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世界平和を
大樹
すばらしき人生72

十二月に入りました。早いもので一年が過ぎ去ろうとしております。一年、一年の重みを噛みしめながら、一年間をしっかりと生きなければいけません。時間だけは皆平等(みなびょうどう)にあります。私たちは、どのような人間になったのではなく、どのように生きたのかということが、とても重要であります。


 思い返せば、この一年は自然環境(しぜんかんきょう)の異変(いへん)に恐怖(きょうふ)を感じる年でした。大自然の力の大きさには、ただただ驚(おどろ)くばかりです。私たちが、いかに自然と共存しているかを痛烈(つうれつ)に感じた年でした。今問題となっている地球温暖化(ちきゅうおんだんか)やプラスチックの海洋汚染(かいようおせん)も重大な問題(もんだい)となっております。今こそ人間の智慧(ちえ)が試(ため)されるところです。環境汚染(かんきょうおせん)を防止(ぼうし)するためにプラスチックのストローから紙のストローへと変わってまいります。そして、レジ袋(ぶくろ)も現状(げんじょう)のものでいいのか、紙袋(かみぶくろ)にした方が環境には優しいのではないか。しかし、それにはコストが高くなるという問題点もあります。まだまだ、考えることはいっぱいありますが、私たち一人ひとりが対応すれば、いずれ必ず解決(かいけつ)する問題であると思われます。


 法公会立教四十五年祭にお参りを頂き誠に有難うございます。ご来賓(らいひん)の先生方よりご祝辞を頂いたこと重ねて御礼申し上げます。信者の皆さまは沢山お餅を拾われましたでしょうか。二十四俵という多くのお餅のご寄付(きふ)を頂き感謝しております。


 今月は、開祖祭法公先生ご入滅八回忌でございます。信者の皆さまのご参詣をお待ち申し上げております。


 私がサラリーマンだった時のことです。静岡県の責任者をしていた時のことです。Aさんという部下がおりました。彼の性格は人見知(ひとみし)りで、おとなしいタイプの男性でした。優(やさ)しいとことは彼の持ち味ですが、もっと強く、そして、スピード感を引き出すことが当面(とうめん)の目標でした。


 新人なので伸(の)びしろは無限大(むげんだい)でした。そこで私は、手取(てと)り足取(あしと)り教育(きょういく)をしました。そして、「壁(かべ)の花(はな)」にならないよう積極性(せっきょくせい)を高める指導(しどう)をしました。


 彼は、医学(いがく)、薬学(やくがく)に関連(かんれん)する臨床検査(りんしょうけんさ)の学部(がくぶ)を卒業(そつぎょう)されました。医学にも通(つう)ずるところもあり、それが彼の強みでもありました。


 私は、彼に、この先生にはこういう話をしなさい。あの先生にはああいう話をしなさいと具体的(ぐたいてき)に指導(しどう)をしました。そして、最期に必ず症例(しょうれい)を何例くださいと先生に頼(たの)むというクロージングを徹底的(てっていてき)におこないました。


 彼は、もともと消極的(しょうきょくてき)で営業には不向(ふむ)きな性格であったため、人間革命(にんげんかくめい)が急務(きゅうむ)でした。彼は、何度(なんど)も何度も強い自分になろうと試(こころ)みても、なかなか脱皮(だっぴ)できないのであります。問題にぶつかると、それを回避(かいひ)しようとしてしまうのです


 どうやら彼は、後向(うしろむ)きの人生という殻(から)を打(う)ち破(やぶ)ることができなかったのでしょう。どんなに努力しても、残念ながら一歩前に出ることはありませんでした。


 楽(らく)な仕事なんかありません。皆、同じ問題(もんだい)や悩(なや)みを抱(かか)えております。しかし、それをバネとして乗(の)り越(こ)えないと成長(せいちょう)することはできません。苦(くる)しいけれど、歯(は)を食(く)いしばって頑張(がんば)るしかありません。それと仕事が好きにならなければいけません。「好きこそ物の上手なれ」という諺があるように、仕事に愛着(あいちゃく)を持つことがとても重要なのです。


 結局(けっきょく)、彼は努力の結果(けっか)を出せずに会社を辞めることになりました。会社が嫌(きら)いになったのです。医者と話す時の重圧(じゅうあつ)から逃(のが)れたいと思ったのでしょう。そう考えると会社を辞(や)めたくなる気持ちもわかります。彼が、転職(てんしょく)して良い会社に入れるか、いなかは今後の彼の努力次第(どりょくしだい)であります。


