。「求道」の面を忘れれば傲慢になるし「救済」の面を忘れれば利己主義となってしまう。学びつつ人を救い、人を救うことで、また学ぶのであります。


 この法師品では『仏の大慈悲』を一身に体(たい)して行動するのが法師です。すなわち『如来の使』なのであります。「如来の使」とは『慈悲の使い』ということで、法師は、受持・読・誦・解説・書写しながら仏の大慈悲を修行するのであります。そして、『仏の心を生きる』ことが大切となって参ります。また、仏よりも法こそが成仏の原因であり、大切であると思います。法華経は『根源の法』を説く経典です。その『本因』の法を説くのが末法の法師なのであります。


 教祖・杉山辰子さまは、行住坐臥、南無妙法蓮華経と唱える。そして、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・仏智の六波羅蜜の修養をし、功徳を積むことが大切である。そうすれば不慮の事故や災難、病気から逃れることができる。そして、三徳を積むこと。始終一貫功徳を積むべし。かくの如く説法されておられます。


 私たちは多くを教祖さまより学びました。三徳『慈悲』 『誠』 『堪忍』の実践がとても重要となってきます。尊い教えを聞いて、それで満足するだけでは何も変化は有りません。自ら実践し、自分の心や考え方を高めなければ何一つ変わることはありません。


 私たちは一日一日を尊く大切に生きることが望まれております。そして、自分の運命は自分のこの手で変えて行くという気概を持つことが大切であります。一生懸命ご精進を賜り『すばらしき人生』というシナリオへ向かい魂を磨いて頂きたいと思います。


合 掌


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