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世界平和を
大樹
すばらしき人生9

秋の足音が少しずつ聞こえて参りました。人生について、しみじみ考えさせられるのもこの時節ならではと思われます。本を読みたくなる気分になるのも、そのせいかもしれません。心を豊かにする、そして、幅広い知識を修得するために本を読むことが一番と考えております。


 皆様もお気づきになられたと思いますが、今月号より大樹の表紙を変更させていただきました。新しいデザインとなり、心機一転、頑張って執筆させていただきたいと思っております。内容の濃い大樹を目指しておりますので、どうか宜しくお願い申し上げます。

 人生は『山あり谷あり』と申しまして、誰も皆、平坦な人生を送られる方は、殆んどおられません。人生とは、そういうものであります。大なり小なり起伏は有るものです。だから、人生は面白いと思うのであります。まさに波乱万丈の人生ほど、生きる目的が明確になってくるものと考えております。しかし、一般的に『波乱万丈な人生』となれば、もがき苦しんだ人生と思うのが通常であります。しかし、私は、そんな人生こそ変化に富んだ『意義ある人生』と理解をしております。


 ところで、幼い頃の思い出に、つくづく『田舎育ち』は良かったと思っております。川で魚釣りをしたり、ザリガニを捕まえたり、カエルを捕まえたり、セミを捕ったり、様々な昆虫類や、いろんな生き物に遭遇する機会が数多くありました。時には庭にスイカの皮を放っておけば、何処からともなくカブトムシが現れ捕まえたものでした。まさに大自然の中に自分が溶け込んでいるという実感であります。周りは農家ばかりで、季節感も充分味わえました。秋になると、稲の収穫後の田んぼの臭いが、たまらなく好きでした。私たちは、その乾燥した田んぼで飛行機を飛ばすのが、大の楽しみでした。広大な田んぼで飛行機を飛ばす訳であります。周りに飛行を妨げる物体は何もないのであります。私たちの飛行機は籤(ひご)と和紙を使います。先ず先端にプロペラを付け、胴体と主翼と尾翼をつくり、骨組みを作ります。完成したら、次に主翼と尾翼には和紙を貼り、糊付けします。余分な紙は綺麗に切り取り、最後に霧吹きで水をかけパーンと張りを持たせます。動力はゴムの反発力を利用して飛ばす訳であります。天候状況に左右されますが、よく飛ぶ飛行機は、翼の紙の張り具合と、丈夫なゴムを三重や四重にし、思いっきり捩じる訳であります。そのゴムの捩じりの反発でプロペラを回します。できるだけ長持ちさせることが重要であります。よく飛ばす子で5分間程飛んでいました。私は3分間飛ばすのが精一杯でした。とにかく、自然があるから、いろんな遊びができた訳であります。勉強もせず、遊んでばかりでしたが、遊びから学ぶことも多々あったと自分なりに納得しております。大自然に感謝しなければなりません。すべての環境のお蔭があり、自由に伸び伸びとした生活ができた事、今では大きな財産となっております。


 人生『山あり谷あり』ですが、私の人生も激変がございました。ご存知のように、私は大学を卒業し社会人となりました。医薬品流通会社に就職し、それなりに、納得のいく仕事をして参りました。会社に不満は無い訳ではないのですが、どんな会社にしても、大なり小なり不満はあるものです。丁度、34歳の時でした。12年間お世話になった会社を辞める決断をしました。いわゆる『転機』が訪れた訳であります。入社八年目に結婚をしました。そして、お蔭さまをもちまして、3年後に子宝に恵まれました。病院で受診した際に、「心音が二つあります」と主治医に告げられました。まさか、うちの子が一卵性双生児とは、夢にも思わない事が現実となり、私たちは、驚きと嬉しさで満ち溢れました。いろんな諸先輩の話を聞くと、年子を育てるより、双子の方が育てやすいと聞いておりましたが、実際はとても大変でした。仕事どころではなく、育児中心の生活となりました。子供を育てるという事が、いかに大変な事なのか、親になり初めて解かりました。私の両親も、こんな思いで育ててくれたのだと改めて感謝を致しました。


 結婚当初、偶然、名古屋の市営住宅が当たり、家賃はとても経済的ではありましたが、私の給料は世間一般から比較すると高い方ではありませんでした。私たちは子供を育てる上で、現状のままでは、とうてい難しいと判断した訳であります。そんな事が大きな『転機』となり、真面目に就活を始めた訳です。

 会社は業績・利益に応じ給料は自ずと違う訳ですが、医薬品関連会社では、医薬品メーカーの利益率はとても高いのですが、流通業は、あまり良くありませんでした。しかし、

万が一倒産するリスクを考えますと、いろんなメーカーを扱う会社の方が、より良いと判断しておりました。そして、できれば転勤の無い会社が良いと思っておりました。何時いかなる時でも、実家近くにいれば、どんな対応もできるというメリットがあったからです。


