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世界平和を
大樹
すばらしき人生62

旧暦で二月を如月(きさらぎ)といいます。由来は寒さで着物を更に重ねて着ることから、「着更着(きさらぎ)」とする説が有力とされております。年が明けて一か月たちました。何もしていないのに月日は確実に過ぎてゆきます。まだまだ寒い日は続きますが、風邪(かぜ)などひかないよう健康に留意(りゅうい)していただきたいと思います。


 今年の短冊はいかがでしたか。人間というのは悪い短冊を引いたほうが進歩するものであります。今年の反省点、改善点がハッキリ解かり、努力して、精進(しょうじん)すれば必ず成就(じょうじゅ)するものです。逆に良いことが書かれている場合は安心して何の努力もしなくなります。結果的に悪いほうへ進んでしまう場合もあります。「勝って兜(かぶと)の緒(お)を締(し)めよ」じゃありませんが、良い短冊でも自分を高めることへの更なる努力が必要なのです。


 元旦祭には多くの信者の皆さまにお参りを頂き誠にありがとうございました。二月四日は節分厄除祈願祭がございます。お参りを頂いて厄払いをしていただきたいと思います。


 また、二月十五日は釈尊涅槃会(しゃくそんねはんえ)を開催いたします。多くの信者の皆さまのご参詣をお待ち申し上げます。


 私がサラリーマンの時でした。私の会社は内分泌疾患(ないぶんぴつしっかん)の製剤(せいざい)が中心でした。糖尿病治療薬(とうにょうびょうちりょうやく)のインスリンや下垂体性小人症(かすいたいせいしょうじんしょう)の成長(せいちょう)ホルモンを扱っておりました。特に成長ホルモンは薬の値段が高く年間に一人平約三百万円程かかります。仮に百例患者さんがいますと三億円の売り上げになります。そのような施設は全国に数十軒ありました。


 この製剤は先発(せんぱつ)三メーカーと準先発(じゅんせんぱつ)三メーカーの六社です。全体の症例の九割は先発三メーカーの製品を使用しておりました。弊社(へいしゃ)と競合する会社はS社とL社です。静岡でその治療の専門医(せんもんい)のK先生は国立のT大学ご出身です。


 そこで、L社のI課長の話をさせて頂きます。彼の性格は悪くはないのですが、押しが弱いというか行動力に問題があるように思えました。表情も陰気(いんき)くさく地味(じみ)なタイプの人でした。


 私たちは一例三百万円ですから必死であります。私はK先生に二対一の約束を取り付けました。要するに二例貰(もら)ったら一例L社にまわすということです。その代わりK先生のリクエストは、ほぼ聞きました。飲食接待(いんしょくせったい)とかそういうことではなく、K先生は純粋(じゅんすい)に一人でも多くの患者(かんじゃ)さんの治療をしたいという思いが強い方でした。そういう正義感の強い先生でした。


 かねてよりK先生は低身長(ていしんちょう)の子どもさんがどんな気持ちで生活しているのか、いじめにあってないだろうかと危惧(きぐ)されておられました。患者さんの掘り起こしの手伝いが功(こう)を奏(そう)したのでしょうか、お蔭さまで売り上げは想定外(そうていがい)に増えました。


 そんなI課長も静岡から転勤となり、どこか他のエリアの課長で赴任(ふにん)をしました。そして、私は、数年後I課長に遭遇(そうぐう)しました。なにやら社章(しゃしょう)が変わっていることに気づきました。ジェネリックの○○会社に転職(てんしょく)したようでした。


 人の性格、生き方、考え方、行動力(こうどうりょく)、判断力(はんだんりょく)、決断力(けつだんりょく)などが総合的(そうごうてき)に自分の仕事の運命(うんめい)を決めてしまうものであると思います。そして、何より、その人のセンスが重要なのであります。色んな人が同じことをしても、もって生まれたセンスによって与える影響度は全然違(ぜんぜんちが)うものです。同じことをしてもインパクトが違うということです。


