新緑の季節がやって参りました。草木も芽吹(めぶ)き、青々と茂り、すべての生きものの大いなる生命力を感じております。ゴールデンウィークには家族や友達で旅行や温泉でリフレッシュされることをお勧(すす)めします。明日への活力のためにオン・オフというメリハリが必要であります。それができないと五月病(ごがつびょう)や引(ひ)きこもりなどの『心(こころ)の病(やまい)』に罹(かか)ってしまいます。そうならないように楽しみや喜びが生活の中で感じられるような、そんな心の余裕が必要なのかもしれません。
私たちは、すべてに対し知的(ちてき)かつ行動的(こうどうてき)に振(ふ)る舞(ま)うことが大切であります。何事も深く考え、正しいと思ったら即実行(そくじっこう)することが求められております。そして、ネガティブ(後ろ向き)な考え方は捨てて、ポジティブ(前向き)に前へ前へと前進することであります。
五月という爽やかな季節にハツラツと思い切り活動することで自分自身の潜在能力(せんざいのうりょく)を高めることがとても重要であると思っております。
四月は釈尊降誕祭(しゃくそんこうたんさい)(花まつり)にお参りを頂きありがとうございました。来る六月の教祖祭の充実を図るべく、鋭意努力(えいいどりょく)をしているところです。楽しい抽選会もございます。どうか、多くの信者の皆さまのご参詣をお待ち申し上げております。
私がサラリーマンの時でした。静岡のS総合病院の小児科女医M先生ですが、とても優(やさ)しく穏(おだ)やかな性格で上品で物腰が柔らかな方でした。M先生にはかねてより、もっと、もっと患者さんのために、最高の医療ができるような環境を提供したいと思っておりました。
ある日、最初の面談をすることとなりました。先生は小児科なので診療内容は小児全般を診られるケースが一般的ですが、まれにダウン症の治療もおこなわれ、そして、下垂体性小人症(かすいたいせいしょうじんしょう)(成長(せいちょう)ホルモン)の治療患者さんも数例おられました。
先生はとちらかといえばダウン症を何とかしてあげたい、という思いが強かった印象でした。いつ転んでしまうか分からないため常にヘッドギヤを装着(そうちゃく)して日々生活をしております。まさに「死」と背中合わせの状況であり、先生は、そのことにとても関心をお持ちで、優しい眼差(まなざ)しで見守られておられました。
この施設では弊社製品(へいしゃせいひん)は未採用です。競合他社(きょうごうたしゃ)S社の製品だけが採用という状況です。どのようにしたら新規口座開設(しんきこうざかいせつ)ができるか、日夜(にちや)考え、もがき苦しんでおりました。そこで考えたことは、患者さんを増(ふ)やすことを提案(ていあん)し、増えた患者さんに使用してもらおうと思いました。先ず、外来(がいらい)に成長曲線(せいちょうきょくせん)のポスターを額(がく)に入れ掲(かか)げて頂き、成長曲線パンフレットを「ご自由にお持ち帰り下さい」というメッセージを入れたパンフレットラックに入れ設置(せっち)しました。患者さんが家に持ち帰り治療(ちりょう)を検討(けんとう)するためです。先ずは検討するための最初の突破口(とっぱこう)がとても重要なのであります。
そして、週二回の訪問日(ほうもんび)には必ず訪問を行ない、待合室(まちあいしつ)に患者さま用としてディズニーの絵本(えほん)を提供(ていきょう)しました。全部で二十巻ほどありましたので、毎回、二冊ずつ持参しました。患者さんの待ち時間を有意義(ゆういぎ)に過ごして頂きたいとう思いと、患者さんが満足(まんぞく)すれば、先生も信頼度(しんらいど)が上がり診療(しんりょう)が円滑(えんかつ)になるのであります。
私にとっては、とにかく患者さま発掘(はっくつ)のお手伝いができること、それだけでも良かったと思っておりました。必要な患者さんに治療(ちりょう)できることが、ある意味、社会貢献(しゃかいこうけん)に通(つう)ずると信じていたからです。
そして、二〜三ヶ月経過(けいか)した頃です。新規(しんき)の患者さんに使用しますので、弊社製品を新規採用します。今度の薬審(やくしん)に諮(はか)ります。という、ありがたいお話を頂戴しました。私は感激(かんげき)して、もっとこの先生のためになることを、させて頂きたいと思うようになりました。最初の一例を頂いた時の「感動(かんどう)」 「達成感(たっせいかん)」 「充実感(じゅうじつかん)」は、私の人生で一生忘れることのない良い思い出となりました。
