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世界平和を
大樹
すばらしき人生73

新年あけましておめでとうございます。本年もどうか宜しくお願い申し上げます。今年の干支(えと)は「亥年(いどし)」です。猪(いのしし)のように猪突猛進(ちょとつもうしん)ではなく、「熟慮断行(じゅくりょだんこう)」ということで、十分に考えた上で、思い切って実行してゆきたいと考えております。


 今年は、暖冬(だんとう)と言われておりますが、それはあくまでも平均気温を言っております。ですから、寒い日は極端(きょくたん)に寒くなると思います。世界中で異常気象(いじょうきしょう)などの状況が報告されている理由の一つには、海水温(かいすいおん)の上昇に伴う現象(げんしょう)があります。私たち人間が、この地球温暖化(ちきゅうおんだんか)を阻止(そし)できる智慧(ちえ)を出さないといけません。人間一人ひとりが、真剣にこの問題について取り組んでいかないといけません。現状を悪化させることなく、未来の人類が住みやすい環境(かんきょう)の整備(せいび)をしなくてはならないのです。


 昨年は信者の皆さまにとってどんな年でしたか。一年間、無病息災(むびょうそくさい)で安泰(あんたい)に過ごされたでしょうか。人生には浮(う)き沈(しず)みがございます。昨年良くなかった人は、今年なお一層のご精進(しょうじん)をされることが望ましいと思います。良かった方も引き続きご精進をされますことを期待いたします。この法華経を一心に信じ、一生懸命に精進すれば必ず人生は上向きになって参ります。今年一年が皆さまにとって素晴らしい年になりますようご祈念(きねん)いたします。


 十二月には開祖・榊原法公先生の八回忌にお参りを頂き有難うございました。法公先生も、さぞ喜ばれたことでしょう。早いもので丸七年が経ちました。年を重ねるごとに一年の速さを感じております。一日、一日を大切に、また、有意義(ゆういぎ)に過(す)ごすことの大切さを忘れてはならないのです。


 私がサラリーマンの時でした。静岡で営業課長をしておりました。十人十色と言いまして、人間にはいろんなタイプがあります。世の中には、「二:八の法則(ほうそく)」がございます。全体の二割である優良顧客(ゆうりょうこきゃく)が売上の八割を占めているという法則のことです。優秀(ゆうしゅう)な営業マンのHさんは、この法則に則(のっと)り、日々活動をしておりました。重点的(じゅうてんてき)に二割だけを中心に活動され、効率的(こうりつてき)に仕事ができ、売り上げも間違(まちが)いなく上がりました。また、その二割の顧客との信頼関係(しんらいかんけい)も強くなります。しかし、残りの八割は捨(す)ててもいいかといえば、そうではありません。実は彼が重点顧客に集中することで、そのすべてが好循環(こうじゅんかん)となっていったのです。人間は集中力(しゅうちゅうりょく)があるかないかで大きく違いが出ます。彼の集中力は抜群(ばつぐん)でありフットワークも良かったので良い結果が得られたのです。


 逆に、効率的(こうりつてき)ではないKさんは、すべての顧客(こきゃく)に対し万遍(まんべん)なく営業活動をしておりました。全体的に仕事ができた点は良いのですが、重点顧客との信頼関係が、今一つでした。彼が、二割の顧客に八割の力を注(そそ)げば、こんな結果にはなりませんでした。結局、売り上げを落としてしまったのです。


 彼は、優先順位(ゆうせんじゅんい)を付けることがあまり上手(じょうず)ではなかったのでしょう。この「二:八の法則」を理解しなければ、営業効率は上がりません。また、Hさんと比較するとKさんは、集中力という面から言えば弱かったと思います。仕事を万遍(まんべん)なくすることで、自己満足をしてしまったのでしょう。たくさん仕事をすれば、売り上げが上がるかといえば、そうでもない場合もあります。会社というのは、成果主義(せいかしゅぎ)ですから売り上げを上げ続けないといけないのです。


 Hさんは、今や取締役(とりしまりやく)まで出世されました。どんなことでも集中力を身につけると成功できるのです。そして、絶対(ぜったい)にあきらめないという強い信念(しんねん)がないといけません。自分の力を信じて、やりとおすことができれば成功という二文字を手に入れることができるのであります。


 それでは、仏教的に考える人生とは、生涯(しょうがい)にわたる勉強(べんきょう)であり修行(しゅぎょう)であると思います。自分を高めてゆくことが大きな目標となります。時間はみな平等(びょうどう)にあります。効果的(こうりつてき)に時間を使うことが望ましいのです。私たちの行動には必ず目的(もくてき)があります。それで、その目的を達成(たっせい)できるかできないかを考えたり、悩(なや)んだりしなくてはならなくなります。目的の達成に必要な条件(じょうけん)を揃(そろ)えたり、目的の達成を妨(さまた)げる条件を排除(はいじょ)したりしなければならないので、うまく簡単(かんたん)に行動できるわけではありません。


