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世界平和を
大樹
すばらしき人生54

早いもので、もう六月に入りました。まさに半年が過ぎようとしております。陰暦で六月を水無月(みなづき)と申しまして、「水が無い月」ではなく「無」を「の」と読みかえ「水の月」という説が有力だそうです。また、梅雨の時期でもあります。雨は全ての生きものにとってとても有難いのですが、最近では地球温暖化(ちきゅうおんだんか)の影響と思われるゲリラ豪雨(ごうう)や局地的な集中豪雨もこの時期多く発生いたします。


 また、竜巻(たつまき)や突風は空気が暖められ急速に発達した積乱雲(せきらんうん)が発生して起こると考えられております。年々、私たちを取り巻く環境(かんきょう)が変化しております。こんな時期こそ体調管理が難しくなってまいります。皆さまが元気でご活躍されますこと心よりお祈りいたします。


 この六月は教祖・杉山辰子先生八十六回忌にあたる教祖祭を開催いたします。多くの信者の皆さまのご参詣をお待ち申し上げております。皆さまのご期待の大抽選会もございます。ふるってご参加をお願いいたします。


 私がサラリーマンだった時のことです。私は大学を卒業し医薬品流通(りゅうつう)会社に就職しました。そして、齢(よわい)二十三歳の時(入社二年目)に、前任の課長からC病院を引き継ぎました。そして、指名競争(しめいきょうそう)入札で月一千万円の売り上げを無くしてしまいました。年間一億二千万円になります。会社には多大な損害(そんがい)を与えてしまったことを大いに悔(く)やみました。


 私は、この会社でその後、十年間勤めさせて頂きました。今回の件で他の社員からは白い目で見られ、いろいろと陰口を言われたことと思います。本当に心が折れそうになり、悩みの日々でした。しかし、誰が悪い訳でもありません。自分の力不足が原因なのです。力が無いから売り上げを失ったということであります。


 会社を辞(や)めるという選択肢(せんたくし)もありましたが、ここで辞めたら一生、負け犬で終わってしまいます。自分は、もうこれ以上、伸びることができなくなってしまいます。そう考えると、私は、本気で今までの自分と決別(けつべつ)しなければ、運命は変えられないと考えました。そして、一生懸命、努力して、努力して、また努力して自分のスキル〔能力(のうりょく)〕を高めて参りました。


 どんな小さなことでもチャレンジ精神(せいしん)を忘れずに、常にトップを目指して頑張(がんば)りました。最初は小さな目標も徐々にハードルを上げて行けばそんなに難しいことではないと思っております。それと、仕事ができないのであれば人の二倍働けば良いということになります。要するに、仕事の質と量を高め増やすことに尽きるのであります。


 そして、大事なのは五感を磨(みが)くことが、とても重要であると考えるようになりました。視覚(しかく)・聴覚(ちょうかく)・触覚(しょっかく)・味覚(みかく)・嗅覚(きゅうかく)です。この五感を鍛(きた)えることで第六感の『直感(ちょっかん)』が磨(みが)かれます。この直感と嗅覚がとても大事なのであります。


 私たちの周りには、いろんなビジネスチャンス〔商機(しょうき)〕が飛(と)び交(か)っております。嗅覚(きゅうかく)を研(と)ぎ澄(す)まし、自分の第六感を信じて、ひたすらチャンスを待てばよいのです。そうすれば必ず仕事で成功することができると思っております。練習や努力や鍛錬(たんれん)は絶対に嘘(うそ)をつかないものです。やればやっただけの結果が出るのです。そして、常に目標を高めてゆくことが、大きな、大きな成果となることでしょう。


 この会社で十二年間お世話になりました。善いことも悪いことも含め、どんな事でも自分を高めてくれると思っております。そう考えるか、考えないかで仕事の結果は大きく変わってきます。楽に仕事をして、高い給料を貰いたいと思っている人は多いと思います。しかし、自分が頑張って、努力して、懸命に働けば、その対価として頂く給料は本当に尊く有難いと思えるのです。


 転職(てんしょく)の転機(てんき)が来たのは私たちが子供を授(さず)かったことでした。子供たちのためにも頑張って仕事をしなくてはならないと考えました。そこで、今より給料の高い会社で、もう一度ゼロからスタートしたいという気持ちが生まれました。そして、厳しいけれど、更なる努力と高い目標にチャレンジするという、いばらの道を選択(せんたく)したのでありました。