 どんな職種にしようかと迷いましたが、やはり『餅は餅屋』であります。従いまして、斯なる上は、利益の高い医薬品メーカーに就職しようと覚悟を決めました。複数のメーカーにアプローチを掛け、なかでも将来性や、CSR(企業の社会的責任)を中心に判断し、絞り込みをしました。ある日、面接の通知が来て、東京本社に呼び出しがありました。副社長、本部長との面接があり、多少緊張しましたが、何とか無難に乗り越える事ができました。副社長は外国人なのであまり喋らなかったのですが、本部長よりいろいろ質問を受けましたが、最後に何か聞きたい事はないのか?と質問を受けましたので「赴任先は何処でも構いません。何処へでも行きます。精一杯、努力をさせて頂きます」と答え、そして「私を年収500万円で買って下さい!そうすれば、問題提起解決型の営業をさせて頂きます」と大勝負を賭けてみました。後日、採用の通知を貰い一安心をしましたが、就職するにあたり、面接では如何に存在感を引き出す自己PRができるか、そして、如何にインパクトを与える事ができるかが、極めて重要なポイントとなります。


 私は、前の会社を5月15日で退社し、翌日より新しい会社の導入研修に参加し、一日も休まず転職をしました。私自身、一日の猶予も有りませんでした。早く一人前の営業マンになる事だけを考え必死に取り組みました。研修は、長野県の山荘のような研修所で、缶詰研修を致しました。テレビも新聞もなく、一体世間で何が起きているのか、まったく遮断された環境の中、研修三昧の日々でありました。晴れて、研修が終了した暁には、逆に世間というものは結構、煩わしいと感じた程でした。


 医薬品メーカーの営業は、当時はプロパーと呼んでおりましたが、今ではMRと呼んでおります。自社の医薬品製剤の適正使用情報を提供するのがMRの仕事でこざいます。なぜ、思い切った決断ができたのかと申しますと、生活上の問題もありましたが、一方、自分の力を試してみたいという願望もありました。昔は『近江商人に学べ』という事がよく言われましたが、私には、この名古屋で営業を12年間耐えたという実績がございます。断片的ではございますが、名古屋は人間関係が複雑であります。『本音と建前』をうまく使い分けができないと成果は期待できません。そして、名古屋的商売は『個人』でなく『集団(組織)』という概念がないと成功しません。どんな事でも集団(組織)の和に入り同一歩調でないとマベリック(離れ牛)になってしまいます。仕事は勿論、昼食やアフター5も行動を共にできないと、信頼関係が構築できません。顧客だけでなく社員同士ですら、協調しないといけません。そして、共通の価値観というスペースを作らないと信頼関係の先にあるビジネスまで到達できません。従いまして、一匹オオカミ的な人は成功を成し得ないと思われます。集団(組織)の中での自分の立ち位置と、相互理解と、尊重と、認知する事ができなければなりません。結構、名古屋でのビジネスは奥が深く難しい所が多々あるのであります。お蔭さまで、名古屋で経験した失敗から成功への光を見出し、試行錯誤を繰り返し、チャンスを掴み、創意工夫と忍耐力と絶対に負けないと思う『強い意志』を持つ事ができました。この天下分け目の決戦の地、名古屋を制覇できたら何処でもできるという自信が生まれた訳であります。


 何事も経験する事が大事であります。若いうちに多くの失敗を経験する事が、必ず己の成功に繋がる近道と思っております。故事ことわざで『可愛い子には旅をさせろ』とあります。これは、皆様もよくご存知でしょうが、改めて申しますと、『子供が可愛いなら、甘やかさないで、世の中のつらさを経験させた方がよい』という事です。このことわざ通り、失敗や辛さは経験しないと生涯理解できるものではありません。そして、『気づき』が最も重要であります。気づきとは、『こころ』を変える事ができるビッグチャンスです。世の成功者は失敗を恐れません。失敗から『気づき』が起き、次なる一手を打つチャンスであります。新入社員で若葉マークの頃に多くの失敗をする事が、最終的に仕事の変化に気づき、対応する逞しさを身に着け、自分の六感を磨く事ができる訳であります。成功の陰には、常に失敗がある事を改めてご認識を頂きたいと思うのでございます。


 法公先生の母親が逝去されたのが、先生が丁度、34歳の時でした。きっと先生にも大きな転機が訪れた事でしょう。偶然にも、私の転機と重なった事が、他の何かを意味しているのでしょうか・・・?


 お釈迦様の説かれた『法華経』は、とても有難い教えでございます。永遠不滅の「因果の二法」は、私たちの大切な心の大動脈でございます。私たちは、この尊い教えの導きにより、先ず、『足るを知る』という事を正しく理解する事が重要であります。すなわち、地球上すべての動植物、太陽、空気、水とあらゆる人間を取り巻く環境の中で、私たちは、『生かされている』という事を実感し、その自然の恵みに感謝をしなくてはなりません。


 今年は『法公会立教40周年』と記念の年であります。信者様や皆様のお力添えのお蔭をもちまして、40周年を迎える事ができます。心より深く感謝を申し上げます。法公先生もこの節目の40周年をさぞ楽しみにしておられた事であろうと思っております。お蔭さまで、村一番の貧乏から人生を変える事ができました。先生がよくおっしゃっていた事に、『運命は必ず変えられる』とあります。法華経の力を信じ、悪い業を断ち切り、良い運命に変えるためには、一生懸命、先祖への感謝と供養をしていただき、そして、『三徳』の実践あるのみであります。先生の口癖で「蒔かぬ種は生えぬ」善因善果と申しまして、良い種を蒔いたら必ず良い結果が付いて参ります。


 私たちも、徳高き人を目指し、日々精進する事が必ずや『すばらしき人生』になると信じて止みません。


合 掌


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