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世界平和を
大樹
すばらしき人生61

明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。希望に満ちた新しい年が始まります。今年の干支は「戌(いぬ)」です。忠犬ハチ公のように忠実に職務(しょくむ)を全うしたいと思っております。そして、皆さまにとって善き年でありますようこころよりご祈念いたします。


 今年のスローガンは『情熱(じょうねつ)と慈愛(じあい)』です。私たち一人ひとりの『慈(いつく)しみのこころ』を育てることがとても大事であります。一人でも多くの信者の皆さまが幸福になるため、一年を通して努力(どりょく)・精進(しょうじん)されることを期待します。


 先般は法公先生七回忌にお参りを頂き誠にありがとうございました。月日の経(た)つ速さをしみじみ感じております。法公会平成三十年元旦祭には多くの信者の皆さまのご参詣をお待ち致しております。どうか宜しくお願い致します。


 さて、医薬品流通会社に勤めていた時のことです。Iさんはとてもまじめで、おとなしい性格でした。私と同級生で大学時代からの友人でした。性格は穏やかで非常に存在感が薄いというか、とても目立たない地味な方でした。私は、そんな彼の性格と行動を十年近く見てきたのですが、ある日、突然、性格が明るくなり、積極的な性格に変わったのであります。


 彼は、会社で一つ年上のM先輩にあこがれがあったのでしょう。その先輩の喋(しゃべ)り方、思考(しこう)、行動など雰囲気(ふんいき)までが、まるで同一人物のように変身したのであります。人間は頑張(がんば)って努力すれば性格を変えることができるものだと思いました。


 おそらく自分に自信ができたのでしょう。M先輩のように生きれば自分は変わることができると確信(かくしん)したと思います。彼の過去を知る人間から見れば、あんなに物静かな性格からまるで逆の性格に変わり驚(おどろ)きの連続でした。


 今までが暗く物静かな性格であったため、これまでは彼女らしい人もおりませんでした。人間というのは、自分に自信がないと彼女もできないのであります。自分が傷つきたくないから、また、傷ついた自分を見たくないから避(さ)けてしまうのです。踏(ふ)まれても、転んでも、必ず立ち上がるという強い精神力(せいしんりょく)と逞(たくま)しさが求められるのであります。「七転び八起き」というか前へ前へと前進することがとても重要なのです。


 変身したIさんには念願(ねんがん)の彼女ができ、お付き合いが始まりました。幸せそうに、仕事もルンルン気分で毎日が充実していたように感じました。Iさんも人並みの幸せが頂けることに感謝をしていたと思います。


 しかし、交際を始めて半年ほど時が経ったある日、Iさんは元のIさんに戻っていたのです、幸せの絶頂(ぜっちょう)から、奈落(ならく)の底(そこ)に堕(お)ちたくらいの変化がありました。一体、何事が起きたのか何も語らないので分かりませんが、噂(うわさ)では、どうも彼女と別れたようでした。あんなに明るい性格で物事にもはっきりとした態度(たいど)で対応していたのに、どうしてなのかよく解(わか)りません。


 自分の性格を変えるということが、彼の負担となったのか、積極的な部分にデリカシーが欠けていると判断(はんだん)されたのか、どうかは定かではありません。さらに、Iさんはそんな事件があった後、激痩(げきや)せをしてしまいました。どうやら失恋による拒食症(きょしょくしょう)なのかと疑(うたが)わざると得(え)ません。


 やはり、根本的には、もって生まれた性格、性分は変えることができないのでしょうか。自分の生き方に嘘(うそ)をついていると、いつかはボロが出てしまうものなのかもしれません。本当に自分じゃない自分が、どれだけ繕(つくろ)っても所詮(しょせん)、本当の自分〔本性(ほんしょう)〕は必ず出てしまうものです。


 そうならないためにも、先ず、こころが大切であると思います。自分の行動、思考(しこう)、言動(げんどう)を変えるためには、こころが変わることが、とても重要であります。自分のこころは自分でないと変えられません。そういう意味においても、如何(いか)にこころが大切であるか理解できます。こころの底から変わらないと自分の性格を変えることは不可能なのです。


