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世界平和を
大樹
すばらしき人生60

十二月に入りました。一年というのは早いものです。時間が駆(か)け足(あし)で通り過ぎ去ろうとしております。年を重ねることも年々早くなっているように感じます。学生時代は一日が長く感じられたものでしたが、今は一日が短く大切に生きなければいけないと思っております。


 大樹の執筆(しっぴつ)をさせて頂き丸五年が経ちます。従いまして、法公会で五年間お世話になったということになります。やることと、やらないこと、増やすこと、減らすこと、維持(いじ)していくことと、しないこと、やるべきことは山ほどありました。また、これからも沢山(たくさん)あるでしょう。いかに効率を上げ、取捨選択(しゅしゃせんたく)をして信者の皆さまに満足して頂けるよう頑張(がんば)りたいと思います。


 結果は、すぐには出ないものですが着実(ちゃくじつ)に実行(じっこう)することを心掛けて参りました。私たち、すべての人が「幸福」になれますようにと願い、これからも精進(しょうじん)してゆきたいと思っております。来る平成三十年が皆さまにとって幸多き年になりますよう、こころよりお祈りしております。


 先般の法公会立教四十四年祭には多くの信者さまのお参りを頂きました。そして、餅投げでは二十五俵という、お餅のご寄付(きふ)を頂き誠にありがとうございました。重ねて感謝申し上げます。


 今月は開祖祭、法公先生七回忌の法要を執り行います。また、大晦日には除夜聖祷会(じょやせいとうえ)を開催します。どうか多くの信者さまのご参詣をお待ちしております。


 さて、私がサラリーマンの時でした。人生とは、とても不思議(ふしぎ)なものであります。私は会社を辞めて転職(てんしょく)しました。その辞めた会社が吸収合併(きゅうしゅうがっぺい)され、今では二兆円強の売り上げを誇(ほこ)る医薬品流通会社(りゅうつうがいしゃ)となりました。合併前の売り上げは全国で百位前後の小さな会社でしたが、合併により現在では全国第二位の売り上げの会社になっていたのです。


 人それぞれ善(よ)い縁(えん)に触(ふ)れることや悪い縁に触れることもありますが、つくづく縁とは不思議であり、人間の智慧(ちえ)では理解(りかい)しがたいことなのであります。私が、転職して外資系(がいしけい)医薬品メーカーに就職(しゅうしょく)できたのも、前の会社の後輩(こうはい)が、そこに転職しており、たまたま名古屋のある病院で出合ったからなのです。その時、彼の待遇(たいぐう)を聞き転職できるならすぐにでもしたいと依頼(いらい)しました。すると、暫(しばら)くして副社長(ふくしゃちょう)が面接(めんせつ)をしたいということでしたので上京して面接を受けました。外国人の副社長と日本人の本部長(ほんぶちょう)との面接を行ないました。


 人間というのは自分を飾(かざ)りすぎると、ついつい本音(ほんね)が出てしまい失敗(しっぱい)することも多々あります。ですから変に自分を飾(かざ)らずに、ありのままの自分を表現(ひょうげん)させて頂きました。その結果、入社することが決まったのであります。


 私は、長い間、営業職で病院や医院などで仕事をさせて頂きました。そして、最終的には、流通会社(りゅうつうがいしゃ)への営業に就(つ)くことになりました。皮肉(ひにく)なことに私がその医薬品流通会社の担当者になったのです。勿論(もちろん)、転職(てんしょく)して良かったのですが、縁(えん)があるということは、どこまでいっても関係が続くものだと思いました。


 私たちは、善(よ)い縁(えん)に触(ふ)れることが大事であります。善い縁とは、善い種(たね)を蒔(ま)かないと、善い実(み)はならないということなのです。人のためになることを積極的(せっきょくてき)に行なうことで善い種を蒔くことが、とても大事なのであります。


 仏教はこう教えます。私たちは宇宙(うちゅう)の法則(ほうそく)に基(もと)づいて生かされております。その法則を自分の好き勝手に変えることはできません。私の人生はこうあるべきだ。私の子どもはこうあるべきだ。決して障害(しょうがい)のある子など生まれてくるはずがない。などと考えているのは傲慢(ごうまん)です。もし自分の子どもに障害のある子が生まれたとします。すると親は悲しむでしょうか。自分や、他人に文句を言うのではなく、環境(かんきょう)に適応(てきおう)することがとても大切なのであります。適応しようと決意(けつい)して腹(はら)に落(お)とせば、自分には不思議なぐらいの能力(のうりょく)が隠(かく)れていることに気づくことができます。適応することができれば、結果として「この子が生まれてきてくれてよかった」と必ず思うことでしょう。


