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世界平和を
大樹
すばらしき人生65

新緑の季節がやって来ました。生命の息吹(いぶき)と躍動感(やくどうかん)あふれる五月です。これから暖かい日々へと移り変わって参ります。四月に新たな環境(かんきょう)を迎(むか)えましたが、もう一ヶ月が過ぎてしまいました。月日の経つのが年々早いと感じるのは私だけじゃないと思います。一日、一日と充実(じゅうじつ)した日々を送ることに専念(せんねん)したいと思っております。


 三月、四月は花粉症(かふんしょう)などのアレルギーに悩(なやま)まされましたが、五月ともなれば概(おおむ)ね落ち着いてきます。五体満足(ごたいまんぞく)で健康を頂ける喜びを忘れてはいけないのであります。私たちは、健康に勝(まさ)るものは何もないということを思い、今を生かされて生きているという現実を大いに感謝(かんしゃ)したいと思います。


 先般は、釈尊降誕祭(こうたんさい)〔花まつり〕にお参りを頂き、誠に有難うございました。お釈迦さまは、美しい花が咲き乱れる「ルンビニー園」という花園(はなぞの)でお生まれになられました。それで、お釈迦さまのお誕生日を花まつりといって祝います。お釈迦さまがお生まれになった時に、天から甘露(かんろ)が降(ふ)り注(そそ)ぎ、それを産湯(うぶゆ)にしたとの説から、現在では甘茶(あまちゃ)をお釈迦さまにかけるようになったそうです。お釈迦さまの誕生を祝い私たちも無病息災(むびょうそくさい)で過ごせるように精進(しょうじん)したいと思います。


 今、現在、レスリング界や相撲界などで問題となっているパワハラやセクハラなどのハラスメント〔嫌(いや)がらせ・いじめ〕は、つい身近なところで起きているものです。私がサラリーマンだった時のことです。当時、私たちの会社の営業職は、おおよそ三割が女性でした。


 私は課長職で静岡県を担当しており、競合他社(きょうごうたしゃ)の女性営業担当者のことを例題(れいだい)に上げ会議を推(すす)めておりました。そこで私が発声(はっせい)したその一言で苦しむこととなりました。私はその女性のことを「あんな女性に負けてはいけない」というような話をしました。「あんな女性に!」と発声した瞬間(しゅんかん)、会社の女性人からバッシング〔非難(ひなん)〕を受けてしまいました。彼女たちは自分のことのように捉(とら)えたのでしょう。まさに、これは、セクハラ的言動(げんどう)なのでした。この件から数年間、その会議に同席した女性から白い目で見られるようになってしまったのです。


 「女だてらに」や「女のくせに」という差別用語(さべつようご)がいけなかったのであります。世の中は男女平等なのです。そうすると「男ならできるでしょう」とか「男のくせに」とか言ってもセクハラにあたるのです。


 言葉はしゃべる暴力(ぼうりょく)なのです。人が嫌(いや)がることを言ってはいけません。人が喜ぶことを率先(そっせん)して会話しなければいけないのです。しかし、会社の上下関係では、その辺の線引(せんび)きが難しい部分もあります。叱咤激励(しったげきれい)が逆にパワハラやセクハラにならないよう細心(さいしん)の注意が必要なのです。


 言葉はつくづく難(むずか)しいものであります。そして、言ってしまったことは、もう取り返しがつきません。私は、この事件より言葉を慎重(しんちょう)に選(えら)んで話すように心がけてきました。


 世の中には有言不実行(ゆうげんふじっこう)の人もおられますが、私は、「有言実行(ゆうげんじっこう)」という言葉が大好きです。世の中で成功するためには『夢(ゆめ)を持つ』ことが基本です。そして、その夢を目指(めざ)すためにも目標(もくひょう)が無いと実現できません。まずは、どんなに大きくても、また、反対に小さくても『夢を持つ』ことがとても大事なのです。そして、その夢を実現するための目標を立て、実行あるのみです。


 漠然(ばくぜん)とした「潜在意識(せんざいいしき)」の中で夢を持つことにより、目標の達成意欲(たっせいいよく)が増(ま)して参ります。そして、その夢を達成するために「顕在意識(けんざいいしき)」へと変化して参ります。そうすれば、私たちは、将来、必ず自己実現(じこじつげん)を成(な)し遂(と)げることができるのであります。何事も努力なしでは成功はあり得ません。『夢と希望』を持つことがいかに大事なことか、ご理解いただけたと思います。


 お釈迦さまは、こう言いました。幸福に暮(く)らせるようになるためには、「慈悲(じひ)のこころを育(そだ)てる」ことが大事である。慈悲というのは、すべての「生きとし生けるもの」が幸せでありますようにと願う気持ちです。この世の中のすべての生きものは、生きたいと願って生きております。誰もが、その命を奪(うば)う権利(けんり)はないのです。慈(いつく)しみのこころを育てると、周りの人が幸せになることを自然(しぜん)と思うようになります。この法華経は、人を幸せにすれば必ず自分が幸せになれるという真理(しんり)を教(おし)えているのです。


