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世界平和を
大樹
すばらしき人生50

あっという間に一ヶ月が過ぎ去りました。平成二十九年は私たちにとってどんな年になるのでしょうか。酉(とり)のように羽ばたけるでしょうか。アメリカ合衆国はトランプ氏が大統領に就任されました。時代の流れと申しますか、これが革命的な進歩なら良いのですが、人間が時代の流れについてゆけないのではないかと危惧しております。従いまして、今までの常識が根底から失われてしまう、そんな雰囲気さえ漂っております。これから先、十年、二十年、三十年と人類は如何(いか)なる方向に向かうのか、私たちの未来が一体どうなるのか、心配なところもありますが、とにかく未来永劫(みらいえいごう)この地球が輝き続けて欲しいと願うばかりであります。


 信者の皆さまには元旦祭にお参りを頂き誠に有難う御座いました。皆さんは、どんな短冊(たんざく)を引かれたのでしょうか?短冊というのは、今年、一年を占う大切な指標(しひょう)となるでしょう。この法華経を深く信じておられる方は仏智(ぶっち)でもって問題が解決されると思います。しかし、信心の弱い方は仏智も薄くなり本当の指標は見えないかもしれません。いずれにしても、お正月に短冊を引き、一年の無病息災(むびょうそくさい)を願えば、希望はかなうと思います。


 今月は節分厄除祈願祭を二月五日(日)に開催します。豆まきをされる方は、今年、厄年の方や、今年の干支、新たな人生をスタートされる方と人生の節目を迎えた方には、特に豆まきをお勧めしたいと思います。また、多くの信者さまのお参りをお待ち申し上げます。どうか、足を運んで下さい。


 さて、私がサラリーマンの時でした。晴れて大学を卒業しまして、新入社員という輝きのもと夢と希望をもちK社に入社しました。どんな仕事であっても、努力すれば必ず成就(じょうじゅ)すると心に強く思い、勇(いさ)んで仕事をしておりました。私は十二年間、愛知県のG病院を担当しました。


 担当当初は、新人なので仕事のテクニックとかは全く考えておりませんでした。また、会社も新入社員教育にあまり力を入れてない時代でした。現場では、とにかくまっすぐに突き進むことだけを考えておりました。そして、あまり背伸びをせずにありのままの自分でないと何時(いつ)かは破綻(はたん)してしまうと思っておりました。


 大事なことは、如何(いか)に自分の心を開き接することができるかという一点であります。薬剤部長とは親子ほど年が離れている方もおられました。お世辞(せじ)やご機嫌取(きげんと)りだけでは駄目なのです。仕事が日常の生活の一部となるような人間関係の構築(こうちく)が必要なのです。


 薬剤師のK先生と懇意にさせて頂いたこと、未だに感謝しております。私は、ほぼ毎日ルーティン(定期)訪問をしました。すると、不思議なもので、徐々に先生方と友達感覚のような信頼関係ができたのであります。有難いことですが、病院も色々ありまして、すべてがそういう環境という訳でもありません。その部署のトップの考え方や性格、そして長年培(つちか)ってきた雰囲気が、そこに現れるのであります。


 仕事ができる人とは、相手の心を動かすことができる人なのであります。心を動かすということは、如何(いか)に感動(かんどう)を与えることができるかということです。それと同時に自分自身の魅力(みりょく)を如何に発揮(はっき)できるかということに尽きます。


 先ほどのK先生は岐阜の薬大院ご出身でありました。公務員なので、あまり詳しく情報を貰(もら)ったという訳ではありませんでしたが、その明らかでない情報を言葉尻(ことばじり)や文脈(ぶんみゃく)などで判断しなくてはなりませんでした。それでも、それなりの情報が取れたことに感謝しております。


 いつも思いますが、楽しく仕事ができないといけないと思います。辛い、苦しいと思って仕事をすると病気になってしまいます。仕事があるだけでも有難い、給料もらうだけでも有難い、ボーナスが出れば、なお有難いと思い喜んで働くことがとても大切であります。