 子どもの教育で大事なのは道徳(どうとく)です。私たち大人が子供に教えてあげるべきことは、「あなたは自分の幸福のために、何を他人に与えましたか」ということです。この「自分の幸福のために」という言い方が必要なのです。これが、相互依存(そうごいぞん)ということなのです。私たちは子どもに対し社会に貢献(こうけん)するいろいろな方法や技術(ぎじゅつ)を教(おし)えるべきです。幼い時から社会に役立つ人間になるようにと、言い聞かせながら、しつけをしなくてはなりません。


 例(たと)えば、「あなたが勉強(べんきょう)をするのは、良い仕事を見つけてお金儲(かねもう)けをするだけではありません。勉強をすれば良い仕事に就けるし、お金を稼(かせ)いで幸せを感じることもできる。そして、同時に社会(しゃかい)に何か貢献(こうけん)していることになる」と、このように言えば、子どもは一生懸命勉強をするものです。


 そして、いかに自立(じりつ)する生き方を教えるのかが大切なのです。大事に育てて、可愛(かわい)がり、溺愛(できあい)して『無菌(むきん)』の状態で育てたら、たちまち社会の重圧(じゅうあつ)に負けてしまいます。親の責任というのは子どもを自立させることであって、それこそが本当の愛情なのです。『可愛い子には旅をさせよ』ということわざがあるように厳しく辛い環境(かんきょう)だから自立できるのであります。


 さて、親孝行(おやこうこう)とはなんでしょうか。親を喜(よろこ)ばせて自分を満足(まんぞく)させるためにあるものではありません。自分の全ては借(か)り物(もの)であり、何者(なにもの)でもありません。周囲(しゅうい)の人に支(ささ)えられて生きているのです。そういうことを自覚(じかく)するために恩返(おんがえ)しをするのです。親に喜んでもらって、自分も嬉(うれ)しくなるために親孝行をしては駄目(だめ)なのです。


 自分が善(よ)い人間になるために親孝行をしなければいけないのです。親を喜ばせたくて親孝行をする人は、自分の欲(よく)で判断(はんだん)がつかなくなっているのです。自分が本当に善い人間で、親のために尽(つ)くしていると思い込んでしまっているのです。親孝行している自分の姿に重(かさ)ねることが大きな錯覚(さっかく)を生んでしまうのです。


 親というのはおかしなもので、ただ「お父さん、お母さんのことが世界一好きです」と子どもが言うだけで充分なのです。散々(さんざん)苦労(くろう)をかけられた子どもでも、その一言で全部苦労を帳消(ちょうけ)しにします。


 また、私たちは世間(せけん)で何者(なにもの)であっても、どんなに偉(えら)くなっても、母の前では子どもです。それが親孝行です。ですから、素直に母親の前ではしっかりと子どもに戻りましょう。甘えたりするのが一番いいのです。お母さんは大変かもしれませんが、それで母親は精神的(せいしんてき)に元気になります。明るくなります。最後まで親を悩(なや)ませることなく、明るく生きてもらうことが本当の親孝行(おやこうこう)だと思います。


 人は親を「老(お)いるわけじゃない、病気になるわけじゃない、死ぬわけじゃない」と思って、親孝行を後回しにすると、後悔(こうかい)することになります。我が親も無常(むじょう)であるのです。病気で倒(たお)れたり、老いて寝(ね)たきりになったり、また亡くなってしまったりすると悲しむのです。親孝行できなかったと悩むのです。真理(しんり)としてこころの底(そこ)から「諸行無常(しょぎょうむじょう)」であることを知っている人は率先(そっせん)して親孝行をし、親の面倒(めんどう)をみるものです。


 さて、話は変わりますが人生の成功(せいこう)と失敗(しっぱい)について述べたいと思います。「今を生きている」という人生を考えることのできる人は成功します。今、やるべきことをやっていると、それは大成功に繋(つな)がります。たとえ失敗に終わろうとも、次の瞬間(しゅんかん)にそれを直せるのです。ですから、瞬間瞬間、行なうべきことを怠(おこた)ることなく行なえば「失敗した」と悩むことはなくなるでしょう。それが成功を収(おさ)める生き方です。


