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世界平和を
大樹
すばらしき人生44

今年の暑い夏も折り返しへと入って参ります。年を重ねますと、暑さをあまり感じなくなるようです。この夏、暑いなと思える人は、まだまだ若い証拠であります。しかし、あまり過信して暑いのに我慢をしているようではいけません。熱中症というのは体が脱水状態にあります。こまめな水分補給が必要となって参ります。暑さに負けず、元気とパワーで乗り切って頂きたいと思います。


 先般は、法公会盆施餓鬼先祖大法要会にご参詣を頂き、誠に有難う御座います。お盆には、里帰りや、お墓参りと何かと忙しいと思います。私たちの先祖への感謝の気持ちは、お墓参りをすることで心落ち着くような気がします。常日頃より先祖への感謝を忘れないようにしたいものです。そして、九月には秋季彼岸先祖法要会が開催されます。彼岸という節目に先祖への感謝と供養することが、私たち日本人の魂ではないでしょうか。有難いもので、そういう機会が多いのも親の恩を決して忘れないためではないでしょうか。


 私がサラリーマンの時代に四国の支店長を仰せ付かった時のことですが、全国に十三支店が在りました。その後、支店の統廃合があり、全国を大きなブロック単位にまとめ、エリア制となりました。


 四国四県は人口の割に面積が広くアクセスも良くなく活動するにはとても不便な地域でした。そこを二人のチームリーダーが責任を持つのであります。香川県と徳島県、愛媛県と高知県と二つの県を担当することは、至難の業であります。特に、愛媛県と高知県担当のチームリーダーは移動時間が長く、およそ二時間以上はかかります。そんな中、効率アップと若手社員の育成が大きなテーマでした。


 国の方針で昭和五十年頃まで各都道府県に一つの医科大学を作り付属病院も出来ました。四国は四つの大学病院がありました。大学病院担当者は、ほぼ毎日ルーティン訪問をしております。担当チームリーダーも二日に一度は顔を出さないと仕事になりません。そういうプレッシャーを感じながら、内容の濃い仕事と戦い、時間と戦い、自分に負けないタフさを身につけ成長してゆくのであります。


 人間というのは、常に高い目標を持たないといけないと思います。目標が低ければ、努力の量も当然減ります。しかし、達成不可能な大きな目標を掲げることも時には必要であります。頑張って、努力して、一生懸命目標に向かって行動すれば、百パーセントは無理でも、それなりの結果がついてくると思います。とにかく大きな目標に向かって、ただひたすら、歯を食いしばり努力することであります。そうすれば、必ず自己実現が叶うと思います。


 法華経の常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)(第二十章)に入りますが、分別功徳品(ぶんべつくどくほん)(第十七章)、随喜功徳品(ずいきくどくほん)(第十八章)、法師功徳品(ほっしくどくほん)(第十九章)と三品、「流通(るつう)の功徳(くどく)」が説かれます。それに続いて不軽品(ふきょうほん)(常不軽菩薩品)では、「法華経を弘める人」の功徳と、「法華経の公布者を罵(ののし)る人」の罪を、あわせて説いております。


 それも「常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)」という一人の実践者のドラマを通して、語っているわけです。本当は、「常に人を軽(かろ)んじなかった菩薩(ぼさつ)」という意味ですが、実際には「常に人から軽(かろ)んじられた菩薩(ぼざつ)」のようです。これは、常不軽菩薩が、いつもバカにされていた表面だけに着目すれば「軽(かろ)んじられた菩薩(ぼさつ)」ということですが、しかし、一歩奥深く、その行動の本質、魂に着目すれば「常に軽(かろ)んじなかった菩薩(ぼさつ)」ということだと思います。


 それでは、不軽品(ふきょうほん)のあらましですが、「時代設定」は、「無量無辺不可思議(むりょうむへんふかしぎ)の阿僧祗劫(あそうぎこう)」をさかのぼった昔、「威音王如来(いおんおうにょらい)」という仏がいた。その仏の入滅後、正法(しょうほう)時代も末になった。その頃は、仏の正しい教えも見失われて、「増上慢(ぞうじょうまん)の僧侶(そうりょ)」が一大勢力を持っていた。こういう時代背景です。


 要するに「法滅(ほうめつ)」の時代です。形だけの正法(しょうほう)時代には、すでに魂は無くなっている。仏法が形骸化(けいがいか)した時代であります。


 確かに「増上慢(ぞうじょうまん)の比丘(びく)」が充満しています。こういう中へ、不軽菩薩(ふきょうぼさつ)が出現するわけです。男女を問わず、また出家・在家を問わず、あらゆる人に対して、こう言って礼拝(れいはい)しました。「我(わ)れは深く汝等(なんじら)を敬(うやま)い、敢(あえ)て軽慢(きょうまん)せず。所以(ゆえん)は何(いか)ん、汝等(なんじ)は皆(み)な菩薩の道を行(ぎょう)じて、当(まさ)に作仏(さぶつ)することを得(う)べし」。訳しますと、私は深く、あなた方を敬います。決して、軽(かろ)んじたり、慢(あなど)ったりいたしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道(ぼさつどう)の修行をすれば、必ず仏になることができるからです。


