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世界平和を
大樹
すばらしき人生51

春の訪れを感じる季節がやって参りました。まだまだ、寒い日は続きますが、早く暖かな日々がやってくるのを心待ちにしております。三月は年度末で何かと忙しくされることが多いと思います。私は、強い精神力と漲(みなぎ)るパワーで頑張ってゆきたいと思っております。


 還暦(かんれき)を過ぎると少し考え方が変わったような気がします。今までは、周りに翻弄(ほんろう)されながらも自分自身の生き方を見つめ行動しておりました。武田信玄のように『為せば成る』ではありませんが、前を見てひたすら突っ走って来たように思います。しかし、還暦という一つの節目(ふしめ)に立つと物事の道理に精通(せいつう)したような、そんな余裕のようなものが目覚めてくるのであります。人生の機微(きび)というものを感じながら、今日一日を精一杯『生きる』ことがとても大切であると思っております。


 先般、平成二十九年二月五日の節分厄除祈願祭に多くの信者の皆さまにお参りをしていただきありがとうございました。皆さまが今年一年間、無病息災(むびょうそくさい)で過ごされることを祈念し、お祓(はら)いをさせて頂きました。また、二月十五日には釈尊涅槃会(ねはんえ)にお参りを頂いたこと、重ねて感謝申し上げます。


 私が、サラリーマンの時でした。小児内分泌(ないぶんぴつ)の専門医(せんもんい)で小人症(しょうじんしょう)の治療を多くされておられたK医科大学病院のAドクターは女医さんでした。とてもわがままな性格と気性の荒さは天下一品でした。普段はおとなしく素直な面も見せますが、ひとたび地雷を踏むと暴発(ぼうはつ)するタイプでした。例えるなら、瞬間湯沸かし器のような人でした。


 Aドクターは弊社の成長(せいちょう)ホルモンを年間、数十億円使用していただいておりました。会社としても当然VIP待遇となっておりました。そんな、じゃじゃ馬のような性格の先生を部下が担当しており、さらに売り上げを伸ばすために悪戦苦闘(あくせんくとう)しておりました。


 四月の初旬でした。京都で成長(せいちょう)ホルモン関連の研究会を開きました。五百人ほど先生が参加され、私は、問題のA先生のフォローをすることになりました。春の京都といえば、四条の桜が有名ですが、円山(まるやま)公園の『祗園枝垂桜(ぎおんしだれざくら)』も有名であります。先生と夜桜見物に行き、きれいな桜を見てきました。先生はアルコールを一切召し上がらないため、甘味処で休憩をしました。そして、いよいよ、夜店の的屋(てきや)で射的(しゃてき)をやることになりました。先生は遊びといった遊びは殆んどされておりません。非常に危険な賭けでしたが、ここで勝負に打って出ました。そして、先生に射的(しゃてき)を教えたのであります。先生は生まれて初めて体験されたということで大変満足されました。


 仕事のことで満足してもらうことが一番ではありますが、先生の知らない分野へ、未知の世界へ誘(いざな)うのも、強い決心と勇気が必要であります。お蔭さまで、射的(しゃてき)が功(こう)を奏(そう)し、より深い信頼関係が構築(こうちく)できたと思っております。


 自分という殻(から)に閉じこもり、理想ばかり追い求めていてもしかたありません。人のやらないことを勇気をもってチャレンジすることがとても大切ではないでしょうか。


 それでは、妙荘厳王本事品(みょうそうごんのうほんじほん)(第二十七章)に入りたいと思います。本事(ほんじ)とは由来(ゆらい)のことです。妙荘厳王(みょうそうごんおう)という王様がどういう人であったのか、どんな物語、体験があったのか、それを説いております。この王様だけが「未入信家族(みにゅうしんかぞく)」で、夫人と二人の子供は仏法を信仰していました。この家族の三人がどうやって王を入信(にゅうしん)させるのか、という物語であります。


 はるか昔、妙荘厳王(みょうそうごんおう)という王がおり、后(きさき)の名前は浄徳(じょうとく)夫人。二人の王子は浄蔵(じょうぞう)と浄眼(じょうげん)。三人とも浄「浄(じょう)」の字がついております。三人は、雲雷音宿王華智如来(うんらいおんしゅくおうけちにょらい)という仏が説いた正法(しょうほう)を信仰しました。しかし、家族の中で父の王だけが、バラモンの教えに執着(しゅうちゃく)する「邪見(じゃけん)の人」でした。


 バラモン教というのは、その当時、すでに社会の体制となっていた「旧(ふる)い教え」と考えられます。これに対し、仏法は、仏が出現して説いたばかりの「新しい教え」です。王はとても保守的であり「正しかろうが間違(まちが)っていようが、これが昔からのしきたりだ」と考えておりました。一方、王子たちは進取(しんしゅ)の精神(せいしん)があり「正しいものは正しい」と、素直に真理を求めておりました。