 そして、目的が達成できたら感情的(かんじょうてき)に舞(ま)い上がったり、失敗したら落(お)ち込んだりしなければなりません。そのうえ、確実(かくじつ)にストレスもたまります。従って、目的があって行動することは、大変なことです。


 自分を高める修行とは「気(き)づき」の実践(じっせん)です。人間は意外(いがい)と自分のことを知りません。まずは、そのことに気づかなければいけません。自分という人間をよく観察(かんさつ)しなければなりません。そして、楽(らく)な道を選択(せんたく)すると、その人の成長はその瞬間(しゅんかん)から止まります。苦(くる)しく辛(つら)い道を選択すれば、その人は成長し続けるでしょう。


 お釈迦さまは、生きることは「苦(く)」である。老いることも「苦」である。病(やまい)に伏(ふ)せることも「苦」である。死ぬことも「苦」である。と、生老病死(しょうろうびょうし)を説かれました。生きていれば苦しく辛いことは山ほどあります。


 どんな苦労に出合っても、それらをうまく乗(の)り越(こ)えて、幸せに生きられる方法はないのでしょうか。お釈迦さまは、私たちが人生でぶつかるどんな苦しみや悩みに対しても、それらを克服(こくふく)する智慧(ちえ)を授(さず)けて下さいました。


 私たちは「苦」を乗り越えるために、人格(じんかく)を高める努力(どりょく)が必要(ひつよう)なのです。そのためにも「気づき」がとても大事なところです。自分と正直(しょうじき)に向き合うことで、今何をやるべきかと気づかない限り、人生なんて変えることが出来ないのです。


 賢(かしこ)い人というのは、単に智慧(ちえ)があるということだけではなく、優れた人格をもった人をいいます。すばらしい人格を形成(けいせい)してゆくことは、とても難(むずか)しいことです。人格を形成してゆく上で、言葉遣(ことばづか)いに気を付けたり、きちんと挨拶(あいさつ)すること、振(ふ)る舞(ま)いに注意することがとても大事であります。


 私たちは、まず、行儀(ぎょうぎ)や挨拶(あいさつ)などの振る舞いなど基本的な部分を正せば徐々にこころが清(きよ)められます。「慈(いつく)しみ」 「堪忍(かんにん)」 「精進(しょうじん)」することによって、こころを成長(せいちょう)させることです。このように行儀から入ってこころを育てても良いですが、こころを成長させることから始めて人格者(じんかくしゃ)になるのか、どちらでも良いと思います。


 賢(かしこ)い人は、すなわち賢者(けんじゃ)の人格的な側面(そくめん)を見ると、人格者は極端(きょくたん)な好(す)き嫌(きら)いはありません。人はしばしば、「私はこれが嫌いだ」とか「これが好きだ」とか「これが欲しい」「これはいらない」などと強く言ったり思ったりします。他人に対して、人の気持ちに関係なく、「あんたはこうしなさい」「こうしてはいけません」と要求(ようきゅう)したり命令(めいれい)したりします。その好き嫌いの感情(かんじょう)は「自我(じが)」なのであります。


 しかし、好き嫌いという感情の激(はげ)しい人は、その分、精神的(せいしんてき)に苦しむこととなります。物事は自分の思うようになりません。他人に対してそのような態度(たいど)で接すると人間関係でトラブルとなります。


 智慧(ちえ)のある人は、自分の主観的(しゅかんてき)な感情(かんじょう)をいきなり表(おもて)に出すことはしません。自分の好き嫌いという感情や相手をよく理解(りかい)することで、主観的な感情を消すようにして、その場にふさわしい行動をとることです。解(わ)かりやすく言えば、常に他人の気持ちも考え理解して、思いやりをもって行動するということです。そうすれば、自分も他人にも苦しみは生まれてきません。完全な賢者(けんじゃ)は好き嫌いというこころは一切消えるものです。人に対してわずかな自我(じが)や問題(もんだい)を作るようなことは決してありません。


 苦しい時、物事がうまくいかない時、人は誰でも落ち込んだり暗くなったりします。時には自信(じしん)さえなくなってしまう場合もあります。物事がうまくいく時や、ついている時は、明るく元気になります。しかし、自信をつけるのは良いですが、それが過剰(かじょう)な自信となって高慢(こうまん)になると、後で苦(にが)い経験(けいけん)をすることもあります。いずれにしても、感情が激(はげ)しすぎるということです。賢者はこのような感情の波(なみ)をまったく持っておらず、幸福な時も不幸な時も平安(へいあん)なこころでいるのです。