 人間は人それぞれですが、六感を磨(みが)くことが仕事をする上でとても重要なのです。視覚(しかく)・聴覚(ちょうかく)・嗅覚(きゅうかく)・味覚(みかく)・触覚(しょっかく)の五感と第六感の直感(ちょっかん)が大事なのであります。六感は五感を超えるもので、「物事(ものごと)の本質(ほんしつ)を掴(つか)むこころの働き」のことであります。この第六感を研(と)ぎ澄(す)ませば、チャンスを掴(つか)むことができます。仕事をする上でチャンスは万人あります。しかし、そのチャンスをチャンスとして捉(とら)えるためにも第六感を磨(みが)くことが極(きわ)めて重要なのです。


 お釈迦さまは諸行無常(しょぎょうむじょう)を説きました。良い人に出合うと人生は幸福になります。そして、成功もするでしょう。また、その逆もあります。私たちは、生まれたままの人間ではないです。人生は環境(かんきょう)によって変わります。あなたの人生を決めるのは、あなた自身の「意思(いし)」です。これはとても重要なことです。幸福になるか不幸になるかは、あなたの「意思」で決まります。


 あなたの幸福は「神さまのお恵(めぐ)み」のお蔭(かげ)ではないのです。あなたの清らかな意思でおこなった行為(こうい)の結果(けっか)なのです。あなたの不幸は「悪魔(あくま)の誘惑(ゆうわく)」ではありません。あなたの汚(よご)れた意思でおこなった結果(けっか)です。


 あなたが幸福な者か、不幸な者か、成功者か、失敗者か、努力家か、怠(なま)け者か、人気者か、嫌(きら)われ者かを決めたのは、すべてあなた自身なのです。


 良い人間になるためには、生まれた時の自分が、自然と悪い方向へ向かうような性格なら、どうしようもなく悪い人間になってしまう。しかし、生まれた時の環境(かんきょう)が、いつも良い方向へ向かうものなら、必然的(ひつぜんてき)に良い人になってゆきます。それを認識(にんしき)して、努力して、良い人と付き合っていけばよいのです。それが自分で良い環境をつくるということです。何事も努力が必要なのです。


 自分が先に笑えば、相手も笑う。自分が先に「ありがとう」と言えば、相手も感謝(かんしゃ)の気持ちを持つのです。自ら能動的(のうどうてき)に良いことを実践することが良い結果につながります。そして、幸福になれるのです。


 真理(しんり)を直訳(ちょくやく)すると「いつどんな時にも変わることのない、正しい物事の筋道(すじみち)」です。要するに「真実(しんじつ)の道理(どうり)」ということになります。物事の真理を考えると答えは一つです。例えば「地球は丸い」というのは主観(しゅかん)ではありません。客観的(きゃっかんてき)な事実です。これが真理ということです。


 真理とは主観で行動するのではなく、法則(ほうそく)に従(したが)うことです。仏教では「一切の生命は殺されるのを嫌(いや)がる」という法則があります。どんな生命も、何がなんでも殺されたくないのです。殺されることを第一に嫌がります。仏教では、「生きる」のは「生命の権利(けんり)」なのです。「生命を奪うことは、誰にもできない」というのが法則に従った真理の生き方です。従いまして、真理に従うならば、「生命を奪(うば)うこと」は違法(いほう)です。だから仏教では「殺すなかれ」なのです。


 私たちが永遠(えいえん)に求め続けているものは、常に「真理(しんり)」を探究(たんきゅう)しているということです。物事の本質(ほんしつ)を見抜(みぬ)くお釈迦さまの智慧(ちえ)が大事なのです。その真理を導(みちび)くために、私たちは法華経から多くを学ばないといけないのです。


 私たちは、八正道(はちしょうどう)の修行により自分を高めることができます。「正見(しょうけん)」「正思(しょうし)」「正語(しょうご)」「正業(しょうごう)」「正命(しょうみょう)」「正精進(しょうしょうじん)」「正念(しょうねん)」「正定(しょうじょう)」この八つの修行をすれば、真理が見えてまいります。


 さて、私たちが、毎日を楽しんで生きられるかがとても重要なのであります。歳(とし)を重ねるにつれ自分が毎日変化してゆく、その現状を楽しめばよいのです。毎日、自分のこころも体も変化しております。毎日、周(まわ)りも変化してゆきます。その現象(げんしょう)を楽しめば、歳を重ねることは楽しくて仕方がなくなります。そのように気持ちの転換が大切なのです。


