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世界平和を
大樹
すばらしき人生38

年が明け早くも二月ということになります。月日の経つのは本当に早いものです。元旦祭には多くの信者の皆様にお参り頂きありがとうございました。そして、今年一年を占う平成二十八年度の短冊はいかがでしたでしょうか。今年の努力目標として精進されることをお勧め致します。


 今年の法公会節分厄除祈願祭は二月七日(日)でございます。本来、節分というのは立春・立夏・立秋・立冬の前の日のことを指します。旧暦では立春の頃が一年の初めとされ、最も重要視されていましたので、節分といえば、一般的に立春の前の日を示すようになりました。季節の変わり目のは体調を崩すこともあります。豆まきをして、厄を落とし、この一年を無病息災に過ごすことができたら幸せであります。多くの信者の皆様のお参りをお待ち致しております。また、二月十五日は釈尊涅槃会と行事が多いですが重ねてお願い申し上げます。


 私は、平成二年五月十五日に前の会社を退職しました。有給休暇を消化しなかったため、最後の最後まで勤めさせて頂きました。そして、新しい会社に翌日の五月十六日より入社しました。行き先は長野県の研修場であります。名古屋より中央線で塩尻経由芽野駅まで行きました。女神湖のほとりにある研修所のような保養所のような所でした。私が訪れたら、そこに、この四月入社の新入社員(中途採用)が六名おりました。男性四名、女性二名です。そして、講師の先生が一人と、とても小規模な研修合宿でありました。午前中は医学・薬学の基礎知識が中心で、午後は製品教育と毎日のテストやプレゼン研修をしました。四月~六月の三か月が研修なのであります。私は半分ほどショートしてしまい後日追加プログラムでの補修研修を受けました。新聞もテレビも何もない所で唯々、研修に集中していたのであります。まるで仙人のような生活でした。


 そんな中、二週間に一日の休暇を頂きました。休みには皆で白樺湖や霧ヶ峰へとドライブしました。霧ヶ峰の『ニッコウキスゲ』が綺麗に咲いており、とても印象的でありました。そして、土産物を買いにお店に入った時のことですが、同期のTさんがこう云いました。Mちゃん、Yちゃんの土産を買おうと私に話しかけたのであります。何故、君は私の娘の名前を知っているのだと思い聞き返すと、実は字は違いますが子供の名前が同じでありました。同年生まれというのは、何かと共通項があるものだと感心しました。


 研修も終わりが近くなると、いよいよ配属先が決まります。私は副社長より東京に来るよう強く要請されましたが、どうしても地元を離れるのが嫌で名古屋営業部(東海四県)を出る意思のないことを伝えました。


 そして、名古屋営業部に配属となり、自己紹介をしたのでありますが、なんとスタッフが少ないことに驚きました。部長、チームリーダーと愛知県の担当者二名、静岡二名、三重、岐阜各一名でありました。事務員を入れても全員で十名足らずでありました。もっともこの頃は自社販売をしておりませんでしたので適当な人員配備であったと思います。


 私は、以前にも申し上げましたが『有言実行』を貫くべき仕事をして参りました。自分の目標を宣言し、そして実行する。当たり前のことであります。人間というのは忘れる動物であります。都合の良いことは、いつまでも覚えておりますが、そうでないものはすぐ忘れてしまいます。従いまして、今日やることを今日やっていては駄目なのであります。今日やることは、すでに昨日までにやり終えないと進歩はありません。それぐらいの気概を持って仕事に取り組むことが大切だと思います。その為にも常に五感を鍛え『進取の精神』で取り組むことがとても大事じゃないでしょうか。そして、より精度を増し、より的確に、より早く物事をやり遂げるビジネススタイルを身につけることが極めて重要であると思っております。何事も忘れる前に実行しなさいということであります。