 お釈迦さまは、感情(かんじょう)に支配(しはい)されず感情を支配することの重要性を説いておられます。好(す)き、嫌(きら)い、欲望(よくぼう)、夢(ゆめ)、憎(にく)しみ、嫉妬(しっと)、傲慢(ごうまん)、プライド、失望(しつぼう)、悩(なや)みと人間にはいろんな感情があります。また、生きる環境(かんきょう)からもさまざまな感情が現れます。自信がないことや不信感(ふしんかん)、猜疑心(さいぎしん)、恐怖感(きょうふかん)、完璧主義(かんぺきしゅぎ)や自信過剰(じしんかじょう)などさまざまな感情が現れます。


 人の生活というのは感情に支配され続けているといえますが、人の判断(はんだん)、行動(こうどう)などが感情に支配されるとよくありません。その人自身の進歩(しんぽ)を妨(さまた)げますし、社会にも貢献(こうけん)できません。人生も徐々(じょじょ)に暗くなってしまいます。怒(いか)り、嫉妬(しっと)、恨(うら)み、愛情(あいじょう)、欲望(よくぼう)などに支配されると、物事(ものごと)を冷静(れいせい)に判断できなくなり客観的(きゃっかんてき)に見ることができなくなってしまいます。


 感情(かんじょう)のままに生きることは、いたって簡単(かんたん)です。動物は感情のままに生きていますが、だからといって人間もそれでいいと思うのは、あまりにも褒(ほ)められたことではありません。感情のままに生きるならば何も進歩はないし、努力する必要もありません。せっかく人間として生まれた訳ですから精神的(せいしんてき)に成長(せいちょう)しなくては意味がありません。


 暗い気持ちを乗(の)り越(こ)えることは、それほど簡単ではありません。時間をかけてゆっくりと自己観察(じこかんさつ)しながら進むことです。それには自分の感情が今どうなっているのかを確認(かくにん)することです。そうすれば、少しずつ、物事を客観的に見られるようになるのです。仏教では、忍耐(にんたい)、努力(どりょく)、こころを明晰(めいせき)にすることなどが必要であり、それによって必然的(ひつぜんてき)に仏教で教えている明るい方向へと進んでゆけるのです。


 お釈迦さまは、世の中は絶(た)えず変化をしていると説かれました。順調(じゅんちょう)な状態(じょうたい)も一瞬(いっしゅん)にして崩(くず)れることもあります。物事が不幸に傾(かたむ)いても落ち着いていることが大事なのです。感情に左右されないためには勇気(ゆうき)が必要なのです。


 智慧(ちえ)のある人間になるためにはそれなりの努力が必要です。それなのに普通の人間は、運命(うんめい)、業(ごう)、定め、生まれつきのような概念(がいねん)により自分たちの状態を考えますが、今おかれている自分の状態を納得(なっとく)するためにそのように考えるのは構(かま)いませんが、「だからしょうがない」とあきらめてしまうことは問題があります。このような考え方だと人間は進歩も成長もしなくなります。


 因果(いんが)の法則(ほうそく)を語る仏教では、何の原因も無く何かが現れるとは考えません。私たちの今の状態も何らかの因縁(いんねん)の結果(けっか)であることは確(たし)かです。それなりの努力をすれば、悪い状態も良い方向へと改善していけることも事実です。


 私たちの人生が過去の業(ごう)で定められ、変化しないような固定(こてい)されたものと考えることは正しくありません。それは、無常(むじょう)の概念(がいねん)と因果(いんが)を否定することになります。努力することは仏教の道徳の基盤(きばん)です。従って、努力すれば、どんな人間でもやがて完全なる賢者(けんじゃ)になれるのです。


 人間はさまざまな能力(のうりょく)を持って生まれますが、特別な人間、選ばれた人、神(かみ)の子、恵(めぐ)みを与えられた人という概念は、仏教にはありません。たとえ恵まれた人がいたとしても、それはそれに見合った過去の努力(どりょく)と因縁(いんねん)の結果である訳です。


 自分は恵まれていない、だから不幸だと思うと、その人は努力を否定する暗い人間になってしまいます。結果がうまくいかないということに悩(なや)まずに、前向(まえむ)きに努力さえすれば必ず良くなると思うことが大事です。


 賢者(けんじゃ)になるためには、知識(ちしき)と智慧(ちえ)に密接(みっせつ)な関連(かんれん)を持っていることを理解(りかい)しないといけません。そして、人は、「知識」のレベルから「智慧」のレベルへと高めることが大事であります。それにはまず、真理(しんり)を楽しむ人になることが重要です。知識だけにとどまっている普通の人の楽しみは、あらゆる知識の蓄積(ちくせき)です。それは、ただの妄想(もうそう)の世界を楽しんでいるのと同じです。お金を儲(もう)けること、あらゆる娯楽(ごらく)、社会的な地位(ちい)や権力(けんりょく)を得る道などを楽しんでいるのと大差(たいさ)ありません。