 それでは、陀羅尼品(だらにほん)(第二十六章)に入りたいと思います。広宣流布(こうせんるふ)は永遠の闘争(とうそう)です。善と悪との大闘争(だいとうそう)です。そして、陀羅尼品とは、仏の胸に燃える「広宣流布への大情熱」を見て、菩薩(ぼさつ)が、諸天(しょてん)が、鬼神(きじん)までが、「私が、その大闘争(だいとうそう)を守護(しゅご)いたします。広宣流布の実践者を全生命をかけて護(まも)ります」と、次々と誓(ちか)いを述べたのであります。やむにやまれぬ思いの熱気(ねっき)が、霊鷲山(りょうじゅせん)を包んだというドラマなのであります。そして、法華経を『信心(しんじん)する炎(ほのお)』を燃やせという叫(さけ)びなのであります。


 では、概要に入りたいと思います。陀羅尼品(だらにほん)では、冒頭、薬王菩薩(やくおうぼさつ)が釈尊(しゃくそん)に質問します。「法華経を受持(じゅじ)し、読誦(どくじゅ)し、勉強(べんきょう)し、書写(しょしゃ)する功徳(くどく)はどれくらいでしょうか?」と。すると釈尊は、それには答えず、反対に薬王に質問します。「もしも八百万億那由他(なゆた)のガンジス河があって、その河のすべての砂と同じ数の諸仏(しょぶつ)を供養(くよう)したとしたら、その功徳(くどく)はどうだろうか?」。薬王は「それはとてつもなく大きい功徳です」と答えます。


 釈尊(しゃくそん)は「いいかね、法華経の一つの偈(げ)でも受持(じゅじ)し、信解(しんげ)し、修行したら、その功徳は、これらの諸仏を供養したように、とてつもなく大きいのだよ」と教えるのです。法華経のたった一つの偈(げ)を信受(しんじゅ)しただけで、無量(むりょう)の諸仏(しょぶつ)を供養したのと同じ功徳(くどく)を得る。それはなぜか。法華経こそが無量(むりょう)の諸仏(しょぶつ)を生んだ「根源(こんげん)」だからなのです。従いまして、文底(もんてい)の『南無妙法蓮華経』の一句(いっく)こそ、一切諸仏(いっさいしょぶつ)を生んだ根源(こんげん)であり、少しのまじり気もないエキス(原液(げんえき))そのものです。薬王菩薩(やくおうぼさつ)も、問答(もんどう)を聞いていた人々も法華経の大功徳に感動したことでしょう。


 薬王(やくおう)は、こう誓(ちか)います。「仏さま、私は、この尊き法華経を弘める人を断(だん)じて守護(しゅご)してまいります」。その人を護(まも)るために「陀羅尼呪(だらにしゅ)」を贈りますと言って、呪文(じゅもん)のようなものを唱(とな)えるのです。「安爾(あに)・曼爾(まに)・摩禰(まねい)・摩摩禰(ままねい)」云々(うんぬん)と。これで四句(く)ですが、こういう感じで四十三句、続きます。


 薬王は、こう言いました。「もしも、法華経を弘(ひろ)める法師(ほっし)すなわち広宣流布(こうせんるふ)をする人を迫害(はくがい)し、謗(そし)る者がいるならば、これは諸仏(しょぶつ)を迫害し、謗る人間でしょう」と。それを聞いて釈尊が讃(ほ)めます。「すばらしい、すばらしい。薬王よ、あなたが広布者(こうふしゃ)を守護(しゅご)することによって、じつに多くの人々が、大変な利益(りやく)を得るだろう」。つまり『広宣流布(こうせんるふ)の実践者(じっせんしゃ)』を護ることによって、妙法を弘(ひろ)めることが人類に大利益(だいりやく)を与えるのであります。