 逆に失敗する場合は、やるべきことを後回(あとまわ)しにする人間です。私たちは、いつでもこころの中で「これは後でやります」と今やるべきことを後回しにしがちです。しかし、次の瞬間には、別なことをしなくてはなりません。「後でやります」と思っても、後にはまた別の仕事があるのです。いつでも、次から次へと仕事があります。今の仕事をしないまま後回しにしたとしても、次の瞬間(しゅんかん)には別の仕事が現(あらわ)れるのです。同じ時間に仕事が二つになったのです。では、その瞬間に二つの仕事ができるかというとできません。できる仕事は一つだけです。その瞬間も仕事を後回しにすれば、次の瞬間には仕事が三つになるのです。しかし、できるのは一つだけなのです。その人が、前の瞬間でやらなかったことと、やるべきことと、仕事が二つあります。しかし、できるのは一つの仕事だけです。「忙(いそが)しい、大変(たいへん)だ」と思うことで悩(なや)みます。そんな人生は失敗なのです。「忙しい」というのは錯覚(さっかく)です。「忙しい」と思うのは、今やるべき仕事をやらなかったことが原因(げんいん)なのです。


 何事(なにごと)も優先順位(ゆうせんじゅんい)を付け、今やらなければならないことを効率(こうりつ)よく行なう「集中力(しゅうちゅうりょく)」を身につけることがとても大事です。毎日、行なっている仕事や勉強を「休みたい」「時にはサボりたい」と思うこともあると思います。しかし、「集中力」さえあれば苦(くる)しいとは感(かん)じないものです。「集中力」はとても有難(ありがた)いものです。仕事や勉強が実に楽しくできます。こころはいつも元気で、やる気に満(み)ちています。頭はとても活発(かっぱつ)で、あれこれと良いアイデアも出てきます。そういう毎日が実現(じつげん)したら、人生はとても有意義(ゆういぎ)なものとなります。とにかく「集中力」を磨(みが)いて前向(まえむ)きに生きることがとても重要なのです。


 法華経では「一切衆生(いっさいしゅじょう)の成仏(じょうぶつ)」が仏の一大事因縁(いちだいじいんねん)です。すなわち、仏がこの世に出現(しゅつげん)した、最大(さいだい)で究極(きゅうきょく)の目的であると説(と)かれております。滅後(めうご)の衆生、特に末法(まっぽう)という濁世(じょくせ)の衆生を救(すく)わなければ、その理想(りそう)は叶(かな)えられない。だから滅後の衆生のために、この慈悲(じひ)の経典の法華経が説かれたのであります。


 法華経は「こころが変(か)われば一切(いっさい)が変わる」という、宇宙的真理(うちゅうてきしんり)に目覚(めざ)めさせてくれます。先ずはこころがとても重要なのです。法華経を一心(いっしん)に信心(しんじん)してゆく、そのこころがあって初めて物事(ものごと)の本質(ほんしつ)が見えてくる。そして、仏の智慧(ちえ)も湧(わ)いてくるのです。楽しいことばかりの人生は皆無(かいむ)です。私たちは、辛(つら)いことや悲(かな)しいことに必ず遭遇(そうぐう)します。そんな時、仏の智慧(ちえ)で物事を解決することが幸福になる秘訣(ひけつ)であります。


 教祖(きょうそ)・杉山辰子先生は、いついかなる時でも『妙法蓮華経』の五文字を唱(とな)えることがとても大事と仰(おお)せです。そうすれば不慮(ふりょ)の事故や災難(さいなん)から免(まぬか)れることができる。そして、大難(だいなん)が小難(しょうなん)に、小難が無難(ぶなん)になってゆくと仰せです。私たちは、この法華経の力を一心に信じる、その「こころ」がとても大切なのです。深く信じて妙法を唱えた時に大きな、大きな功徳(くどく)を頂けるのであります。


 そして、『慈悲(じひ)』 『誠(まこと)』 『堪忍(かんにん)』を実践(じっせん)することが大事なのです。私たちは積徳(せきとく)の人生を歩むことが望(のぞ)ましいのであります。喜(よろこ)んで徳(とく)を積(つ)まさせて頂く、という謙虚(けんきょ)なこころになることが大事です。一日、一日を尊く生きるために『三徳の実践』が必要なのです。これからも、更(さら)なる努力精進(どりょくしょうじん)により自分の魂(たましい)を磨(みが)くことで『すばらしき人生』へと階段(かいだん)を昇って参りましょう。


合 掌


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