 そして、その「我(わ)れは深く汝等(なんじら)を敬い」以下の文(もん)は、漢文で、二十四文字から成っております。そこで、不軽菩薩(ふきょうぼさつ)の弘めた法華経は「二十四字の法華経」と呼ばれております。


 法華経とはいったい、何を説いたのでしょうか。それがこの二十四字に凝縮(ぎょうしゅく)されているということです。一切衆生に「仏性(ぶっしょう)」がある。「仏界(ぶっかい)」がある。その「仏界(ぶっかい)」を不軽菩薩(ふきょうぼさつ)は、礼拝(れいはい)したのであります。法華経の経文上では『一切衆生に仏性(ぶっしょう)がある』とは明示されていない。しかし、厳然と、そのことを主張しているのです。これ以上「生命の尊厳」の思想はありません。宗教の中には「平等」と説いたとしても、人類は「罪の子として平等」であると説くものもある。しかし、法華経は皆、尊(とうと)き「仏子(ぶっし)」と説きます。「仏界(ぶっかい)の当体(とうたい)として平等(びょうどう)」なのです。そこには大きな違いがあります。


 「増上慢(ぞうじょうまん)の比丘(びく)は大勢力有(だいせいりょくあ)り」と説かれているように、彼らは羽振(はぶ)りがよく、大きな勢力持っていた。その力や地位を頼んで、いよいよ増上慢になっていったのでしょう。


 権威、権力、地位、名声等、何らかの力を頼んているうちは、なかなか謙虚になれない。すべてを失ってから、初めて「聞(き)く耳(みみ)」を持つことがあまりにも多い。人間の悲劇であります。


 ほとんどの人間が、自分自身の慢心(まんしん)で滅びてゆく。そうなる前に一切の虚飾(きょしょく)を捨てなくてはなりません。そして、「人間として」自分には何があるのか。それを問いかけることが大事なのであります。


 そういう増上慢(ぞうじょうまん)の人々に冷笑(れいしょう)されても、不軽菩薩(ふきょうぼさつ)は、びくともしません。どんなに罵(ののし)られても、怒ることなく、『あなたは、必ず仏になるでしょう』を繰り返します。これは、まさに「忍辱(にんにく)」の修行です。仏のことを「能忍(のうにん)(能(よ)く忍(しの)ぶ)」といいますが、忍耐(にんたい)できるかどうかで決まります。しかも、不軽(ふきょう)の忍耐は何年も何年も続きます。なかには悪口だけにとどまらず、杖や棒で打ったり、瓦のかけらや石を投げつける人間もいました。すると不軽(ふきょう)菩薩は、さっと、よけて走り去り、遠くからまた大声で、あの「二十四字の経(きょう)」を繰り返すのです。機敏(きびん)に身をかわしながら、しかも、少しもひるむことなく、また布教(ふきょう)を続ける不屈(ふくつ)の実践者なのです。


 不軽菩薩(ふきょうぼさつ)は悪口を言われようと、たたかれようと、二十四字の法華経を「下種(げしゅ)」して歩いた。「下種」とは信仰の種を人々に植え付けることです。相手がどうあれ、「自分はこう生きるんだ」と決めた通りに戦い通した。その結果、不軽菩薩(ふきょうぼさつ)はどうなったのか。経文(きょうもん)にはこうあります。「(不軽菩薩(ふきょうぼさつ)は死期が来て) まさに命が絶えようとする時、天空からの声で、威音王仏(いおんおうぶつ)が、かつて説かれた法華経の説法を聞き、そのすべてを信受(しんじゅ)した。そうして、先に(法師功徳品(ほっしくどくほん))で説いたような六根清浄(ろっこんしょうじょう)を得た。六根清浄を得て、そのあと二百万億那由他年(なゆたねん)の寿命を増し、広く人のために、この法華経を説いた」とあります。そうです、「寿命」を延ばしたのです。生き延びたのです。生き抜いたのであります。


 この「寿命」とは、文字通り「長生き」したことでしょうが、「生命力(せいめいりょく)」とも解釈できます。たとえ短命であっても、「生命力」満々(まんまん)として生き、大いなる価値創造(かちそうぞう)をして亡くなれば、その人は「長寿(ちょうじゅ)」だったのです。また、広宣流布(こうせんるふ)をして、多くの人々に偉大な「生命力」を与えたこと以上の「長寿」はないといえます。