 仏教はこのように説きます。命の尊(とうと)さというものを理解し、老病死(ろうびょうし)を恐(おそ)れずに生きることが大切であります。人間には生命の法則(ほうそく)があります。あなたがほかの生命に対して優(やさ)しく接することで、他の生命も優しく接してくれます。逆に、あなたが人を怒(おこ)ってにらんだら、相手もにらみ返します。あなたはそれで気分を害(がい)します。そして、すべて相手の責任にしてしまうのです。そういう考え方では、幸福(こうふく)は得られません。


 もし長生(ながい)きしたければ、人の生命を助けてあげることです。そういうことで長生きできるのです。気持ちよく生きたければ、あなたが親切(しんせつ)にしてほしければ、親切にしてあげることです。自分から能動的(のうどうてき)に働きかけることがとても重要なのです。


 私たちのこころは「長生きしたい」と思っています。「死にたくない」と思う気持ちが強すぎると、こころにストレスをためてしまいます。


 自分が生きたい、幸せになりたいとばかり思って、他人(たにん)と環境(かんきょう)を敵(てき)に回すと、相手もこちらを敵としてとらえてしまうため、さらにこちらも攻撃(こうげき)を強めてしまうことになってしまいます。この「怒り(いか)」の連鎖(れんさ)にはまることほど、恐(おそ)ろしいことはありません。怒(おこ)ると、こころが病気(びょうき)になって、そして、体も病気になってしまいます。「怒り」は病気の百貨店です。「怒らない」習慣(しゅうかん)を身につけましょう。


 喜(き)・怒(ど)・哀(あい)・楽(らく)という感情(かんじょう)はすぐに消えるものです。見たもの、聞いたものは残念ながら、すぐに消えてしまいます。消えてしまうと、また欲(ほ)しいという感情が生まれます。例えば、音楽を聴いてもスピーカーから絶えず音楽が流れていないと、喜・怒・哀・楽は生まれません。スピーカーの音が消えたら、また再生することになります。つまり、喜・怒・哀・楽を感じたら、「もっと欲しい」という感情(かんじょう)が生まれます。それを「意思(いし)」というのです。


 なんでもないことから感覚(かんかく)の流(なが)れが生まれ、知ることができ、実感(じっかん)として感覚が出てきて、感情(かんじょう)となり、その上、意思という「もっと欲しい、もっと生き続けたい」という強い願望が生まれてくるのです。


 命とは変化(へんか)する組織(そしき)〔集合体(しゅうごうたい)〕であって、因果(いんが)の法則(ほうそく)によって成り立っております。この命という組織が、刺激(しげき)を求めて動(うご)いているのです。植物(しょくぶつ)の場合、葉(は)は、太陽(たいよう)の光という刺激を求めて地球(ちきゅう)の引力(いんりょく)とは反対(はんたい)方向へ、上へ上へと伸びております。根(ね)は地球の引力の方向を見て下に伸びております。そのようにすべての生命は、刺激を求めて生きているのです。生きるということはそういうシンプルなことなのです。


 こころは護(まも)らないといけません。一番強(つよ)くて偉(えら)いのに、一番弱(よわ)い。私たちのこころは、そうゆうものです。こころは、人間のすべてをコントロールして命令(めいれい)を下しているのに、ほんのわずかなことで壊(こわ)れてしまいます。逆に、体というのは結構(けっこう)強いものです。暑さ寒さや、いろんなことに耐えられます。たとえ傷ついていても、自然治癒力(しぜんちゆりょく)でどうにかなることもあります。しかし、こころは違(ちが)います。自然に治(なお)ることは無いのです。


 前向(まえむ)きな人生へと考え方を変えることで「こころの病(やまい)」は治癒(ちゆ)するのです。「あれも嫌(いや)だ、これも嫌だ」と思う人は、当然、早く病気になってしまいます。後(うし)ろ向(む)きな考え方がそうさせるのです。反対に、明るく、楽しく、喜んで充実(じゅうじつ)した気持ちで「あー、よかった、よかった」という感じで生活すると、体にとって良い免疫(めんえき)ホルモンが出て参ります。それには体を守る、維持(いじ)する、治(なお)す、というすご力があります。結果として病気にならずに長命(ちょうめい)になるということです。どんな人でも病気にかかる訳ではなく、すごく明るく、前向きな思考を持っている人は、ほとんど病気にかかりにくのであります。


