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世界平和を
大樹
すばらしき人生56

今年の夏も例年のごとく猛暑(もうしょ)であります。熱中症(ねっちゅうしょう)対策として、こまめに水分を摂(と)られるよう心掛けて頂きたいと思います。また、寝る前にはコップ一杯の水分を摂る習慣を身につけましょう。電気代がもったいないと思わずに、夜間はなるべくエアコンのご使用をお勧(すす)めします。信者の皆さまの健康が第一です。暑さに負けず頑張(がんば)りましょう。



 お盆には先祖の霊(れい)が子孫のもとへ帰るとされております。盆の入りには迎(むか)え火を焚(た)き先祖の霊を迎え、盆明けには送り火を焚いて送ります。お墓参りをして、先祖への感謝と供養をすることがとても大切です。また、最近では核家族化(かくかぞくか)も進み盆と正月ぐらいしか家族全員が集まることもありません。三世代で旅行や温泉に行かれるのも良いでしょう。大いに楽しい夏休みを満喫(まんきつ)して頂きたいと思っております。


 先般、盆施餓鬼(ぼんせがき)先祖大法要会にお参りを頂き、誠に有難う御座います。私たちが、健(すこ)やかに暮(く)らせるのもご先祖さまのお蔭であります。年一度のお盆にはこころのこもった「先祖供養(せんぞくよう)」が大切です。困った時、苦しんだ時、悲しんだ時、必ずご先祖さまが守護(しゅご)して下さいます。この法華経を信心(しんじん)して、大確信(おおかくしん)をもって、喜んで『供養』するところに大きな功徳があるのです。


 私が、医薬品流通(いやくひんりゅうつう)会社に勤(つと)めていた時のことです。名古屋市にS病院という施設がありました。私は、その薬剤部(やくざいぶ)に定期的に訪問させて頂きました。T薬剤部長さんという薬剤師の先生がおられました。先生は趣味(しゅみ)が豊富(ほうふ)でありまして、軍艦(ぐんかん)や潜水艦(せんすいかん)などの船がお好きでした。


 私たちが、結婚(けっこん)してアメリカ西海岸(にしかいがん)に旅行に行きました。サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフで昼食をとりました。そこで、新婚(しんこん)旅行の記念写真を駆逐艦(くちくかん)の前で撮(と)りました。後日、先生に見せたら「○○○号」ですね、と。即座にご回答を頂きました。本当に趣味(しゅみ)というよりは、それ以上だと感心(かんしん)しました。


 また、先生のもう一つの趣味は昆虫(こんちゅう)の研究でした。昆虫博士と云われるほどの方で、とにかく六本足(ろくほんあし)が大好き人間でした。私に昆虫のレクチャーをして頂いた時のことですが、蚤(のみ)の跳力(ちょうりょく)〔ジャンプ力〕は身長の約百五十倍もあるそうです。人間で云ったら三十階建てのビルを飛(と)び越(こ)すぐらいであり、あらゆる動物・生物の中で最高のジャンプ力だそうです。


 先生は、よく沖縄(おきなわ)や石垣(いしがき)方面に昆虫採集(こんちゅうさいしゅう)をされに行かれました。毎年、年賀状には先生直筆(じきひつ)[ガリ版仕上げ]のトンボや蝶(ちょう)の絵を描いて下さいました。一枚一枚を丁寧(ていねい)に絵具(えのぐ)で塗(ぬ)り、姿かたち、色や特徴(とくちょう)が見事に描かれておりました。もう、そろそろ八十代になられますが、今でも、ご健在(けんざい)で年賀はがきを頂いております。つくづく先生は昆虫(こんちゅう)が大好きなんだなあと思った次第です。


 先生は趣味(しゅみ)というよりも仕事以上に昆虫のことを愛されておられたのでしょう。そんな、先生と懇意(こんい)にさせて頂き、今でも感謝しております。私たち流通業(りゅうつうぎょう)はメーカーから帳合(ちょうあ)い〔(製品の納入権(のうにゅうけん)〕を頂くために日夜努力をしているのです。


 訪問ペースは週二〜三回でしたが、内容の濃い活動でした。今では規約違反(きやくいはん)になるためできないのですが、当時、私は調剤(ちょうざい)のお手伝いをしておりました。お忙しい先生方のお仕事に少しでもお役にたちたいと思う一心(いっしん)でさせて頂きました。


 そんなる日、S社から新製品(しんせいひん)が薬審(やくしん)で採用になることとなり見積(みつ)もりが出ました。当院では大量に使用が見込まれる薬剤なので、帳合(ちょうあ)いをもらえたら良いなと考えておりました。そんな私のこころを「忖度(そんたく)」して頂いたのか、先生は、メーカーを呼びつけ私が頑張っていることを伝えてもらい、その結果、新製品の帳合(ちょうあ)いを取ることができたのであります。


