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世界平和を
大樹
すばらしき人生94

新型しんがたコロナウイルスが世界的せかいてき蔓延まんえんし、あたらしい生活せいかつ様式ようしきにもすこれてきた今日きょうこのごろです。十がつはいあつさもおさまってきております。人間にんげん活動かつどう自体じたいがコロナウイルスの拡散かくさんになるため、不要ふよう不急ふきゅう外出がいしゅつはなるべくひかえることが賢明けんめいです。


 ワクチンや新薬しんやくもまだしばらく時間じかんがかかりそうです。三みつ感染かんせんしないようにしなければいけません。コロナに感染かんせんしない、感染かんせんさせないとおもうことが大事だいじではないでしょうか。自分じぶんだけでなく相手あいてのことを「おもいやる」という慈悲じひのこころをつよつことが、とても大切たいせつなのです。


 最近さいきん報告ほうこくでは一度いちど感染かんせんして免疫めんえきができたと安心あんしんしていたら、またあらたなDNAのコロナウイルスに感染かんせんした事例じれいもあります。本当ほんとうさきえない厄介やっかいなウイルスとのたたかいは、しばらくつづきそうです。


 わたしたちにできることは、あさのおつとめで信者しんじゃみなさまが感染かんせんしないように、いのりをささげることです。どうかご自愛じあいくださいますようおねがいいたします。


 秋季彼岸先祖法要会ならびに萬霊供養塔慰霊祭では、ご先祖せんぞさまのご供養くよう宣教師せんきょうし全員ぜんいん無事ぶじおこないました。信者しんじゃみなさまには法話ほうわならびに参拝さんぱい中止ちゅうしにご協力きょうりょくしていただきありがとうございました。コロナにおいて次回じかい開催かいさい予定よてい立教りっきょう四十七ねんさい読経どきょうのみの開催かいさいとなります。恒例こうれい来賓らいひん挨拶あいさつ法話ほうわ落語らくご和太鼓わだいこもちげ・参拝さんぱい中止ちゅうしさせていただきます。どうかよろしくおねがいいたします。


 わたしがサラリーマンだったときのことです。静岡県しずおかけん責任者せきにんしゃをしておりました。毎年まいとし部下ぶか増員ぞういんされ最終的さいしゅうてきに十めいのチームとなりました。当時とうじ、インスリンを販売はんばいしている会社かいしゃはおもに二しゃでした。わたし赴任ふにんしたとき静岡県しずおかけんのインスリンのマーケットシェア(市場しじょう占有せんゆうりつ)は五十五%でした。八ねんで二十%をシェアをやし七十五%までばしました。このような寡占かせん状態じょうたいになると、あまり宣伝せんでんしなくても自然しぜんげは右肩みぎかたがりとなります。


 マーケットシェアをげるには、やはり優秀ゆうしゅう部下ぶか必要ひつようなのです。上司じょうしかすもころすも部下ぶか次第しだいです。わたしは、本当ほんとう優秀ゆうしゅう部下ぶかめぐまれました。その結果けっか、マーケットシェアを獲得かくとくげがえたのです。


 会社かいしゃでは部下ぶかえらぶことができません。部下ぶか上司じょうしえらべません。しかし、わたし上司じょうし優秀ゆうしゅう人材じんざい手当てあてしてくれなければ、まったちがった展開てんかいになったとおもいます。Hさんはとても優秀ゆうしゅうでした。「夜討よう朝駆あさがけ」とって、とにかくスピーディで正確せいかくで、クロージング(商談しょうだん成立せいりつ)までそつなくできるのです。


 かれ懇意こんいにさせていただいたS総合そうごう病院びょういんのN先生せんせい競争きょうそう相手あいて担当者たんとうしゃこえるように「ガセネタ(偽情報にせじょうほう)」を先生せんせいんでながしたものでした。それをいた競争きょうそう相手あいて担当者たんとうしゃは、間違まちがった情報じょうほう会社かいしゃ報告ほうこくしたのです。うそのような本当ほんとうはなしです。