 こころの状態は、体の状態と密接な関係があります。健康のためには、明るいこころ、謙虚(けんきょ)なこころが必要です。私たちの体にはいろいろな毒があるとお釈迦さまは言われます。嫉妬(しっと)、怒(いか)り、高慢(こうまん)、苛立(いらだ)ち、悩(なや)み、憂(うれ)いなど、そうしたこころの働きはすべて猛毒(もうどく)です。ですからどんな名医に巡(めぐ)り会って、すばらしい治療(ちりょう)を受けたとしても、そうした毒があると病気はなかなか治りません。


 お釈迦さまがおっしゃったのは、「あなたは体が病気になっても、こころを健康に保ちなさい」という一言なのです。「こころを健康に保つ」というのは、怒(いか)りや欲(よく)がなく、美しいこころを保つことです。肉体の一つひとつの細胞(さいぼう)の中に、こころは機能(きのう)しており離(はな)れません。こころというのは生きるということであり、命ということなのです。


 世間の大半の生き方は、体のために生きることと思っております。世の中の人々は、こころのために生きようとする意思(いし)はないのです。なぜならば、自分の肉体は永遠不滅(えいえんふめつ)であると考えているからであります。しかし、仏教でいうこころが瞬間瞬間(しゅんかんしゅんかん)で変わる集合体(しゅうごうたい)であり、こころには、すごく強い力があるからこそ、こころを育(そだ)てなくてはいけないのです。


 最近、世間ではストレス社会とよく言われております。ストレスに負けない強いこころを育てることが大事であります。日本ではストレスは絶対(ぜったい)になくなりません。赤ちゃんまでストレスがたまっています。生まれてから死ぬまで、ずっとストレスだらけであります。


 健康法(けんこうほう)や病気を治す本など、よく売れております。しかし、私たちが本当に必要なことは病気を治すことではなく、こころを治すことなのです。大事なのは、物事(ものごと)の考(かんが)え方、捉(とら)え方、行動に対する「こころの問題(もんだい)」を見ることです。すなわち、こころの病気を治せば、自然と体が健康になってゆくと信じております。


 私たちが生きられるのは、自然や、生命や、いろんなものに助けられて、支(ささ)えられていることです。美味(おい)しいご飯を食べられるのは農家の皆さまが一生懸命作ってくれたお蔭(かげ)であり、炊飯器(すいはんき)を開発(かいはつ)してくれた人のお蔭です。今日、一日生きたということは、無数(むすう)の無限(むげん)の生命に支えられたということです。だから、そこをよく自覚(じかく)して『慈(いつく)しみを育(そだ)てること』です。そして、『みんな幸せであって欲しい』、『ありがとうございます』という感謝(かんしゃ)の気持ちを持つことがとても大切なのであります。


 教祖・杉山辰子先生は三毒(さんどく)「貪(どん)」「瞋(じん)」「痴(ち)」という煩悩(ぼんのう)を滅(めっ)することが重要と仰(おお)せです。「貪」すなわち貪欲(どんよく)とは、欲望(よくぼう)にまかせて執着(しゅうちゃく)し貪(むさぼ)ることです。「瞋」すなわち瞋恚(しんに)とは怒(いか)りです。「痴」すなわち愚痴(ぐち)多きことをいうのであります。この三毒は恐るべき三悪道(さんあくどう)「地獄(じごく)」「餓鬼(がき)」「畜生(ちくしょう)」の基(もと)となっております。この悪道に堕(お)ちて行き、あらゆる苦悩(くのう)を受けなければならないのであります。


 教祖さまは、三毒(さんどく)を滅し三徳(さんとく)『慈悲(じひ)』 『誠(まこと)』 『堪忍(かんにん)』の実践(じっせん)が大事と仰せです。そして、妙法の力を信じ『妙法蓮華経』と唱(とな)える時に大きな功徳(くどく)を頂けるのです。私たちも、教祖さまを善き手本とし積徳(せきとく)の人生を歩むべく更なる精進(しょうじん)が『すばらしき人生』へと導いてくれるのであります。


合 掌


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