 法華経の従地涌出品(じゅうちゆじゅつぽん)(第十五章)に入らせて頂きます。この品より迹門(しゃくもん)から本門(ほんもん)へと入ります。そこには劇的な転回(てんかい)があります。というのも、本門に入ると、それまでの『常識』が大きく覆されるのであります。その象徴となっているのが地涌(じゆ)の菩薩なのであります。地涌(じゆ)の菩薩が出現するや、虚空会(こくうえ)にいた菩薩たちは、動揺のあまり、疑いを起こします。いわゆる『動執生疑(どうしゅうしょうぎ)(執着を揺り動かし、疑問を生じる)』です。彼らの驚き、衝撃、疑問は、迹門(しゃくもん)の教えを信じてきた全ての仏教者の気持ちを代弁したことでしょう。


 動執生疑(どうしゅうしょうぎ)とは、それまでの信念が大きく揺らぐことであります。いわば既成(きせい)の概念(がいねん)が根底から打ち破られるのであります。人々が安住している価値観を、劇的に打ち壊すことによって、釈尊の本地(ほんち)、真実の境涯が説き明かされるのであります。


 では、経文(きょうもん)の流れですが、章のタイトルとなっている「従地涌出」(じゅうちゆじゅつ)とは、『釈尊の入滅後の正法の広布者』が大地の割れ目から突然、湧いて出現したという意味です。釈尊の滅後、遙か未来の果てまで、人類をどう救うのか、この大いなる責任感がこの法華経には込められております。その責任と慈悲と智慧を体現しているのが地涌(じゆ)の菩薩であります。地涌(じゆ)の菩薩は、湧出品(ゆじゅつぽん)の冒頭に出現します。他方の菩薩たちが、釈尊滅後に、この娑婆世界で妙法を弘めることを誓います。十法世界、すなわち全宇宙から集(つど)ってきた最高峰の菩薩たちの誓願(せいがん)です。釈尊が彼らに付属(ふぞく)するだろうと、誰もが思うような展開となっています。ところが釈尊の本門の第一声は、誰もが予知していない言葉だった。「止(や)みね。善男子(ぜんなんし)よ」「あなたたちが法華経を護持(ごじ)す必要はない」と言ったのであります。


 その時、虚空会(こくうえ)に衝撃が走ったと思います。心臓が止まるような思いというか、皆、釈尊の言葉にわが耳を疑ったのではないでしょうか。ところが、それに続く釈尊の言葉は更に皆を驚かせました。「なぜならば、この娑婆世界に六万恒河沙(ろくまんごうがしゃ)の菩薩たちがいる。彼らが弘めてくれるからだ」と。その時です。この娑婆世界の全国土が震裂(しんれつ)し、そこから無量(むりょう)の地涌(じゆ)の菩薩たちが出現します。その姿はあまりにも荘厳でありました。身は金色に輝き、三十二相(仏に具わる理想的特徴)を具え、無量の光明(こうみょう)を放っています。あらゆる他方の仏国土から集まった菩薩たちですら驚嘆(きょうたん)したのです。


 そして、地涌(じゆ)の菩薩の姿は「志念力(しねんりき)は堅固(けんご)にして 常に知恵を勤求(ごんぐ)し 種種の妙法を説いて 其(そ)の心に畏るる所無し」「善く菩薩の道(どう)を学(がく)して 世間の法に染まらざること 蓮華(れんげ)の水に在るが如し」「難問答に巧みにして 其の心に畏(おそ)るる所無く 忍辱(にんにく)の心は決定(けつじょう)し 端正(たんしょう)にして威徳(いとく)有り」と描かれております。


 一人ひとりの菩薩は皆、大衆のリーダーであり、それぞれ六万常河沙(ろくまんごうがしゃ)の眷属(けんぞく)(仲間)を率いております。ものすごく壮大な人数になります。そして地涌(じゆ)の菩薩たちは、まず宝塔(ほうとう)の中にいる釈尊と多宝如来(たほうにょらい)のもとに詣で、次に十方の世界から集ってきた無数の仏たちの所へ行って、それぞれの仏をさまざまな形で讃嘆(さんたん)します。挨拶が終わると、地涌(じゆ)の菩薩を代表して上行(じょうぎょう)・無辺行(むへんぎょう)・浄行(じょうぎょう)・安立行(あんりゅうぎょう)の四菩薩(しぼさつ)が釈尊と対話を始めます。その対話は民衆救済という大目的についてです。彼らはこう語ります。「世尊よ、小病小脳(しょうびょうしょうのう)であり、安楽(あんらく)であられるでしょうか」そして、続けて「今、救おうとされている者たちは、たやすく導くことができるでしょうか。世尊を疲れさせてはいないでしょうか」と尋ねます。そして、釈尊は「決して疲れてはいない。衆生を導くのは易しいことです。この、諸々の衆生は、過去世以来、私の化導(けどう)を受けてきたのです。皆、私の教えを聞いて、仏の智慧に入ったのです」と答えます。