 そもそも自分は毎日毎日変化している訳ですから、昨日の自分で今日を生きているのではありません。今、五十代や六十代の女性が、十七歳の時の自分がどんなだったか思い出してみて下さい。その頃はニコニコ笑いながら遊んだり、男性に声をかけられたり、楽しくて華(はな)やかなことがいろいろあったと思います。しかし、五十代になった女性に「十七歳の時と同じように行動してみて下さい」と言ったらどうなるでしょうか。十七歳の時の服を着て、当時の髪型(かみがた)にして一日行動したらどうなるのか。どれほどおかしくて、どれほど笑われるか、想像がつきますよね。とても滑稽(こっけい)に見えます。


 人間にも樹木(じゅもく)と同じく年輪(ねんりん)があります。少しずつ、歳を重ねるごとに良さが出てくるのです。失敗した分、悲しんだ分、苦労した分、必ず自分を高めてくれるのです。


 ところで、人生とは意外と長いようで短いものです。一秒、一秒の積み重ねが一日であり、一か月であり、一年です。私たちは遊んでいる暇(ひま)はないのです。よく聞く話ですが「人生をもう一度やり直せる」とか「人生をリセットできる」とかいいますが、それは大きな勘違(かんちが)いです。無駄(むだ)に使える時間はあまりないのです。日々の努力精進(どりょくしょうじん)を怠(おこた)ってはならないのです。


 人間は死ぬ瞬間(しゅんかん)まで幸福で明るく生きることが、仏教的に考えた自然(しぜん)の法則(ほうそく)です。病気で不幸になることなく、病気を明るく乗り越えて、幸福に生きることが大切です。私たちは過去(かこ)を振(ふ)り返(かえ)るのでなく未来を見つめ、今日を精一杯(せいいっぱい)生きることが大事です。


 生きる上で考えないといけないことは、『捨(す)てることが生(い)きることである』ということです。人間は捨てないと進化(しんか)が無くなります。子どもから大人になる時「おもちゃ」は捨てないと大人にはなれません。成長というのは何かを捨てることなのです。大人になるためには『こうあるべき』〔執着(しゅうちゃく)〕 という重い荷物(にもつ)は捨てなければいけません。捨てることを忘れて財産や子どもたちに執着していると、良い結果は得られません。智慧(ちえ)のある人は「生きることは捨てること」ということが分かっているのです。


 「生(せい)」といえば誕生(たんじょう)のことのみだと思ってはいけません。常に「生」はあるのです。例えば、家族の誰かが病気になったとします。それまでは家の中で誰も病気の人はおりませんでした。つまり、新しい状況が「生まれた」ことになります。すると、それを家族は「嫌(いや)だ」と思ってしまいます。生まれた状況を「苦しい」と思います。もし、その病気が治ったら、その時にまた新しい状況が生まれたことになります。悪いことがなくなって、良いことが生まれたから、今度は「楽しい」と思います。


 人生においては、次から次へと良いことが生まれているわけではありません。悪いことも多くあると思います。悪いことが起きたら悪業因縁(あくごういんねん)を一つでも罪障(ざいしょう)を消滅(しょうめつ)させて頂くと思うことが大事であります。そして、親から頂いた自分の命を人のためになるような人生へと高めてゆくことがとても大切であると思っております。


 教祖・杉山辰子先生は『慈悲(じひ)』 『誠(まこと)』 『堪忍(かんにん)』の三徳(さんとく)の実践(じっせん)が大事と仰(おお)せです。法華経を一心に信じるこころが大事なのです。「一心欲見佛(いっしんよくけんぶつ)」「不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)」のこころです。身命(しんみょう)を惜(お)しまず一心に仏を求める、そのこころが私たちを幸福へと導(みちび)いてくれるのです。教祖さまは、このように言われました。信じるこころが強ければ強いほど「祈(いの)りとして叶(かな)わざるはなく」「罪(つみ)として滅(めっ)せざるはなく」「福(ふく)として来(き)たらざるはなく」「理(り)として顕(あらわ)れざるはなし」ということです。必ず所願満足(しょがんまんぞく)になるということです。


 私たちも三徳の実践により積徳(せきとく)の人生を歩むことがとても大事であります。日々、精進に励むことにより『すばらしき人生』へと宿命転換(しゅくめいてんかん)して参りましょう。


合 掌


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