 従(したが)いまして、施(ほどこ)しがとても大事であるということであります。ものを施すことを財施(ざいせ)といい、法(ほう)を施すことを法施(ほうせ)といいます。ものを施すことが、なぜ善行(ぜんこう)になるかというと、与えることでものに依存(いぞん)する性格、欲(よく)が減ると、こころが一部きれいになり、智慧(ちえ)が現(あらわ)れてまいります。すると、もっとこころをきれいにするために、どうすえばよいかということがわかるのです。つまり、ものに執着(しゅうちゃく)する人間の煩悩(ぼんのう)を少しでも減らすことが大事なのです。


 病気(びょうき)の人は、病気になる道を歩(あゆ)んでいるのです。わがままなこころを慈悲(じひ)のこころに変えれば、それは百八十度こころを変えることですから、まったく違(ちが)う道(みち)を歩くようになるでしょう。慈悲の道を歩いているうちに、病気は自然に治(なお)ってゆきます。ですから、わがままなこころを慈悲(じひ)のこころに変えるということが、病人にとってとても大事な心構(こころがま)えなのです。もっとも、こころを変えたとたんに病気が治るわけではありません。時間をかけて病気になったのですから、治るためにもしばらく時間がかかります。


 人は皆(みな)、「特別(とくべつ)な存在(そんざい)」ではありません。特別な存在でいたいと思いたくなるでしょうが、そうではありません。私も他の人も、すべて等(ひと)しく一つの生命なのです。どんな生命も同等(どうとう)に尊(とうと)い存在なのです。


 調和(ちょうわ)のとれた生き方が望(のぞ)ましいのであります。金(かね)などの道具(どうぐ)に支配(しはい)されると、人間は欲(よく)・怒(いか)り・憎(にく)しみ・嫉妬(しっと)・悩(なや)み・悲(かな)しみという原動力(げんどうりょく)に頼(たよ)らなければならなくなります。逆に、金などはみな、仲良く平和で幸福に生きるための道具に過ぎないと思えば、その人の生き方は「愛(あい)・慈(いつく)しみ」でいっぱいになります。


 地位(ちい)・名誉(めいよ)・財産(ざいさん)は生きるために必要な道具であるということを理解してその通りに生きる人が、生きる真(しん)の目的(もくてき)と、世俗的(せぞくてき)な物事(ものごと)を見事に調和(ちょうわ)させているのです。


 世間にどっぷりと入り込んで生きることや、世間が恐ろしいから逃避(とうひ)して生きることも正しくありません。私たちが頑張(がんば)って生きることで、皆の役に立つならば、それこそ調和(ちょうわ)に達(たっ)した生き方なのです。私たちが、「慈(いつく)しみ」を生きる原動力(げんどうりょく)にすると明るい未来が開(ひら)けて参ります。


 命というものは、お互いの協力によって成り立っております。私たちが食べるものはなんでしょうか。普段、私たちは肉や魚や野菜など食べております。皆さんも一緒(いっしょ)です。食べるということは、かつてあった生命を食べているということです。鉄分(てつぶん)が必要だからといって、鉄の塊(かたまり)を食べても、体に鉄分は吸収(きゅうしゅう)されません。鉄分を含んだ野菜やレバーを食べなければ栄養にはなりません。このようにすべての命は、あらゆる命の協力(きょうりょく)によって成り立っているのです。ですから、私たちはすべての恵(めぐ)みに対し感謝(かんしゃ)しないといけません。


 お蔭(かげ)さまで生かされているという気持ちを持たなければいけません。命というものは、一人で成り立つものではありません。生まれて一週間なら一週間分の「お蔭さま」なのです。八十年生きたら、それだけ他の生命が生かしてくれたということです。感謝して生きることを忘れてはいけないのです。


 「皆さまに感謝します」と正直に言うと、その「皆さま」がいろいろ助けてくれます。決して人間は一人では生きられないのです。互(たが)いに心配(しんぱい)し合って、互いに面倒(めんどう)をみて、互いに感謝(かんしゃ)して生きる。そういう慈(いつく)しみの生き方でこころに強い力がつき、幸福に生きられるのです。


 他人に慈(いつく)しみの気持ちを抱(いだ)くと生きることは奇跡的(きせきてき)に楽になります。やることはなんであろうとも見事に成功します。自分の周りに味方をたくさんつくることです。慈しみのこころになると、すべては順風満帆(じゅんぷうまんぱん)となります。こころの中の欲(よく)も怒(いか)りも憎(にく)しみも消えてしまいます。慈(いつく)しみはすべての善業(ぜんごう)を引き寄(よ)せる行為(こうい)です。必ず幸福へと通(つう)ずるものであります。


 ですから、私たちは慈(いつく)しみという絆(きずな)で結(むす)ばれていなければならないのです。誰でも死というものは避(さ)けることができませんが、慈(いつく)しみで結ばれた関係性の中でなら、安らぎを感じて生活することができるのです。


