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世界平和を
大樹
すばらしき人生32

夏本番で暑い日が続きますが、どうかご自愛くださいますようお願い申し上げます。熱中症対策に十分な注意を払い健康な日々を過ごして頂きたいと思っております。


 私たち人間を始め全ての生きものには平等に『命』があります。最近、人の命の尊厳が失われつつあるように思われます。私たちは人に対する尊敬の思いと感謝の気持ちを忘れてはいけないのであります。そして、この世の中で生かされて存在しているという事実を思えば、全てのものへの敬意と感謝の気持ちが自然と現れて参ります。そして、共に支えあって、共に成長することに私たちの慈悲心を注ぐことが、何よりも大切なのであります。人のためになることを実践することが最も尊いのであります。


 以前、サラリーマン時代に静岡で勤務しておりました。私は課長職をしており部下も10名ほどおりました。ある公立病院の糖尿病専門医のI先生の攻略が一つの大きなテーマとして存在しておりました。このとき非常に苦戦をしており手詰まりの状況で打開策が見いだせない状態でありました。そこで、私は悩みに悩み抜いた結果、子供を武器に展開をすることが最良であると判断しました。私の娘は一卵性の双生児で当時、小学校の五年生でした。I先生の娘さんと同級生なのであります。そこで私はこの作戦を思いつきました。I先生の子供さんと同じ学区へ引っ越しをしようと考えたのであります。引っ越し費用は全て自費でお金も掛かり、子供にも迷惑を掛けましたが、仕事優先で考えるなら仕方のないことであったと思います。


 小学校は四クラスでしたので、同じクラスになる確率は50パーセントであります。そして、ついに私の長女が同じクラスに入ることができました。私は先生の娘さんと仲良くなるよう子供に言い聞かせ、いつのまにか自宅まで遊びに行くような仲となりました。そして、子供の話題で仕事が円滑に進むようになり、お蔭さまで実績も増大しました。このようにして重要な先生の攻略を我が子にさせたのであります。


 また、静岡の大病院での出来事ですが、成長ホルモンの口座が未開設の施設へ口座を作るという大きな宿題がございました。私は『ダメ元』という思いで気持ちを強く持ち口座開設に取り組みました。ターゲットの先生は真面目で穏やかな性格のM先生という女医さんでした。一週間に一度は必ず情報提供に訪問をしました。そして、先生が喜ぶことが何なのか真剣に考え、考え抜いた結果、大義名分の立つ贈り物が効果的であると判断し、ディズニーの絵本、全二十数巻を毎週二巻ずつ訪問時に持参しました。先生は患者さんのためになることなので、とても喜んで頂きました。そして、三ヶ月程経過した頃より新規口座を開設することに成功をしました。そして、一年が経ち前年度の二十倍の売り上げとなりました。特に注意した点は治療も終盤で使用量の多い患者さんに使用して頂くようアプローチをしました。弊社の製品で従来品の三倍の濃度の薬剤に変更することで、患者さんの注射液量が減り、服薬コンプライアンス(痛みの軽減)が良くなるのであります。更に医療廃棄物も三分の一に減り一石二鳥なのであります。治療終盤の患者さんは体重も増え薬剤使用量が多いため、大きく売り上げに貢献できるのであります。そして、この私が出したアイデアの絵本作戦は社内でベタープラクティス(良い技法)として全国に展開されました。一つのきっかけを作る突破口として認められたということであります。いずれにしても人間関係の構築が大きなテーマとなります。そして、どんな仕事でも共通することでありますが、相手の立場に立ち相手の目線で物事を見ることが極めて重要であると考えております。


 『法華経は誰のために説かれたのか』というテーマで進めさせて頂きますが、法華経で釈尊が法を説いている直接の相手は、例えば前半(迹門)(しゃくもん)の中心的部分である方便品(第二章)では声聞(しょうもん)の舎利弗(しゃりほつ)であり、後半(本門)(ほんもん)の中心部分である寿量品(第十六章)では弥勒(みろく)菩薩であります。しかし、重要なのは、そのような声聞や菩薩に対して説かれた法華経の教えが、全体として、誰のために説かれたのかということで、本門、迹門も「釈尊滅後の衆生の為」に説かれたのであります。「末法の衆生の為」ということで『一切衆生の為』という法華経の慈悲が込められております。


 法華経では「一切衆生の成仏」が仏の一大事因縁。すなわち、仏がこの世に出現した、最大で究極の目的であると説かれております。滅後の衆生、特に末法という濁世の衆生を救わなければ、その理想は叶えられない。だから滅後の衆生のために教えを仏が説かないはずがないのであります。そのための慈悲の経典が法華経なのであります。


 法華経 見宝塔品(けんほんとうほん)(第十一章)この品より虚空会(こくうえ)に入って参ります。宝塔品は巨大な宝塔の出現から始まります。巨大な宝塔が大地より突如として出現し、空中に浮かんで静止します。そして、その中から大音声(だいおんじょう)が聞こえてきます。「素晴らしい、素晴らしい、よくぞ法華経を大衆のために説いてくださった。その通りです。その通りです。あなたが説かれたことは、すべて真実です」と。この讃嘆の声を聴いて、人々は大いに疑問をいだきます。「こんなことは今までなかった。いったい、どういう訳で、宝塔が大地から現れ、その中から声が発せられたのだろう」