 ともあれ不軽菩薩(ふきょうぼさつ)は、見事に六根清浄(ろっこんしょうじょう)をして人間改革の「実証(じっしょう)」を示しました。その結果、周囲の目は変わりました。「(不軽菩薩(ふきょうぼさつ)を軽蔑(けいべつ)していた)増上慢(ぞうじょうまん)の出家・在家の男女は、不軽菩薩(ふきょうぼさつ)がすばらしい神通力(じんつうりき)と雄弁(ゆうべん)と智慧(ちえ)の力を得た事実を見、その説法を聞いて、皆、信伏(しんぷく)し随従(ずいじゅう)した」とあります。それまで不軽菩薩は、雄弁でも何でもない。ただ二十四字を繰り返して、礼拝するだけです。だからバカにされたともいえます。しかし、それは、あくまで仮の姿であったと推察されます。


 従いまして、立場は完全に逆転したのであります。上手な話もしなかった。偉そうな様

子も見せることはなかった。ただ、愚直(ぐちょく)なまでに「下種(げしゅ)」をして歩き回った。その行動に三世(さんぜ)にわたって、「法華経(ほけきょう)」が脈動(みゃくどう)しているのです。


 不軽菩薩(ふきょうぼさつ)は、その後も、生まれるたびに諸仏に仕え、法華経の広宣流布へ「心畏(おそ)るる所無く」闘(たたか)い続けます。そして仏になります。


 ここまで語って、突然、釈尊は「この不軽菩薩(ふきょうぼさつ)とは、誰のことか?ほかならぬ私のことだ」と宣言するのです。そして、『今、勘持品(かんじほん)(第十三章) に説かれる三類(さんるい)の強敵(ごうてき)を呼び起こしたのは、私である』と。それは過去に不軽菩薩(ふきょうぼさつ)が行った戦いを、今、この身でしているのであり、未来から見るならば、今の私の戦いは不軽菩薩(ふきょうぼさつ)と同じと分かるであろうと。


 「不軽(ふきょう」と「増上慢四衆(ぞうじょうまんしゅう)」との関係ですが、不軽菩薩(ふきょうぼさつ)と悪人は対極(たいきょく)にある。しかし、どちらも妙法(みょうほう)の当体(とうたい)である。同じ「人間」である。悪人にも善の仏界(ぶっかい)がある。善人にも悪の生命がある。ゆえに不軽菩薩(ふきょうぼさつ)は迫害(はくがい)されても迫害されても、広宣流布(こうせんるふ)へと立ち向かっていった。悪人たちの「眠(ねむ)れる仏性(ぶっしょう)」を信じ「毒鼓(どっく)の縁(えん)」を結び、仏縁(ぶつえん)を結んでいったのです。「毒鼓(どっく)の縁(えん)」とは「逆縁(ぎゃくえん)」ともいい、法華経を説き聞かせれば、たとえ、その時は信ずることなく、誹謗(ひぼう)しようとも、『正法(しょうほう)を聞いた』ことが縁となり、必ずのちに成仏の道に入ることです。


 妙法を説き、耳に触れさせれば、相手の生命の奥深くでは、必ず仏性(ぶっしょう)が触発(しょくはつ)されている。それで反発(はんぱつ)するか、発心(ほっしん)するかは、人それぞれですが、必ず「眠(ねむ)っていた仏性(ぶっしょう)」が刺激されているのです。不軽菩薩(ふきょうぼさつ)が四衆(ししゅう)を礼拝(れいはい)すれば、増上慢(ぞうじょうまん)の四衆(ししゅう)の仏性(ぶっしょう)もまた同時に不軽(ふきょう)菩薩を礼拝することになるのです。


 三世(さんぜ)にわたる説法が、この尊い「法華経」であります。経典(きょうてん)があるだけで、正しい信仰がなければ、仏法はない。経典はそれだけではただの本です。そして、人の振(ふ)る舞(ま)いが非常に大切であります。「いかに生きるべきか」ということを教えるために、釈尊は出現し、法を説いた。その結論が「不軽菩薩(ふきょうぼさつ)の生き方」であったということになります。


 教祖・杉山辰子先生は三徳(さんとく)の実践が大事であると示されました。『慈悲(じひ)』 『誠(まこと)』 『堪忍(かんにん)』を実践することであります。『慈悲』を尽くせば、相手が喜んでくれる。困った人の力になることができる。大きな功徳があるのです。『誠』を尽くせば、素直になれる。当たり前のことが、心より感謝できるようになる。『堪忍』は、なかなか難しいですが、思ったこと、感じたことをストレートに表現するのではなく、自分の中でいったん咀嚼(そしゃく)し最小限にとどめる努力が必要ではないでしょうか。


 とにかく世の為、人の為になることが『功徳』であります。困っている人がいたら助けて差し上げる『菩薩』の生き方を実践することなのであります。


 私たちも教祖さまのように『慈悲深い』心を養うことと、実践することであります。日々の努力・精進の結果において全ては『すばらしき人生』へと突き進んで行くことでしょう。


合 掌


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