 現実(げんじつ)に目(め)をやれば、人間というのは、とんでもなくわがままな存在(そんざい)なのです。よく、人間は尊(とうと)い存在だとかいわれますが、とんでもありません。ひどくわがままで、いい加減(かげん)な自分だけ良ければよいと思っている存在なのです。ですから、まずは正直に、『自分が幸せでありますように』と念(ねん)じます。その時、本当に自分が幸せであってほしいと、正直に真面目(まじめ)に念(ねん)じましょう。同じように『自分の周りの人々、親戚(しんせき)、親(した)しい人々が、みんな幸福になってほしい』と、真剣に念じてあげて下さい。自分だけのことが気になっていた狭(せま)い気持ちが、親しい人々も含める大きいものになります。狭い自分のこころが広く大きくなるのです。


 さらに、一切の生命に対しても同じく『幸福でありますように』と真剣に念じます。すると、自分のこころは、じわじわと拡大(かくだい)して、生命(せいめい)なら、誰(だれ)のことでも素直(すなお)に心配(しんぱい)できる人間へと成長できるのであります。これが、『慈(いつく)しみのこころを育(そだ)てる』ということなのであります。


 法華経二十八品は前半の十四章までが迹門(しゃくもん)です。後半十四章から本門(ほんもん)に入ります。具体的なテーマとして迹門(しゃくもん)は「光(ひかり)」、本門(ほんもん)は「音(おと)」を強調(きょうちょう)しております。「光」は諸法実相(しょほうじっそう)の「真理(しんり)」を表す「不変真如(ふへんしんにょ)の理(り)」です。「音声(おんじょう)」は久遠本仏(くおんほんぶつ)の使(つか)いとしての「行動(こうどう)」を表す「随縁真如(ずいえんしんにょ)の智(ち)」であります。


 本門で大事なところの観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)(第二十五章)について記(き)させて頂きます。観世音(かんぜおん)とは、たとえば、商売(しょうばい)で挫折(ざせつ)しそうになって苦しんでいる時、救(すく)いを求める必死の「世音(せおん)」に応えてくれる。助けてくれる。そうすることで、より深い絶対的幸福(ぜったいてきこうふく)の「仏界(ぶっかい)」へと導(みちび)いてくれる。そういう久遠(くおん)の本仏の慈悲(じひ)を表しているのです。


 まず、観世音(かんぜおん)という名前の由来(ゆらい)ですが、その理由は「いかなる衆生(しゅじょう)であれ、どんな苦悩(くのう)であれ、この観世音菩薩の名前を聞いて、その名を一心(いっしん)に称(とな)えれば、観世音菩薩は即座(そくざ)にその音声(おんじょう)を観(かん)じて、すべての苦しみから解放(かいほう)するであろう」と。観音さまの名前を称(とな)えただけで救(すく)われる。もちろん、文底(もんてい)から見るならば「観音の名を称える」とは、観音の力の根源(こんげん)である久遠(くおん)の本仏(ほんぶつ)「南無妙法蓮華経」というお題目(だいもく)を唱(とな)えることであります。お題目を「一心」に唱えることがとても重要となります。


 観音品には「弘誓(ぐぜい)の深(ふか)きこと海(うみ)の如(ごと)し」とあります。これは、広宣流布(こうせんるふ)しようという誓(ちか)いは海のように深い、ということです。そして、その結果、観音は「福寿(ふくじゅ)の海(うみ)は無量(むりょう)なり」ということで、無量(むりょう)の福(ふく)が聚(あつ)まった海のごとき境涯(きょうがい)という大境涯(だいきょうがい)を得(え)たということです。


 私たちも広宣流布に邁進(まいしん)する「行動(こうどう)」がとても大切です。そして、布教(ふきょう)するという「誓願(せいがん)」をたて実行することで、無量の「福徳(ふくとく)」と「智慧(ちえ)」を頂けるのであります。


 教祖・杉山辰子先生は行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、いついかなる時も妙法(みょうほう)を一心(いっしん)に信心(しんじん)して『妙法蓮華経』の五文字を唱(とな)えることが大事と仰(おお)せです。そうすれば不慮(ふりょ)の事故(じこ)や災難(さいなん)から免(まぬか)れることができると仰せであります。そして、大難(だいなん)が小難(しょうなん)に小難が無難(ぶなん)へと悪業因縁(あくごういんねん)を断ち切り、罪障(ざいしょう)を消滅(しょうめつ)してゆけるとおっしゃっておられます。


 私たちは、「不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)」のこころになり、法華経に自分の全生命を注(そそ)ぎ込(こ)んで、真剣にこの教を信じて、信じて、信心(しんじん)してゆくことが、とても大事です。そして、教祖さまが推奨(すいしょう)されている『慈悲(じひ)』 『誠(まこと)』 『堪忍(かんにん)』の三徳(さんとく)の実践(じっせん)をすることであります。


 法華経は他力本願(たりきほんがん)ではありません。自らが実践をする「自力本願(じりきほんがん)」なのです。そして、すべてに感謝して生きることの重要性を説いております。これからも信者の皆さまの尊(とうと)い魂(たましい)を磨(みが)き『すばらしき人生』に向かって努力・精進されることを期待しております。


合 掌


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