 また、賢者は、自分のためにも他人のためにも、不正(ふせい)な方法(ほうほう)で要求(ようきゅう)することはしません。普通(ふつう)の人は財産(ざいさん)を得(え)るためには、方法を選(えら)ばず、儲(もう)かればよいと考えております。財産以外でも地位(ちい)や名誉(めいよ)、権力(けんりょく)までも得ようとします。こう考えますと人間は欲(よく)の塊(かたまり)なのです。


 賢者は、このような不正な方法で、財産や地位、名誉、権力も何も求めません。お釈迦さまは、不正な方法で毎日の食事をするよりも、法を守って飢え死にする方が素晴らしいと言われております。


 人間というのは、財産、名誉、権力など、何かが無ければ不安で生きていられず、生きるためにはどんな方法をとっても、それらを得ようとします。これは精神的な弱さなのです。不正なことをしてまで、財産(ざいさん)、名誉(めいよ)、権力(けんりょく)を得(え)るべきでしょうか。そうまでして生きることが、そんなに大事なのでしょうか。不正(ふせい)を犯さないためには、強い精神力(せいしんりょく)が必要です。賢者は、何もなくてもこころが安らかで清(きよ)らかに幸福であれば、それで十分と考えるでしょう。


 私たちが目指(めざ)す道は、智慧(ちえ)を育てることだけではありません。智慧と同時に煩悩(ぼんのう)からこころを清らかにすることです。そして、最終的(さいしゅうてき)に私たちが、六道(ろくどう)を輪廻(りんね)するという悪循環(あくじゅんかん)に終止符(しゅうしふ)を打つことです。それは、「解脱(げだつ)」を体験(たいけん)することです。なかなか難(むずか)しいことですが、法華経の本意(ほんい)はそこにあるのです。


 解脱(げだつ)とは、どういう状態(じょうたい)なのかを考えてみると、欲(よく)が消(き)えたこころ、無執着(むしゅうちゃく)のこころ、何ものにもとらわれないこころの状態を指(さ)します。一般的には暗い感覚で理解する方が多いようです。それは、私たちの普通の世俗的(せぞくてき)な価値判断(かちはんだん)で、世俗レベルを超越(ちょうえつ)した聖者(せいじゃ)のこころを理解しようとするからです。


 私たちが、存在(そんざい)、輪廻(りんね)、生命、生きることなどの言葉で考えている生の世界は「苦(く)」であり、その苦しみから脱出した状態が「解脱(げだつ)」なのです。従いまして、「解脱」は本来、明るくて幸福な状態なのです。


 仏教で説かれている真理(しんり)というものは、修行(しゅぎょう)をして体験(たいけん)しなければ完全には理解することができないものです。ですから私たちが解脱を暗く否定的に感じるということは、やむを得ないことです。しかし、考え方を変えれば、解脱こそ人間が到達すべき大きな、大きな目標であるのです。


 教祖・杉山辰子先生はこの法華経を信じて、信じて、信心(しんじん)して、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)〔いついかなる時も〕妙法蓮華経の五文字を唱える時に功徳(くどく)があると仰(おお)せです。そうすれば不慮(ふりょ)の事故や災難(さいなん)から免(まぬか)れることができるとおっしゃいました。


 そして、大難(だいなん)が小難(しょうなん)に小難が無難(ぶなん)にと、罪障(ざいしょう)を消滅(しょうめつ)することができると仰せです。従いまして、私たちがこの教えを深く信じ、妙法を唱(とな)えれば必ず功徳(くどく)があるということです。


 この偉大(いだい)なる妙法を広宣流布(こうせんるふ)することが大事であります。一人でも多くの皆さまが幸福になるために、法華経は存在するのです。私たちが、法華経に出合えたということは、とても有難(ありがた)いことです。


 この世の中には、自然(しぜん)の法則(ほうそく)があります。この法則に逆らうと、生きてゆく上で苦しみが生まれます。自然体(しぜんたい)で生きることは、なかなか難(むずか)しいことです。人間には感情(かんじょう)があります。その感情に支配(しはい)されると苦しみから抜け出すことは難しくなります。


 そうならないように「慈悲(じひ)のこころを育て」「無執着(むしゅうちゃく)」になることです。そして、お釈迦さまの智慧(ちえ)でもって、いろんな問題を解決することが大事なのです。


 それが、教祖さまが言われる『慈悲(じひ)』 『誠(まこと)』 『堪忍(かんにん)』の三徳(さんとく)の実践(じっせん)をするということです。毎日、毎日が修行です。日々のご精進(しょうじん)により『すばらしき人生』を掴(つか)んで頂きたいと思っております。


合 掌


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