 たいして役に立たないにもかかわらず、あらゆる情報(じょうほう)の収集(しゅうしゅう)、趣味(しゅみ)として色々な能力(のうりょく)を身につける稽古(けいこ)ごと、冒険的(ぼうけんてき)な経験(けいけん)などにも喜びを感じます。しかし、人生をそれだけのことで終えるならば、賢者(けんじゃ)にはなれないのです。欲(よく)、怒(いか)り、嫉妬(しっと)、見栄(みえ)、高慢(こうまん)などの感情の泥沼(どろぬま)から抜け出すことができません。知識は人間の見栄と高慢を育て、娯楽の世界は人間の欲を育てるのです。智慧を得るためには真理(しんり)を喜ぶという方向に転換(てんかん)しなくてはいけません。


 何が真理なのでしょうか。それは知ることに興味(きょうみ)を抱(いだ)くことです。仏教には「ありのままを知る」という言葉があります。それは人間の固定観念(こていかんねん)に基(もと)づいて語られる知識に引き込まれずに、直接真理を発見するという意味です。


 例えば、学校に通う子供さんを持つ親が教育を語る場合は、どんなに公平に語っているつもりでも、我が子の教育という視線(しせん)から離(はな)れることはできません。


 真理を知ろうとする人は、どのような意見も「全くその通りだ」と決めつけることはせず、いろんな立場からの意見として理解します。他の立場からも問題を見ようとします。真理により近づこうと努力します。要するに固定観念が頭にある時は、ありのままにものを見ることはできないのです。


 仏教では、いかなる方向へ観察(かんさつ)しても、正しく観察できるなら最終的には、「すべては無常(むじょう)である」「苦である」「変化しない実体はない」「因縁(いんねん)の法則によって現れる一時的な現象(げんしょう)のみである」という結論(けつろん)にたどり着きます。


 あらゆる固定観念(こていかんねん)からこころをきれいにして、自分の好き嫌(きら)いの感情からも離れ、物事を観察し、事実のみを見ようと努力し、それに喜びを感じるようにする。その結果、智慧(ちえ)が現れて正しくものが見られるようになった時、はじめて結論として、「なんだ、すべては無常ではないか、それしか真理はない」という事実に出合うということになる。すべてが無常であると理解したならば、その人は、すでに賢者なのです。


 真理(しんり)を知る人は、他人の意見を否定(ひてい)することはありません。その代わりに、なぜこのような意見が出たのか、その人はどのように考えたのか、どんな立場で、どんな目的であったのかを考えないといけません。


 真理を知る人は、自分の意見を述べる時も気を付けて話します。真理を知る人は、決して曖昧(あいまい)な態度(たいど)はとりません。真理を知る人はしっかりと物事を理解しております。ただそれにとらわれないだけです。それは中道(ちゅうどう)という道を進むことです。真理をありのままに理解しよう。それに喜びを感じようと思うと、こころが煩悩(ぼんのう)〔感情〕からきれいになり、悟(さと)りを開き賢者(けんじゃ)になることができるのであります。


 教祖・杉山辰子先生は『慈悲(じひ)』 『誠(まこと)』 『堪忍(かんにん)』の三徳(さんとく)の実践(じっせん)が大事と仰(おお)せです。私たちは、お釈迦さまに「一心欲見佛(いっしんよくけんぶつ)」「不自借身命(ふじしゃくしんみょう)」というこころを起(お)こすことが大事です。自分の身命(しんみょう)を惜(お)しまず、一心(いっしん)に仏を求めるこころになることです。この仏を信じて、信じて、信心(しんじん)して妙法蓮華経の五文字を唱える時に大きな功徳(くどく)があるのです。


 教祖さまは、いついかなる時も妙法を唱えれば、不慮(ふりょ)の事故や災難(さいなん)から免(まぬか)れることができると仰せです。私たちも尊い法華経の力を信じて自分のこころを育てることが重要です。こころは努力しないと育ちません。まずは、「慈(いつく)しみのこころ」「怒らないこと」そして、「精進(しょうじん)すること」であります。つまり、『慈悲』『誠』『堪忍』すなわち三徳の実践により、こころを育てることによって「すばらしき人生」へと高めて頂きたいと思います。


合 掌


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