今年一年間、信者の皆様を始め関係各者には大変お世話になり有難うございます。平成二十七年も残すところ、あと僅かであります。この一年を振り返りますと、元旦祭に始まり一年間の行事も無事に執り行えたことに感謝を致します。また、当然ですが病気もせずに精進できたことにも感謝を致しております。一年間を無病息災で過ごすことの有難さをしみじみ感じております。
今年のスローガンは「気概(きがい)と変革(へんかく)」であります。法華経広宣流布に気概を持って、自ら高き目標を持ち、自らが変わらなければ何も変化はありません。そういう意味では自分自身は「堪忍」を貫こうと年初に決めました。どんなことがあろうとも「堪忍」をすることの大切さを感じ取ることができました。また、「堪忍」は出来そうでなかなかできません。しかし、考え方を変えればよいのであります。色んなことに腹を立てたくなる時もあるでしょう。文句も言いたくなるでしょう。不満も言いたくなる場面もいくつかあります。しかし、そんな、些細なことは全て目を瞑(つむ)る度量が必要となってきます。どんなことにも『許すこころ』「何があっても相手を許す」というこころに成らなければいけません。
十二月は一年でも最も短く感じる月であります。しかるに一日一日を大切に生きることが、私たちにはとても重要となって参ります。私たちは日々成長しなければなりません。法華経を学び実践し行動する。このような毎日の積み重ねが人間という最高の動物を成長させるのではないでしょうか。そして、永遠に進化し続けなければいけないと思います。努力は必ず報われます。一にも二にも努力精進あるのみであります。
一般的には正直者は馬鹿をみるとか、損をするとよく言いますよね。しかし、私はそう思いません。正直者は得をすると申しますか、良い縁に触れることが沢山あると思っております。人間、正直に真面目に生きていると必ず良いことがやって来るのであります。
私がサラリーマンの時に経験したことですが、三島市で成長ホルモンの治療をしている施設の調査を流通業(医薬品卸)でリサーチを行なったところ、一軒の小児科クリニックで治療をしていることが分かりました。そこで医薬品卸のN社のセールスさんに一度弊社製品の見積もりを出して欲しいと依頼をしました。そこで、N社より通常の価格で見積もりを出してもらいました。すると、三島のクリニックのS先生より面会したいとのお話が来ました。早速、アポイントを取り面会しました。先生はひどく、ご機嫌斜めでおられました。何か失礼なことをしてしまったのではないかと一瞬、頭を過ぎりました。しかし、悪い話ならわざわざ呼びつけることもないのではないかと思いながら面会をしました。すると、先生はS社(同業他社)の製品を患者さん三名に使用していたのであります。しかし、私は今まで騙されていたと、おっしゃるのであります。いったい何のことかと尋ねてみたら、とても高い価格で購入していたということでありました。医療用医薬品には、薬価といって公定価格(定価)があり、他社も同一製剤なので同じ薬価なのであります。従いまして、通常の販売価格以上で購入していた自分自身に腹を立てていたということであります。その結果、三例の患者さんは勿論、弊社製品に切り替わりました。そして、新たな患者さんのも数例使用していただき、本当に良い結果が得られました。まさに、正直者は得をするであります。
また、こんなケースもありました。糖尿病専門医で静岡県糖尿病協会の会長を務めておられたS総合病院のI副院長先生ですが、私は何かと糖尿病教室のお手伝いとか、患者さんへのフォローとかで患者さんと接する機会が多くありましたが、私利私欲の為でなく誠心誠意真心をもって患者さんのメリットとなる活動を地道に続けることでI先生から感謝され大きな信頼を得ました。
ある時、協会の行事として糖尿病患者さんの勉強のためにハワイの病院を訪問しました。今から二十年ほど前の話ですが、流石にアメリカは糖尿病の医療技術が進んでいると感じました。なにせ千四百名強の患者さんを最新医療の研究をするための治験をしていたのであります。DCCTスタディと云いますが、それほどの大規模な人体実験をしていたのであり大変驚きました。
ご一緒させて頂いた患者さんは高齢の方が多く飛行機にはあまり乗られない方が大半でした。インスリンをスーツケースに入れて搭乗してしまった方も数人おられました。そんなこともあろうかと思い予備のインスリンをバッグに入れておきました。備えあれば憂いなしであります。また、ある患者さんは時差による低血糖で意識がもうろうをなられた方もおられました。意外と先生は慌てていたのですが、私やナースはいたって冷静でした。すぐに砂糖水の補給で事なきを得ました。
何事にも正直にコツコツとやり遂げることが大切であります。私は人間とは『誠実』でなければいけないと思います。何事にも誠意を持って対応し自分に正直に生きることが、大切であると思っております。正直者は得をするという考え方で毎日を生きることであります。そして、自分自身を『大きな器の人間』に育てあげることが極めて重要であると思っております。
安楽行品(あんらくぎょうほん)(第十四章)ですが、安楽行といえば、「楽な修行」「苦労の無いこと」と思いがちですが、そうではありません。「難と戦うこと」が安楽であります。何があっても「揺るがない」。何があっても「憂いなく」生きて行ける。この境涯が安楽であり、真の『幸福』なのであります。
安楽行品の概要ですが、主に説かれているのは、四安楽行(しあんらくぎょう)といって、身(しん)、口(く)、意(い)、誓願(せいがん)の四つにわたる修行法です。安楽行の修行は、あらゆる人々に、どうしたら妙法の功徳を受けさせてあげられるか。その一念を教えています。ゆえに、友の幸福を真剣に祈り、智慧を発揮して仏法を語って行く中に、安楽行品の心は全部生きてくるのであります。