 営業えいぎょうというものは、競争きょうそう相手あいてからひとだとわれたらダメなのです。社内しゃないわれるのはいですが、社外しゃがいひとからわれてはいけないのです。仕事しごとは、るかられるかでほとんまります。つまり優勝劣敗ゆうしょうれっぱいなのです。


 成長せいちょうホルモンは先発せんぱつしゃ後発こうはつしゃはげしい競争きょうそうでした。成長せいちょうホルモンの世界せかい一例いちれいがとても大事だいじです。一例いちれい一例いちれいかさねが重要じゅうようなのです。言葉ことばはとてもむずかしいとおもいます。先生せんせい一例いちれいえてくださいと、のどからるほどしいのですが、その言葉ことばくちすことはなかなかできないものです。えるときのメリットとデメリットがあります。えるための大義たいぎがないと無理むりなのです。


 わたし静岡市しずおかしのS病院びょういん担当たんとうしていたときに、会社かいしゃ製剤せいざい濃度のうどが三ばい薬液やくえき成長せいちょうホルモン製剤せいざいがありました。体重たいじゅうあたりに注射ちゅうしゃりょうさだめられております。わたしは、びてきて体重たいじゅうえた子供こどもさんの製剤せいざい注射ちゅうしゃりょう三分さんぶんの一でいたみの軽減けいげんになりますという内容ないようをM先生せんせいつたえ、体重たいじゅうえたらえてもらえるようなシステムをつくったのです。注射ちゅうしゃりょういたみの軽減けいげんになるという患者かんじゃさまのメリットと体重たいじゅうえることで使用しようりょうえることが会社かいしゃのメリットになるのです。


 富士市ふじしでJ病院びょういん小児科しょうにか部長ぶちょうをされていたS先生せんせいが、市内しない開業かいぎょうされることになり、成長せいちょうホルモンの患者かんじゃさまを一例いちれいておられました。先生せんせい成長せいちょうホルモン療法りょうほうについてあまり知識ちしきがなく、ておられる患者かんじゃさまの成長せいちょうホルモンの継続けいぞく申請書しんせいしょされて回答かいとうがありました。治療ちりょう継続けいぞくができなくなったとわたし連絡れんらくはいりました。わたしは、その継続けいぞく申請書しんせいしょ調しらべたところ、先生せんせい重大じゅうだいなミスをされておられました。それは、本来ほんらい申請書しんせいしょには骨年齢こつねんれい手根骨しゅこんこつ)を記載きさいするところに患者かんじゃさまの暦年齢れきねんれい記入きにゅうされました。わたし先生せんせい骨年齢こつねんれい暦年齢れきねんれい間違まちがえましたという理由りゆうをつけ再度さいど申請しんせいしてくださいとつたえました。すると、結果けっか治療ちりょう継続けいぞくつながったのです。


 仕事しごとは、つね誠意せいいをもっておこなうことです。誠意せいいつたわれば信頼しんらいられます。どんなとき一生懸命いっしょうけんめいみ、自分じぶんてるちから発揮はっきできれば、納得なっとくのいく仕事しごとができるのです。そして、うまくいかなくなったときは、逆転ぎゃくてん発想はっそう必要ひつようなのです。ようするに、してもだめなら、いてみるです。すべてが順調じゅんちょうにいくということはありません。どんなときでもあきらめずに前向まえむきにしていれば、チャンスはかならずやってきます。そのチャンスをつかまえたひと成功者せいこうしゃなのであります。


 さて、仏教ぶっきょうでは、善行ぜんこうおこなあく行為こういはやめなさいといております。そして、道徳的どうとくてききることをすすめております。人間にんげんというのは自分じぶんにとっていことはぜんで、都合つごうわるいことはあくとしてとらえがちです。しかし、なに自分じぶんにとって本当ほんとういことなのか、なに本当ほんとうわるいことなのか、わかっているのでしょうか。それさえもわかっていないのです。人間にんげんは、ただまれてきただけです。まれてきて、なかひとうことをまなんだだけで、智慧ちえがあるわけではありません。ひとおそわることをおぼえる、ただそれだけです。