製剤(せいざい)の特徴(とくちょう)ですが、私どもの製品は既存品(きそんひん)の四倍の濃度(のうど)でした。ということは、液量(えきりょう)は四分の一ということです。子供さんが毎日、自己注射(じこちゅうしゃ)する訳ですから、量(りょう)が少ないに越したことはありません。そして、中学生以上ともなれば体重も増えるため、注射量(ちゅうしゃりょう)も当然増(ふ)えます。今度は、そのような患者さんをS社から切(き)り替(か)えてもらえるように依頼し、患者さんの親御(おやご)さんには、実質的(じっしつてき)に注射量が少なく痛みの軽減(けいげん)に繋(つな)がるから製品を替えました。という説明が成立(せいりつ)するのであります。いずれにしても先生との信頼関係(しんらいかんけい)がなければ不可能(ふかのう)であります。最終的にほぼ全員の患者さんに使用して頂いたという結果(けっか)となりました。
常に、情報収集(じょうほうしゅうしゅう)と戦略(せんりゃく)、戦術(せんじゅつ)を考え状況に応じタイムリーに実行することで、安心、安全、信頼という一番大切な部分の能力開発(のうりょくかいはつ)に繋(つな)がってゆき、最終的に成功という成果(せいか)が得られるのではないでしょうか。
法華経の序品(じょほん)(第一章)より普賢菩薩観発品(ふげんぼさつかんぼつほん)(第二十八章)まで一通り掲載(けいさい)させて頂きました。ありがとうございました。これより法華経(ほけきょう)に関するお釈迦さまの考え方と物事の捉(とら)え方などについて執筆(しっぴつ)させて頂きたいと思っております。どうか、よろしくお願い致します。
釈尊(しゃくそん)は、なぜ法華経を説かれたのでしょうか。難解難入(なんげなんにゅう)の法華経をなぜ布教(ふきょう)しようと思ったのでしょうか。それは生(い)きとし生けるもの『すべての人が幸福(こうふく)』になれるようにと思われ、この教(きょう)が説かれたのであります。
皆さんは、どんな一日をお過ごしですか。仕事で忙しい方や定年後(ていねんご)の悠々自適(ゆうゆうじてき)な生活や、子育て、介護(かいご)や勉強の毎日といろんな方がおられます。楽(たの)しいことや辛(つら)いことは生きていれば、いろんなことが起(お)こるものです。さまざまな気分に振(ふ)り回(まわ)されながらも、何とか一日を無難(ぶなん)に過(す)ごそうと思っておられることと思います。
私たちは、日々を生きることに精一杯(せいいっぱい)であります。「生(い)きる」ということはものすごく大変なことです。生きることは終わりなき戦いです。必死になり何とか生きているのが、私たちの日常(にちじょう)ではないでしょうか。そして、私たちが必死になって生きているのは「幸福(こうふく)」になりたいからなのであります。人間であろうと、どんな生き物であろうと、生命(せいめい)は幸福になることを願っております。
幸福とはいったい何でしょうか?第一には「不満(ふまん)がないこと」が幸福であると云えます。そして、満足(まんぞく)できるかどうかです。満足を感じたところが幸福なのです。そして、究極(きゅうきょく)の「幸福」とはいったい何でしょうか?それは「終(お)わりなき戦(たたか)いに終止符(しゅうしふ)を打(う)つことで、生きる苦(くる)しみがなくなること」なのであります。
では、おいしい食べ物や、家、車、財産(ざいさん)、地位(ちい)、名誉(めいよ)を得ることが私たちを幸せにしてくれるのでしょうか?
しかし、それらはいくら求めて手に入れても、完璧(かんぺき)な幸福(こうふく)には到達(とうたつ)できません。自分の外(そと)にあるものをいくら手に入れても「もっと欲(ほ)しい」 「まだ足(た)りない」という気持ちが生まれ、満足にたどり着くことができないのです。私たちは、死を迎(むか)えた時には、どんなに必死になって得たものでも、すべて手放(てばな)さなければなりません。
お釈迦さまは、世間(せけん)でよく云われている、欲(よく)を満(み)たすことで「幸福」を得るのでなく、「不満がないこと」 「充実感(じゅうじつかん)を味(あじ)わうこと」、そして「生きる苦しみに終止符(しゅうしふ)を打(う)つこと」が幸福であると云われております。
どうすれば、満足を得て、充実感を味わい、苦しみばかりの人生に終止符を打てるのか、その方法は「心(こころ)」を育(そだ)てることなのです。幸福とは自分の外側にあるのではなく、自分の内側にあるものです。従いまして、「心」がとても重要となってまいります。
自分の心は自分でないと育てられません。そして、自分の心を育てることは、慈(いつく)しみを育て、怒(おこ)ることなく、精進(しょうじん)することであるのです。他人を不幸に陥(おとしい)れず、他人に幸福を与えるのです。自分が修行(しゅぎょう)することで他人も幸福になれるのです。自分次第で皆が幸福になれるのであります。