 仏法が広まったころのインド社会では、基本はバラモン教的な「家父長制(かふちょうせい)」でした。父親が家族全員に対して支配権をもっておりました。そういうなかで新しい仏教の教えに、青年や婦人が、どんどん引きつけられていったのです。


 新旧(しんきゅう)の思想の衝突(しょうとつ)ということで、家庭で波(なみ)が起きるがゆえに、現実を根底(こんてい)から変えてゆく、生きた、革命的(かくめいてき)な宗教は、どうしても旧(ふる)いものから反対されます。しかし、それが本物であるという証拠(しょうこ)となるのです。家族の幸福のため、社会の幸福のために、道理をもって行動しても、何らかの波乱(はらん)が起きます。これが「新時代を創(つく)る波(なみ)」の宿命(しゅくめい)であるということであります。


 妙荘厳王品(みょうそうごんのうほん)は「息子が父を教化(きょうけ)する」というストーリーです。これは当時の人々にとって、画期的(かっきてき)なものだったと思います。じつは、この品は「一家」のことのように思えるが、それだけではありません。「王の一家」ということは、「権力者の一家」です。権力を持った人間を信仰(しんこう)させて、一国を救うという物語なのです。


 妙荘厳王品(みょうそうごんのうほん)でも、王に仏法を導(みちび)こうと、初めに決意したのは、仏その人でした。「爾(そ)の時、彼(か)の仏は妙荘厳王(みょうそうごんおう)を引導(いんどう)せんと欲(ほっ)し、及び衆生を愍念(みんねん)したまうが故(ゆえ)に、是(こ)の法華経を説きたまう」。仏法の最高の教えをもって、「邪見(じゃけん)の国」を救おうとしたのです。その仏の心を知ったゆえに、浄蔵(じょうぞう)と浄眼(じょうげん)の二人は、父母に法華経を聞かせようと決意します。


 二人は、まずお母さんの浄徳(じょうとく)夫人に相談します。すると母は「お父さんも一緒に、仏の説法を聴(き)きに行きましょう。お父さんに、そう言いなさい」と答えます。


 すると二人は嘆(なげ)きます。「私たちは『正義の王者(法王(ほうおう))』の子ども(仏弟子(ぶつでし))であるのに、こんな邪見(じゃけん)の家に生まれてしまった」と。しかし、母は強いのです。「嘆(なげ)いていて、どうなるのか。グチは止(や)めなさい。現実を変えなさい。そして、もっとお父さんのことを思ってやりなさい」と、励(はげ)まします。ここが大事ですが、相手の幸福を願う強い思いが根本(こんぽん)です。その慈悲(じひ)が無ければ、不平不満であり、グチです。信心(しんじん)は感傷(かんしょう)ではありません。信心は勇気です。幸福になるためには勇気が必要なのです。


 母の浄徳(じょうとく)夫人には、慈愛(じあい)から出る智慧(ちえ)がありました。ゆえに、「王様に、いきなり仏法の話をしても、聴く耳をもたないだろう」と知っていた。そこで、父の攻略法(こうりゃくほう)をこう教えるのです。「神変(しんぺん)(神通変化(じんつうへんげ))を現(あらわ)して見せなさい。お父さんが、それを見たら、きっと心が晴ればれとして、すばらしいと思われるでしょう。皆で、仏様のもとへ行くことを許(ゆる)してくれるでしょう」。二人は、さっそく父のもとに行って「神変(しんぺん)」を見せます。空中に高く登(のぼ)ったまま、自由自在に歩き回ったり、寝て見せたり、体から水を出し、火を出し、大空に満ちるような巨大な姿になったり、小さくなって見せたり。空中で消えたかと思うと、たちまち地上に現れ、水に飛び込むように地面に飛び込み、あるいは水の上を大地を歩くように歩いて見せました。これらの「種々(しゅしゅ)の神変(しんぺん)」も、すべて「父を思うが故(ゆえ)に」と説かれております。


 そして、妙荘厳王(みょうそうごんおう)は、二人の神変(しんぺん)を見て、「大いに歓喜(かんき)」しました。王は子どもに合掌(がっしょう)して、こう言います。いったい、お前たちは、だれを師匠にして、こんな力を得たのか。いったい、だれの弟子になったのか」。二人は、「今、法華経を説いておられる、彼(か)の如来(にょらい)こそ、私たちの師匠です。私たちは、その弟子です」と胸を張ります。そこで、父は「そなたたちの師匠に、ぜひ、お会いしたい。一緒に行こう」と、自ら申し出ます。