 わたしたち人間にんげんは、なにらずにまれても自我じがはじめからあるのです。あかちゃんにもあります。「わたし」という自我じががある場合ばあいは、当然とうぜん、その自我じが都合つごういもの、わるいものもあらわれてくるのです。ひと自我じが程度ていどによって、それらがさまざまに変化へんかするのです。


 しかし、客観的きゃっかんてきにみると、自我じが判断はんだんうたがわれます。たとえば、子供こどもは「勉強べんきょうしなさい」とわれるのはいやです。ゲームのほうがおもしろいとおもって、勉強べんきょうはやりたくない。大人おとなは、「ゲームをしてはいけない」といます。すると子供こどもは、「こんなことを勉強べんきょうして、本当ほんとうやくつのか」ときます。大人おとなにもこたえはないのでこたえられません。結局けっきょく漠然ばくぜんとした善悪ぜんあくかんっていても、なにぜんなにあくか、なかひとだれ明確めいかくこたえられません。


 みなさまもご自身じしんのこころにいてみてください。自分じぶんっている能力のうりょく発揮はっきしてたのしく仕事しごとをしたいとだれもがおもいます。しかし、自分じぶんにとってどんな仕事しごといかわるいかわからない。それは自我じがから発生はっせいするかなしい結果けっかなのです。


 自我じがには、なにいかわるいかわからない。自分じぶんにとってわるいものをいものだと勘違かんちがいするし、自分じぶんにとっていものを、いとも簡単かんたんわるいものだと判断はんだんしてしまう。自我じが感情かんじょう判断はんだんします。感情かんじょうはいると、ひとかなら間違まちがった判断はんだんをするのだとお釈迦しゃかさまはわれます。その感情かんじょうとは、よくいかり、嫉妬しっとにくしみのことです。それですべてをめてしまうのです。


 仏教ぶっきょう経典きょうてんにある「自業自得じごうじとく」という言葉ことばはとても重要じゅうよう意味いみちます。自分じぶんおこなった行為こうい結果けっかとして自分じぶん自身じしんかえってくるという意味いみです。ひとぜん行為こういをすると繁栄はんえいして幸福こうふくになります。まず、ぜん行為こういをすると、他人たにんがその恩恵おんけいけます。他人たにんあいされます。まもられます。ささえられます。自分じぶんとしても、かたをしているのだ、という充実感じゅうじつかんまれます。自信じしんがあって、安心あんしんしたこころできられます。不安ふあん恐怖感きょうふかんもなくなります。それも自業自得じごうじとくなのです。


 自業自得じごうじとく法則ほうそくは、生命せいめいかかわる法則ほうそくです。だい自然しぜんには関係かんけいのないことです。たとえば、東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい東京とうきょう電力でんりょく福島ふくしまだい原発げんぱつ破壊はかいされ、まわりに放射能ほうしゃのうれました。人間にんげんほか生命せいめいにとってはとんでもない危険きけんなことです。しかし、生命せいめい存在そんざいしないだい自然しぜんにとってはまった影響えいきょうのないことです。いたくもかゆくもありません。放射能ほうしゃのうのせいで半径はんけい二十キロ圏内けんない禁止きんしとなりました。わたしたち人間にんげん危険きけんかえりみることなく、よくだけにくらんで原発げんぱつをつくったのは人間にんげんです。そのあく影響えいきょうも、人間にんげんけなくてはいけないのです。これも自業自得じごうじとく法則ほうそくです。


 善行ぜんこうについても、意志いしがとても大事だいじなのです。どれぐらい自我じが気持きもちをおさえられるのか、ということで善行ぜんこう大小だいしょうまります。たとえば、ホームレスのひと義援金ぎえんきんとして千えん寄付きふしたとしましょう。それはそのひとっているぜん財産ざいさんだとしましょう。ぜん財産ざいさん寄付きふするときは、つよ自我じがおさえなくてはならないのです。自分じぶんのことを中心ちゅうしんかんがえるひとにはできないことです。天文学てんもんがくてき財産ざいさん寄付きふする人々ひとびとは、ぜん財産ざいさん寄付きふする、ということにはおおくの場合ばあい、ならないのです。したがって、善行ぜんこう場合ばあい金額きんがく大小だいしょうではなく、自我じが気持きもちをどこまでおさえられるか、ということになります。