 陀羅尼品(だらにほん)ではこういう誓(ちか)いが五回、繰り返されます。薬王菩薩(やくおうぼさつ)の次は勇施菩薩(ゆぜぼさつ)が誓います。「仏さま、私もまた、法華経を受持(じゅじ)する人を護(まも)るために、陀羅尼(だらに)を説きます。この陀羅尼によって、悪い夜叉(やしゃ)や羅刹(らせつ)などが受持者(じゅじしゃ)の弱点を探して攻撃(こうげき)しようとしても、できないようにいたします」。次に毘沙門天(びしゃもんてん)が、そして持国天(じこくてん)が同じく陀羅尼(だらに)を唱(とな)えて、行者の守護(しゅご)を誓います。二菩薩(にぼさつ)の後、四天王(してんのう)のうちの二人が誓いました。続いて、十羅刹女(じゅうらせつにょ)(十人の鬼女(きじょ))と鬼子母神(きしぼじん)をはじめ、多くの鬼神(きじん)が誓いを立てます。「仏さま、私たちもまた、法華経の行者(ぎょうじゃ)を護(まも)って、その患(わずら)いを取り除きたいのです。もしも、行者(ぎょうじゃ)の弱点を探して攻撃(こうげき)しようとする奴(やつ)らがいても、そうはさせません」。鬼女(きじょ)たちは「陀羅尼(だらに)」を唱えたあと、堂々と宣告します。「悪党どもよ、お前たちが、私の頭に乗って、踏(ふ)みにじろうとも、まだそれはよい。しかし、行者を悩ませることは許さない。夢の中でさえ、行者(ぎょうじゃ)を悩ませはしない」と。「もし説法者(せっぽうしゃ)を悩ませ、乱(みだ)すならば、その者の頭は阿梨樹(ありじゅ)の枝の如く、七つに分かれるでしょう。父母を殺す罪のごとき大罪(だいざい)になるでしょう」と。法華経の説法者を悩乱(のうらん)せば、頭破(わ)れて七分(しちぶん)に作(な)る」の文(もん)です。


 十羅刹女(じゅうらせつにょ)の誓いは、まだまだ続きます。「私たちもまた、説法者を護(まも)って、安穏(あんのん)にし、もろもろの患(わずら)いを打ち払い、もろもろの毒薬(どくやく)を消させてみせます」と。釈尊は喜んで、鬼女(きじょ)たちを讃(たた)えます。「すばらしい、すばらしい。法華経の名前を受持(じゅじ)する者を護っただけでも、その福(ふく)は量(はか)り知れない。さらに、それ以上の修行をし、供養をしている者を護る功徳(くどく)となれば絶大(ぜつだい)である。まさに、あなたたちは、このような行者(ぎょうじゃ)を護りなさい」。こういうやり取りを聞いていた、その場の聴衆(ちょうしゅう)は、六万八千人が悟(さと)りを得たと説かれております。ここで、陀羅尼品(だらにほん)は終わります。


 「広宣流布(こうせんるふ)の実践者(じっせんしゃ)を、なにがなんでも護(まも)りぬく」という情熱が、ほとばしっている。一つの解釈として、薬王菩薩(やくおうぼさつ)は「健康」の面から護(まも)るとも考えられます。行者(ぎょうじゃ)を病気から護ってゆく。もちろん薬王は、迹化(しゃっけ)の菩薩の代表だから、あらゆる迹化(しゃっけ)の菩薩が、地涌(じゆ)の菩薩を護りに護るということも示しております。また、勇施菩薩(ゆぜぼさつ)は、「一切衆生(いっさいしゅじょう)に仏法(ぶっぽう)という宝を勇(いさ)んで布施(ふせ)する」菩薩です。これは、「法(ほう)の布施(ふせ)」ですが、「財(ざい)の布施」も含めて、行者を支えようという意義をくみ取れるかもしれません。また、「毘沙門天(びしゃもんてん)」と「持国天(じこくてん)」は、仏法を守護(しゅご)する四天王(してんのう)の代表です。天界(てんかい)の王(おう)であるから「力(ちから)」がある。そして、全宇宙の諸天(しょてん)・諸菩薩(しょぼさつ)が同じ誓(ちか)いを立てたのであります。皆が、こぞって広宣流布(こうせんるふ)の実践者(じっせんしゃ)を護っていくというのが陀羅尼品(だらにほん)の趣旨(しゅし)なのであります。