 母の智慧(ちえ)が勝利したのです。これは、「実証(じっしょう)」の力です。「現証(げんしょう)」ほど強いものはない。目を見張(みは)るような「人間革命(にんげんかくめい)」の実証を示したのであります。神変(しんぺん)とは「不可能を可能にする」という信心(しんじん)を教えております。広宣流布(こうせんるふ)ひとすじに信心して初めて、宿命(しゅくめい)が変わってゆく。一国の王を改心(かいしん)させるカギも「不可能を可能にする」強い信心(しんじん)にあるのです。


 妙荘厳王(みょうそうごんおう)が仏のもとへ行こうと決意したのを見て、兄弟は王子の位(くらい)を捨てて、仏道修行(ぶつどうしゅぎょう)に専念(せんねん)したいと申し出ます。「仏に会えること」は、はなはだ難しいからです、と。「一眼(いちげん)の亀(かめ)の浮木(うきぎ)の孔(あな)に値(あ)えるが如(ごと)し」とあるように、大海に住む亀が、千年に一度、海面に浮上する機会(きかい)に、自分を癒(いや)してくれる栴檀(せんだん)の浮木(うきぎ)に巡り合うことです。それぐらい妙法に巡り合うことの難しさを譬(たと)えております。


 妙荘厳王(みょうそうごんおう)は、群臣を引き連れて、仏のもとへ行きます。浄徳(じょうとく)夫人も二人の王子も、それぞれの眷属(けんぞく)を引き連れて行きます。王宮をあげての帰依(きえ)です。王は、すばらしい仏の説法に「大いに歓喜(かんき)」して、仏に真心の供養を捧(ささ)げ、仏を讃(たた)えます。すると、仏は「この王は未来に成仏して娑羅樹王仏(しゃらじゅおうぶつ)となろう」という授記(じゅき)を与えます。これを機(き)に、王は国を弟に譲(ゆず)り、一族ともに仏道に専念します。一国をあげて、「邪見(じゃけん)の国」から「正義(せいぎ)の国」変わったと考えられます。


 「母」と「子」が、権勢(けんせい)ある「父」を改心(かいしん)させました。「婦人」と「青年」が立ち上がって、広宣流布(こうせんるふ)をしたのであります。そして、王は、その後、八万四千年にわたって法華経を修行します。八万四千の煩悩(ぼんのう)を乗り越えたという意味かもしれません。煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)の妙法(みょうほう)の功徳で、我が身を荘厳(そうごん)したということだと思います。そして、仏に対して、王は言います。「この二人の子は、私の善知識(ぜんちしき)です。私を救いたいと思って、私の家に(子どもとして)生まれてきたのです」。自分の子どもを心から感謝できる境涯(きょうがい)に成長したのです。


 そして、王は仏に対して、こう誓(ちか)います。「我(わ)れは今日従(こんにちよ)り復(ま)た自(みずか)ら心行(しんぎょう)に随(したが)わず、邪見(じゃけん)・憍慢(きょうまん)・瞋恚(しんい)・諸悪(しょあく)の心を生(しょう)ぜじ」。それは、「きょうよりは二度と、自分の心の言いなりにはなりません。二度と邪見(じゃけん)、憍慢(きょうまん)、瞋(いか)り、諸悪の心を起こしません」との誓いです。


 権力者が、このように変わりました。自分勝手で、わがままで、増上慢(ぞうじょうまん)で正義を正しく見られない悪人が、「母と青年」の戦いで正義に目覚めました。ただ、自分のために生きていた人間が、「民衆(みんしゅう)のため」の人生に変わったのであります。


 「王」というのは、政治を象徴(しょうちょう)し、広げれば経済などの社会の営(いとな)みを象徴しております。しかし、それだけでは幸福になれない。正しき哲学が必要であります。それを象徴しているのが、妙荘厳王品(みょうそうごんのうほん)なのです。政治も経済も「手段」です。「目的」は人間の幸福です。その目的を達成するには、人生とは何か、幸福とは何か、どうすれば実現できるのかという「哲学」が、どうしても必要となります。それを教えているのが、この「妙荘厳王品(みょうそうごんのうほん)」なのであります。


 教祖・杉山辰子先生は行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、妙法蓮華経と唱えることがとても大事であると仰(おお)せであります。そうすれば、不慮(ふりょ)の事故や災難を免(まぬが)れることができます。大難(だいなん)が小難(しょうなん)となり、小難が無難となるのです。『慈悲(じひ)』 『誠(まこと)』 『堪忍(かんにん)』の三徳(さんとく)の実践(じっせん)が何より大切であります。


 私たちは本仏(ほんぶつ)の実在(じつざい)を信じ「仏の永遠の生命」を知ることが大切です。そして、法華経に対する『信(しん)』が強い人ほど救われるのであります。信じて、信じて、信心(しんじん)することが本当の意味で幸せに通ずることなのです。私たちは法華経を深く信じ、子や孫にその尊さを伝えなければいけません。日々の精進と広宣流布に邁進することで『すばらしき人生』へと駆け上がってゆくのです。


合 掌


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