 しかし、わたしたちの意志いしというものは、いつでもよくよごれております。きれいなふくたい、おいしいものをべたいとつねおもっております。わたしたちには意志いしがあるけど、その意志いしは「どんじん」でよごれております。「どん」というのはよく、「じん」はいかり、「」は愚痴ぐちです。ですから、わたしたちの行為こういは、ほとんどがあく行為こういになってしまうのです。「どんじん」できているかぎり、あく行為こういをしているのです。


 みなさまも経験けいけんがあるとおもいますが、いことをしようとすると、こころにブレーキがかかるものです。あのブレーキとはいったいなんなのか。たとえば、お年寄としよりが電車でんしゃってきてったままでも、若者わかものせきゆずらずタヌキ寝入ねいりをしている。では、なぜタヌキ寝入ねいりをするのでしょうか。どこかでブレーキがかかるのです。「どうぞすわってください」と、なかなかえません。それは、どんじんなのです。偽善ぎぜん行為こういをするとおもわれたらずかしい、「けっこうです」とことわられたら立場たちばがない。あるいは、自分じぶんつかれているからとか、せきゆずってもすわらないだろうか、など余計よけい理屈りくつをつけます。そんなことが理由りゆうたないというだけで、そのような若者わかものたちは、悪人あくにんであるというわけではないのです。「年寄としよりなんかったことじゃない」とはおもっていないのです。こころにブレーキがかかっているため、せきゆずることができなくなっているのです。そのブレーキがどんじんなのです。


 したがって、こころのブレーキさえなければ、電車でんしゃなかでお年寄としよりになに躊躇ためらいもなく、「どうぞ、すわってください」とこえをかけられます。「つぎえきりますから」とことわられても、「かまいません、どうぞ」とあかるくえます。そんなやりりで、とてもやさしい世界せかいまれるのです。ちいさな親切しんせつでも最高さいこう幸福感こうふくかんあじわうことができるのです。


 こうした善行ぜんこうによって人格じんかく向上こうじょうします。善行ぜんこうきるひと義務ぎむであり、責務せきむであって、かせないことです。きていればぜん行為こういをするのがたりまえのことです。そして、すべての行為こうい意志いしおこなっております。しかし、意志いしよごれていれば、行為こういよごれます。つまり、よごれた気持きもちでぜん行為こういをしても、いい結果けっかられません。


 ひとのこころの気持きもひとつで、おな行為こういぜんにもあくにもなるのです。問題もんだい意志いし気持きもちがとても大事だいじなのです。


 自分じぶんかされてきているということですから、恩返おんがえしをしなければなりません。立派りっぱ意志いしからおこな善行ぜんこうはすばらしい善行ぜんこうになるし、智恵ちえあらわれてまいります。そういうかたをすれば不安ふあんのないこころで、安定あんていまいおくることができるのです。きれいなこころでおこな善行ぜんこうかなら結果けっかをもたらすとかれております。まずは、できることから精進しょうじんすることがとても大事だいじであるのです。


 教祖きょうそ・杉山辰子先生せんせいは法華経をふかしんじ、常住坐臥じょうじゅうざがいついかなるときも「妙法蓮華経」の五文字もじとなえれば、かならまもられるとかれました。そうすれば不慮ふりょ事故じこ災難さいなんからまぬがれることができる。そして、大難だいなん小難しょうなん小難しょうなん無難ぶなんへと罪障ざいしょう消滅しょうめつすることができるとおおせです。『慈悲じひ』『まこと』『堪忍かんにん』の三徳さんとく実践じっせんがとても大事だいじです。わたしたちが三徳さんとく実践じっせんすることで「こころをそだてる」ことができるのです。こころがそだてば人格じんかくたかまります。人格じんかくたかまれば人生じんせいわります。そうすえれば、かなら運命うんめいへとえることができるのです。わたしたちは、日々ひび精進しょうじんすることにより「すばらしき人生じんせい」への軌道きどうはいりたいとおもっております。


合 掌


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