安楽行品には、「遊行(ゆうぎょう)するに畏(おそ)れ無(な)きこと 師子王(ししおう)の如く 智慧(ちえ)の光明(こうみょう)は 日の照らすが如くならん」これは、「妙法を実践する人が、恐れなく活躍することは獅子王のようであり、その智慧の光明は太陽のようであろう」ということであります。
さて、安楽行品は、文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)が釈尊に「悪世において、どのように法華経を説いていったらよいでしょうか」と質問するところから始まります。釈尊はこれに答えて、「身(しん)」「口(く)」「意(い)」「誓願(せいがん)」四つの安楽行を説いております。
簡単にいえば、①「身安楽行」とは、身を安定させ悪縁を避け、静寂な所で修行すること。②「口安楽行」とは、他人や他の経典を、みだりにけなしたり、褒めたりせず、平穏な気持ちで説き諭すこと。③「意安楽行」とは、嫉妬や慢心やおもねりの心をいだかず、争論を避けて経をたもち、読み、説くこと。④「誓願安楽行」とは、大慈大悲の心で、衆生救済の誓願を立て、修行すること。
具体的な方法として、四安楽行は、まず「身安楽行(しあんらくぎょう)」ですが、ここでは菩薩「行処(ぎょうしょ)」すなわち「どう振る舞うべきか」と、「親近処(しんごんしょ)」すなわち「人との交際はどうすべきか」が説かれます。
「行処(ぎょうしょ)」とは「忍耐強く、柔和で、乱暴でなく、おそれおののくことなく、何ものにもとらわれず、物事をありのままに見て、みだりに決めつけることが無い」と、これらは一つひとつ大事なことです。
「親近処(しんごんしょ)」では、誘惑されて仏道の心を失いそうな所へは近づくなと言っています。権力者のところや遊興(ゆうきょう)の場所に行くなとか。男性は女性に、やましい心をもって法を説くなとか。そして、それらの根本姿勢を「一切(いっさい)は空(くう)であるから、有(う)であるとか無(む)であるとか、とらわれの心で見てはいけない」と説いております。要するに、『悪縁(あくえん)』近づかず『偏見(へんけん)や邪見(じゃけん)』などにとらわれるな、用心しろということであります。
次に「口安楽行(くあんらくぎょう)」ですが、これは「口のきき方」についての注意であります。経典や法師(ほっし)の悪口を言ってはいけない。他人の、ここが好きとか嫌いとか、ここが良いとか悪いとか言ってはいけない。名前をあげて人をけなしたり、褒(ほ)めたりしてはいけない。ただ、法を説くにあたっては「方便を用いて皆を発心(ほっしん)させ、次第に仏道へ入らせよ」「慈(いつく)しみの心を持って説け」「昼も夜もつねに、無上道(むじょうどう)の教えを説き、多くの因縁(いんねん)、譬喩(ひゆ)を語って、衆生を歓喜(かんき)させよ」「質問を受けたら、小乗(しょうじょう)の教えではなく、大乗(だいじょう)の教えによって答え、一切ありのままを知る智慧(ちえ)を得させよ」「多くの人々が仏道を成就(じょうじゅ)することを、心に念(ねん)ぜよ」
次に「意安楽行(いあんらくぎょう)」です。ここでは「法華経を説くにあたっては、妬(ねた)み、怒(いか)り、驕(おご)り、へつらい、いつわりの心を捨てよ」と教えております。そして、仏教を学ぼうとする人をバカにしたり、悩ませたり、疑いを起こさせてはいけない」「法を弘める人を尊敬しなくてはならない」と言っております。特に注目したいのは「法を説く相手が、深く法を愛しているから、その人には多を説き、そうでない人には少なく説く、ということがあってはならない」と注意している点であります。
最後は「誓願安楽行(せいがんあんらくぎょう)」です。法華経を受持(じゅじ)する者は、人々に大慈大悲(だいじだいひ)の心を起こし、次のように思いなさい。「ああ、この人は、仏が、この人にふさわしいように法を説いて下さっているのを、聞かず、知らざる、信ぜず、理解しようともしないけれども、私が最高の境地(きょうち)を得た時、私は、どこにいようとも、この人を仏法から離れないようにさせよう」どんなに『わからずや』の人でも絶対に見捨てないと強く心に誓うことだと思います。
安楽行品(あんらくぎょうほん)が「方法論(ほうほうろん)」であるとすれば、勘持品(かんじほん)はその「精神(せいしん)」を説いております。その精神とは、「不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)」です。我が身を惜(お)しまず、正法(しょうほう)を惜(お)しむ心です。この「不自惜身命」を安楽行の根本に見ないといけません。四安楽行(しあんらくぎょう)の「安楽」とは、根本的には、妙法を「身(しん)・口(く)・意(い)の三業(さんごう)」つまり「全生命」で行(ぎょう)じていくことであります。ゆえに、全生命が安楽の境涯になる、南無妙法蓮華経こそ真の安楽の法なのであります。
教祖・杉山辰子先生は三徳の実践が最も功徳が大きいと仰せであります。私たちが尊敬する教祖さまの歩まれた道を進むべき努力をしないといけないと思います。
一念三千の哲理は、「善根を積むべし」とあるように「良い種を蒔く」ことから始まります。そして、心より人の幸せを願うこころが大切ではないでしょうか。
私たちは、三世にわたり功徳を積むことを実践しなければなりません。過去世、現世、未来世へと繋がる自分の人生で『慈悲』 『誠』 『堪忍』の実践が必要であるのです。私たちは『仏のこころを生きる』という考え方がとても大切であります。何事にも動じない、何事にも負けない、何事も恐れることは無いのであります。『仏のこころを生きる』と思い生きたなら世の中のことが、全て許せるのではないでしょうか。そのためにも日々精進し自分の魂を磨くことが、『すばらしき人生』への軌道となるでしょう。
合 掌