お釈迦さまは、生死(しょうじ)の苦しみを解決する方法をこの経(きょう)で説かれました。生きることは苦しみであり、そして、死ぬことも苦しいのであります。生死即涅槃(しょうじそくねはん)を説いておられます。涅槃(ねはん)の境地(きょうち)にあることです。苦しみとは煩悩(ぼんのう)や執着(しゅうちゃく)が原因(げんいん)で起こります。法華経では、煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)を説きました。煩悩をも菩提に変えていこう。すなわち煩悩という悪いエネルギーを善い方向に変えていこうという、お釈迦さまの智慧(ちえ)を教えております。苦しみや悲しみも喜(よろこ)びに変えていこうと説かれました。
さて、ここで「離婚(りこん)」について少し述べたいと思います。今、日本では離婚は二分に一組のペースで成立しております。
旦那(だんな)(奥)さまに「会いたくない」という人は怨憎会苦(おんぞうえく)です。最初は愛し合って結婚(けっこん)した二人も、性格(せいかく)が合わないとかという思いが重なってゆきますと、いつしか「会いたくない」 「顔も見たくない」というふうになってしまう夫婦がおられます。離婚(りこん)しても構(かま)わないのですが、自分にはこのような『宿業(しゅくごう)』があると考えたほうが合理的(ごうりてき)であります。そして、宿業打破(しゅくごうだは)をしない限りは、その人と別れても、また同じようなことで苦しむのです。要するに宿命転換(しゅくめいてんかん)に打ち込んでいって、初めて自分を変えることができるのです。
従いまして、離婚しないで自分の運命(うんめい)を変えることに専念(せんねん)することが大切なのであります。そして、法華経的に考えますと、「他人の不幸(ふこう)の上に自分の幸福(こうふく)を築(きず)く」という生き方はあり得ません。他人を不幸にして自分だけが幸せになれる訳ありません。
ともあれ大事なのは愛情(あいじょう)であり慈悲(じひ)です。夫婦といっても、もとは他人です。他人だから忍耐(にんたい)して、「理解(りかい)しよう」と努力しないと、うまくいかないものです。一緒に生活しながら、家庭を守り、仕事をし、子どもに教育を受けさせてゆく。二人で「人のためにも尽くしてゆこう」とする。その「忍耐(にんたい)」の二字が必要なのです。「幸福」の裏付(うらづ)けには、必ず「忍耐」が必要なのです。忍耐のない幸福を夢みる人が多い。しかし、それは夢です。夢はどこまでいっても夢なのです。それでは、安逸(あんいつ)な人生となってしまう。だから多くの夫婦が破綻(はたん)してしまうのです。幸福を追い求めていながら不幸になってしまう。
これではいけないのであります。今もなお継続的(けいぞくてき)に「永遠に一緒(いっしょ)に生(い)きたい」という愛情がとても大切であります。生活は現実であり、男性は経済力(けいざいりょく)も必要で、奥さんの話も聞いてあげなければいけません。つくづく、忍耐(にんたい)の上に「幸福」が存在するということを確信(かくしん)します。
そして、夫婦円満の秘訣(ひけつ)は、とにかく「ほめる」ことではないでしょうか。どんなことでも「ほめる」ことが必ず良い結果に繋(つな)がってゆくのはいうまでもありません。そして、それは夫婦だけのことではありません。とにかく「ほめて」 「ほめて」 「ほめる」ことが全ての幸福に通ずると思っております。
教祖・杉山辰子先生は行住坐臥(ぎょうじゅうざが)「妙法蓮華経」を唱(とな)えることが、大事とおっしゃっておられます。この法華経を深く、深く、信じて、信じて、信心して妙法(みょうほう)を唱(とな)えた時に、大きな功徳(くどく)があると仰(おお)せであります。そして、『慈悲(じひ)』 『誠(まこと)』 『堪忍(かんにん)』の三徳(さんとく)の実践(じっせん)がとても重要とのことです。この三徳を積(つ)むということは自分のためにするように思えますが、じつは、相手に対して実行(じっこう)するという、とても大切な行(おこな)いなのです。
多くの人は徳を積んだら、すぐ問題が解決されると勘違(かんちが)いし易(やす)いのですが、自分のためにする時は、どんなに頑張っても徳は積めないものです。人のためになるがゆえに功徳があるのです。そこを勘違(かんちが)いしないようにしないといけません。
私たちも教祖さまの歩まれた、尊い道を歩むことで幸せを、ほんの少し頂(いただ)けるのではないでしょうか。三徳の実践はそんなに難(むずか)しく厳(きび)しいものではありません。人それぞれにできる三徳を実践してゆくことで、自分の魂(たましい)が磨(みが)かれてゆくのです。徳の貯金(ちょきん)を増(ふ)やして、増やして、更に増やしてゆけば、必ず『すばらしき人生』に到達(とうたつ)することができます。これからも引き続きご精進(しょうじん)をお願い致します。
合 掌