 人生とは、終わりなき戦いの連続であります。仕事というのは、どんな厳しい環境であれ、どんなに難しい状況であれ、現実にできている人は必ずおられます。自分も同様に、できるまで努力し、失敗しても、また努力し、また失敗しても最後まであきらめずに継続すれば、最後には必ず成就(じょうじゅ)すると信じております。そういう強い自分を形成(けいせい)することが、この厳しい現実社会で通用(つうよう)する処世術(しょせいじゅつ)ではないでしょうか。


 それでは、お釈迦さまが法華経を説いた本当の理由とは、生きとし生けるもの『すべての人が幸福』になれるようにと思われ、この教えが説かれたのであります。


 前号で記しましたが、「こころ」を育てることがとても重要です。「幸福は心にあり」とわかった人だけに生きる目的が生まれるものです。それを知らない人々は皆、犬や猫たちの動物の生き方と何ら変わりません。ただ漠然(ばくぜん)と生きているだけです。そこには目的はありません。


 人間ですから、食べるもの、着るものなど、いくつか必要なものはあります。これは最小限揃(そろ)えば充分なのであります。あとはお金のためではなく、心を清らかにするために頑張(がんば)ってみるのです。目標があると、生きる不安や曖昧(あいまい)さがなくなります。


 仕事に行って、家に帰って、あとは寝るだけという毎日の生活に、何か献身的(けんしんてき)なことを足(た)してみてはどうでしょう。「私は毎日の生活で精一杯です」と言ったら、犬や猫と同じレベルになってしまいます。毎日のマンネリな生き方に何かを足してほしいのです。仕事をするにも、「何となく楽(たの)しい」という気持ちになるように努めましょう。気分的にも楽しいと肩の力も抜けて、楽に仕事ができます。そして、そういう時こそ順調にゆくものです。「楽しくやっていて仕事はだらしない」ということは、有(あ)り得(え)ないのであります。「楽しみ」だからこそ、仕事をしっかり行うことができるのです。


 役に立つ生き方をすると、充実感(じゅうじつかん)が生まれてきます。そこで初めて、生きることの意義(いぎ)が生まれてきます。そうでないと、生きることは無意味(むいみ)となってしまいます。どんなことであれ、自分の生き方がいろんな人の役に立っているということが、すごく大事であります。


 例えば、お金目的ではない、献身的(けんしんてき)な何かを考え実践(じっせん)することです。まずは、「小さい善(ぜん)から始めてみる」という第一歩がとても大切であります。一つの善(よ)いことは、次の善いことに繋(つな)がって参ります。その積み重ねによって、心が洗われて清らかになってゆくのです。善い行いは「善いことした」ということが心にフィードバック〔帰還(きかん)〕され、ますます喜びを感じ満足できるのであります。


 幸福とは外(そと)の対象にあるものではなく、自分の心の中にあるものです。善行(ぜんこう)と悪行(あくぎょう)ですが、すべての生命は苦しみを嫌(きら)い、幸福を求めます。それが生命の、生きる衝動(しょうどう)となっております。従いまして、自分が苦(く)になる生き方は悪(あく)であり、自分が幸福になる生き方は善(ぜん)であります。


 自分の生き方が苦になる、堕落(だらく)する生き方は悪行為(あくこうい)です。例えば、学校をサボったり、仕事をサボることも悪行為です。目先(めさき)の楽(らく)を求める代わりに、自分が幸福になる可能性を失ってしまうのです。


 また、他人に苦を与える生き方も悪行為となります。すべての生命は苦しみを嫌(いや)がるものであると承知(しょうち)しつつ、他人に苦を与えるのなら、それは悪なのです。反対に、他人に幸福を与える生き方は善になります。これが善悪(ぜんあく)の理論(りろん)であります。