 地涌(じゆ)の菩薩は釈尊を讃えます。「すばらしいことです。偉大な英雄である世尊よ、私たちも随喜(ずいき)します」と。随喜の心を起こす地涌の菩薩たちを釈尊もまた、讃えています。


 こうした対話を見て、驚いたのは、法華経の会座(えざ)にいる弟子たちです。今まで見たことの無い光景が次々と繰り広げられる。宝塔(ほうとう)が出現し、十方の諸仏が集い、虚空会(こくうえ)が行われた。これ自体、未曽有(みぞう)のことです。それでも理解し信じようとしたが、この大衆の驚きを代表して、弥勒菩薩(みろくぼさつ)が釈尊に質問します。「この無量の菩薩たちは、昔から今まで見たことがありません。世尊よ、どうかお話し下さい。彼らはどこから、来たのでしょうか。何の因縁によって集まったのでしょうか」と。


 ここが、有名な『弥勒(みろく)の疑請(ぎしょう)』であります。この弥勒(みろく)の『大いなる問い』が、釈尊が寿量品という真髄の教えを説くきっかけとなりました。弥勒は一生補処(いっしょうふしょ)の菩薩と言われ、釈尊の次に仏に成るとされていた菩薩であります。ですから弥勒(みろく)が質問したことに大きな意味があるのです。釈尊は「すばらしい、すばらしい。弥勒(みろく)よ、あなたは仏にそのような大事な質問をした」と讃えました。


 ここからが重要であります。「私は久遠(くおん)よりこのかた、これらの大菩薩を教化してきたのである」と、釈尊の口から驚くべき言葉が発せられました。遠い昔から、この娑婆世界で自分が教化してきたのが、この地涌(じゆ)の菩薩たちだと明かすのであります。これは大変なことであります。弥勒(みろく)を始め会座(えざ)にいた人々は、それまで、釈尊は菩提樹の下で初めて成道(じょうどう)したと信じています。いわゆる「始成正覚(しじょうしょうかく)(初めて正覚を成す)」です。誰も見たことが無い地涌(じゆ)の菩薩という釈尊の無量の弟子が眼前にいるのですから、自分たちの理解を遙かに超えております。今まで信じていたものが、がたがたと音を立て崩れていくのです。大きな衝撃を受けたと思います。この驚きが「動執生義」(どうしゅうしょうぎ)であります。自分たちの執着を打ちくだされ、大きな疑問が生じた。弥勒(みろく)はそんな皆の心を代表して、再び問います。「世尊は王宮を出て出家され、悟りを開かれてから四十余年になったばかりです。このわずかな期間で、このような無量の大菩薩を教化されたとは、とても信じがたいことです。後に新しく発心(ほっしん)する菩薩たちが、仏の滅後にこの教えを聞いたなら、信受(しんじゅ)せずに法を破る因縁を作ってしまうかもしれません。願わくは、彼らのために詳しく解説して、私たちの疑いを、除いて下さい」この弥勒菩薩(みろくぼさつ)の問いかけで湧出品(ゆじゅつぽん)は終わります。


 教祖・杉山辰子先生は『慈悲』 『誠』 『堪忍』の三徳の実践が極めて重要とおっしゃっておられます。一念三千の哲理は、「善根を積むべし」とあるように「良い種を蒔く」ことから始まります。そして、心より人の幸せを願うこころが大切ではないでしょうか。


 そして、『永遠の生命』を生きることが大事であります。それは、三世を生きるという『永遠の生命』という考え方が重要となってまいります。過去世・現世・未来世を生きているという考え方で、未来への希望を持ち、現在をどう尊く生きるかが鍵となるでしょう。日々、努力精進の積み重ねが必ず『すばらしき人生』となるでしょう。


合 掌


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