 信頼関係(しんらいかんけい)を築(きず)くには、長い時間の中身(なかみ)の濃(こ)い、質(しつ)の高い活動の結果がもたらせるものであると思っております。しかし、その築いた信頼も一瞬(いっしゅん)に崩(くず)れてしまうものです。長く信頼関係を維持してゆくことが、とても重要なのであります。


 会社だけでなく、家族や知人、友人、親戚(しんせき)など人間と人間の関わりかたが、とても重要です。まず自分の心を開き、どういう人間であろうとも受け入れること、そして、理解して、相手の立場になって考えることを日ごろから実践することが大事であると思っております。


 仏教(ぶっきょう)はこう言います。こころが素直(すなお)になれば見えてきます。本当のこころの正体(しょうたい)を知れば、人間は成長できるのです。先ずは、自分のこころの性分(しょうぶん)とか癖(くせ)を知ることがとても重要です。こころが分からないと何が幸せなのか見えてきません。常にこころの状態を把握(はあく)することが、幸せに通(つう)ずるのではないでしょうか。


 「これがあれば幸せ」ということはありません。人間はどうしても、地位(ちい)や名誉(めいよ)や権力(けんりょく)、そして、お金があれば幸せであると勘違(かんちが)いしてしまいます。物事(ものごと)に執着(しゅうちゃく)して道具(どうぐ)の奴隷(どれい)となってはならないのです。今ある財産(ざいさん)は、あくまでも生きることを支(ささ)えてくれるはずの道具に過(す)ぎないのです。道具に支配される生き方では幸せにはなれないのです。


 欲(よく)に支配(しはい)されないように生きることは、非常に難(むずか)しいのであります。仏教では、三大煩悩(さんだいぼんのう)〔三毒(さんどく)〕の最初に「貪(むさぼ)り・欲(よく)」をもっていきます。三大煩悩では「貪(どん)・瞋(じん)・痴(ち)」について簡単に言えば、痴(ち)〔愚痴(ぐち)〕はベースではたらき、目立って見えるのは貪(どん)〔欲(よく)〕や瞋(じん)〔怒(いか)り〕なのです。欲(よく)と怒(いか)りはコインの表と裏のようなもので、表面が「欲(よく)」です。欲が先なのであります。ですから欲さえ克服(こくふく)できれば、大幅(おおはば)に煩悩(ぼんのう)を克服(こくふく)できるのです。欲を克服すれば即、幸せにつながる訳です。


 法華経では煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)が説かれました。過去の経典(きょうてん)では、煩悩を滅(めっ)することが重要であると説かれました。しかし、法華経は煩悩という悪いエネルギーを善い方向へと向けてゆく知恵(ちえ)を教えております。


 常に煩悩(ぼんのう)を生(しょう)じさせるのは自分であります。山は煩悩ではありません。花は煩悩ではないのです。金銀宝石(きんぎんほうせき)も煩悩ではありません。金銀は単純に金属(きんぞく)です。宝石は石(いし)以外の何ものでもありません。その宝石を見た人間のこころに生まれる感情を、仏教では「煩悩である」「欲である」と云うのです。


 どんなにすばらしく、美しいと感じるものであれ、欲を引き起こす、ただの対象です。ですから、外の世界は何も悪くありません。いつでも問題は自分にあるということを理解しなければなりません。


 例えば、花瓶(かびん)に花を挿(さ)して眺(なが)めると、なんてきれいであると喜びを感じたり、感じなかったり、嫌(いや)だなと感じたり、人それぞれです。その時、花は何も悪いことをしていないのです。問題を起こすのは全部、自分の勝手(かって)なこころです。不平不満(ふへいふまん)ばかり感じる、こころの持ち主に地球のすべてをあげても、不平、不満を呟(つぶや)きます。


 お釈迦さまは言います。「あなた方には、地球の全財産をあげても満足しないのだよ。不幸はなくならない」と。問題は財産にあるのではなく、自分の勝手なこころにあるのです。


 そして、自分のこころのささやきに勝てるかどうかです。「嘘(うそ)をつかない」と決めても、こころが「嘘をつきなさい」とささやきます。「公平(こうへい)に生きるんだ」と決めても、嫌な人なら「排除(はいじょ)しなさい」と、こころはささやきます。「懸命(けんめい)に生きるんだ」と決めても、「楽(らく)して生きなさい」と、こころはささやきます。


 私たち、人間はこころに決めたことでも、こころのささやきに負けてしまうことがあります。法華経でいう八正道(はっしょうどう)の生き方を身につければ、自分のこころのささやきに負けない強いこころになれるでしょう。