 釈尊は答えます。「この宝塔の中には、多宝(たほう)如来という名前の仏様がおられる。この仏様は、かつて誓ったのです。『法華経が説かれる所があれば、私の塔はその前に現れ、証明役となって、素晴らしい、素晴らしいと讃嘆しよう』と。だから今、法華経が説かれるこの場所に、多宝如来の塔が出現して讃嘆したのであります」


 ここで、ある菩薩が「それなら、その仏様に会わせて下さい」と、食い下がりました。しかし、それには条件があった。多宝如来が姿を見せるには、釈尊の分身として十方世界で説法している仏たちを、すべて、呼び戻さなくてはならない。仏たちが集まってこられるように、釈尊は、今いる娑婆世界を三回にわたって清め、広げて、一つの仏国土にします。これを「三変土田」(さんぺんどでん)といいます。


 仏たちが『集合完了』したところで、釈尊が宝塔を開くと、多宝如来が、荘厳な姿で座っています。多宝如来は重ねて「素晴らしい、素晴らしい」と、釈尊の法華経説法を褒めたたえます。そして、座っている場所を半分あけて、釈尊にここにお座りください、と。こうして、二人が並んで座ったのが「二仏並座」(にぶつびょうざ)であります。


 この時、人々は、はるか高い所に二人の仏を見上げた格好でしたが、釈尊は人々を、ぐーんと空中に引き上げます。ここからが「虚空会」(こくうえ)です。そして、釈尊は呼びかけます。『誰か、この娑婆世界で、広く法華経を説くものはいないか。私はもう長くは生きていない。法華経のバトンを渡したいのだ』。そして、「多宝の塔が現れ、十方の仏たちが集まったのは何のためか。それは、この妙法を永遠に伝え弘めていくためなのだ」。令法久住(りょうぼうくじゅう)(法をして久しく住せしめん)なのであります。


 さらに、仏の滅後に法華経をたもち弘めることが、他の経典の場合に比べて、いかに難しいか(六難九易)(ろくなんくい)を説きながら、その困難をなしゆく大願をおこせ、その人こそ無上の仏道を得ることができるのだと、請願を勧めます。これが宝塔品のストーリーです。やはり圧巻は、壮麗、壮大な宝塔の出現です。七宝すなわち金・銀・瑠璃(るり)・瑪瑙(めのう)などの宝飾で出来ている塔であります。大いなる塔が立つ劇的な「虚空会の儀式」の始まりです。


 宝塔とは『妙法蓮華経』の五文字であり、『自分自身が宝塔』であることを教えているのであります。宝塔は大宇宙にそびえ立っている。大宇宙の宝を集めたかのような輝かしい姿です。その荘厳さで『あなた方の生命こそ宝の集まりなのだ』と教えているのであります。


 我々の生命には、仏界という生命があります。現実に我々の生命それ自体も冥伏(みょうぶく)せる仏界を具現できるのだと説き示したのが、この宝塔品の儀式であります。すなわち釈迦は宝塔の儀式をもって、己心の十界互具(じゅっかいごぐ)、一念三千を表しているのです。


 宝塔品では、仏界という尊厳なる生命を具体的に説こうとしているのです。では、なぜ具体的な形で妙法蓮華経が示されなければならなかったのか。それは、一つに「滅後のため」です。そして、「令法久住のため」なのです。


 釈尊は人生の総仕上げをしようとして、法華経を説いた。「妙法を広宣流布させるのだ」という釈尊の行動に呼応して、宝塔が出現した。そして、多宝如来が加勢に現れ、十方の諸仏も集結して釈尊を取り囲んだ。全部、もとは釈尊の『広宣流布への一念』であります。


 これまで法華経を聞いて信解すれば、必ず成仏できると説かれてきました。宝塔の出現は、その法華経の力を実証するものであると思います。多宝如来の「証明」というのも、塔の中から「善きかな、善きかな」と言って、法華経が真実であることを「言葉」で証明しているのです。多宝如来と宝塔の出現それ自体が、妙法蓮華経の「現証」となっている。


 「見宝塔」という題目は、宝塔の出現を通して「妙法蓮華経を見る」ことであります。いわば妙法蓮華経を「実体験」したのです。つまり、わが身が妙法蓮華経であるということを、宝塔が教えてくれたのです。私たちは、この尊い教え『法華経』に出会えたことに大いに感謝したいと思います。


 教祖・杉山辰子先生は『一念三千』とは、ひとつの思いによって三千種の世界を生ずることであり、すなわち『十界互具』なのであると仰せであります。そして、その真理を求めて、十数人の僧侶を尋ねられました。しかし、誰ひとり明確な回答を得られなかったとの記述がございます。深く法を求めていても、真理に到達するということは、とても難しいことであります。智慧を出し熟考した結果、その答えを導かれました。それは、『善根を積まねばならない』すなわち『良い種を蒔くこと』なのであります。これは、教祖さまが真理に目覚め悟りを開かれた尊いお言葉であると思っております。私たちは、『慈悲』 『誠』 『堪忍』の実践により、良い種を蒔くことが重要であります。そして、少しでも良いから積徳するという姿勢が大切なのであります。毎日の継続がやがて宝の山となることでしょう。私たちは『三徳』の実践を行うことにより『すばらしき人生』を体現えきるよう努力精進をすることが望まれております。


合 掌


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