 三毒(さんどく)の貪(とん)〔欲(よく)〕・瞋(しん)〔怒(いか)り〕・痴(ち)〔愚痴(ぐち)〕からの行為・言葉・思考は悪で、三毒を滅(めっ)する行為・言葉・思考は善です。「笑い」と「怒り」は両立しません。笑いは怒りをおさめます。怒(おこ)らないでいるために、とにかくよく笑うようにしてみたらどうでしょうか。人間は笑いを忘れたことにより、ずいぶん不幸になっていると思います。まずは、「笑って生活したい」と、心に言い聞かせてみて下さい。それから「私は今からよく笑う人間になるんだ。恥(は)ずかしがらずに、声を出して堂々と笑うんだ」と心に決めて実践(じっせん)することであります。


 感謝するということは、自分の人生を失敗しないで大成功へと導いてくれる「魔法(まほう)」であります。感謝される人々は必ずこの魔法にかかります。自分を大事に育ててくれるのです。悩んでいる時、問題がある時、助けてくれるのです。そして、自分を応援してくれるのです。「本当の魔法(まほう)」とは人の心を善(よ)い方向へと変えることだと、お釈迦さまは教えております。感謝すると、感謝する人の心も、感謝される人の心も善い方向へと変わります。


 ですから、たとえ小さなことでも、それに感謝する人がより善い人間なのです。他人から感謝される人間も、言うまでもなく善い人間なのです。感謝することが自分の人生を更なる境涯(きょうがい)へと押し上げてくれるのです。


 私たちは今を生きている。自分にとって過去はもうありません。また、未来もまだありません。あるのは、この現在という瞬間(しゅんかん)だけです。そして、その現在も、あっという間に過去になってしまいます。有ると言えば有るし、無いと言えば無い。要するに『空(くう)』です。空(くう)の状態で、生命は瞬間瞬間、連続してゆくのです。「瞬間(しゅんかん)」以外に、生命の実在(じつざい)はありません。瞬間に幸福を感じたり、不幸を感じたりしているのです。


 この瞬間の生命を、過去からの因果(いんが)の「結果(けっか)」と見ることが「本果(ほんか)」の考え方になります。ああなって、こうなったから、今、こうなんだ、と。しかし、それだけでは「希望」は生まれません。この瞬間の生命を、未来の結果をつくる「原因(げんいん)」と見ることが重要なのです。その原因も、生命の奥深くに達した「本因(ほんいん)」なのです。決して表相(ひょうそう)の原因ではありません。


 タテに、根(ね)を久遠(くおん)の生命(せいめい)まで下ろし、ヨコに、法界(ほうかい)に徹(てっ)した「本因(ほんいん)」なのです。それが『南無妙法蓮華経』であります。そして、宇宙の一切を動かし、発展させているのです。


 お釈迦さまは「信心(しんじん)」することの大切さを説いております。第十六章の寿量品(じゅりょうぼん)で明かされた「久遠実成(くおんじつじょう)の仏(ほとけ)」そして、その「永遠(えいえん)の大生命(だいせいめい)」の存在を知る功徳(くどく)が説かれました。


 「信心」とは無限(むげん)の希望であります。たとえ状況がどんなに悪かろうとも、辛(つら)いことや、悲(かな)しいことが起ころうとも、本気で立ち上がり「前へ前へ」と立ち向かい、妙法の無限の可能性を実証(じっしょう)してゆくことです。それが、信心(しんじん)の本義(ほんぎ)ではないでしょうか。


 教祖・杉山辰子先生は、この法華経の力を信じ妙法蓮華経を唱えることがとても大切であるとおっしゃっておられます。妙法を心の底から信心(しんじん)することであります。その功徳は絶大であります。不慮(ふりょ)の事故や災難(さいなん)からの免(まぬが)れることができると申されておられます。そして、大難(だいなん)が小難(しょうなん)に、小難(しょうなん)が無難(ぶなん)になると仰せです。そして、三徳(さんとく)『慈悲(じひ)』 『誠(まこと)』 『堪忍(かんにん)』の実践(じっせん)が私たちを幸福へと導(みちび)いて下さるのであります。


 とても素晴らしい人格者の教祖さまが歩まれた道を、私たちも三徳の実践を生活の中心とし、一人でも多くの方の幸せを願い広宣流布(こうせんるふ)に邁進(まいしん)してゆくことが大事であります。人を救えば、必ず自分も救われる。と、この教えには説かれております。


 私たちも、自分自身の魂(たましい)の浄化(じょうか)に努め精進(しょうじん)することで『すばらしき人生』へと高めてまいりたいと思っております。


合 掌


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