 とにかく、広宣流布に邁進(まいしん)し、御本尊を大事にする人は、御本尊から大事にされる。三世十方(さんせじっぽう)の諸仏(しょぶつ)・諸天(しょてん)から大事にされる。それは、鏡(かがみ)に、自分の姿勢そのままが映(うつ)るようなものです。同じ意味で、妙法広宣流布(みょうほうこうせんるふ)している人を大切に護(まも)れば、その人は、今度は御本尊から大切にされ、護られる。それが「陀羅尼品(だらにほん)」で、釈尊が二聖(にしょう)・二天(にてん)・善鬼(ぜんき)に対し「善(よ)き哉(かな)、善き哉」〔すばらしい、すばらしい〕と讃(たた)えた心なのであります。


 陀羅尼(だらに)とは「諸仏(しょぶつ)の秘密(ひみつ)の言葉(ことば)」なのです。「お題目(だいもく)の五字(じ)・三世(さんぜ)の諸仏の密語(みつご)なり」ということです。一般的には「陀羅尼」とは「魂(たましい)をこめた言葉(ことば)」の究極(きゅうきょく)と云えるでしょう。単に意味を伝えるだけでなく、そこに生命のエネルギーを注(そそ)ぎ込んである言葉なのです。


 陀羅尼(だらに)について整理しますと、仏の教えを正しく持(たも)っている人を護(まも)る短い言葉(陀羅尼呪(だらにしゅ))ということになります。大宇宙も「妙法の五字」の当体(とうたい)です。我が身、小宇宙も「妙法の五字」の当体です。陀羅尼品で説く「守護(しゅご)の陀羅尼(だらに)」も、その実体(じったい)は「妙法の五字」です。ゆえに、全宇宙が妙法(みょうほう)の行者(ぎょうじゃ)を護(まも)りに護るのです。諸天(しょてん)・善神(ぜんじん)は、広宣流布(こうせんるふ)に「いちばん戦っている人」を、「いちばん大切に」護るのであります。この法華経を一心(いっしん)に信心(しんじん)することこそ、厳然(げんぜん)と諸天の加護(かご)があるのです。広宣流布のためなら何にもいらない。その信心に立てば、一切(いっさい)が必ず開(ひら)けてゆく。たとえ、今どんな苦境(くきょう)にあろうとも、「広宣流布のために」本気で立ち上がった人を、諸天(しょてん)が護らないわけがない。その信心の大確信(だいかくしん)の「炎(ほのお)」を教えているのが『陀羅尼品(だらにほん)』なのであります。


 教祖・杉山辰子先生は妙法蓮華経の五文字を何時(いつ)、如何(いか)なるときも唱えるようにと、私たちに教えて下さいました。お題目を唱えるとき大きな、大きなご守護(しゅご)があるのです。妙法(みょうほう)には不思議な力が宿(やど)っております。私たちには、何時、災難が起こるとも限りません。教祖さまは、この法華経を信じて、信じて、信じて、信心してお題目を唱えている限り必ず大難(だいなん)が小難(しょうなん)に小難が無難(ぶなん)になると仰せでございます。そして、三徳(さんとく)の実践(じっせん)がとても大事です。私たちは毎日『慈悲(じひ)』 『誠(まこと)』 『堪忍(かんにん)』を実践することが望ましいのであります。教祖さまが良きお手本となり、私たちを導(みちび)いて下さいます。


 法華経は、お釈迦さまの実在(じつざい)というべき『永遠の生命』を説きました。そして、釈尊と妙法蓮華経は人法一箇(にんぽういっか)として、釈尊自身を仏に成(な)した『仏因(ぶついん)』の法(ほう)が尊いと説かれました。この有難い法華経を信仰できることに感謝したいと思います。


 一日一善という言葉があるよう毎日の積み重ねがとても大事であります。どうか、明るく輝く未来へ繋(つな)がる積徳(せきとく)の人生を歩むことが『すばらしき人生』へと昇ってゆく唯一の方法なのであります。


合 掌


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