 「明るいこころで生きましょう」生きる上で何よりも気をつけたいのは「こころが汚(よご)れないこと」であります。なぜかというと、私たちはこころが汚れると、ものすごく不幸になるからです。どんな意見(いけん)でも、それにしがみつくことは、こころの汚れの大きなポイントになります。それに、どんな意見も無常(むじょう)ですから執着(しゅうちゃく)には値(あたい)しません。


 仏教が「こころが清(きよ)らかであるべき」と言うのは、意見にしがみついて言っているわけではなく、経験(けいけん)からくる教(おし)えなのであります。こころが暗いと不幸になり、こころが明るい場合は、けっこう人生はうまくゆきます。ですから、常に明るいこころで生きることが一番、善いということであります。


 ある意味、妄想(もうそう)はとても危険(きけん)な状態です。世界にある一切の精神病(せいしんびょう)の原因は、まとめますと、たった一つの「妄想」です。現代心理学は、妄想をまったく気にせずに、いろいろな病名をつくりだします。実際に医者が患者さんに行っていることは、病気で訴(うった)えてきた人に、「あなたは○○症です」と言ってあげることだけです。仏教の立場から分析(ぶんせき)すれば、たとえ精神病の病名が数多くあったとしても、原因はたった一つです。あなたの「妄想(もうそう)」なのであります。


 「妄想(もうそう)」のとりこになると不幸になります。善いことや人の役に立つことだったら、覚えていてもいいのですが、それは、さっさと忘れてしまいます。一方で、相手が間違ってちょっと言い過ぎたことや、気がつかないちょっと言って気に障ったことだけは、徹底的(てっちてき)に覚えております。考えれば考えるほど、どんどん怒(いか)りの感情(かんじょう)が生まれてきて、さらに増幅(ぞうふく)され、怒りが生じ、体を壊(こわ)してしまいます。そして、自分の幸福が消えてゆくのであります。


 「ののしられた」というのも、「いじめられた」というのも、「負かされた」というのも、全部くだらない。このくだらない妄想概念(もうそうがいねん)を増幅(ぞうふく)して膨(ふく)らませて不幸の『塊(かたま)』になってしまうのは最悪です。とにかく、このようなくだらない妄想概念を作らないようにすることが、怒(おこ)らない秘訣(ひけつ)であります。


 人と比べない気楽さが幸せを呼びます。人と比べる気持ちが、あればあるほど、生きづらいものです。「あの人は上手だ、あの人は下手だ」など、そういうことで、皆、どれほど苦しんでいることでしょう。それさえ捨ててしまえば、何のことはありません。何を言われても平気でいられます。


 感情というものは、外部から大きな影響を受けますが、それもこれもひっくるめて、やはり根本(こんぽん)においては自分しだいです。「怒(おこ)るのも、愛情を作るのも、その個人の勝手(かって)である」ということを、まず理解して下さい。怒るのは誰のせいでもなく「自分のせい」なのです。


 逆に言えば、私たちには、将来的な見込みに一筋(ひとすじ)の光明(こうみょう)があるのです。「自分を直(なお)せば、怒りの感情を完全に追い払って、愛情の感情、あるいは幸福の感情だけで生きられる。その可能性は充分ある」ということです。


 私たちは、自分のこころの性分(しょうぶん)や癖(くせ)を把握(はあく)することにより、よい方向へと変革(へんかく)することができます。そして、本当の幸せを掴(つか)む意味でも『こころの正体(しょうたい)』を知ることが極(きわ)めて重要であるのです。


 教祖・杉山辰子先生は行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、妙法の五文字を唱えなさいと仰せです。いついかなる時でも『妙法蓮華経』を唱えることです。そうすれば、不慮(ふりょ)の事故(じこ)や災難(さいなん)から免(まぬが)れることができる。そして、大難(だいなん)が小難(しょうなん)に小難が無難(ぶなん)にと罪障(ざいしょう)を消滅(しょうめつ)できる。この法華経を信じて、信じて、信心してゆく中で、『妙法蓮華経』を唱える時に功徳(くどく)があると仰せです。そして、『慈悲(じひ)』 『誠(まこと)』 『堪忍(かんにん)』の三徳(さんとく)の実践(じっせん)が何より大事であります。


 私たちが来世(らいせ)に向かい、日々精進(ひびしょうじん)してゆく中で三徳の実践ほど確実なものはありません。未来に向け広宣流布(こうせんるふ)の炎を燃やし続けることがとても重要なのです。そして、私たちの魂(たましい)を磨(みが)き努力精進すれば必ず『すばらしき人生』の境涯(きょうがい)へと昇っていくでしょう。


合 掌


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